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第88話『大きな約束は未だ!?』

 



 公園の風が頬をなでる。ベンチに並んで座るふたりの間に、言葉が降りてくるまで、しばらくの静けさが流れた。


「わたし、表見さんのこと好きです」


 ミカンの声は小さかったが、その芯は揺らいでいなかった。


 アオイは思わず顔を上げ、目を見開いた。


「えっ?」

「……表見さんって、ほんと鈍感ですよね」


 ミカンが苦笑しながら言った。言葉は軽く、でもその目は真剣だった。


 予想していなかったわけではない。むしろ、その可能性は心のどこかで感じていた。けれど、それを認めてしまうと、何かが変わってしまいそうで——それに気づかないふりをしていたのかもしれなかった。


 妹のように感じていたミカン。けれど、彼女はそうではなかった。伝えられた気持ちを、受け止めなければいけない。アオイは少し考えた後、ゆっくり口を開いた。


「俺……好きな人がいるんだ」


 その言葉に、ミカンの肩がわずかに揺れた。ほんの一瞬、ビクッと反応し、そして悲しそうに視線を落とした。


「それって……ミドリさんですか?」


 アオイは言葉を飲み込んだまま、小さくうなずく。

 すると彼女は小さく息を吐き、微笑みながら顔を上げた。


「……だと思いましたよ」


 ミカンはそっと目元を拭い、それから少しだけ明るい声で続けた。


「あーあ、これでWensでやり残したこともなくなりましたよ。なんかムカつくんで、アイス奢ってください!」


 あまりに唐突なその言葉に、アオイは一瞬きょとんとして、それから苦笑した。


「……わかったよ」


 ふたりは立ち上がり、公園を後にした。途中コンビニでアイスを買い、駅へ向かう道すがら、チョコモナカをかじる彼女の横顔は、いつもより少し大人びて見えた。


 駅前で立ち止まったミカンが、数歩だけ離れてから、くるりと振り返る。


「それでも、約束は忘れませんからね!」


 そう叫んで笑うその声に、アオイは戸惑いながら首をかしげた。


 ――……約束?


 けれどミカンはそれ以上何も言わず、手を振って人混みの中へと消えていった。



 ***



 帰宅後、アオイはすっきりしない気持ちを振り払うかのようにパソコンを立ち上げ、アップされたばかりの紅音ウララの新曲『エンドレスト・ワンダーランド』のMVを再生した。


 画面の中では、ウララが自由に踊り、歌い、叫んでいた。ロックとラップを縫い合わせた混沌と衝動。可笑しさと狂気のあわいを漂いながら、ウララは楽しげに暴れ回る。


 その映像を見ながら、アオイは改めて完成度の高さに満足していた。演出も構成も、声もアニメーションのクオリティも、すべてが完璧だった。


 だが、それでも気持ちは晴れなかった。


 ミカンの思い。自分のVTuberという立場。そして、まだ言葉にならない、心の奥の“何か”。


 再生を終えたモニターを見つめながら、アオイは深く息を吐いた。



 ***



 数日後、アオイは自室の椅子に座り、パソコンの画面を凝視していた。今日はミカンが出演する"Social New Sound"の放送日だった。


 本番の直前、スマホに彼女からメッセージが届く。


『頑張ります!』


 短く、けれど気持ちのこもったその言葉に、アオイは指を動かした。


『ファイト!』と一言。それと、添えるように拳を突き出す絵文字を送信する。


 時間になり、アオイはSocial New Soundの配信を開いた。SNSで人気のアーティストたちが次々にパフォーマンスを披露していく。だが、アオイには何も耳に入ってこない。緊張が、ずっと胸を締めつけていた。


 そして、ついにその時が来た。


「続いては、VTuber琥珀リリカとしても活躍し、今SNSで話題沸騰中のシンガーソングライター! 今夜はVTuberではなく、本人として登場してもらいます! それでは聴いてください。三浦ミカンで"remember"!」


 司会者の声に続いて照明が落ち、アコースティックギターの音色が流れ始める。


 そしてミカンのまっすぐな歌声が響く。


 ——あの日、手を繋いでくれた人

 風に乗せて歌ってくれた優しい声

 あなたはもう忘れたかな

 私はいま、ここに立ってるよ

 いつか交わした、あの言葉を信じて


 歌詞が胸を打つ。まるで自分に向けて歌っているような、そんな不思議な既視感。


 そして、記憶の扉が開いた――。



 ◇◇◇



 ——ねえ、お母さんがいないの。


 泣いていた、小さな女の子。道路の外れで震えていたあの子に、アオイはそっと手を差し伸べた。


 ——だいじょうぶ。いっしょに探そう。


 小さな手を握りながら、アオイは歌を歌った。風間ソウタの『小さな約束』。


 その子は途中から一緒に歌い出して、涙をぬぐって笑った。


「お兄ちゃん、歌うまいね! 歌手みたい!」


「じゃあなっちゃおうかな、歌手に。でも、キミも上手だよ」


「わーい! じゃあ一緒に歌手になろー!」


「よーし! じゃあいつか横浜ドームでライブだー!」


「ライブだー!」


 記憶の中の少女。笑った顔。その声。その目。


 思い出した。



 ◇◇◇



 心臓が大きく跳ねた。自分が音楽を目指すきっかけ。それは、あの日出会った迷子の少女とのたわいもない“約束”だった。


 そしてその少女は、自分のシンガー時代の唯一のファンでもあり、今こうして、一人のシンガーとして大舞台に立っている。


 自分のライブを、目を輝かせて見ていたミカンの顔が、頭の中を駆け巡る。


 偶然なんかじゃなかった。


 アオイは呆然とし椅子の背にもたれ、手のひらをじっと見つめた。あの日握っていた小さな手の温度が、記憶と共に蘇る。


 演奏が終わり、ステージに拍手が起きた。


「素晴らしいパフォーマンスでした!」

「ありがとうございます」


 ミカンが微笑む。

 そしてインタビューが始まる。


「三浦ミカンさん、今後の目標を教えてください!」


 司会者にマイクを向けられたミカンは、ほんの一瞬だけ目を伏せたあと、顔を上げて答える。


「……横浜ドームで、ライブをすることです」


 客席から歓声と拍手が上がった。


「大きな目標ですね!」


「ある人と、昔、約束したんです」


「そうなんですね。その“ある人”って……?」


「わたしが尊敬している方です」


「それって、あの動画に一緒に出ている噂のボイストレーナーの方、なんてことあります……?」


「違います。その"ある人"は、わたしの大好きなシンガーの方です!」


 ミカンは拳を作って、胸の前でぐっと握りしめた。

 そして笑顔で、拳をまっすぐ前に突き出す。


「待ってますからね!」


 アオイは、気づけば椅子から立ち上がっていた。鼓動が速くなり、胸の奥が熱を帯びていく。その感情に、名前はまだない。


 ――俺は……


 アオイはただ、静かに画面を見つめ続けていた。




お読みいただきありがとうございます。

もし楽しんでいただけましたら「ブクマ」や「いいね」だけでもいただけると励みになります!

また、誤字脱字や気になる点がありましたら、ご指摘いただけると幸いです。


また『30歳無職だった俺、女声を使ってVTuberになる!?』キャラクターガイドブックの投稿も始めました。

最新話までのネタバレを含む可能性があるので、閲覧の際はご注意ください。


短編集『成長』シリーズも、不定期に投稿しています。

どれも短い物語ですが、成長の大切さや本当の強さとは何かを考えながら、心を込めて書きました。

ぜひ読んでいただけると嬉しいです。

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