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第64話『アンコールはサプライズ!?』

 



 アオイは電車を降りると、足早に自宅へと向かった。朝までゲームに興じた疲れが体に残り、肩が重い。それでも、ミカンのライブに間に合うため一刻も早く支度を整えなければならなかった。陽光が眩しく、アスファルトに映る影が忙しなく揺れる。マンションの階段を駆け上がり、ドアを開けると、散らかった部屋が目に入った。脱ぎ捨てた服が床に転がり、テーブルの上には空のコーヒー缶が放置されている。今は片付ける時間はない。アオイはバッグをソファに放り投げ、バスルームへと急いだ。


 シャワーを浴びると、温かい湯が汗と眠気を洗い流し、少しだけ頭が冴えた。タオルで髪を拭きながらクローゼットを開け、簡単に服を選ぶ。鏡の前で乱れた髪を指で整え、財布とスマホをポケットに突っ込む。靴を履きながら玄関で踵を叩き込み、鍵をかけて再び駅へと急いだ。外に出ると、風が頬を撫でるような心地よさを感じた。


 駅前に着くと、シオンがすでに待ち合わせ場所の改札近くに立っていた。黒いブラウスに白いパンツという、カジュアルながらも洗練された雰囲気を漂わせている。髪は軽くウェーブがかかり、普段の落ち着いた印象に少し遊び心が加わっていた。アオイは息を切らせながら駆け寄った。


「お待たせしました!」


「わたしも今来たところよ」


 シオンの落ち着いた声に、アオイは少し安堵した。彼女の服装に目を留め、思わず口に出す。


「シオンさんにしては珍しくパンツスタイルですね」


「ライブだから動きやすい服装で来たのよ」


 シオンが淡々と述べると、アオイを上から下まで眺めた。


「お兄ちゃんはもう少し服装に気を遣ってもよかったんじゃない?」


「えっ……」


「女の子と二人っきりで歩くのに、その格好はどうかと思うわよ」


 アオイは自分のラフな姿を見下ろし、確かに急いでいたとはいえ、もう少しマシな服があったのではないかと内心で苦笑した。パーカーじゃなくてジャケットくらい着てくればよかったかもしれない。


「うっ、急いでて……」


 言い訳がましく呟くと、シオンがからかうように続けた。


「相手がミドリさんだったら、もっとちゃんとした服装だったんじゃないかしら?」


「いやいやっ、そんなことないですよ!」


 アオイは焦って手を振って否定すると、彼女はくすっと笑う。


「冗談よ」


「勘弁してくださいよ……」


 アオイは苦笑いを浮かべ、シオンもまた小さく微笑んだ。


 二人は軽い足取りで、ミカンが出演する予定のライブハウスへと向かった。駅前の人混みを抜け、路地裏へと入ると、ライブハウスの看板が見えてきた。


「ミカンちゃん、緊張してるかな」


「さっきメッセージで『気合いバッチし!』って送ってきたわよ」


 シオンがスマホを手に呟くと、アオイは笑った。


「あはは、ミカンちゃんらしいですね」


「彼女、緊張とは無縁の性格してるものね」


 二人はそんな話をしながら、ライブハウスの扉をくぐった。


 アオイとシオンが受付を済ませて中に入ると、熱気が一気に押し寄せてきた。会場内はすでに多くの人で賑わい、重低音の効いたBGMが流れている。薄暗い照明の下、ステージではスタッフが機材を調整し、観客達は会話をしている人もいれば、一人で椅子に座ってる人もいる。


 後ろの方で始まるのを待っていると、ミカンが控え室から出てきて近づいてきた。騒がしい会場の中で、彼女は少し照れ臭そうに二人に声をかけた。


「急に誘ったのに来てくれてありがとうございます!」


「楽しみにしてるよ! 頑張ってね!」


 アオイが笑顔で言うと、ミカンは嬉しそうに頷いた。シオンが横から口を挟む。


「ポカしないようにね」


「任せてくださいな〜! 気合入ってますから!」


 ミカンが軽い調子で胸を叩き、そのまま控え室へと戻っていった。アオイは彼女の背中を見送りながら、会場を見渡した。


 ――この感じ、懐かしいな……



 そしてライブが始まった。



 ◆◆◆



 次々と出演者がステージに上がり、様々な音楽が響き渡る。ロックバンドの力強いギターのリフが体を震わせ、シンガーソングライターの繊細なキーボードの音色が耳に優しく響いた。アオイはシオンと肩を並べ、音楽に耳を傾けた。


「こういう雰囲気、懐かしいです」


 アオイが呟くと、シオンが言葉を返してきた。


「お兄ちゃんもライブハウスでやってたのよね。見てみたかったわ」


「あはは、俺の場合は全然お客さんもいなかったけどね……」


 アオイが苦笑いすると、シオンが質問してきた。


「今は観客席にいる側だけど、どう?」


「嬉しいけど、ちょっと寂しいかな」


 アオイの胸にフォークシンガー時代の記憶が蘇った。アコースティックギターを手に、小さなライブハウスで歌った日々。観客は数人しかいないこともあったが、それでも歌ってる時は楽しかった。今はミカンがそのステージに立ち、自分が観客席にいる。立場が逆になったことは、嬉しくもあり、どこか切なくも感じた。


 やがてミカンの出番が訪れ、ライブハウスは一段と盛り上がった。アコースティックギターを抱えたミカンがステージに立つと、観客から歓声が上がる。彼女がギターを弾き歌い始めると、深みのある歌声が会場を満たした。アオイは息を呑み、その姿を見つめた。スポットライトに照らされたミカンの表情は真剣で、ギターの音色に合わせて歌う姿は力強さと優しさが共存していた。


「やっぱり上手いね、ミカンちゃん」


 アオイはシオンの方を見ると、彼女は真剣な表情でステージの方を見ていた。


 ミカンが数曲歌い上げると、ライブハウスは拍手に包まれた。そして彼女が退場すると、観客席からアンコールの声が湧き上がる。アオイもシオンと一緒に拍手を送り、期待に胸を膨らませた。


「アンコール、あるかな」


「この盛り上がりならあるんじゃないかしら」


 シオンの言う通り、ミカンが再びステージに現れると、会場はさらに沸き立つ。彼女はマイクを手に持つと、少し照れ臭そうに言った。


「アンコールありがとー! じゃあ最後に歌わせてもらうのは、わたしが尊敬するシンガーの曲です」


 ミカンがこちらを見た。アオイはその視線に動揺すると、彼女が微笑みながら言った。


「では聴いてください『夜風』」


 アオイは自分の曲名が呼ばれたことに一瞬驚くも、照れ臭そうに微笑んだ。


 ミカンがギターを弾き始め、『夜風』を歌い出す。その声は柔らかくも力強く、アオイがかつて作り上げたメロディーに多少のアレンジが加わって、新たな命が吹き込まれていた。アオイは聴き入り、隣のシオンもまた静かに耳を傾けているのが分かった。曲が進むにつれ、昔の自分がステージで歌っていた記憶と、今ミカンが歌う姿が重なり合う。懐かしさと喜びが混じった感情が胸に広がり、アオイは彼女から目を逸らさず、その響きに浸った。そして曲が終わり、拍手が鳴り響く中、彼は静かに息をついた。


「よかった……本当に……」



 ◆◆◆



 ライブが終了し、アオイ達はミカンが片付けを終えるのをライブハウスの外で待った。少し冷たい夜風が頬を撫で、二人は感想を語り合った。


「まさか、ライブで俺の曲をやるなんてびっくりしました……」


「サプライズだったんじゃない? きっと、お兄ちゃんに向けて歌ってたんじゃないかしら」


「そうかな」


「それに、ポカしなくて良かったわ」


 シオンがクスッと笑うと、アオイも笑い返した。やがてミカンがライブハウスから出てきて、三人は駅へと歩き出した。


「ミカンちゃん、ライブよかったよ。『夜風』を歌ったのは少しビックリしたけど」


 アオイがそう言うと、ミカンは照れくさそうに呟いた。


「許可……必要でした?」


「全然。好きなだけ歌ってよ」


 その言葉に彼女は笑顔になる。そして軽い調子で口を開く。


「そういえば、この前二人で歌った動画、編集終わったんです。明日上げる予定です」


「編集ありがとう。なんかソワソワするな〜」


「いい感じに仕上がってますよ!」


 ミカンが目を輝かせ、アオイは照れ臭そうに笑った。


「わたしも見るわ。ユニット名は『リバース』だったかしら?」


 シオンが横から付け加えると、ミカンが嬉しそうに頷いた。


「そうそう! 表見さんが考えてくれたんです! 三浦の"うら"と、表見の"おもて"でリバース!」


「安直だって言ってたよね、ミカンちゃん」


「えーっ、でも気に入ってますよ〜!」


 三人は他愛のない話を続けながら駅に着いた。夜の街に響く笑い声が、アオイの心に心地よい余韻を残した。


「じゃあ、二人とも気をつけて帰って」


「はーい! シオンさん、動画の感想お願いしますねー!」


「ええ。楽しみにしてるわ」


 別れ際に声をかけ合い、アオイはシオンとミカンを見送った。久しぶりに感じたライブハウスの雰囲気に、彼の心は熱しられていた。




お読みいただきありがとうございます。

もし楽しんでいただけましたら「ブクマ」や「いいね」だけでもいただけると励みになります!

また、誤字脱字や気になる点がありましたら、ご指摘いただけると幸いです。


また『30歳無職だった俺、いきなり女性VTuberになる。』キャラクターガイドブックの投稿も始めました。

最新話までのネタバレを含む可能性があるので、閲覧の際はご注意ください。


短編集『成長』シリーズも、不定期に投稿しています。

どれも短い物語ですが、成長の大切さや本当の強さとは何かを考えながら、心を込めて書きました。

ぜひ読んでいただけると嬉しいです。

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