第34話『シャウトは血の味!?』
アオイは、スタジオのコントロールルームで深呼吸を繰り返し、心を落ち着かせていた。目の前の録音ブースでは、ミカンがマイクの位置を調整している。その動作には微かな緊張が滲んでいるように見え、アオイの胸にも期待と不安が交錯した。彼の隣に立つシオンは、静かにミカンの準備を見守り、落ち着いた佇まいを崩さない。
録音は一人ずつ行われる。最初はミカンだ。彼女の柔らかくも芯のある中音がブースから流れ出し、アオイはガラス越しにその姿をじっと見つめる。歌い終えると、スピーカーから西園寺の「いい感じ!」という軽快な声が響き、ミカンが笑顔でブースから出てきた。数テイクで録り終えるそのスムーズさに、アオイは感心していた。
「次、表見くんの番だよ」
西園寺の声に促され、アオイは録音ブースへ足を踏み入れた。ヘッドホンを装着すると、深く息を吸い込み、力強い歌声を解き放つ。自分の声が反響する感覚に、ほのかな高揚感が湧き上がった。そしてこちらも数テイクで録り終え、西園寺の「おっけー!」という明るい声が聞こえると、アオイは肩の力を抜いてブースを出た。そして、入れ替わりにシオンが静かに中へ入っていく。
アオイはコントロールルームに戻り、シオンの録音を見守った。彼女のクールで透き通った高音がブースを満たし、その透明感に思わず聴き惚れそうになる。だが、サビの最後のロングトーンに差し掛かった瞬間、シオンの声が突然詰まった。鋭いノイズにアオイは眉をひそめる。
「一旦休憩ねー!」
西園寺がコンソールから指示を出し、アオイはシオンの様子を窺った。彼女はブース内で唇を固く結び、悔しそうな表情を浮かべている。
「シオン、あの部分はファルセットでも大丈夫だよ」
西園寺が優しく声をかけたが、シオンは首を振った。
「二人と比べると、わたしの声は細いのよ。最後の部分をファルセットにしたら、曲が締まらないわ」
その言葉に、アオイは内心で驚きつつも、シオンの真剣さに胸を打たれた。西園寺は困ったように眉を下げ、コンソールの椅子に凭れかかる。
東ヶ崎がシオンに声をかけた。
「シオンたん、無理しないで。最後はミカンたんに代わってもらえばさ」
彼女がそう提案すると、北大路が即座に割って入った。
「最後の歌詞は紫波ユリス目線で書いてるんだから、彼女じゃなきゃダメよ」
東ヶ崎が北大路を鋭く睨み、北大路も負けじと視線を返す。二人の間に緊張が走り、アオイはミカンと顔を見合わせた。ミカンの困惑した表情が、アオイの心境をそのまま映しているようだった。西園寺はさらに困り果てた顔で頭を掻き、場は重苦しい空気に包まれる。
「代わるつもりなんて元から無いわよ」
シオンの静かだが力強い声が、その場の空気を破った。アオイは驚いて彼女を見ると、冷徹な瞳に宿るその熱に息を呑む。
西園寺がアオイに近づき、小声で耳打ちをしてきた。
「表見くん、どうにかならないかな……」
アオイは一瞬考えた後、口を開いた。
「シャウトっぽくすれば、出しやすいかもしれないです」
シオンが即座に反応し、アオイを真っすぐ見つめた。
「教えなさい」
その言葉に押され、アオイは少し緊張しながら説明を始めた。
「エッジボイスを出しながら、みぞおち辺りの横隔膜に力を入れて、徐々に声量を増やす感じです」
シオンは小さく頷き、ブース内でさっそく練習を始めた。だが、思うように声が出ず、裏返ってしまったり、奇妙なうめき声のようになったりする。アオイはコントロールルームからその様子を眺めた。
――普通だったら、誰にも聴かれたくないはずなのに……
それでもシオンは意に介さない様子で、真剣な表情で何度も声を出し続けた。その一心不乱な姿に、アオイの胸は締め付けられる。やがて繰り返すうちに、シオンの額に汗が滲み、呼吸が荒くなってきた。
その様子にアオイは心配が募り、声をかけずにはいられなかった。
「やりすぎると喉に良くないですよ」
「確かに、少し血の味がするわね」
「ええ!? もうこれ以上はやめましょうよ!」
「迷惑かけて悪いわね。こんなかっこ悪い姿、見せたくなかったのだけれど」
シオンの声は少し震えていた。アオイは慌てて首を横に振った。
「そんなことない! 努力してる人を、かっこ悪いなんて微塵も思いませんよ!」
シオンがアオイの目を真剣に見つめてきた。その視線の鋭さに、アオイは思わずたじろぐ。
「すっ、すいません! 変なこと言っちゃいました……?」
「ねえ、お兄ちゃん」
「はっ、はい!?」
「心配するんじゃなくて、応援して」
シオンはそう言い、突然ブースから出てくると、アオイの手を両手で握った。その行動にアオイの顔は熱くなり、一瞬戸惑う。だが、シオンの真剣な眼差しを見て、戸惑う気持ちを抑え込んだ。そして深呼吸し、真剣な顔で頷く。
「がんばれ! シオン!」
すると、シオンが僅かに微笑んだ。気を引き締めたようなその表情に、アオイの胸は熱くなる。
彼女はブースに戻り、レコーディングを再開した。軽くハミングし、静かに息を吸い込む。そして次の瞬間、彼女の声がスタジオに響き渡った。それは今までのシオンの歌声とは別物――パワフルで攻撃的なハイトーンボイスだった。
「すごい……こんな短時間で……」
アオイは思わず呟いた。
録音を終えたシオンが、ブースから出てきて振り向いた。いつもの冷徹な表情は消え、天使のような微笑みがそこにあった。
「ありがとう、お兄ちゃん」
「ま、またお兄ちゃんって……」
アオイは肩をすくめたが、内心の嬉しさを隠しきれず、思わず笑が溢れてしまった。
「さすが表見さん!」
ミカンが駆け寄ってきて、キラキラした瞳でアオイを見上げてくる。東ヶ崎や北大路も笑顔で頷いていた。
「シオンさんが凄いだけですよ」
アオイが照れ笑いすると、ミカンが手を握ってきた。
「わたしも『がんばれ』って言ってください!」
ミカンが無邪気にせがんでくるが、そのタイミングで西園寺が割って入ってきた。
「はいはい、最後の三人で歌うところ録るよー」
ミカンは頬を膨らませ「ブーブー」と不満を漏らして不貞腐れた。そんな様子がスタジオの緊張を解きほぐしたのか、再び温かな空気を取り戻した。
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最新話までのネタバレを含む可能性があるので、閲覧の際はご注意ください。
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