10話 ばんそうこう
ヨッチンはバチンと蓮を殴り飛ばした。
「色々知ってるだろ、お前……」
「言う訳ないじゃんか、俺だってパクられたくないよ!」
「うるせぇ!」
再度、蓮はヨッチンに殴られる。横に大きいヨッチンに対して蓮の体格はあまりに華奢だ。二発殴られたところで蓮は砂利の上に倒れた。ヨッチンはそれでも見ているだけの竜治の様子を窺った。
「本当に立ち会いだけなのか……?」
「ヨッチン、よそ見」
今度は蓮がヨッチンを殴った。不意打ちの一発は綺麗に顎に入った。
「てめぇ! 蓮!」
頭に血が昇ったヨッチンは蓮の髪を掴んで腹部に何発も蹴りを入れた。
「げ……げぇ……」
耐えきれず、蓮は胃液を吐いた。そろそろか、と竜治が一歩足を踏み出したその時だった。
「がぁーっ!」
竜治は脇からタックルを受けた。バランスを崩して倒れ込んだところにずっしりと体重がかかる。見上げると、以前居酒屋で絡まれた木村とかいう男だった。
「へへーっ、こないだのお礼してやるぜ」
そう言いながらにやにやと竜治を見下ろしている。
「そうか」
「ぐべっ!?」
竜治はその木村に頭突きを噛ました。のしかかっていた木村がのけ反った瞬間に押しつぶされていた下半身を引き抜いてかかとを鼻柱に思いっきり叩きつけた。そしてぐらりと意識の飛びかけた木村の上に逆にのしかかる。と、間をあけずにその顔にパンチをお見舞いし続けた。
「マウントまでは良かった。体勢崩したらだらだらしてないですぐ殴らないと」
そう言いながらも竜治は木村を殴る手を止めない。ゴッゴッという肉を打つ音と、木村の声にならない悲鳴が暗い倉庫街に響く。
「おーい、そっちはそっちで続けてくれよ」
竜治はくるりと蓮とヨッチンの方を向くと、にっと笑った。
「あ……あ……あいつやべぇ……」
一人、二人とチンピラ達が後ずさりしていく。ガキの喧嘩に手を出さないと言われても、このグループで一番喧嘩の強い木村が目の前で半殺しになっているのだ。
「ヨッチン……俺、グループ抜けるからな」
「う……う……」
蓮は鼻血や胃液でビチャビチャの顔のまま、ヨッチンにそう言い続けた。それでも渋い顔していたヨッチンだったが、周りの取り巻きが完全にビビり上がっているのを見てついに答えた。
「わかったよ! とっとと消えろ!」
「うん……」
蓮はヨッチン達に一礼をするとフラフラと立ち上がって、竜治の元に向かう。
「……竜さん。終わった」
「ん、そうか」
竜治はもうピクピクとしか動かなくなった木村からようやく手を離し、立ち上がった。その姿は拳は血まみれ、細かい血しぶきが顔にかかり壮絶であった。
「と、いう訳で蓮は俺が預かるからな! ……さ、行こう」
竜治は蓮に肩を貸すと、倉庫を後にした。
「これタクシー乗車拒否されそうですね……はは」
蓮は蓮でピンクのパーカーは泥まみれの血だらけである。
「しゃーない、歩くか……?」
「国道いったとこにド○キがあるんで上着買いますわ。あとばんそこも」
「俺は黒い服で良かったな」
「いや竜さんも……やばいっす」
蓮はパーカーを脱いで竜治の顔を拭った。それから拳も。拳は木村の血だけでなく切れて皮膚が剥けてしまっていた。
「すんません、ハンカチとか持って無くて」
「あ……いや……」
「……あ、あそこ」
暗い道に煌々と深夜営業のディスカウントストアが輝いている。竜治と蓮はそこでトレーナーと水と消毒液や絆創膏を買ってベンチに座った。
「あいててて……染みるぅ」
泥を水で流し、応急処置と着替えを終えて、蓮は残りの水を口に含むとべっと吐き出した。血の混じった水が地面に撒かれる。タクシーを呼んでいる間に、蓮がぽつりと漏らした。
「……木村さん、死んでないですよね」
「ん? それほど殴ってないから大丈夫だろ」
「あれで……?」
蓮の呆れたような声を聞きながら竜治は自分の拳を見ていた。木村の丈夫な歯と骨のせいで関節が赤くなっている。転んだって言い張るしかないか……。つい楽しくなってぶん殴ってしまったが蹴りを入れれば良かった、と竜治は後悔していた。
「あ、タクシー来ました」
竜治と蓮は無事にそのタクシーに乗って自宅に戻った。
「そんじゃ」
「あ、ありがとうございました」
蓮が別れ際にぺこりと頭を下げる。竜治は黙ってそのホウキみたいな頭をくしゃくしゃと撫でると、にっと笑った。
「じゃーな」
そうして竜治はそっと自宅に帰るとさっとシャワーを浴びてベッドに潜り込んだ。
「疲れた……アラサーの体には堪えるわ……」
そうぼやきながら眠りについた。
『まーた喧嘩したの竜ちゃん』
『だってよ、M県最強だかなんだかしんないけど向こうが喧嘩売って来るんだもんよ』
『……もう、ほらこっちも血が出てる!』
竜治はまどろみの中で、そう言って竜治の血を拭ってくれていたしおりの事を思い出していた。
「あー……久々に会ったなぁ……」
窓から差し込む朝日の眩しさに目を覚ました竜治はしばらくじっとそのまま夢の余韻に浸っていた。夢の中のしおりはなぜだか大抵高校生なのだ。そしていつまでも歳を取る事はない。
「おれはオッサンになってくのにな」
竜治は振り払うように首を振ると、ベッドから抜け出して着替えはじめた。
「パパ……手、どうしたの」
「夜中にコンビニいったら転んじゃって……いやー田舎の道は暗いねー」
「……ふーん?」
イマイチ納得してない令央を誤魔化しながら朝食を取る。
「ど、どっか今日行くか……?」
「今日は僕忙しいの」
「へ……?」
「転校のお手紙の返事がもうちょっと全部書けるから」
「あ、あれかぁ」
令央の転校を惜しむ声はクラスどころか学年を超えて届いていた。下級生や上級生の女の子の手紙を見た竜治はちょっと眩暈がした。令央は一体どこに向かっているのか……。と、言う訳で令央がせっせとお手紙を書いている横で、竜治はタブレットで映画鑑賞をしていた。
昨夜の大騒ぎが嘘のような穏やかな時間が流れる。
『ピンポーン』
その静寂を破ったのはインターフォンの音だった。
「なんだ……?」
竜治がモニターを覗くと、そこには唇を噛みしめた蓮の姿が映っていた。