かみさまが産まれる日
親子のある日の風景。
「あなたはね、お姉ちゃんになるのよ」
私が言った言葉に、娘はきょとんとした顔で首をかしげる。
まだ難しかったかな、なんて思いながら、なだらかに膨らみ始めた下腹を撫でる。
娘が産まれてから4年、ようやく授かった2人目の子。
この子を授かる前は、義母が怪しげな宗教にハマってしまい、私達夫婦に黙って娘をその宗教の集会に連れていく、なんてトラブルもあった。
けれどしばらくしたら義母も落ち着いていき、昨年に穏やかな最期を迎えた。
義母を看取って悲しみも落ち着いてきた頃に、この子がお腹へ来てくれた。お陰で新たな一歩を踏み出そう、と前向きになれた気がする。
娘も徐々に、私のお腹に新たな命が宿ったことが理解でき始めたのか、毎日
「もうすぐあえるんだね」「やっときてくれるんだね」「うれしいね」
とニコニコしている。
そして毎晩決まった時間になると、
「はやく産まれてきますように」
と、テレビで見たマネか、手を組んでお腹を拝むようになった。
「まだちょっと早いかなぁ」
と私が言うと、また娘はきょとんとした顔をするのだった。
――
おかしい、と気付いたのは、娘のお祈りが始まって少し経った頃だった。
お腹の膨らむ速度が、早まったのだ。
予定日は数か月ほど先なのに、明らかに臨月のそれと同じくらいの大きさになった。
1人目の時とは様子が違い過ぎるため、慌ててかかりつけの医師と相談をして、近隣の大きな病院へ向かうことになった。
受付を済ませて、娘と一緒に待合室の椅子へ座ろうと歩きだした瞬間、
ぱちんっ
と、音が聞こえた。
途端に足を液体が伝うような感覚があり、慌てて下を見ると、水溜まりが出来ていた。
――……破水?
気付いた時には私は叫び声を上げていた。
その声で異変に気付いた受付の人が慌てて看護師と医師を呼び、私は緊急で分娩室へと入ることが決まった。
自分の身に何が起きているのか、痛みと不安でほとんどパニック状態だったけれど、一緒に来ていた娘を不安にさせてはいけないと、娘の方を振り向いた。
娘は、満面の笑みを浮かべていた。
「よかったね、おかあさん。やっとあえるね、やっといらっしゃるの。
おいのり、習ったとおりにちゃんとできたからかな。うれしいね、とってもたのしみだね」
娘の言葉が、よく聞こえない。
ふと、自分の目の前の幕が開くような、膜が剥がれるような、そんな感覚があった。
義母を亡くし、喪が明けてすぐ、夫は単身赴任で海外で暮らしていて、まだ一度も日本に戻ってきてはいない。
子どもなんて、できるわけがなかったのだ。
自分の認識の歪みが正された今、かばうようにお腹を抱いていた腕は行き場をなくす。
娘の笑みはますます深まり、どこか晩年の義母を思い出させるものになっていた。
「待って」
「おばあちゃんがささげることになったのはかなしかったけれど」
「ねぇ、ねぇ」
「それはひつようなことだから、っておしえてもらっていたから、わたしもがまんできたんだ」
「お腹、私の、中、これは」
「おいのり、とどいてよかった!うれしいなぁ、たのしみだなぁ」
「これは、何なの」
他の部屋に娘を連れて行こうと、看護師が娘へと歩み寄るのが見える。
「かみさまだよ」
分娩室の扉が、かちゃりと閉まった。
親子のほのぼのSSを書いてみました(Twitter・Pixivに載せた物を少し手直しして載せています)。
娘ちゃんはおばあちゃんに連れて行ってもらった集会で、いろいろなお勉強をして、その成果が実ったようです。
この後も、親子でしあわせに暮らすと思います。