第3話『天才美少女作曲家現る!?』
翌朝、アオイがオフィスに足を踏み入れると、澄んだ空気を切り裂くように西園寺が軽快な足取りで近づいてきた。
「あっ、表見くん! デモ音源聴いた?」
期待に満ちた西園寺の表情に、アオイは思わず身を引き締めた。
「ええ……聴きました」
少し硬い声で答えると、西園寺がさらに身を乗り出してきた。
「で、どうだった?」
その瞳に宿る期待に、アオイは一瞬たじろぎながらも、正直な感想を口にした。
「鳥肌が立ちました。作曲した人、本当に天才ですね。歌詞も曲にぴったりで、すごく今っぽい感じがしました」
その言葉を聞いた瞬間、西園寺の顔がぱっと明るくなり、満足げな笑みが広がった。
「で、歌ってみる気になった?」
その問いに、アオイは目を伏せた。心の中で言葉が渦巻き、どう断ればいいのか迷っていた。
「……こんな素晴らしい曲を、俺みたいな才能のないやつが歌うなんてもったいないですよ」
俯いたまま呟いた声には、強い自己否定が滲んでいた。
「そんなこと全然ないって!」
西園寺が即座に否定するも、アオイは小さく首を振って続けた。
「それに、俺がやってたのはフォークソングです。ロックなんて歌いこなせませんよ」
その言葉に、西園寺は小さく鼻を鳴らし、軽く笑った。
「いやいや、試しに歌ってみなきゃ分からないでしょ!」
そう言うや否や、西園寺はアオイの腕を掴み、ぐいっと引っ張って録音スタジオへと向かった。
「ちょっとちょっと!! 西園寺さん!!」
慌てて叫んだアオイだったが、抵抗も虚しく引きずられるまま足を速めた。
***
録音スタジオに足を踏み入れると、静寂と冷たい空気がアオイを包んだ。マイクスタンドとヘッドホンが整然と並び、いつでも始められる準備が整っている。
「とりあえず一番だけでいいから歌ってみてよ。あっ、もちろんウララの声でね!」
西園寺が軽い調子で言いながら、アオイをマイクの前に立たせた。
アオイは眉をひそめ、観念したようにため息をついた。
「ったく、強引なんだから……」
ぼやきながらもヘッドホンを手に取り、装着して準備を整えると、アオイは自然と真剣な表情になった。久しぶりに歌うことに不安が胸を締め付けたが、その不安が消えるまで待ってもらえるわけもなく、すぐにヘッドホンからイントロが流れると、慌てて口を開く。
――リズムも音程も激しい……でも、意外と気持ちいい。
歌いながら、自分の声と音楽が絡み合う感覚にアオイは引き込まれていった。そして一番を歌い終え、ヘッドホンを外すと、スタジオ内が一瞬静まり返った。その沈黙を破ったのは、スタッフたちの拍手だった。
「めっちゃいい…まじ表見くんラブ!!」
西園寺が涙を浮かべながら叫んだ。その熱狂的な反応と拍手に、アオイの胸は喜びとざわめきで揺れた。
「歌ってみて、この曲の素晴らしさをさらに感じました。だからこそ、やっぱり俺なんかが歌うのは……」
心の中で湧き上がる複雑な気持ちに整理がつかず、アオイは視線を落とした。
「でもさ、練習なしで歌えたってことは、昨日の夜かなり聴き込んだんじゃない?」
その言葉に、アオイは思わず目を見開いた。
「いやっ、それはっ!」
昨晩、ベッドに倒れ込んだ後も何度も曲をリピートし、つい口ずさんでいたことを思い出し、顔が熱くなった。動揺を隠しきれずにいると、西園寺が満足げな笑みを浮かべた。その時、スタジオの扉が勢いよく開き、西園寺の部下が慌てて飛び込んできた。
「西園寺さん大変です! 作曲担当の“東ヶ崎クロエ”さんが『紅音ウララの曲を使わせない』って言い出して!」
「はあぁぁああ!? なんだってえぇぇ!?」
西園寺の叫びがスタジオに響き渡った。
「すぐに向かう! 表見くんも付いてきて!」
「ええぇぇぇ!?」
急展開に困惑するアオイだったが、気づけば西園寺に引っ張られるように別のスタジオへと向かっていた。
***
東ヶ崎のいるスタジオへ向かう途中、廊下に響く足音がアオイの不安を煽った。西園寺はいつもの軽快な雰囲気を失い、険しい表情で足を速めていた。
「クロっちがそんなこと言い出すなんて、初めてだな……」
西園寺が眉をひそめて呟いた。その声に、アオイの胸に不安が広がった。
「その東ヶ崎さんって、どんな人なんですか?」
思い切って尋ねると、西園寺は少し気まずそうに答えた。
「うーん、天才だけどかなりの変わり者って感じかな」
その言葉にアオイの不安はさらに増した。西園寺が言葉を続ける。
「それと女好き……いや、正確には“女の子好き”っていう方が近いかも」
「へっ?」
一瞬聞き間違えたかと思い、アオイは怪訝な顔を浮かべた。
「東ヶ崎さんって女性ですよね?」
「まあまあ、会ってみれば分かるよ」
西園寺は苦笑いを浮かべ、肩をすくめた。
やがて二人は目的のスタジオにたどり着いた。西園寺が迷いなく扉を開けると、室内は独特の雰囲気に包まれていた。
薄暗い照明の下、乱雑に積まれた楽譜や楽器がアオイの目に飛び込んできた。その中心に、一人の少女が椅子に腰掛けていた。長くボサボサの黒髪を揺らし、退屈そうに床の楽譜を指先で弄んでいる。彼女の顔立ちは驚くほど整っていて、まるで精巧な人形のように美しかった。華奢な体は触れれば壊れてしまいそうで、どこか現実離れした儚さを漂わせていた。だが、何より印象的だったのはその瞳――透き通る宝石のようでありながら、冷たく鋭い光を放ち、周囲を寄せ付けない空気を纏っていた。
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