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8:おかしな体調 / side 久遠 蓮生

◇◇◇◇◇


 昨日から体調がおかしい。


 あの鼻詰まり事案と言い、不調続きだ。食事の管理が特別良いとは言わないが、それでも身体が資本。病気や怪我、虫歯には重々注意をしてきたはず。


 それなのに何だろうか、この春を迎えた蝶のように浮足立つような、ソワソワとした気持ちは。酷く落ち着かないのに、幸せな気持ちにもなるという、よくわからない現象が続いている。



(!?)


 ピッと耳が音を拾うと同時、パタパタと駆けてくる音が近付く。彼女が配達に来る時間だ。



 このまま自分の机の席に着いたまま待つべきか、入り口付近で待ち構えておくか……いやそれはちょっと怖がらせそうか、などと考えている間にノック音が聞こえた為、一度椅子から離れかけたが結局また座り直して待つことに決める。



「こんにちは、碧海郵便です!」

「鈴さん、ご苦労様です」

「ご苦労様」


「あ、久遠さん、今日はいらっしゃったんですね」

「ああ、昨日はご馳走様。とても美味かった」



 昨日のバインの礼を述べると、彼女はわかりやすく、ぱぁっと100点満点の笑顔を向けた。


 

「良かったです! 久遠さんのお口に合ってホッとしました。お伝えするのを忘れてましたけど、手作りだったんです」

「手作り? 入っていた袋がパン屋のものだったから、俺はてっきり」



「バインはそうですが、具の腸詰が手作りでして。手作りとかそういうの苦手でしたでしょうか? あの後、やっぱりお礼なのに手作りは失礼だったかなって」

「そんなこと、」



 全くないが、それならもっと味わって食べたら良かった。細かく感想を聞かれても、よく覚えていない。


 雑な食べ方はしていないが、兎月の持つ手作りクッキーに意識が向いていた為、気付いたら食べ終わってしまっていた感がある。



「普段は食堂で決まったものか、外食ですから、却って手作りはありがたいと思いますよ。お裾分けしたクッキーも食べてましたし」

「そうなんですか?」

「ああ……あれも美味しかった」



 兎月は特に制限していないが、俺は基本的に身内以外の手作りの差し入れを受け取ることは、ほぼない。


 今回は店の紙袋に入った気軽な軽食だったこと、知り合いのお嬢さん、渡す理由、他意はないこと、他に目撃する者がいなかったことなど、条件が揃っていた為、受け取ったに過ぎなかった。


 本来なら手作り品じゃない方がありがたいはずなのに、「自分だけ既製品なのか」と少しだけ思ってしまったところはある。



「あれだけでは足りないですよね。事前にお伝えしていなかったので、小腹が空いたら食べて頂く程度として考えたのですが。従兄の朱羅でも三段重を食べた後、クッキーをペロリと食べていたので、皆さんはもっと召し上がるってことですよね」

「彼、そんなに食べれるのか?」



 すごく胸の辺りがスッキリとしない――これも昨日から続く症状だ。


 俺にも従兄はいるが、男同士だからなのかそんなに群れることはない。そもそも朱羅は、なぜ鈴の弁当だけ残さず食べられるのだろうか。

 

 それにいくら一族の絆が強いといっても、鈴といる時だけは纏う空気が違っているようにも思える。




 それはまさに昨日のことだ――

 


 差し入れだけでは当然足りない為、食堂で食べたあとの戻り道、通路の窓越しに鈴を見掛けた。


「美味しかったよ」と声を掛けようと窓に近付けば、彼女の隣には朱羅がいた。なにを話してるのかはわからないが、楽しそうに笑い合っている姿から本当に仲が良いのだとわかる。



 普段は温厚そうに見せているあの男だが、気質も戦い方も紛れもなく鷲族。「阿修羅」とつけられた異名はあながち間違いではない。

 

 各隊ごとの剣術大会。俺も見てはいたが、あれはただの試合ではなかった。


 誰かの煽りを受けたらしい彼は、殲滅させる勢いで対戦相手を完膚なきまでに打ちのめし、一気に朱雀隊の上位へと登り詰めた。


 死屍累々として山となす――実際、負傷はあれど死者はいないが――まさにそう呼べる山の頂きに立つあの男は、紛れもなく次期当主と呼ぶに相応しい実力を持った男なのだと、誰もがそう思ったに違いない。



 そんな男の、彼女の前で見せている柔らかな表情も然る事ながら、彼へ向ける彼女の笑顔もまた、俺達に見せている笑顔とやはり違う。自然体で笑う彼女はあんなにも……




 ズンと身体が鉛のように重く感じた。



(なにを俺は……あんなもの、ただの見送りじゃないか)



 従妹が一人で訪ねて来たのだ、誰だって見送りくらいする。それに、気を許している身内と話しているんだ、笑いもするだろう。どうということはない、家族の日常の一コマ程度だ。



 ただ、自分の恋人でもあるかのように、当たり前に彼女に触れている朱羅を見ているのはどうも気分が悪い。やはり声を掛ける気にはなれなくて、窓に掛けていた手を降ろした。


 だが、顔を逸らす直前、朱羅が鈴の額に口付けていたのが視界に入る。



(今のはなにかの見間違いか……?)


 

 顔を赤くし、額を押さえている鈴を見て、見間違いではないのだとまた衝撃を受ける。

 

 一瞬目の前が暗くなり、地獄に突き落とされたような絶望感が襲う。


 さらには激しい動悸、呼吸の乱れまで。ふらつく身体のまま窓側から離れ、壁に凭れた。



「ハッ……ハッ……くっ」



 苦しい――


 心に黒い墨がぽたりと垂れる。それが波紋のように広がって真っ白い空間を徐々に染めていく。


 このまま黒に支配されてしまったら、きっと正常ではいられないと本能的に感じ、すぐにその場を離れた。



 その後、医務室に立ち寄ったが胸焼けの薬を処方されるだけで終わる。


 釈然としないまま戻ると、机の上にはお茶とお裾分けクッキーが添えられていた。不思議なことに、それを口にした後、胸の苦しさが少しだけ和らいだ気がした。




(あの時の鈴、嫌そうではなかった)



 俺が一人昨日の回想に浸っている間に、兎月と鈴はお菓子談義に花を咲かせていた。



「朱羅副隊長は、確かによく甘味を口にしているそうですね。右京から聞いてますよ。あちらはやはり鳥型のクッキーに?」

「いえ、それもあるんですけど可愛くないと言われまして。ハート型が一番好きなんですよ。、可愛らしい形だとか。ふふ、内緒にして下さいね?」



(は?)


 彼女が指でハートの形を作っている姿は非常に微笑ましいが、朱羅がハート……? 花とかそういう形でもなく、ハート……?


「へぇ……」と答えたが、表情が上手く取り繕えていたかどうかはわからない。正直引く。



 朱雀隊の隊色の関係で、血濡れた赤が好きなら納得だが、ハート型が好きなんてことがあるのか?

 

 好戦的なイメージしかない朱雀隊に愛らしい要素など皆無だと思う。



「鈴さんは朱羅副隊長と本当に仲が良いのですね」

「はい、もう一人の兄のような存在ですから」



 兄、なるほど鈴は兄を慕う妹。


 鈴は純粋で、小さく可愛いらしい。反応が面白くて構いたくなる気持ちはわかる。


 俺には兄はいるが弟妹はいない。

 

 記憶が戻る前は一時期弟妹に憧れた時期もあった。



(そういうことか)



 この胸の詰まったような状態は、可愛がってる妹的存在が別の男に懐いていると思うから、気に入らなかったのだ。

 俺の実の兄であろうと、兄が女性とイチャついているところなんて見たくはないものだし、想像すらしたくもない。


 なるほど腑に落ちる。



「確かに、君達は本当の兄と妹のように見えるよ。むしろ兄妹以外あり得ない」

「似ているというのではありませんが、仲が宜しいのは身内ならではとなれば納得ですね」



 そう、朱羅はあくまで「男」ではない。身内枠で従兄、そして兄の立ち位置である。同じ妹を愛でる兄であるのなら理解できなくもない。


 そのせいか「兄妹以外あり得ない」の部分は少し主張は強めに言ってしまったが。



「わぁ、嬉しいです! 私達、兄妹に見えるんですね? いつもふざけて紛らわしい事ばかりするので、誤解を受けて婚期を逃したらどうしようってずっと心配していたんです」

「朱羅副隊長の、それも未確定な噂話を流すなど、恐れ知らずか愚か者しかいないのでは?」

「しかし、鈴の婚期に響くのはいけないな」



 年の離れた妹がいる隊員が、まるで親のように「変な野郎に目をつけられたらどうしようかと心配で」と言っていたが、今なら気持ちがよくわかる。



「違います、彼の婚期ですよ。私は……考えてもいないので。今はお金を貯めて、いずれ一人で自立した生活を送ることが目標なんです」

「君が一人暮らしを?」

「危険では?」



 鈴は目をパチパチっと瞬いたと思うと、仕事用の斜め掛けバッグの紐をぎゅっと両手で握り、しおしおと俯いてしまった。どうも困り顔を見ると「どうした? 何があったと」気になってしまう。妹とは庇護欲を掻き立てるものなのだろうか。



「……私、そんなに生活能力低そうでしょうか? 反対するのは身内だからだろうと思っていたんですけど、お二人から見てもそうなんですね」

「いや、生活能力云々じゃなく、君はほら、まだ成人したてだろう? それに女の子だからより慎重にもなるさ」

「私もそう思いますよ」



 やはり彼女は未成熟なのだろう。成人を過ぎたと言うのに巣立ちの許可が出ないと言うことは、危険と判断されている為だ。

 

 一人がダメなら誰かと住めば安心じゃないか……と片隅に浮かんだが、すぐにそんな思いは打ち消した。


 誰か――

 


(今、俺は『誰』を考えた? なんて馬鹿なことを……俺には鈴音と言うツガイがいるのに)



「やっぱり朱羅兄に提案された共同生活しかないのかな……」

「!?」

「!!?」



 鈴が溜息と同時、呟きのようにさらりと放った一言が衝撃過ぎて耳を疑う。さらに聴力の高い兎月も当然反応を見せた。



「ごめん鈴、もう一度いいかな? ちょっとうまく聞き取れなくてね」

「ええ、私も少し耳が別の方向を向いていたようです。鈴さん、今なんと?」

「声に出ていましたか!? お恥ずかしい話ですが、彼から『二人で共同生活をしないか』と言われておりまして。本当に心配症ですよね」



 鈴、それは心配症で片付けて良いものじゃないだろう?



「鈴、それはつまり異性と同居をするってことだよ? 身内かもしれないけど、彼がどんなに美形で可愛いもの好きでも、異性だってことをわかってるのか?」

「え? ええ……性別はもちろんわかってますよ? この間どういう役割分担がいいかなとか少し話したんですけど、思ったよりもうまくできそうだよねって。確かにこれが一番最善で最短な気はしますけど」



 

 そんなの、まるで新婚みたいじゃないか。朱羅が鈴を可愛がるのは「妹」としてだろう?

 

 もちろん、俺だって鈴のことは妹のような、一善良市民として守ってやらなければならないと思っているから、こうして心配なだけで。



 二人は従兄妹同士とは言っても、鈴は養子と聞いている。つまり、血の繋がりはない。


 現状、鈴がどう思っていようと、共同生活が五年、十年と続けば絆されていくことだってあるだろう。



 別に二人が想い合っているのなら、なんら障害もないのも事実。


 だけど何となく釈然としない。




 結局、次の配達の時間が迫り中途半端な会話途中のまま、また彼女は忙しなく出て行ってしまった。





 ああ、まただ――




 この胸の不安感、焦燥感、苛立ちは一体何だろうか。






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