第32話『友達からの救いの手!?』
翌日の夕方、アオイは部屋の片付けに追われていた。床に散らばった雑誌を拾い上げ、棚に積もった埃を軽く払う。窓の外では夕陽が茜色に染まり、部屋に柔らかな光を投げ込んでいた。
「ふぅ……これでいいか」
アオイは小さく息をつき、手を止めた。仕事とはいえ、異性が部屋に来ることに変わりはなく、心のどこかでソワソワとした緊張が疼いていた。コラボ配信まであと一時間あまり。時計の針が刻々と進む中、不意にチャイムが鳴り響いた。
彼は玄関へ急ぎ、ドアを開ける。そこにはミカンが満面の笑みを浮かべて立っていた。
「お邪魔しまーす!」
元気よく挨拶を済ませたミカンは、靴を脱ぐなり部屋の中へ足を踏み入れてきた。その視線はすでに好奇心に満ち、部屋の隅々を物色し始めている。アオイは内心で焦った。
「お、広くて良い部屋ですね!」
ミカンは感嘆の声を上げ、荷物をソファに置くと、すぐさま棚の上の小物に手を伸ばした。アオイは慌てて制止する。
「ちょっと、ミカンちゃん! 勝手に触らないでくれぇえ!」
だが、ミカンは聞く耳を持たず、次の棚へと軽やかに移動していた。アオイは後を追いながら、半ば笑いながらも、困り果てた顔で呟く。
「本当に、なんでそんなに興味津々なんだよ……」
ミカンは振り返り、無邪気な笑みを浮かべた。
「だって、表見さんがどんな生活してるのか、気になりますもん!」
そう言いながら、彼女は棚の奥に目をやり、どこからか見つけたらしいぬいぐるみを手に取る。
「これ、可愛いですね~。どこで買ったんですか?」
アオイは顔が熱くなるのを感じ、慌ててぬいぐるみを奪い返そうと手を伸ばす。
「どこだっけ……忘れたよ」
だが、ミカンは意地悪く腕を動かし、アオイの手からぬいぐるみを遠ざけると、そのまま押入れの前に立った。アオイはたまらず声を上げる。
「ちょいちょい! これ以上はさ!」
ミカンに駆け寄り、彼女の腕を掴んだ瞬間、二人の目が合った。アオイは息を呑む。ミカンの頬が紅潮し、恥ずかしそうに小さな声で呟く。
「表見さん、痛いです……」
アオイは我に返り、慌てて手を放した。顔がカッと熱くなり、気まずい空気が部屋に漂う。
「ごめん、つい……」
謝りながら、アオイはソファへと逃げるように歩き始めた。
――ミドリさん早くきてくれぇえええ!!
そしてミカンもどこか落ち着かない様子でソファに腰を下ろし、沈黙が流れた。
その静寂を破ったのは、ミカンの控えめな声だった。
「わたし、表見さんとまたこうやって関われるの、本当に嬉しいんですよ」
その言葉にはどこか艶っぽい響きがあり、アオイは思わず言葉を呑み込む。そしてミカンの方を向くと、彼女の顔が少しずつ、確実に近づいてきた。アオイの心臓がわずかに跳ねる。
――いやいや、どういう状況だよ!?
その時、けたたましくチャイムが鳴り、アオイは飛び上がるように立ち上がった。
「はいはいーい!」
声を張り上げ、玄関へと急ぐ。ドアを開けると、遅れて到着したミドリが立っていた。
「遅くなりました。ミカンちゃん、もう来てますか?」
「はっ、はい! もう来てますよ!」
部屋に戻ると、ミカンは頬を膨らませ、不機嫌そうな顔をしていた。ミドリがその様子に首をかしげる。
「どうしたんですか?」
アオイは苦笑いを浮かべるしかなかった。ミカンは小さく呟く。
「別に何でもないですよ~」
その表情は明らかにふてくされていた。
気を取り直し、アオイは二人と配信の打ち合わせを始めた。
「じゃあ、軽く流れを確認しましょう。歌配信だから、まず挨拶と軽い雑談をして、その後は歌いながら視聴者にリクエストをもらう感じで」
ざっくりと段取りを決め、三人で配信を始めた。
◆◆◆
配信が始まると、ウララの姿が映る。するとすぐさま、視聴者からのコメントが画面を賑やかにした。
「みんなこんばんはー紅音ウララだよー! 今日もみんなでロックンロール! そして今日はなんと、スペシャルゲストが二名来ています。それでは登場してもらいましょう!」
「こんばんはー! 太陽サンサン、琥珀リリカです!」
「みんなのマイナスイオン、アリアリこと翠月アリアだよー!」
「二人は今、ウララの家に遊びにきてくれてます!」
挨拶が済むと、コメント欄が賑わっていた。
▼「VTuber通し仲良いの尊い……」
▼「俺もそこに混ぜてくれぇえ!」
▼「ウララとリリカって接点あったんだ」
「今日は雑談と歌の配信をするよ! 部屋だから全力では歌えないけど、よかったら聴いていってね。リクエストも待ってるよー!」
雑談を挟みつつ、歌配信がスタートした。
「では、まずはわたしから歌います!」
アリアはそう言うと、カラオケの時とは違ってアップテンポな曲を歌い盛り上げる。
次に、負けじとウララがロックな曲を歌えば、リリカは曲調を変えてバラードを歌った。
視聴者からのリクエストにも応えながら、三人は順番に歌い、合間に軽いトークを織り交ぜていく。
▼「いつ聴いてもアリアリの歌声は綺麗」
▼「ウララのがなり声が癖になるんだよなぁ」
▼「やっぱりリリカちゃん上手すぎ!」
三時間ほど配信し、アオイは最後に締めの言葉を放った。
「それじゃあ今日はここまで! また遊びにきてねー!」
◆◆◆
配信が終わり、モニターが暗転した。
アオイは軽く息をつき、二人にねぎらいの言葉をかけた。
「二人ともお疲れ様!」
ミドリが目を輝かせて答える。
「お疲れ様です! ミカンちゃんの生歌、初めて聴いたけど迫力にびっくりしちゃった!」
「いやいや、ミドリさんこそ透明感あって綺麗でした。羨ましいです」
ミカンも笑顔で返した。二人が互いの歌を褒め合う中、アオイは少し申し訳なさそうに口を開く。
「この部屋、防音にしてはあるけど、声量抑えるの大変じゃなかったですか?」
ミドリは首を振って笑った。
「全然です! 楽しかったですよ!」
ミカンも頷き、感慨深げにアオイを見つめる。
「それより、目の前で表見さんがウララの声を出してるのが、不思議な感じでした……」
「ほんとだよね!」
ミドリも同調し、二人の視線がアオイに集中する。アオイは照れ笑いを浮かべた。
「あはは……そりゃそうだよね」
背もたれに寄りかかり、少し肩の力を抜く。だが、時計を見ると夜も遅くなりつつあった。
「じゃあもう遅いし、二人ともそろそろ帰らないと」
そう告げると、二人は揃って頷いた。だが、なぜか腰を上げない。ミカンがミドリをちらりと見やり、ミドリもミカンの様子を窺う。
「もう少しだけ、表見さんとレコーディングのこと話してから帰ろうかなー……」
ミカンがそう言うと、ミドリが慌てて続ける。
「わ、わたし足が痺れちゃって……」
アオイは一瞬固まり、心の中で叫んだ。
――どういう状況だよ!?
その時、スマホの着信音が鳴り響く。画面には宗像の名前。アオイは二人に断りを入れた。
「ちょっとすいません!」
通話に出ると、宗像の陽気な声が響いた。
「この前ぶりだなー! いきなり悪いけど、表見、今から飲み行けない?」
「今から!?」
「無理かー? だよな、あっはっは!」
アオイは、ソファに座る二人を横目で見た。ミカンは何か言いたげにし、ミドリは妙に落ち着かない様子だ。
――この流れ、なんかヤバい気がする……
「いや、行ける……支度するから、場所だけ送っといてくれ」
小声で返すと、宗像が快諾した。
「フッ軽助かる! 送っとくわ!」
通話が切れ、アオイは二人に肩をすくめて見せる。
「申し訳ない! 友達から召集かかっちゃって。相談があるとか……」
ミカンは一瞬驚いた顔をした後、残念そうに笑った。
「それなら仕方ないですね」
ミドリも寂しげに頷く。
「ふっ、二人とも気をつけて帰ってね!」
アオイがそう言うと、二人は「お邪魔しました」と言って立ち上がった。
ミカンは名残惜しそうに部屋を見渡し、ミドリはぎこちなく微笑んでいた。玄関で二人を見送り、扉が閉まると、アオイは深い息を吐いた。
「……なんだったんだ、今の」
とりあえず、急いで着替えを済ませ、宗像の待つ店へと向かうことにした。
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引き続き、この物語を楽しんでいただけたら嬉しいです。
また、『30歳無職だった俺、いきなり女性VTuberになる。』キャラクターガイドブックの投稿も始めました。
最新話までのネタバレを含む可能性があるので、閲覧の際はご注意ください。
短編集『成長』シリーズも、不定期に投稿しています。
どれも短い物語ですが、成長の大切さや本当の強さとは何かを考えながら、心を込めて書きました。
ぜひ読んでいただけると嬉しいです。




