第10話 アリシア
リカルドに殴られた後、レオンハルトはふらつきながらも立ち上がろうとした。しかし、思ったよりも強く打たれたせいで体がうまく動かない。その時、目の前にアリシアが現れた。
「大丈夫?ずいぶん殴られてたみたいだけど…」
彼女は心配そうな顔をして、レオンハルトの隣にしゃがみ込んだ。レオンハルトは少し笑顔を作りながら答えた。
「ええ、大丈夫です。ただ…思ったより痛かったですが」
「そんな強がり言ってないで、じっとしてて。まずは手当てしないとね」
アリシアは持っていた小さな布を取り出し、レオンハルトの傷口に優しく当てた。彼女は慣れた手つきで彼の顔にできた小さな傷を拭い、腫れを冷やそうとする。
「……ありがとうございます、アリシアさん」
レオンハルトは少し戸惑いながら、アリシアに感謝の言葉を述べた。彼女がここまで親身に手当てをしてくれることが予想外だった。しかし、アリシアは冷静に、あくまで淡々と対応を続けた。
「気にしないで。こういうこと、よくあるからね。それより、ここで生き延びるためのコツを覚えないと…」
レオンハルトは彼女の手際に感心しながら、アリシアが何かを教えたがっていることに気づいた。
「コツ、ですか?」
「うん、ここには暗黙のルールがあるの。知らないと、これからもっと困ることになるわ」
アリシアは立ち上がり、手当てを終えたレオンハルトを見つめた。彼女の目には、教育所内の複雑な事情を理解している者の冷静さがあった。
二人は教育所の片隅にある、人気のない庭に移動し、アリシアが話を始めた。
「まず、この場所では目立つことはあまり良くないの。リカルドみたいに力で目立つのは特にダメ。だから、リカルドが君にちょっかいを出したのもそのせい。君が目立ったから気に食わなかったんだと思う」
「なるほど…。では、どうすればいいんですか?」
「基本的には、目立たないようにしながらも、自分の強さを隠すこと。無理に張り合わないことね。それに、所長や職員たちも特別扱いを嫌うから、彼らに好かれようとするのも危険よ」
「そんなものなんですか…」
レオンハルトは驚きを隠せなかった。外の世界では、強さやスキルを誇示することで名を上げるのが普通だと感じていた。しかし、教育所の内部には違う力学が働いているようだった。
「そう。あともう一つ、ここではグループに入ることが大事よ」
「グループ、ですか?」
「そう。友達ができないといじめられるって話、聞いたでしょ?どこかのグループに入らないと孤立してしまう。でも、リカルドのグループはやめておいたほうがいい」
「どうしてですか?」
「リカルドのグループに入ると、力を見せることが要求されるからよ。君の目標は“目立たないで退所する”ことでしょ?力を使うなら、慎重に使い方を選ばなきゃいけない」
レオンハルトは頷いた。確かに、アリシアの言う通りだ。今の自分には、無理に力を見せつけることは得策ではない。
「わかりました。ありがとうございます、アリシアさん」
「まぁ、そんなに気を張らずに、しばらく様子を見てればいいのよ」
アリシアは微笑みながら、手当てした傷をもう一度確認した。
「もう少しで腫れは引くはずだから、今日は無理しないでね」
それから数日間、レオンハルトはアリシアの助言を胸に、できるだけ目立たないように過ごすことにした。リカルドはその後も時折絡んできたが、あまり攻撃的になることはなかった。アリシアの言う通り、リカルドは周囲に対して力を誇示することが目的であり、レオンハルトがそれに対抗しない限り、特に問題を起こさないようだった。
一方で、レオンハルトは所内の「グループ」という力学についても学び始めた。グループごとに子供たちは異なる役割を持ち、食事や勉強、トレーニングでも互いに助け合うことが暗黙のルールになっていた。リカルドのグループはやはり力を重視し、物理的な強さを誇示する場面が多い。彼の取り巻きは、何かにつけて他の子供たちに威圧的な態度を取っていた。
アリシアの勧めで、レオンハルトは別のグループに参加することにした。このグループは物静かな子供たちが集まる小さな集団で、特に誰かがリーダーシップを取ることもなく、個々が自分のペースで生活していた。レオンハルトはこのグループで、少しずつ信頼を得ていった。
ある日、レオンハルトはアリシアに会うため、彼女がよく座っている庭へ向かった。そこには、アリシアが一人で本を読んでいる姿があった。
「アリシアさん」
「レオンハルト、どう?調子は」
「ええ、おかげさまで順調です。アリシアさんのアドバイスが役立ちました」
「ふふ、よかった。君は考えが深いから、うまくやっていけると思ってたわ」
アリシアはにっこり笑い、レオンハルトを隣に座らせた。
「ここにいるうちに、もう少し強くなっておいたほうがいいわよ」
「強くなる、ですか?」
「そう、いずれ…脱出するためにね」
レオンハルトは驚きつつも、彼女の言葉に興味を抱いた。
「脱出、ですか?」
「そう。でも、ただ力を使うだけじゃダメ。君が学んでる槍術や魔法、それを磨くだけじゃ足りない。この場所のルール、弱点、それをしっかり理解した上で行動しないと」
アリシアの言葉は、深い意味を持っていた。レオンハルトは、模範者として退所する道を考えていたが、同時に脱出の可能性も心のどこかで探っていた。
「わかりました。これからもよろしくお願いします、アリシアさん」
アリシアは微笑んで頷き、そっと手を差し出した。
「よろしく、レオンハルト」
その瞬間、二人の間には新たな絆が生まれた。模範者としての道を選びつつも、レオンハルトはアリシアと共に脱出の計画を練り始めることを決意する。そして、それが次の大きな試練への第一歩となることに、彼はまだ気づいていなかった。
レオンハルトとアリシアは、教育所の片隅にある小さな庭で向かい合っていた。二人はこの数カ月、脱出計画に没頭していたが、どれもうまくいかず、行き詰まりを感じていた。
「やっぱり、今のままじゃ無理だな…」レオンハルトは息を吐きながら、膝の上で手を握りしめた。
アリシアも黙って頷いた。彼女もこの数カ月間、レオンハルトと一緒に計画を練り、何度もトライしてきたが、毎回何かしらの問題にぶつかっていた。
「今まで何回も試してきたけど、最後の最後でうまくいかない。監視システムは予想以上に厳重だし、出口付近には必ず誰かがいる」アリシアがため息混じりに言った。
レオンハルトはしばらく黙って考え込んだ。教育所内の巡回パターン、セキュリティの弱点、すべてを洗い出しても、結局出口を突破する方法が見つからない。それに、サーキュス・ギアを持っていない自分には、魔法を自由に使う力もない。
「そうだな…、正直、今の俺たちじゃ力が足りない」
アリシアはそんなレオンハルトをじっと見つめた。彼の冷静な分析力に感心しつつも、彼がまだ諦めていないことを感じ取った。
「じゃあ、どうするの?このまま待つの?」
レオンハルトは少し考えたあと、ゆっくりと顔を上げてアリシアを見つめた。
「俺たちが試した方法じゃ足りない。もっと強力な力が必要だ…」
アリシアは少し驚きながらも、興味深そうに尋ねる。「強力な力?それって、何か考えがあるの?」
「ある」レオンハルトは小さく頷いた。「神域の黒魔術師に会いに行こうと思う」
その言葉にアリシアの表情が一瞬硬くなった。「…あの、精神障害者エリアにいる人?」
「そうだ。彼なら、俺たちが知らない何かを知っているはずだ。彼がどれだけの力を持っているかはわからないけど、少なくとも今の俺たちにとって貴重な情報源になるかもしれない」
アリシアは眉をひそめた。「でも、それってかなり危険じゃない?あのエリアは、精神が崩壊した強力な魔術師たちが隔離されている場所よ。万が一、何かがあったら…」
「わかってる。でも、今のままじゃ結局何もできないまま終わる」レオンハルトは真剣な眼差しでアリシアを見つめた。「俺は、どうしてもこの場所から出たい。それに、君だってこのままじゃ不満だろ?」
アリシアは少しだけ考えた。彼の言うことは的を射ている。彼女自身も、この閉ざされた場所から抜け出すために、すべてを尽くしてきた。だが、無駄に終わった。それならば、リスクを取る価値があるかもしれない。
「……わかった。やりましょう。でも、まずはどうやってその黒魔術師に会うか考えないと」
レオンハルトは笑みを浮かべた。「もちろん、そのために君の助けが必要なんだ。精神障害者エリアには簡単には入れないから、俺たちがどうやってそこに入るかを計画しなきゃいけない」
アリシアも少し笑みを返した。「計画を練り直すなら、私も手伝うわ。前回の脱出計画よりも、もう少し慎重に行かないとね」
その後の数日間、レオンハルトとアリシアは精神障害者エリアへの潜入方法を模索した。教育所の巡回パターンを再度確認し、隙をつくためのタイミングを図る。エリアに入るための鍵や突破手段をいくつか試行錯誤する中で、徐々に具体的なプランが固まっていった。
「巡回パターンは夜が一番手薄だね。正門から行くのは無理だから、裏口から侵入するしかない」レオンハルトは手描きの地図を見ながら言った。
「でも、裏口には魔力探知の結界が張られてるから、それをどうにかしないといけないわ」アリシアが補足する。
「そこは俺の知識でなんとかする。結界には隙間があるはずだ。結界が展開されるタイミングを見計らえば、すり抜けることができる」
二人は細かい部分まで綿密に計画を立てた。決行は3日後の夜。すべてが揃い、準備も完了した。




