第3話 新たな世界
目を覚ました瞬間、ぼんやりとした光が瞼の隙間から差し込んできた。周囲は静かで、柔らかい温もりが体を包んでいる。何が起きたのか、どこにいるのか、理解するのに少し時間がかかった。
(ここは…どこだ…?)
自分の声を出そうとしても、思うように言葉が出ない。体を動かそうとしても、どうにも力が入らない。目をゆっくり開けると、優しい顔をした女性が微笑んでいるのが見えた。顔はぼんやりとしているが、どこか懐かしいような安心感を覚える。
「レオンハルト…あなたは私たちの希望よ」
女性――母親は優しく語りかけ、そっと額に触れた。彼女の指は温かく、言葉は柔らかで、胸の中にじんわりとした安心感が広がる。
「アマーリエ、今日の討伐はどうだった?」
重厚な声が耳に入ってきた。それは父親、ヴォルフガングのものだった。彼の声には強さと落ち着きがあり、母親とは対照的な存在感を持っている。
「無事に終わったわ。今日は剣が少し鈍っていたから、早めに手入れしないとね」
アマーリエは微笑みながら、愛用の剣を手に取り、慎重に布で拭い始めた。彼女の動作には剣士としての熟練した技術が感じられ、日常的なルーティンでありながら確かな技が詰まっている。
「お前が剣の手入れを忘れるなんて珍しいな。どうした? 集中力でも切れたか?」
ヴォルフガングは微笑みながらも、彼女の様子を気にかけている。彼は魔法使いとして日々魔法書を手に呪文を練るのが日課だった。彼が手にする魔法書や結晶石は、レオンハルトにとって未知の存在だが、その不思議な光に強く興味を引きつけられた。
「いえ、ちょっと戦闘中に気が緩んだかもしれないわ。でも、無事に終わったから問題ないわね」
母親は軽く笑い、布で剣を拭い上げた。父はその様子を見て安心したのか、再び静かに魔法書をめくり始めた。レオンハルトはまだ赤ん坊としてしか動けなかったが、耳を澄ませば家族の会話や、村人たちの声が断片的に聞こえてくる。彼の体はまだ思うように動かせないが、心の中では確実にその音や光を感じ取っていた。
アマーリエはとても優しい母親で、常に彼の傍にいて世話をしてくれた。剣士としての彼女の動作には無駄がなく、日常の中でもそれが垣間見える。特に、毎晩剣の手入れをしている姿は、レオンハルトの目に力強く映った。彼女の手は戦場での鋭さを持っているが、レオンハルトに触れるときはとても優しかった。
一方、ヴォルフガングは魔法の研究に余念がなかった。彼が唱える呪文の響きや、魔力を込めた結晶の光に、レオンハルトの幼い心は強く惹かれていた。まだ自分の体を動かせないが、いつか自分もあのような力を手にしたいという思いが、少しずつ胸の奥で芽生え始めていた。
姉のアナスタシアは、幼いながらもレオンハルトにとって大きな存在だった。彼女はいつも弟に寄り添い、何かあるたびに優しく語りかける。
「レオン、今日はお外で一緒に遊びましょう?」
アナスタシアの声はどこか大人びていて、優しさに満ちていた。彼女が抱き上げ、そっと揺らしてくれるとき、レオンハルトはこの世界の暖かさを実感していた。彼女の温もりに包まれながら、レオンハルトはまだ見ぬ外の世界に思いを馳せることが多かった。
パトロール部隊が訪れるたびに、村は活気づいた。彼らはギルドのメンバーであり、ヴォルフガングやアマーリエとも親しい様子だ。
「レオンハルト、立派に育てよ!」
「この子がアマーリエの息子か? いやあ、将来が楽しみだな!」
パトロール部隊の隊長がレオンハルトをじっと見つめ、嬉しそうに声をかけてくる。まだ幼いレオンハルトはその言葉の意味を完全には理解できないが、心の奥でその期待を受け止めていた。
月日が流れる中で、レオンハルトは次第にこの世界のルールを理解し始めた。
彼の両親は家族を大切にし、村を守るために日々を生きていた。父親ヴォルフガングは攻撃魔法の達人であり、母親アマーリエは剣術に優れていた。彼女が剣を手に戦場に立つ姿は、村の誇りでもあった。しかし、アマーリエはどれほど忙しくても家族を第一に考え、必ず笑顔で家に戻ってきた。
「今日の討伐は無事に終わったわ。少し手間取ったけれど、みんな無事だった」
母親は家に帰るとその日のできごとを話し、父親は魔法書をめくりながら「それでいい」と静かに答えた。彼らのやりとりには信頼と愛情が溢れており、そのやさしい日常の風景は、レオンハルトにとって何よりも安心感を与えるものだった。
一方で、アナスタシアは弟に寄り添い、彼が退屈しないように世話を焼いていた。まだ幼い彼女だが、しっかりとした責任感を持ち、時折母親のような優しさを見せることもあった。
「レオン、これからも一緒に強くなろうね」
彼女の声には決意が込められており、レオンハルトも無意識にその言葉に頷いていた。アナスタシアは彼にとってこの世界での最初の友人であり、最も信頼できる存在だった。彼女の存在が、レオンハルトの成長に大きな影響を与えていたのだ。
月日が過ぎ、レオンハルトは1歳を迎えた。
視界が徐々に鮮明になり、周囲の物事に興味を抱くようになった。体の成長は年齢相応だが、内心では東雲としての知識と知能を駆使し、この世界を理解しようとしていた。
母親が剣を手に取るたび、彼はその動きをじっと観察する。剣の重さやバランス、動作の無駄を省く方法まで、彼女の動きの一つひとつを頭の中で分析していた。
(なるほど…あの角度で剣を振れば、相手に最大のダメージを与えつつ、無駄な力を使わずに済むのか…)
声に出すことはできなくても、レオンハルトは既に頭の中で戦闘の最適化を考えていた。剣が布で拭われる音や、金属が微かに鳴る響きさえ、彼にとって貴重な情報源だった。アマーリエが剣術に長けていることが、この世界を理解するための一助となっていた。
一方、ヴォルフガングの魔法も彼にとって興味の対象だった。ある日、ヴォルフガングが手をかざし、詠唱を始めた。手の前に浮かぶ魔法陣から小さな火球が生まれ、その火球がゆっくりと浮かんでいく。レオンハルトはそれを知的な目で見つめた。
「これが魔法だ、レオン。いつかお前も自分の力で魔法を操れる日が来る」
レオンハルトは言葉を発せられないが、その目には強い興味が宿っていた。彼は父の魔法を見ながら、その仕組みを理解しようとする。
(この世界の「マナ」というエネルギーが源なら、魔法はTCP/IPのプロトコルのように、マナの流れを制御しているのだろうか…)
現実世界での技術的知識をもとに、彼は魔法を解析しようとしていた。しかし今のところ、それを試す手段はない。だが、彼の中で着実にこの世界の仕組みを解明する準備は進んでいた。
アマーリエが剣を手に取るたびに、レオンハルトは彼女の動作を注意深く観察した。剣を振る角度、タイミング、力の配分…。それらを見ながら彼は心の中で、戦闘の「アルゴリズム」を組み立てていた。
(この動作は無駄がなく、まるで高度なプログラムのようだ…)
幼い体で動くことはできなくても、彼の頭の中ではすでに複雑な解析が進んでいた。
また、姉アナスタシアとの日常も、レオンハルトにとって重要な成長の一環だった。アナスタシアは幼いながらも、弟の面倒をよく見てくれる優しい存在だった。彼女はレオンハルトを連れて外へ出ることが多く、彼に新しい景色や自然の様子を紹介してくれる。
「レオン、見て。あれは野うさぎよ」
アナスタシアが指差す先には小さなうさぎが跳ねている。レオンハルトはそれを見ながら、自然の法則や動物の行動にも興味を持ち始めた。彼女の優しさに包まれ、彼はこの世界での観察を続けていた。
さらに、パトロール隊が訪れる日々は、彼にとって一層刺激的だった。彼らはヴォルフガングやアマーリエと親しい仲間であり、村の防衛に尽力している。
「息子さん、将来は立派な騎士か魔法使いになるんだろうな!」
パトロール隊員が冗談混じりに話しかけてくる。レオンハルトはまだ言葉を返せないが、その目には冷静な観察者の輝きがあった。彼はすでに、この世界で自分が何をすべきかを考え始めていた。
(この世界に転生してきた以上、何かを成し遂げなければならない。だが、今は体が小さすぎる…。まずは成長を待つしかないか)
焦ることなく、彼はじっと自分の時を待ちながら、観察を続けていた。