第12話『ボイストレーナーに挑戦ですか!?』&11.5話
アオイはオフィスに足を踏み入れると、西園寺と東ヶ崎が話している姿が目に入った。
――この二人が話してるってことはもしかして……
期待に胸を膨らませアオイは駆け寄る。
「おはようございます! もしかして、曲の方……!」
その声に反応したのか、東ヶ崎がアオイのほうを見た。目つきはどこか面倒くさそうだったが、口元には微かな笑みが浮かんでいるようにも見える。
「久しぶり。まぁ、上出来じゃない?」
「本当ですか!?」
東ヶ崎の一言に、アオイは思わず目を輝かせた。
「クロッちはミキシングやマスタリング、音響関係ほとんどやってくれててね。今回も徹夜で仕上げてくれたよ」
そう言う西園寺の表情は、珍しく険しかった。
アオイは東ヶ崎の顔をまじまじと見つめる。確かに、その表情には疲労の色が滲んでいるように見えた。
「……そんなに頑張ってくださったんですね。本当にありがとうございます」
アオイが心からの感謝を伝えると、東ヶ崎はふっと鼻で笑った。
「勘違いしないで。別にアオイのためじゃないわ。私がやりたかったからやっただけ」
「それでも……ありがとうございます」
相変わらずの素っ気なさに、アオイは苦笑しながらもお礼を続けた。
すると東ヶ崎は一瞬、微笑んだように見えた。だが次の瞬間、ふらりとその場にしゃがみ込む。
「東ヶ崎さん!?」
「ちょっ、クロッち大丈夫!?」
西園寺が慌てて東ヶ崎を支え、肩を貸した。
「ほら、無理するからだよ……とりあえず休憩室で横になろっ!」
西園寺はそう言って、東ヶ崎を休憩室へと連れて行こうとする。その途中、ちらりとアオイの方を振り返った。
「表見くん、すぐ戻るからちょっと待ってて!」
「わ、わかりました!」
アオイはそう返事をしながら、西園寺の背中を見送った。
***
しばらくして西園寺が戻ってくると、軽く息をつきながら言った。
「ふぅ……やれやれ」
「東ヶ崎さん大丈夫でしたか?」
アオイが心配そうに尋ねると、西園寺は険しい顔のまま言った。
「無理しすぎなのよ。アシスタント付けるように言っても全然聞いてくれないし。急がなくていいって言っても、一旦集中しちゃうとね。まぁ、今回は少し厳しく言っといたよ」
アオイはどこか申し訳なさを感じた。
「さて表見くん、今日もVTuberの子が一人事務所に来てるんだ。今後コラボする可能性もあるから紹介しておくよ。それにお願いしたいこともあるし……」
西園寺の言葉に、アオイは少し嫌な予感がした。
「お願いですか……?」
「うん。まあ、事務所についたら話すよ」
そうして二人は事務所へと向かった。
***
事務所に入ると、そこには二人の女の子がいた。
一人は明るい印象を与える金髪の少女。もう一人は黒髪のクールな雰囲気を持つ少女。
「あれ? シオンも来てたんだ?」
西園寺のその言葉に、黒髪の少女――シオンと呼ばれた子が、冷めた目で西園寺を睨んだ。
「……いたらダメ?」
「そっそんなことないよ! ちょうど紹介したい人がいるから!」
アオイはそのやり取りを見ながら内心驚いていた。いつも軽いノリの西園寺が、この少女には押され気味になっているように感じた。
――このシオンって子……ただ者じゃないな
西園寺は気を取り直したのか、アオイを二人に紹介した。
「こちらは表見アオイくん。新入社員で、これから何かと関わることになると思うから」
「よ、よろしくお願いします」
アオイは少し緊張しながら挨拶をした。
西園寺は続けて金髪の少女を指差しながら言った。
「それで、この金髪の子が”五宝コガネ"ちゃん」
「どもー! "山吹セツナ"をやってる、五宝コガネだよー! 18歳、ぴちぴちの女の子! よろしくねおじさん!」
コガネは、褐色の肌に、ふわりと揺れる金髪のミディアムショートが特徴的な小柄な少女だった。スポーティな服装に身を包み、その姿からは快活な雰囲気が漂っている。
――うっ、おじさん……
コガネの言葉に、アオイは悲しそうな表情を浮かべた。
その横で西園寺はクスクス笑いながら、もう一人の少女を紹介しだした。
「この黒髪の子は、うちのVTuberで最も登録者数が多い”紫波ユリス”の中の人――」
「“九能シオン"よ。シオンでいいわ。まぁ、別に覚えても覚えなくてもいいわよ。どうせ私は忘れるだろうし」
西園寺の言葉を遮り、少女は冷めたような口調で言った。
シオンは、漆黒の長いストレートヘアが艶やかに揺れ、細身の体型はどこかモデルのようにスタイリッシュで、洗練された雰囲気を持つ少女だった。切れ長かつ大きな瞳が、鋭くも魅力的な印象を与える。
そんなシオンの態度に、アオイは思わず苦笑した。
「あはは……そんな冷たいこと言わないでよ、シオン……」
西園寺が苦笑しながら言うが、シオンは何も言わずに視線をそらした。
「まぁ、シオンちゃんはいつもこんな感じだから、気にしないでねおじさん!」
――五宝さんの言葉の方が、胸を締め付けるよ……
アオイが心の中で泣いていると、シオンが急に立ち上がった。
「じゃあ、私はこれで失礼するわ」
そう言うとシオンは足早に事務所を後にした。西園寺はそんなシオンを見送ると、咳払いをしてから話を戻した。
「さて、表見くんにはコガネんのボイストレーニングを見てもらいたいんだ」
「えっ!? 俺にですか!?」
「表見くんって優しいから先生に向いてると思うよ。コガネんは声は大きいんだけど歌が苦手でさ、人助けだと思ってお願いできないかな?」
アオイは少し迷った。ただ、西園寺さんにはお世話になっているし、同じ事務所に所属するVTuberのためになるなら……と思い西園寺の申し出を受けた。
「……わかりました、やってみます」
「おお! 助かるよー!」
西園寺は満面の笑みを浮かべ、コガネも嬉しそうに跳ねる。
「おじさんありがと! でもうち飲み込み早いから、教えるの苦労しないと思うよー!」
コガネの能天気な発言に、アオイは苦笑した。
――いや、絶対苦労する……
西園寺は満足げな表情で頷くと「じゃ、僕はこれから用事があるからあとは頼んだよ」と言い残し、事務所を後にした。
アオイは気を取り直し、コガネに向かって声をかけた。
「じゃあ……とりあえずカラオケでよく歌う曲でも歌ってみて」
「任せてー!」
コガネはスマホをマイク代わりに握りしめると、勢いよく歌い始めた。
――こっ、これは……
アオイは顔を引きつった。音程は不安定で、リズムもどこか怪しい。それでいて本人はノリノリで、楽しげに歌っていた。
「どう!? 結構いい感じでしょー!」
彼女は満面の笑みを浮かべながら、キラキラとした瞳でアオイを見つめる。彼にはその無邪気な期待に応えたい気持ちはある。あるのだが――
――やっぱり苦労しそうだ……
アオイは悲壮な表情を浮かべつつ、心の中でため息をついた。こうして、アオイによるボーカルレッスンが始まった。
〜〜〜第11.5話『二茅ミドリのその後』〜〜〜
ミドリは扉が閉まる音を聞きながら、その場に立ち尽くしていた。
昨夜、飲みすぎて酔っ払い、表見に甘えてしまったこと。ミドリは憶えていた。
そして、表見の腕を掴み、さらに……。
「うぅ……」
ミドリは顔を真っ赤に染めながら、バタリとベッドに倒れ込んだ。
「私はなにをやってるの……!?」
布団を頭まで引っ張り、顔を隠す。だが、閉じたまぶたの裏には、昨夜の自分と表見の姿が鮮明に浮かび上がる。
――「表見さ〜ん、独りぼっちはやですよ〜」
――「もう友達なんだから、これから飲み直しましょうよ〜」
「わああああ!!」
ミドリはベッドの中でバタバタと暴れる。記憶が曖昧だった部分まで、今になってはっきりと蘇ってくるのが、余計に恥ずかしさを増幅させた。
「私、あのとき表見さんに……!」
――ドクンッ――ドクンッ
静まり返った部屋の中で、自分の心臓の鼓動が速まるのを感じていた。
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