第16話『束の間の休息!?』
スタジオの中、スピーカーから流れる音楽に合わせて、アオイは軽やかに動いていた。最初はぎこちなかった振り付けも、今ではすっかり体に馴染んでいる。リズムに乗って動くたび、汗が額を伝い落ちるが、苦しさよりも心地よさのほうが勝っていた。
「いいじゃない! 初日とは比べものにならないくらい、動きが自然になってきたわよ!」
ミツオが手を叩きながら声をかける。アオイは息を整えながら、まっすぐミツオを見た。
「ありがとうございます!」
「それでも本番は緊張もするし、頭が真っ白になることだってあるわ。そうなっても体が勝手に動くくらい、この振りを染み込ませるのよ」
「はい!」
アオイは大きく頷くと、再び音楽に合わせて踊り出した。
***
その日の練習が終わる頃には、アオイの動きはほぼ完成形になっていた。
ミツオは腕を組みながら満足げに頷く。
「もうほぼほぼ完璧ね。それに、体力もついてきたみたいじゃない?」
アオイは額の汗を拭いながら、少し笑みを浮かべた。
「最初の頃に比べたら、疲れにくくなりました」
「いいことね。となると、明日は一日休みにしましょう」
「えっ?」
思いがけない提案にアオイは驚く。
「連日練習しっぱなしで、疲れも溜まってるでしょ? あとは本番前日に最終チェックすれば十分よ。西園寺ちゃんには私から連絡しとくから、明日はゆっくり休みなさい」
ミツオが腕を組んでそう言うと、アオイは少し考えてから素直に頷いた。
――確かに、疲労が溜まってきているのは感じていた
「助かります……ありがとうございます」
「んまぁ、心配なら家で軽くおさらいでもしておきなさい。私のことを思い出しながらね~ん?」
ミツオが唇の端を持ち上げ、意味ありげにウインクするのを見たアオイは、思わず苦笑しながら首をすくめた。
「あはは……そうします。でも、明日一日ゆっくりできるのは嬉しいです。色々と気を遣っていただいて、本当にありがとうございます」
感謝の言葉を口にすると、ミツオは満足そうに微笑み、アオイの目をじっと見つめた。
「ふふっ、人が成長していく姿ってのは、見ていて気持ちがいいものよねん」
その言葉に、アオイは少し照れくさくなりながらも、感謝の気持ちで一杯だった。
***
帰宅したアオイは、スマホに届いていた二件のメッセージを確認した。
一件目は西園寺からだった。
『明日のこと、ミッチーから連絡きたよ。ゆっくり休みなさい!』
そのメッセージを見たアオイは、自然と頬が緩んだ。西園寺からの温かい言葉に、少しほっとした気持ちが広がる。明日、ゆっくり休めるということに安心し、連日の疲れが少し楽になったように感じた。
もう一件はミドリからのものだった。
『表見さん、明日ってお時間ありますか?』
――ん? なんだろ
首を傾げながらも、アオイは思わず少し心配そうに画面を見つめた。ミドリが急に連絡してきた理由がわからない。しかし、彼女の頼みなら何かしらの理由があるだろうと思い、すぐに返信した。
『明日、休みをいただいたので時間ありますよ。どうしましたか?』
送信ボタンを押してからしばらくすると、ミドリからの着信が入る。アオイは少し驚いた後、慌てて電話に出た。電話越しに聞こえてきたのは、少し緊張したようなミドリの声だった。
「こっ、こんばんは!」
その様子にアオイは少し驚きつつも、あたふたしないよう、落ち着いた口調で返事をした。
「こんばんは。どうしました?」
少し間が空いた後、ミドリの声が聞こえてきた。彼女の声は、どこか硬く感じた。
「あっ、あのですね……昨日コガネちゃんと事務所でお会いしたんですが、その時に表見さんがボイストレーニングをしてくれたって聞いたんです……それで……」
――ミドリさんも歌で悩んでるのかな
それにしてはなんだか様子が変に思えた。少し違和感を感じながらも、そのまま話を聞くことにした。
すると、ミドリの声が少し張り上がった。
「あの! その時、表見さんがお手本で歌ってくれたって……それが、すごく上手だったって!」
その言葉に、アオイは思わず目を見開いた。まさかこんなことを言われると思わなかった。照れくさく、顔が少し赤くなったが、必死に冷静を保とうとした。
「そ、そんな、ありがとうございます……なんだか照れますね」
アオイは少し言葉を詰まらせた。しかし、次に聞こえてきた彼女の言葉に、アオイはさらに驚かされた。
「それで! ずっ、ずるいなって!」
「え? ずるい?」
「そうです! 友達のわたしが、表見さんの素の歌声を聴いたことないなんて!」
ミドリは一気にまくし立てると、アオイはその勢いに圧倒され、少し呆然としながらも話を聞いていた。
そしてミドリが深呼吸したかのように思えた次の瞬間、さらに声を張り上げて言った。
「なっ、なので! 明日、わたしとカラオケ行きませんか!?」
その言葉に、アオイに驚きと戸惑いの感情が押し寄せる。そして思わず口から言葉が漏れた。
「……へ?」
***
翌日、アオイは待ち合わせ時間より少し早めに、指定されたカラオケ店の前に到着していた。
――カラオケなんて久しぶりだなぁ。音楽をやっていた頃も、なんだかんだであまり行かなかったし
そんなことを考えていると、待ち合わせの時刻通りにミドリが歩いてくるのが見えた。
柔らかな日差しの下、彼女はシンプルながらも女の子らしい服装に身を包み、清潔感のある雰囲気をまとっている。軽やかに歩み寄る姿には、どこか慎ましやかな愛らしさがあった。
「お、お待たせしました! 今日はいきなり誘っちゃってすみません」
ミドリは少し顔を赤らめ、申し訳なさそうに言う。
「俺も今さっき来たばかりです。それに最近ちゃんと歌ってなかったんで、明後日の本番に向けて声を出しておきたいと思ってたんですよ。むしろ誘ってもらえてありがたいです」
アオイはそう言って軽く微笑むと、ミドリの表情がぱっと明るくなった。
「きっ、聞きました! 『Social New Sound』に出るんですよね! Wensで出演できたのって、シオンちゃんしかいないんですよ。本当にすごいことです!」
「そうみたいですね……正直、緊張してます……」
「大丈夫ですよ! 表見さんの……紅音ウララちゃんの歌、本当に素敵ですから!」
ミドリの言葉に、アオイは照れながらも微笑んだ。
「あ、ありがとう。とりあえず、部屋に入ろうか」
二人は受付を済ませ、カラオケルームへ向かうと、すれ違った二人組の男性が、ひそひそと話しているのが聞こえた。
「うわっ、あの子可愛い! 彼氏、羨ましい~」
アオイは一瞬ぎくりとした。
――彼氏と思われたの、申し訳なさすぎる……
罪悪感に駆られながら、アオイはミドリに向き直り、フォローの為言葉をかけた。
「あの……なんか勘違いされたみたいで、申し訳ないです……」
しかし、ミドリの顔は真っ赤になっていた。アオイに見られたのに気がついたのか、恥ずかしそうに手で顔を覆いながらも、指の間からアオイをのぞき見るようにして、小さな声で言った。
「ぜっ、全然です……!」
彼女は顔を隠しながらも、ちらちらとアオイをうかがっていた。その仕草が妙に可愛らしくて、アオイはますます気まずくなった。
そんな微妙な空気のまま、二人は並んで廊下を歩いた。やがてルーム番号を見つけると、アオイはそっと扉を開けた。
「どっ、どうぞ!」
「はっ、はい!」
ミドリはまだ頬を染めたまま、少しぎこちない動きで部屋へ足を踏み入れた。扉が閉まると、二人きりになった空間に、ほんの少しの緊張感が漂った。
こうして、なんとなく落ち着かないまま、二人だけのカラオケが始まった。
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