16話 浴衣でのんびり
「……俺、ちょっと一服してくるっす」
「……ああ」
蓮は自分の淹れたお茶をグビグビと飲み干すと部屋を出て行った。竜治は蓮の後ろ姿を見送って、ゆっくりとお茶を飲みながら窓の外の緑に目を移した。
蓮の伯父伯母がどんな人物かは知らない。グループの使い走りのような立場でも、蓮のあのナリやヤンチャなやつらが出入りしていたら気が付くだろう。
親族とはいえ家族ではないと割り切っているのか、彼らの前では蓮はまた違う顔を見せるのかもしれない。
「泣かせると、結構くるもんだよ。蓮」
竜治はぼそっと呟いた。しおりの妊娠の報告を受けて、この檜扇町のすべてを捨て去ってやり直そうとした時、竜治の母は泣いた。気丈で、竜治の馬鹿な行いを辛抱強く叱り続けた母が、初めて「やりかたを間違ったのかしらね」と泣いたのだった。
その時竜治はいつの間にか自分の方が体も力も強くなっていて母は歳をとって小さくなっている事に気が付いた。警察に御用になった時も、いつでも駆けつけてくれた母が。
「結局目を覚ましてくれたのがしおりちゃんなのね」そう言って当座の生活費を工面してくれた。
「後悔……しても時間は戻せない。でもベストを選べばいい」
竜治はいつの間にか、蓮にとって何がベストなのかを考えこんでいた。
「……さすがにおせっかいか」
外の風景はいつの間にか暗くなりはじめていた。一服してくるにしては遅いな、と竜治が思っていると、ガサゴソと音を立てて蓮が帰ってきた。
「どうした?」
「ああ、酒買ってきました。車で近くのコンビニに」
「なんだ、言ってから行けよ。心配するだろ」
「へへ……何か急に思ったんす」
蓮が真剣な顔で竜治を見つめた。その強い視線に竜治はごくりとつばを飲んだ。
「……温泉で酒のむアレ、やってみたくないですか?」
「……は?」
「アニメとかでみるアレですよ。お盆に酒載せて飲むやつ」
「お前アニメ観るのか」
「そこじゃないっす」
確かに竜治もそんな事はやったことがない。あれって悪酔いするんじゃなかったか? と竜治は思った。
「明日も運転あるんだぞ」
「うん、だからちょっとだけっす。気分気分。折角の個室露天なんですから」
「じゃあ俺は蓮を見張っておく事にするよ」
「えええ~!?」
蓮は竜治の言葉に大きく落胆のため息を吐いた。その大きさに令央がふと目を覚ます。
「あれ……もうご飯?」
「あ……そろそろだな」
竜治が時計を観ると、まもなく七時。予約していた食事の時間がせまっている。
「じゃあ飯いくか」
「あーちょっと! これこれ、これ着ましょうよぉ!」
「……浴衣か」
やっぱり蓮は形から入るタイプのような気がしてきた。竜治はそう思いながら蓮から渡された浴衣を見た。
「一応着るか」
竜治は着ていたカジュアルシャツとズボンを脱いで、肌着の上からそれを着た。
「パパー。結べない」
「はいはい」
竜治が令央の帯を締めてやっている間に、蓮も浴衣に着替えた。
「俺、祭りの浴衣も一人で着られるんすよ」
にこにこしている蓮をみていると褒めて欲しいポメラニアンみたいだな、と思った。
「置いてくぞ」
「ええっ」
竜治はわざとそっけなくそう言うと、令央の手を引いて宴会場へと向かった。
「うわぁ、広いねぇ」
「俺達の席はあそこらしい」
ステージまである広い宴会場に令央は目を丸くする。温泉旅行も行った事があったけれど、しおりが闘病生活に入ってからはまともに泊まりがけの旅行をしてこなかった。令央の記憶にないのもしかたないのかな、と竜治は思った。
「さー、ご馳走だー」
蓮はうきうきした様子で後ろから付いてくる。
「上げ膳据え膳……最高だな……」
一家の主夫である竜治のテンションも上がってきた。浴衣姿でくつろぎながら、ささやかな非日常を味わう。いい旅になりそうである。竜治たちはそれぞれにワクワクしながら席についた。