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1話 まさかの異動

「……は、あの。もう一度いいですか?」

「だから、異動が決まったんだよ。N県の事業所に」


 竜治は呆然としてハゲ課長からのその辞令を聞いていた。


「たしか田中はその辺の出身じゃなかったか?」

「あ、まぁそうですけど高校までで……母も埼玉なんで今は家もないですけど」

「そっか、まあこれを機にお前も係長に昇進だ。栄転だよ、栄転」

「はぁ……」

「お前も苦労人だからなぁ……入社当時から知ってる俺は頑張って報われて欲しい訳よ。田舎はのびのびしてて子育てもしやすいんじゃないか?」


 ハゲ課長はにこにこと笑顔で竜治の肩を叩いて小会議室を出て行った。しかし、一方の竜治はなんとか口角の端をつり上げたものの、複雑な気持ちを隠せなかった。


「N県か……」


 竜治は十年間訪れていない故郷の事を久々に思い出した。二度と戻らない。そう誓って去った故郷の町……。


「そういや事業所ってどこにあるんだ?」


 竜治は手帳を取りだして、事業所の場所を開いた。事業所リストを辿っていた指がピタリと止ると竜治はドキドキと心臓が鳴るのが分かった。


「N県……檜扇町……嘘だろぉ……!」


 小会議室から漏れ聞こえた竜治の叫び声にフロアの人間は何事かと振り返った。




「パパ! おかえりなさい!」


 アパートのドアを開けた途端に飛びついてくる小さな影。竜治の一人息子の令央(れお)だ。


「お腹空いたよー」

「令央、レンジでチンは出来るだろ。冷蔵庫にカレーがあるから食べてて良かったのに」

「パパを待ってたの!」

「そっかそっか」


 令央はまだ十歳。身の回りの事は一通りできるがまだ甘えたい盛りだ。


「それじゃママに挨拶してからな」

「うん!」


 部屋の一角にある小さな仏壇に向かって二人は手を合わせた。


「ママ、今日は佳恋ちゃんが転んだので助けてあげました」

「お、令央良いことしたな」

「パパは?」

「パパは……うーん……」


 異動の事を話すべきか。竜治は迷ったが、それは母に相談してからにしようと思い直した。


「ハゲ課長の洗い忘れたカップを洗ってあげました」

「パパもえらい!」


 令央はにっこり笑って竜治を見上げてくる。その顔は亡き妻に良く似ていて、竜治は少し切ない気持ちになる。妻のしおりが亡くなってもう五年。母の助けを受けながらえっちらおっちらなんとか一人息子の令央を育てて来た。その母も昨年再婚し、今は別々に暮らしている。


「じゃあご飯にしような」

「はーい」


 竜治は令央に夕食を取らせて風呂に入った後、スマホを手に取った。


「ああもしもし、母ちゃん? 今週末そっち行っていいかな。……うん、分かった」


 竜治が電話を切ると、令央がキラキラした顔で近づいて来た。


「ばぁばの所に行くの?」

「ああ、土曜日な。さあそろそろ寝ろ」


 令央を寝室に追いやると、竜治は冷蔵庫を開けた。そして発泡酒を取り出すとプルタブを開けて一気に飲んだ。


「……はぁ、どうすっかなぁ」


 竜治はため息を吐いて、台所の引き出しの奥をまさぐると煙草を取りだした。がらりとサッシを開けて狭いベランダに出ると煙草に火を付ける。封を開けて大分経った煙草はしけていたが、久し振りの煙草は竜治には美味く感じられた。




「……で、行くの?」

「会社の辞令だ。行くしかないさ」


 その週末、竜治と令央は実母の家に来ていた。と、言っても竜治からしたら再婚相手の義父の家といった印象なのだが。母はお茶を啜りながら竜治に聞いた。


「令央はどうする気?」

「連れてくよ。転校はかわいそうだけど」

「じゃあ何しに来たの。てっきり令央の事を頼まれると思ったのに」

「ご老人にそこまで迷惑かけられないよ」


 竜治がそう言うと、母のビンタが飛んできた。


「まだ五十だよ! 孫の面倒くらいみれますよーだ」

「いだだ……そうは言ってもいつ帰ってこられるか分かんないから……母ちゃんにはしおりのお墓の事頼みたいんだ」

「そう……でも大丈夫なの? N県でしょ? それってあんた……」


 そう、そこなのだ一番頭が痛い所は。竜治にとってN県檜扇町は因縁の町なのだ。ずーんと頭を抱える二人を見て、令央とゲームに興じていた義父が振り返った。


「大丈夫じゃないかー?」

「……そうですかね」

「だって、僕全然分かんなかったもの。竜治君の昔の写真見ても」


 義父はすっと立ち上がると、キャビネットの上の写真立てに手を伸ばした。


「だってこれが竜治君って言われても……」

「ゲッ! なんで飾ってるんですか!」


 そこには金髪のオールバックに特攻服を着た目つきの悪い少年がバイクに跨がっている姿が映っていた。


「ほら今なんかふつーの勤め人にしか見えないよ」

「アラサーになってまでこんな格好しませんて!」


 竜治は義父から写真を奪い取った。今の竜治は黒い髪をなでつけ、黒縁眼鏡の優しげな風貌である。確かに……義父の言う通り、昔の面影もない。


「あんたは荒れてたから本当に苦労したわ。しおりちゃんさまさまね」

「その節は本当にすいませんでした……」

「名字も変わってるし、自分で言って回らなきゃきっと分かんないわよ」

「そ、そうかな……」


 竜治は元は御堂という名字だった。しおりと結婚する時に、しおりの名字の田中に変えたのだ。完全に過去を断ち切る為に。


「お墓の事はあたし達にまかせなさい」

「……おう」


 竜治はその言葉に頷いた。




 群がる単車。ガソリンの匂いにエンジン音。馬鹿騒ぎと喧嘩と自分達だけの狭い法律。その中で昔、竜治は王様だった。どうにもならないイライラを抱えて気に入らないというだけで同級生も大人もぶちのめしてきた。警察のやっかいになったのも一度や二度ではない。少年院に行かずにすんだのが奇跡みたいな生活を続けて、気が付けば花竜連合総長なんてありがたい名前で呼ばれていた竜治の日々を一変させたのは当時の彼女しおりの一言だった。


「竜ちゃん、あたし子供できた」


 そこから一転、竜治は花竜連合を解散し周りの反発や報復から逃れる為に東京に行った。負け犬でも間抜けでもいい。ただ、しおりとそのお腹の赤ん坊の為なら、と竜治は自分を変えた。家族に恵まれなかったしおりの為に自分が新しい家族を作るんだ、と竜治は仕事に励んだ。


「最初は馬鹿にされてばっかだったな」


 慣れない現場仕事。そんな自分に発破をかけ、高校卒業認定を取らせて正社員にしてくれと掛け合ってくれたのはハゲ課長だ。竜治の実母も仕事を辞めてまで東京で竜治を支えてくれた。


「なのに……たった五年で逝っちまうんだもんな……」


 癌だった。若かったしおりはあっという間に逝ってしまった。竜治と、幼い令央を残して。


「まー、ハゲ課長にはせめて部長になって貰わなきゃだし、令央にもいっぱしの男になって貰わなきゃだし……俺も一丁、やったりますか」


 こうして、竜治と令央はN県檜扇町に向かったのだった。

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