第65話『能あるクマは爪を隠さず!?』
昼下がりの部屋に漂う静けさを、アオイはコーヒーの香りでそっと塗り潰していた。彼はパソコンの前に腰を落ち着け、スピーカーから弾けるような声を聞きながら、コーヒーカップを手に持つ。画面では、キノミとユイラがライブ配信でゲームに興じている。二人はコラボ中で、楽しげな掛け合いがアオイの耳に心地よく響く。コーヒーを一口啜ると、ほろ苦さが舌に広がり、昼間の緩やかな時間がさらに柔らかく感じられた。
◆◆◆
「えっと、このクマさん、ちょっと大きすぎません?」
キノミの声が少し困惑気味に響き、アオイの視線が画面に引き寄せられる。二人が挑んでいるのは『ベアーハンター』だ。このゲームは、巨大なモンスターと化したクマを討伐するアクション満載の作品で、プレイヤーは多彩な武器を手に広大なフィールドを駆け回る。時には罠を仕掛け、時には仲間と連携して立ち回り、迫りくる巨獣を仕留めるスリルが魅力だ。自然の脅威を相手に、知恵と力を振り絞る緊張感が、アオイにも伝わってくる。
画面に映るキノミのキャラクターは、ドワーフのような小柄な体格ながら、肩に担ぐ大きな斧が頼もしい。一方、ユイラのキャラクターは銀髪が風に揺れ、大柄な体に鋭い鉤爪を装備した猛々しい女性だ。アオイは目を細めてその姿を見つめる。二人は早速、灰色の巨大クマに立ち向かっていた。
「くらえ!」
キノミが叫びながら斧を振り回すと、その刃がクマの分厚い毛皮を切り裂き、鮮血が飛び散る。巨体がわずかによろめき、低い唸り声が画面を震わせる。ダメージは確実に蓄積しているようで、クマの動きに焦りが混じり始めていた。
「その調子〜!」
ユイラがそう言うと、彼女のキャラクターが突進する。鉤爪がクマの脇腹を抉り、画面が一瞬、血のような赤に染まった。怯んだ隙を逃さず、ユイラはさらに攻撃を重ねる。その動きは荒々しくも的確で、見ていて胸がすっとするほどだ。
「ユイラがサクッと片付けちゃうよ〜!」
「キノミも負けてられない!」
キノミが意気込むと、彼女の斧が再び唸りを上げて振り下ろされる。しかしその一撃はタイミングを誤り、ユイラのキャラクターに直撃。銀髪の戦士が吹っ飛んで地面に転がった。
「キノミちゃんなにしてんのおぉおおお!」
「ご、ごめんなさぁあああい!」
二人の漫才のような掛け合いに、アオイは思わず笑みをこぼす。画面を見つめながら、コーヒーをもう一口。ゲームはぎこちなくも進み、なんとか巨大クマを倒したところで、二人の話題が別の方向に転がった。
「そういえば、この前のイベント楽しかったね〜」
ユイラの声が弾け、キノミが照れくさそうに笑う。
「ちょっとトラブルもあったけど、なんとか無事終わってよかったよー」
楽しげに語り合う二人の声に、アオイはほっこりした気持ちで耳を傾ける。すると、話題がさらに別の方向へ。
「次はウララちゃんにも出てほしいよね〜」
ユイラの提案に、キノミがふんわりと頷く。
「うん、ウララちゃんの歌、凄いもんね。でもわたし、実はまだ直接会ったことないんだぁ」
「マジ〜? ワタシもコラボはしたことあるけど、会ったことはないんだよね〜。またコラボしたいな〜」
突然のウララの名前に、アオイは口の中のコーヒーを吹き出しそうになり、慌てて飲み込む。だが、心のどこかで、ウララが話題に上がったことが嬉しかった。キノミとユイラがそんな話題で盛り上がるなんて、彼には予想外の喜びだった。
「いいなー。わたしはまだコラボもしたことないんだよね〜」
――そういえば、カレハさんとはまだコラボしたことなかったな
するとアオイは閃いた。二人の配信に飛び入りで参加しよう。そう決意した瞬間、手が自然と動き出し、マウスをクリックする。
アオイは急いで『ベアーハンター』をダウンロードし始めた。その間、コーヒーカップを手にキッチンへ。コーヒーメーカーのスイッチを押すと、香ばしい香りが部屋に広がる。そして二杯目を注ぎ、デスクに戻ると、ちょうどダウンロードが完了していた。喉を軽く鳴らし、少し高めのウララらしいトーンに声を整える。配信はつけず、ヘッドセットを装着し、二人のいる通話チャットに飛び込んだ。
「二人とも配信お疲れさまー! ウララ登場ー!」
明るく弾んだ声で挨拶すると、反応が即座に飛び込んできた。
「ウララちゃん!? マジで!? おひさ〜!」
「ええっ、ウララちゃん!? 初めまして榛摺キノミですー!」
「ユイラちゃん久しぶり! キノミちゃんは初めましてー! 実は、私もゲームに混ぜて欲しいなーって思って、いきなりだけどどうかなぁ?」
「いいに決まってるし〜!」
「ええー嬉しい! よろしくね〜ウララちゃん」
二人が快く受け入れてくれたことに、アオイはそっと安堵の息をついた。三人で『ベアーハンター』を始めることになり、ゲーム画面が再び動き出す。アオイはキャラクター作成画面に目をやる。赤い髪に青い肌の悪魔っぽい女性キャラクターを作り上げ、武器には弓矢を選択した。設定を終え、ゲームがスタートする。
最初は中型のクマが相手だ。アオイは慣れない操作に戸惑いながらも、矢を構える。ユイラとキノミがそばで支えてくれる。
「ウララちゃん、そこ右だよ! クマの足元狙っちゃえ!」
キノミの叫びに、アオイは慌てて矢を放つ。ぎこちない手つきで放たれた矢がクマの足に命中し、その動きがわずかに鈍った。
「ナイスー! その調子だよ!」
「ユイラ様がそこをすかさず追撃〜!」
ユイラの鉤爪がクマの胴を切り裂き、鮮やかな赤が画面を染める。そしてキノミが斧を振り下ろし、鋭い一撃でクマにトドメを刺した。中型クマが地面に崩れ落ち、クエストクリアの文字が表示された。
「やった〜!」
アオイはクエストクリアの達成感に浸っていると、突然「緊急クエスト:ダークベアー」の文字が鮮やかに浮かび上がった。
「えっ、何これ?」
アオイは思わず声を上げ、困惑の表情を浮かべた。すると、キノミが柔らかな口調で説明を始めた。
「クエストをクリアすると、低確率で出てくるクエストだよ〜。普通のクエストより難しいんだよね。」
「わおっ、緊急クエストだ〜! テンション爆上げ〜!」
ユイラがそう言った直後、けたたましい咆哮とともに、巨大な黒クマが画面に姿を現した。あまりの大きさに、アオイの心臓がドキリと跳ねる。
「で、ででででかすぎん!?」
キノミの驚愕した叫びが、アオイの鼓膜を震わせた。
「三人で協力して倒そう!」
アオイが二人に呼びかけると、三人のキャラクターが武器を構えて臨戦態勢に入る。
「楽しくなってきた〜!」
ユイラの明るい声が響き、アオイの唇にも自然と笑みが浮かんだ。
アオイは遠距離から弓を引き、鋭い矢をダークベアーへと放つ。ユイラは鉤爪を手に疾走し、敵に突進。キノミは重い斧を振り上げ、援護に回った。ダークベアーの動きは驚くほど素早く、鋭い爪が地面を抉り、土煙が舞い上がる。アオイの矢がその目を掠め、ユイラの攻撃が脇腹に食い込むが、ダークベアーは怯む様子を見せない。
アオイは息を整え、次の矢を番えようとした瞬間、ダークベアーの巨腕がユイラを弾き飛ばした。
「ユイラちゃん大丈夫ー!?」
アオイが叫ぶと、ユイラのキャラクターは地面を転がりながらも立ち上がる。
「余裕だし〜! まだまだいけるよ〜!」
ユイラがそう言うも、黒クマの咆哮が再び響き、アオイの矢を軽々と弾き返した。その硬い毛皮に阻まれ、思うようにダメージを与えられない。
キノミが斧を振り下ろす。しかし、ダークベアーは素早く身を翻し、刃は虚しく空を切った。アオイの視界の隅で、巨体が跳ねるように動く。じわじわと疲労が三人の体を蝕み、アオイの指先が微かに震えた。
「このままじゃまずい……!」
その瞬間、ダークベアーの大振りの攻撃がキノミのキャラクターを吹き飛ばす。
「ぎゃあぁああ!!」
彼女の悲鳴が響く。しかし、アオイはその一瞬の隙を逃さなかった。素早く矢を番え、放つ。矢は一直線に飛び、ダークベアーの口内へと突き刺さった。巨体が大きく仰け反る。
すかさずユイラが追撃を仕掛けた。素早い連撃が続き、ダークベアーに反撃の余裕を与えない。その間に、キノミのキャラクターがよろめきながらも立ち上がった。
「負けるかー!」
全力で斧を振り上げ、一気に振り下ろす。刃が頭部に炸裂し、轟音とともに巨体が揺れた。
しばしの沈黙。そして、ダークベアーは力尽きたようにゆっくりと崩れ落ちる。キノミが歓喜の声を上げた。
「やったー! 勝ったよぉ!」
「ウララちゃん、初めてなのにやる〜!」
「二人が上手だからだよー!」
戦いの余韻に浸りながら、三人はゆっくりと配信を終えた。
◆◆◆
アオイはヘッドセットを外し、疲れと充足感で肩を軽く回す。窓の外はすっかり夜の帳に包まれていた。ふと時計に目をやると、ミカンが動画を上げる予定の時間を過ぎている。気になり、投稿されたばかりの動画を開く。タイトルは『事務所のボイストレーナーさんと歌ってみた』だ。
再生ボタンを押すと、画面にはミカンとアオイが映し出される。柔らかな照明の下、ミカンの明るい笑顔と、自分のやや緊張した表情が並ぶ。二人の歌声が重なり合い、調和を奏でる。その姿に、アオイは頬が熱くなるのを感じた。VTuber紅音ウララとしてではなく、素顔の自分を動画で見るのは小っ恥ずかしく、つい画面から目を逸らす。客観的に見ると、妙に照れくさいものだ。
それでも、もう一度見たい衝動が勝り、アオイは動画をリピート再生にした。コーヒーカップを手にソファに深く腰を沈め、一口含む。ほろ苦さが舌に広がり、小っ恥ずかしさも消えていく。画面からは自分とミカンの歌声が流れ、夜の静寂に心地よく響き渡る。アオイは目を細め、その余韻に身を委ねながら、静かに夜を過ごした。
お読みいただきありがとうございます。
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また『30歳無職だった俺、いきなり女性VTuberになる。』キャラクターガイドブックの投稿も始めました。
最新話までのネタバレを含む可能性があるので、閲覧の際はご注意ください。
短編集『成長』シリーズも、不定期に投稿しています。
どれも短い物語ですが、成長の大切さや本当の強さとは何かを考えながら、心を込めて書きました。
ぜひ読んでいただけると嬉しいです。




