9:仮初の恋人
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「鈴、お願いだ! 人助けだと思って恋人役を引き受けてくれないだろうか?」
「鈴さん、私からもお願いします。このままですと、副隊長が顔も名前も知らない女性と見合いし即結婚となるそうなのです」
「え、えぇぇ……なぜ、私なんですか?」
私のような凡庸な人間に、なぜ四神抜刀隊 副隊長様と専属秘書官様が頭を下げているのでしょうか!?
事の始まりは……いえ、私は普通に配達に伺っただけなんですけど。
執務室に入ったら、久遠さんが机で頭を抱えていて、兎月さんがそれを宥めているような光景が目に入ったわけです。
さすがにそうなると「じゃ、これで!」ともいかず、「なにかあったんですか?」と声を掛けてしまいまして――
「ああ、鈴さん良いところに! 実は副隊長のご実家からついに見合いをしろと本気で言われてしまったようでして。今回ばかりは逃げられないようなのです」
「はぁ。お見合い、ですか」
きっかけは久遠さんのお母様が先日風邪を引いて寝込んだ時のこと。
熱にうなされながら母は思った。もし未だ独り身の息子が同じように寝込んでしまったら一体誰が気付いてくれるのだろうか。死ぬ時も人知れず寂しく死んでいくのかと、病気中故のおかしな沼的思考でそう思い至ってしまったらしく、『こうしてはいられないわ! お見合いよ、結婚よ!!』となったらしい。
ちなみにその風邪は一日で治ったとか。病気もせっかちさんなのか、出て行くのが早い。
滅多に病気にならない分、患うとメンタルまで弱るようだ……たとえ、たった一日でも。
「俺はまだ結婚する気はないし、自分で決めた人としかしないと今まではそう躱してきたんだが、今回はそれらも跳ね除けられてしまって、いよいよ追い詰められている状態なんだよ」
「母はやるといったら絶対やるんだ……」と言って長い溜め息を吐き、机に突っ伏した。
行動派なお母様は、『次の休みがいつなのか教えてくれれば、あとは当日身一つで来てくれたらOKよ』とおっしゃっているとか。
確かに追い詰められている。
「そこで鈴さん、折り入ってご相談が……」
「そんな! 私に聞かれましても、その手の話は私には無理ですよ」
私は両手を左京さんへ向けて、左右にブンブン振った。絶対無理ですって!
すると今度は机で突っ伏していた久遠さんが顔を上げ、縋るような目でこちらを見上げる。
「鈴は現状、結婚願望がないと言っていたよね……それって今も変わりはない? 結婚じゃなくても恋人とか、好いた相手がいるとか」
「残念ながら全てナイですね。ですから相談には向かないんですよ」
「いえ、鈴さん以外おりません。非常に向いておられるかと」
で、冒頭に戻る。
もちろん私だってゴネた。だいたい恋人の振りって言っても、そんな高度な演技ができるはずがない。
自慢じゃないけど、隠し立てするような嘘でバレなかったことなんてほぼないと言っても良い。私の嘘が下手なだけなのか、家族らが嘘発見器でも忍ばせているのかは定かではないけど。
追い詰められたせいで、久遠さんもまだ居もしないのに「心を傾ける相手と出会ったから見合いはしない」と言ってしまったらしい。方便にもなっていない嘘はつくものじゃない。
そうなれば当然、「そのお相手の方を紹介しなさい」と、疑いもあれば言われるわけで。それでも久遠さんは負けずに、「今は慎重に進めている最中だから、まだ家に招くには早い。干渉され過ぎて嫌われたら困る」と躱したそうだ。
まぁ、実際は相手役がいないので全く躱せてもいないんだけど。
「私にイチャイチャする振りとか絶対無理ですって! いっそお金を払って観劇の演者さんにお願いするとか」
普通に横に並んでも、全く釣り合いが取れていない。恋人よりも親戚の方がうまくやれると思う。
久遠さんが椅子から立ち上がり、長い腕が机を間に挟んで立っている私の肩まで届いた。離さないとばかりにガシっと両肩を掴まれている。
なんだろう、この劣勢試合の途中で監督に呼ばれて「いいかお前達、諦めたらここで試合終了だぞ!」とでも言いそうな雰囲気は。
「鈴、求めているのは演技力じゃない。トラブルを生まなそうな相手、そして利害の一致というのが大切なんだ!」
はぁ、まぁ。それが理想的ではありますよね。
「そうです。例えお金で雇っても、久遠副隊長にそのお相手が心を傾けてしまうようではお互いに傷つきます。実際に似た事例がありましたのでそれは却下致しました。それに、こういうことはかえって慣れていない初心な方の方が向いているものですよ」
はぁ、なるほど?
それでも、政略結婚とか今も全くないわけではないし、案外会ってみたら気に入る可能性もあるのでは? 久遠さんのお母様ならきっと好条件の女性を選んでいるはずだし、少なくとも久遠さんのように通りすがっただけの女性を選ぶような適当な仕事はしていないだろう。
「現状、結婚願望がないという鈴はそれを受け入れる? 俺はきっとその相手に心は渡せないと思う。かといって傷つけたいわけじゃないんだ。だから今までも断ってきた」
「ゔっ……まぁ、余程の理由がない限りは私も嫌ですけど……」
確かに、それはそれでお互いが傷つくことにもなる。良くないですね。
「で、でも……そもそも馴れ初めとか、出会いを聞かれたらどうするんですか?」
「ゴミ溜から救い出した時に一目惚れしました」とでも言うの? ありえないけど。
さり気なく、肩に掴まれている手を降ろしてもらおうと後ろに下がる。しかし背後には左京さんがいて、すでに退路は経たれている模様。
「馴れ初め? それなら、俺は初対面で十分忘れられない衝撃を受けた。それで十分だろう?」
「それのどこにトキメキが?」
ニッと悪戯好きの少年のような笑みを浮かべているけれど、その記憶は良い衝撃ではないし、即刻記憶から抹消して頂きたい。
私にとっては馴れ初めではなく、黒く染められた臭くて苦い思い出と、伸びたフォーの記憶しかない。
せめて嘘でも「一目惚れだよ」程度に収めて欲しかった。
「鈴さん、ここは一つ、【副隊長の一人寂しい食事に付き合ってあげる奉仕活動】くらいの気持ちで如何でしょう? 鈴さんはとりあえずいつも通りで構いません。ただ、少しだけ気安い関係になり、美味しい食事をとれる機会が増えた程度に思って頂ければ」
「思えませんよね?」
左京さんまで、一体どうしたと言うのか。
いくら私が食いしん坊でも、友達ですらない久遠さんから「食事奢って貰えるなんてラッキー!」なんて感覚にはならない。
「でも案外、俺と鈴は利害が一致していると思うんだ。君も俺を隠れ蓑にすれば、見合いせずに済むだろう? ただ終了後はどうしても少し醜聞が残るかもしれないが」
「醜聞があったならむしろ『傷心中でしばらく次は考えられない』とか言い易くなるので、利用しようかと思いますが」
「鈴さん、醜聞まで利用するだなんて……もしや副隊長と似たような状況なのですか?」
そう、利害の一致はまぁ、正直ある。
なにを隠そうまさに今朝、『ねぇ鈴、猿族の奥さんからね、ちょっと鈴に紹介したい方がいるって手紙が来たのよ。ね、会うだけ会ってみない?』と母に言われていたのだ。学校と違い出会いが減った娘を案じてなのだとわかるけど、そんな出会いの演出は正直困る。
それにその猿族の奥さんとは、母が育児相談でお世話になっていて、当時私が小さ過ぎて――至って標準なのに――悩む母をなにかと励ましてくれた、言わば恩人なのだ。
火ノ都から土ノ都へ越して来たものの、二人は文通をしていたらしい。
お見合いではないと母は言うものの、そんな方のお墨付きと会ってしまったが最後、断り難いものは御免被りたいと『あ、仕事行かなきゃだから、その話はまた~』と言ってとりあえず逃げてきた。
ここで久遠さん達に呼び止められていなければ、この後朱羅兄に相談するつもりでいたくらいである。
目下の悩みは全く結婚願望はないものの、私にそういう相手がいないと本当に陽兄とアキちゃんが結婚しないんじゃないかと最近は思い始め、悩んでもいたところでもある。
だから母も私にきっかけを与えようとしているんじゃないかな。なんて、あくまで私がそう思っているだけだけど。
(そういう意味では確かに助かるかも?)
幸か不幸か、妬んできそうな友人も今は引っ越したので近くにはいない。ただ親衛隊の女性達からは嫌がらせとか、悪口は言われてしまうかもしれない……でも、短期間で終わればなんとか「あれは気の迷いだったのね」とか思わないだろうか?
どちらかと言えば、全くお似合いでもないから『あんなチンチクリンとなんて、すぐに久遠様も飽きて捨てられるわよ!』とか言われそう。
そもそもなにを言われても、仕事以外で彼女達とこの先接点が生まれるようにも思えないから気にならない。
だけど手を出されたり、家族に迷惑が掛かるようなことだけはされないように、そこは久遠さんにしっかりお願いしておこう。
「鈴さん私からもお願いします。このままでは貴重な人材が国外へ流出してしまうかも……市民の安全が、あぁ……」
「国外流出って、えぇ!! 逃亡を謀るほどなんですか!?」
左京さんが、ふらぁっと倒れそうになっていたので、危ない! と手を伸ばすと、片手で私の手首をガシッと押さえ、懐からなにかを取り出し、それを私の手の平に乗せぎゅっと握らせた。
あなたさっき倒れかけたはずですよね?
ナニコレ、紙切れ?
そっと手を開くと、そこには見覚えしかない自分で作ったサービス券が。
確かになんでもするとは言った。言ったけども! これで叶えろと? なんて雑な契約!!
「あの……ちなみに期間とかの設定はすでに決めてあるんですか?」
「ありがとう、引き受けてくれるのか!」
言ってない。言ってないよね?
「え? ちょっ、あの……ただ期間を」
「鈴さん、ありがとうございます!」
口を開いたら終わるとか聞いてないよ!
期間なんて聞いたのが良くなかった。
迂闊な発言をしたせいで、二人から更にあれやこれやと丸め込まれ、結局半年間の仮初の恋人を引き受けてしまったのだった。
おかしい、普通に配達に来ただけなのに……
受取りサインを頂くはずが、自分がサインをする羽目になっていた。
とりあえず多少は真実味を持たせなければならない。私達はまだお付き合いが始まったばかりの初々しい二人といった設定で、街へ出て食事したり、何回かは逢瀬を重ね、それを目撃してもらおうというものだった。
今まで一切の女性の影がなかったのであれば、確かに”久遠さんの好きな人=幻のツチノコ”レベルなわけで。間違いなく疑われるだろうし、久遠家の影である犬達が街に放たれ不審なところがないか見るはずだという。
密偵ってそういう使い方していいのかな? 不審なところしかないんですが、本当に大丈夫?
念の為と言って犬笛を渡される。これは万が一、久遠さんの親衛隊からなにかされるようなことがあった時用だとか。その時はすぐに駆け付けてくれるそうだ。
すでに陽や朱羅兄の笛があるから不要だと一度断ったのだけど、「お願いした責任もあるし、仮でも恋人に持たせてもいないなんて、おかしいだろう? 俺の安心の為でもあるから」と言われ、そうれもそうかと納得し受け取った。
「では鈴、これから宜しく頼む」
久遠さんから手が差し出される。この手を掴んだら完全に成立してしまうのか……と思い、一拍ほど遅れたけれど、私も腹を括ることにした。
「……どうなるか不安しかありませんが、お願いします」
お付き合い成立(仮初)の場面とは到底思えない、儀礼的な契約完了の握手を交わす。
「良かったですね副隊長、こんなにお若くて初々しい恋人ができて、羨ましい限りです」
「そうだな。ありがたい」
「か、仮初! 仮初の恋人ですからね!!」
やっぱり私、早まったのかもしれない……