15話 乳搾り体験!
「ぶもーお」
「うわ、でっか……」
令央はホンモノの牛を見るのは初めてだ。彼の中の牛よりも迫力満点だったらしく、ちょっと怯えていた。
「びびってんのか、令央」
「そ、そんな事ないよ……パパ」
竜治がからかい半分に言うと、令央はムキになって言い返した。そんな令央の肩を叩いて、蓮が牧舎の隣にある小屋を指差した。
「令央くん、ほら子牛だよ」
「ほんとだ、かわいい!」
令央はつぶらな黒い目の子牛に近づいて行った。
「触っていいの?」
「どうぞー」
笑顔の係員の言葉に目を輝かせて子牛に手を伸ばした。
「うわあ」
温かくなめらかな子牛の皮膚を令央は無心で撫でている。その時だった。
「うわっ」
「あっ」
ぱくり、と子牛が令央の手を咥えた。
「ああ? あっ?」
「歯はないので大丈夫ですよー」
「パパ……なんか吸われた」
「ははは、お乳と間違えたかな。さ、乳搾りするか? やめとくか?」
竜治がウェットティッシュで令央の手を拭きながら聞くと、令央はこくりと頷いて答えた。
「……やる!」
「よし、行こうか」
それでは、と三人は牧舎の一角に向かった。牛の足下にはバケツがあって、そこに牛乳を搾るらしい。
「ではこのように人差し指から順番にゆっくり握りこむようにやってみてください」
「はーい」
令央が牛の乳房を握ってミルクを絞る。
「おー! 出た!」
「うんうん」
「もうちょっと力を入れてみても良いですよ」
係員のお姉さんが見本を見せてくれる。リズミカルにきゅっと絞ると勢い良くミルクが出てくる。
「ほんとだ。これが牛乳なんだ」
令央は感慨深そうに呟いて乳搾りを終えた。
「じゃあ行こうか」
「令央くん、そこにここで作ったミルクのソフトクリームが売ってるよ」
「わぁ、食べる食べる!」
「さっき腹一杯食べたのになぁ……まぁこういうのは別腹か」
それから三人は名物のソフトクリームを食べて、軽くアスレチックを楽しむとつつしレイクランドを後にした。
そこからおよそ車で20分、予約していた温泉ホテルにたどり着く。建物自体は古い旅館をリノベーションしたらしく、施設やサービスの割にリーズナブルな値段で個室の温泉が楽しめる。
「へぇ……綺麗だなぁ……」
蓮はキョロキョロとホテルのフロントを見回していた。連休直前に決めたので宿探しは少し苦労したが問題ないようだ。
部屋に入った三人は荷物を降ろした。部屋の形はほぼそのままに残してあって、座卓の向こうには障子、そのまた向こうには広縁があった。
「おー、山だ」
「良い景色だな。当たりだ」
初夏の若々しい緑の山々に囲まれた静かな空間。ゆったり出来そうだ、と竜治は思った。
「パパ……眠い……」
「ああ、結構遊んだもんな。いいよ、昼寝してな。夕飯の前におこしてあげるから」
「うん……」
座布団を枕にして令央はすやすやと眠りだした。竜治は押し入れから掛け布団を失敬して上にかけてやった。
「お茶いれましょうか」
そうしている間に、蓮は急須を手にしていた。
「ちゃんと淹れられんのか?」
「俺、お茶だけは自信あります」
そう言って蓮はキチンとした手順で緑茶を淹れた。失礼ながら、竜治はちょっと以外に思った。
「よく婆ちゃんがお茶淹れてくれって言ってて」
「へぇ……」
「どうせなら景色見ながらにしましょうか」
「そうだな、令央を起こしちゃいそうだし」
竜治と蓮は広縁に移動して障子を閉めた。ラタンの椅子に腰掛けて、温かいお茶を啜る。
「蓮は婆ちゃんっこなのか」
「あー、まぁ。そうでしたね。中学入るくらいに亡くなったんですけど」
「そういえば蓮のウチってどこだ?」
「うちですか……、あざみロードの向こうの方ですけど、俺の家っていうか父方の伯父さんの家にいます」
蓮の身内の事を聞くのはこれがはじめてだった。
「親父とお袋はどっか行っちゃって、高校からはそこの婆ちゃんの住んでた離れに間借りしてるっていうか」
「そっか……」
どこか時折寂しさを感じさせる蓮の雰囲気はそこから来ているのだろうか、と竜治は思った。竜治自身も自分の父親が生きてるのか死んでるのか知らない。
母親は夜勤もある看護師で、不在がちだった。だからといって荒れる言い訳にはならないが、ガキの当時の根っこにあったは寂しさだったように思う。
「お茶、美味いよ」
「そ、そうっすか……」
竜治がそう言うと、蓮はちょっと恥ずかしそうに笑った。