第52話『お泊まりコースですか!?』
二人は駅から少し離れた場所の、路地に佇む個室の食事処へと足を進めた。木の温もりが感じられる店内に通され、落ち着いた雰囲気の個室に腰を下ろす。
「予約してくれたんですか?」
「せっかくのお食事なので……」
「あっ、ありがとうございます」
「いえいえ!」
お互いに照れくささを隠せず、会話が途切れると、ふと気まずい沈黙が流れた。アオイは目の前のテーブルに視線を落とすと、木目の模様をぼんやりと追いながら、心の中で静かに息を整えた。
――落ち着け、いつも通りでいい
そんな空気を変えるように、料理が運ばれてくる。漂う香りに食欲をそそられつつ顔を上げると、ミドリが目を輝かせていた。
「わたし、フグ料理なんて食べたことないです!」
「実は俺も食べたことないんです……」
アオイが苦笑いを浮かべると、彼女がくすっと小さく笑った。その柔らかな表情に、彼の肩の力も少し抜ける。
目の前の皿には、透き通るように美しく並べられた薄切りのフグ刺し。隣では、熱々の鍋から湯気がふわりと立ち上っている。アオイが箸を手に取ると、ミドリが早速一口運び、幸せそうに目を細めた。
「わぁ〜美味しい! こんなに繊細な味なんですね」
「ほんとだ……初めてなのに、なんか懐かしい感じがしますね」
「それにフグってこんなに柔らかいんですね。お鍋もあったかくて美味しい」
「あはは。なんだか贅沢な気分になっちゃいますね」
二人はフグの繊細な旨味を堪能し、会話が弾むたびに笑顔が増える。アオイはミドリの喜ぶ姿に心が温まり、緊張が少しずつ解けていくのを感じた。
「そういえば、イベントの話聞きましたよ。大役ですね」
イベントの話題を振られると、アオイは少し肩をすくめた。
「そうなんですよ。正直、自分に務まるか疑問です」
「大丈夫ですよ! この前の対抗戦だって、みんなが納得できる結果になったのは、表見さんのおかげです」
「そんな……」
「それにこうして一緒に食事に行けたのも……」
ミドリが頬を赤らめながら小さく呟くと、アオイは思わず彼女の顔を見つめた。
いつもと雰囲気が違う。化粧の仕方が変わったのか、どこか大人っぽく見える。柔らかなアイシャドウと薄く色づいたリップが、彼女の清楚な雰囲気をより際立たせていた。
――綺麗だな……
そんな考えがふいに浮かび、アオイはハッとして息を呑んだ。慌てて視線を逸らし、箸を手に取る。けれど、指先はどこか落ち着かず、つまんだ料理も、すぐには口に運べなかった。
そのまま会話に身を委ねるようにしているうちに、次第に心もほぐれていく。気づけば、二人は料理を堪能しながら、穏やかで楽しい時間を過ごしていた。
店を出て並んで歩くと、夜の風が頬をかすめる。街灯の柔らかな明かりの下、二人の影が長く地面に伸びていた。静けさが心地いい。
ふと、ミドリが足を止める。
「これから、表見さんの家で配信しませんか?」
「えっ?」
突然の提案に、アオイは思わず目を瞬かせた。ミドリは少し頬を染めながら、それでも何かを期待するようにアオイを見つめている。
「俺はいいですけど……時間は大丈夫ですか?」
「はい!」
ミドリが恥ずかしさを紛らわすかのように勢いよく頷く。その様子にアオイは戸惑いながらも、断る理由も見つからず、ゆっくりと頷いた。
そして二人はアオイのマンションへ入り、部屋に着くとソファで少し寛いだ。
アオイは心の内でそわそわしながらも、表情には出さないよう努めた。ミドリも緊張しているのか、視線を逸らしたまま沈黙を守っている。
そんな張り詰めた空気に耐えきれず、アオイは思わず口を開いた。
「こっ、コーヒー入れますね」
「……あっ、ありがとうございます」
ぎこちないやり取りの中、アオイは静かにコーヒーを淹れ、ミドリの前に差し出した。ミドリはカップを手に取り、一口含む。
「おいしい。ありがとうございます」
そう言って、ふわりと笑う。その笑顔に、アオイの緊張もほぐれていった。
軽く雑談を交わしながら、二人は次第に自然な空気を取り戻し、やがて配信の準備に取り掛かった。
◆◆◆
「こんばんは、紅音ウララだよー! 今日もみんなでロックンロール!」
アオイがマイクに向かって明るく言うと、コメント欄が一気に賑わった。
▼「ウララちゃんこんばんはー!」
▼「ちょうど帰宅した! やったぜ」
「今日は急遽、アリアリが来てくれましたー!」
「みんなのマイナスイオン、アリアリだよー!」
ミドリが隣で元気に挨拶すると、コメントがさらに盛り上がる。
▼「アリアリもこんばんは!」
▼「仕事早く終わったから観れるー」
▼「二人で遊んでたと推測」
「あはは、正解! 今日はアリアリとご飯行ってきたよ!」
「ねー! それから急遽ウララちゃんの家に来て、配信にもお邪魔させてもらってまーす!」
▼「今日はウララちゃんの家でお泊まりコースですかな」
――ふぁっ!?
そのコメントにアオイは焦り、思わずミドリの方を見てしまう。彼女は顔を真っ赤にしていた。アオイは慌ててフォローを入れる。
「いやいや、配信が終わったら解散だよー!」
「わっ、わたしは……泊まっても……」
ミドリの小さな呟きに、アオイの心臓が大きく跳ねた。その瞬間、コメント欄が爆発的に沸き立つ。
▼「ラブラブー!」
▼「百合展開ですかー!?」
▼「あぁ……尊すぎる……」
「そっ、そんなことより、今日は"Sound Weapon オンライン"を二人でやってくよー!」
アオイが慌てて話題を切り替えると、ミドリも慌てた様子で乗ってきた。
「うっ、うん! アリアリ、めっちゃ進んで強い武器もゲットしたから、ウララちゃんのストーリーを一緒に進めてあげるね!」
二人はゲームを起動し、画面に映るキャラクターを動かした。ウララが敵に攻撃すれば、アリアがそれをサポートする。息の合ったプレイにコメント欄も賑わう。
▼「アリアリの援護完璧すぎ!」
▼「ウララちゃん、上手くなってるね」
▼「このペア最強!」
そしてしばらく配信をした後、アオイが締めの言葉を述べた。
「では、今日はこの辺で〜バイバ〜イ!」
◆◆◆
「お疲れ様です。やっぱりこのゲーム楽しいですね!」
「わたし、配信で結構やるので、また一緒に進めましょ!」
「ぜひお願いします!」
アオイがそう言うと、ミドリは軽く微笑んだ。
「じゃあわたし、そろそろ帰りますね……」
「あっ、はい!」
「それと……さっきのは冗談ですから……」
ミドリが顔を赤らめて呟くと、アオイは慌てて応えた。
「わっ、わかってます!」
すると、ミドリがむすっとした表情を見せた。それにアオイは少し焦りながらも、一つ提案をする。
「マンション前まで送りますよ」
「……ありがとうございます」
ミドリがまだむすっとしたまま応える。
二人はマンションを出て夜道を歩き始めた。冷たい空気の中、アオイがふと話題を振った。
「そういえば、ミドリさんってイベントでやりたいこととかありますか?」
「わたしですか? そうですね……ファンのみんなと、一緒に何かできる企画がいいですね。ゲームで遊んだりとか」
「それいいですね! やっぱりファン参加型って盛り上がりそうですからね!」
「ですよね。表見さんなら、きっと素敵なイベントにしてくれますよね」
ミドリが笑顔で言うと、アオイは照れくさく頷いた。やがて彼女のマンションの前に着き、二人は立ち止まる。
「おやすみなさい」
「表見さんも……おやすみなさい」
ミドリが軽く手を振って別れを告げ、アオイは自分のマンションへと歩き出した。だが、数歩進んだところで立ち止まり、彼女の方へ振り返った。
「ミドリさん!」
彼女が驚いた様子でこちらを振り返ると、アオイは言葉を続けた。
「今日は楽しかったです! ミドリさんがよかったら、また一緒にご飯行ってください!」
ミドリが満面の笑みを浮かべる。
「はい!」
彼女の弾けるような声に、アオイの胸の奥がじんわりと温かくなった。ミドリに対する気持ちが、何か変わりつつある――そう感じていた。
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