第2話『歌ってみたってなんですか!?』
西園寺の熱心な指導のもと、アオイは何度も練習を重ねてきた。そしてついに、撮影本番の日を迎えた。
スタジオに足を踏み入れると、眩しい照明が目に飛び込み、スタッフたちが機材を整える慌ただしい音が耳に響いた。アオイは用意された椅子に腰を下ろし、深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着けようとしたが、胸の奥に潜む不安は簡単には消えなかった。その時、ふと疑問が浮かんだ。
「……いきなり動画を投稿して、視聴者なんてつくのかな?」
小さく呟いたその言葉に、すぐそばにいた西園寺が即座に反応した。
「大丈夫さ! うちのVTuberは紅音ウララを除いて九人いるけど、一番数値を持ってる子は登録者300万人を超えてるよ。ちゃんと実績のある会社だし、紅音ウララは前々から大々的に宣伝してきたんだ」
「そんなに大きなプロジェクトだったんですか!?」
驚きを隠せないアオイは、思わず西園寺を凝視した。自分が関わる仕事がこれほど大規模なものだとは、想像もしていなかった。
「もちろんだよ! ウララは僕が考えた理想のVTuberなんだ!」
目を輝かせて語る西園寺の熱意に、アオイは圧倒された。
「でも、声優がなかなか決まらなくてね。デビュー日が迫ってたし、正直かなり焦ってたよ」
「えっ!? 俺がいなかったらどうするつもりだったんですか!?」
そのあまりにも軽率に思える言葉に、アオイは思わず詰め寄った。
「そのときは“妥協案”も考えてたけど、あの面接のとき『これは運命だ!』って思ったんだよ」
「うっ、運命ですか……まあ男なんで、そこは申し訳ないですけど」
気まずそうに視線を逸らすアオイに、西園寺は明るく笑った。
「あはは、性別なんて関係ないよ。大事なのはその声! それに、ミュージシャンをやってたことも、知らない職種の会社に飛び込んでくる度胸も、すごいと思ったんだよ」
その熱い言葉に、アオイは手に持った台本をぎゅっと握りしめた。
「……えーい、もうやけくそだ!」
覚悟を決めたアオイは、意を決して収録に臨んだ。
***
「アオイくん、準備いいかな?」
西園寺の声に、アオイは小さく頷いた。スタッフたちの視線を感じながら、緊張を飲み込み、紅音ウララとしての一歩を踏み出した。
「みんなー、新人VTuberの紅音ウララだよ! 今日からみんなでロックンロール!」
緊張していたが、自然に女の子らしい声が出たことにまずは安心した。
「私は熱いロック魂を胸に秘めたVTuber! だけど……ちょっとか弱いところもあるから、みんなに支えてもらえたら嬉しいな!」
気づけば、アオイは台詞に没入していた。最初に感じていた緊張は、いつの間にかどこかへ消え去り、言葉が自然に流れ出ていた。
「好きなものはロックミュージック! 嫌いなものは虫、虫、虫!! これから音楽やゲーム実況とか、いろんなことに挑戦するから応援してねー!」
西園寺は満足そうに頷き、スタッフたちも興奮した様子で何かを話し合っているのが見えた。予想を超えた出来だったのか、スタジオ全体が活気づいていた。アオイはその雰囲気に、少しだけ安堵の息をついた。
***
収録が終わるや否や、西園寺が勢いよく駆け寄ってきた。両手を広げて抱きつこうとする勢いに、アオイは慌てて後ずさり、片手で制した。
「いやー! やっぱり僕の目に狂いはなかったよー!」
「ちょっと待ってください……“音楽”ってどういうことですかぁぁあああ!!」
困惑と焦りが混じった叫びを上げると、西園寺は軽い調子で返してきた。
「えっ、ミュージシャンだったんでしょ? ちょうどいいじゃん、まさに運命だよ!」
「また運命って……俺はもう音楽やめるって決めたんです」
その声には、かすかな寂しさが滲んでいた。
「まぁまぁ、後でデモ音源送るから、まずは聴いてみてよ!」
「軽っ早っ! てかほんとに声優決める前からいろいろ進めてたんですね、この人!」
呆れるアオイに、西園寺の部下がそっと耳打ちしてきた。
「この人、そういうところあるんで……」
「聴こえてるよー?」
西園寺はそう言って大笑いしながら去っていった。
***
帰宅したアオイはシャワーを浴び、ソファに深く腰を沈めた。疲れと達成感が混じり合った心地よい重さが体を包んでいた。
「人前なのに、思ったより自然にできたな。音楽やってた経験がこんなところで役立つなんて……まあ、客なんて全然いなかったけど」
収録の感触を思い返していると、スマホが鳴った。画面には西園寺からのメッセージが表示されていた。
『これデモ音源! 一応歌も入ってるからね。レッツロックンロール!』
「ほんと自由奔放だな、この人……」
呆れつつも、アオイはデモ音源を再生した。
スピーカーから流れ出したのは、かつて自分が演奏していた音楽とはまるで異なる、ハードで力強いロックだった。その迫力に、アオイは思わず息を呑んだ。
「……すごい……音楽をやってたから分かる。これを作った人は天才だ……」
胸が高鳴り、なぜか紅音ウララとしてこの曲を歌う自分の姿が鮮やかに浮かんだ。だが、そのすぐ後に別の記憶が蘇った。
「でも……俺に歌の才能なんて……」
かつてのライブの光景。数人しかいない観客、冷え切った空気、手応えのない拍手……その記憶に引きずられるように、アオイはベッドに倒れ込んだ。
それでも、胸の奥で小さな高揚感と期待が芽生えていることに、アオイは気づいていた。
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