第10話『打ち上げ前の悲劇!?』
レコーディングスタジオの空気は、期待と緊張に満ちていた。スピーカーから微かに流れる機材のノイズ、スタッフたちが黙々と調整を進める音、わずかな会話の囁き。
そんな中、アオイはスタジオの中央に立ち、静かに深呼吸をした。その向こう側には、防音ガラス越しに西園寺と北大路が控えている。二人と他のスタッフ達は、慎重な表情で機材を確認しつつ、アオイの準備が整うのを待っていた。
「じゃあ表見くん、準備はいいかな?」
スピーカー越しに、西園寺の声が流れてきた。
アオイは真剣な表情で頷き、ヘッドフォンを装着し、マイクの前に立つ。北大路もその様子を見守りながら、小さく頷いた。
そして西園寺がジェスチャーで合図を送り、いよいよレコーディングがスタートした。
最初のギターリフが響き渡る。重厚なドラムがそれに続き、リズムが刻まれる。
アオイは目を閉じ、音の波に身を委ねながら、深く息を吸い込んだ。そして、全身の力を込めて声を放つ。
激しいビートに乗せて、アオイの歌声が空間を貫いた。パワフルかつ繊細で、それでいて感情の熱量を感じさせる声。
西園寺が手元のモニターを見つめながら、笑みを浮かべていた。
アオイは声を張り上げ、さらに力強く歌い上げる。音に押されるのではなく、むしろ音を引き連れていくような勢い。高音に突き抜ける瞬間、全身のエネルギーが爆発する感覚があった。
ガラスの向こう側で、スタッフたちの熱い視線を感じる。北大路も腕を組みながら、真剣な表情でアオイの歌声に耳を傾けているのが分かった。
そして1番を歌い終えた瞬間、空気が少し緩んだ。西園寺が手を上げ、それを見てアオイも一気に息を吐く。
「お疲れ様、少し休憩しよう!」
アオイはマイクから離れ、肩で息をしながら椅子に腰を下ろした。額にじんわりと汗が滲んでいるのを感じ、少し体をリラックスさせる。
その時、北大路が歩み寄り満足げな笑みを浮かべた。
「表見くん、いい感じね」
その言葉にアオイは照れくさくなり、思わず頷く。
「ありがとうございます」
北大路は少し目を細め、アオイの表情をじっと見つめる。
「それにしても、今日はずいぶんリラックスしてるわね。もしかして、もうすっかりウララになりきってるのかしら?」
アオイは視線を少し落とし、顔がほんのり赤くなるのを感じる。恥ずかしさを隠すように、少しだけ頭をかしげた。
「そうですね……少しずつ、ウララとして歌うことに慣れてきた気がします」
北大路は微笑んだ後、優しく言った。
「性別の違うキャラクターになりきるなんて、そう簡単にできることじゃないわ。立派な才能よね」
アオイはその言葉に、まだまだだと思う反面、少しでも認めてもらえたことが嬉しくて、思わず顔がほころんだ。
「まだまだです。でも、北大路先生の歌詞のおかげで、気持ちを乗せて歌うことができてます」
「そう言ってもらえると、嬉しいわね」
北大路は少し驚いたような表情を見せた後、口角が少し上がったのがわかった。
「そういえば、年齢も近そうだし、マリコでいいのに」
その言葉に、アオイは戸惑ったように目を丸くした。
「先生って、いくつなんですか?」
「32歳よ」
アオイは思わず目を見開き、驚きの声を漏らした。
「えっ、32歳!?」
「ふふ、驚いた?」
そう言う北大路はいたずらっぽい笑を浮かべていた。
「正直もっとずっと若いと思ってました……」
アオイの言葉に、北大路は再びいたずらっぽい笑を浮かべながら言った。
「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない。今夜もうちに泊まりにきてもいいのよ?」
その言葉にアオイは顔を真っ赤にし、すぐに反応した。
「かっ、からかわないでください!」
慌てるアオイを見て、北大路はさらに楽しそうに笑った。すると、すぐに西園寺が割って入ってきた。
「なにー、二人で楽しそうに話して、ズルいぞー!」
「ふふ、じゃあレコーディングが終わったら、うちで打ち上げでもしないかしら?」
「うん、賛成!」
西園寺は元気よく答え、アオイも何とかその流れに乗ろうと、少し照れながら口を開いた。
「そっ、そういうことなら俺も参加します」
「じゃあ、ちゃっちゃとレコーディング終わらせちゃいますか!」
西園寺の言葉でレコーディングが再開した。そしてアオイはマイクの前に立ち、より集中力を高めて歌い上げた。
こうして無事にレコーディングを終え、アオイがスタジオから出てくると、西園寺や北大路はもちろん、スタッフ達も温かな拍手で迎えた。
「ありがとうございました!」
「それじゃあ、僕はこの音源をクロッちに渡してくるから、表見くんは先に北大路先生と行ってて」
アオイは頷こうとしたが、すぐに思いついたことを口にした。
「あっ、俺も一度帰ってから行きますね!」
その言葉を聞いた西園寺が、ニヤニヤと嬉しそうな顔を見せる。
「一度泊まったから、独りでも迷わず行けるよねー?」
アオイはその言葉に顔を赤く染め、何とか言い返そうとしたが、すぐに言葉が出てこない。それに気づいた西園寺が、さらに楽しそうに笑みを深める。
「もー! いつまで引っ張るんですかー!」
アオイは顔を真っ赤にして、スタジオを急いで後にした。
***
夜の街に出ると、ひんやりとした空気がアオイの肌を撫でた。こもっていた熱が冷気に晒され、次第に落ち着いていく。
レコーディングが終わったという実感が、彼の中でようやく体の奥からじわじわと湧き上がってきていた。
――やり切った。
そんな感覚が、アオイの胸に静かに広がっていく。最初はうまくいくか不安だった。ウララの声を作ることも、ロックの曲を歌いこなすことも決して簡単ではない。それでも歌い終えた今、確かな手応えが残っていた。
ふと、アオイは先ほどまで歌っていた曲を口ずさんでいた。今日の経験は、まだ彼の中に燃えるような余韻を残し、高ぶる感情が声となって零れ落ちていく。
その瞬間、不意に誰かの声がした。
「表見さん?」
アオイが振り返ると、そこにはミドリが立っていた。
「ミドリさん!?」
アオイは驚きながら彼女を見つめる。するとミドリは少し考え込むように目を伏せた後、ゆっくりと口を開いた。
「今の歌声……ウララちゃんにそっくりでした……」
「そっ、それは……!」
ミドリの言葉に、アオイは息を呑んだ。
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