75:危険な誘惑 / side 久遠 蓮生
◇◇◇◇◇
「蓮生さん、正直に言って」
「正直に?」
今、鈴は俺の膝の上。
見上げる彼女の瞳はうるうると潤ませ大変に可愛らしいが、その表情は怒っていた。
「ホントのホントのホントに私のこと、好き?」
「大好きに決まってるだろう!? なにか君に疑われるようなことがあったのなら教えて欲しい」
(一体どういうことだ!?)
ここ最近の出来事を思い返したものの、全く思い当たるところがない。
「蓮生さんは私が『一番好き』なんでしょ?」
「ああ、もちろん君が一番だ」
一番好かれていると言う自覚があるのなら、俺の想いが伝わっていないわけでは、ない? それならば、なににそこまで怒っているのだろうか。
「……なら、二番目もいるってことでしょ?」
「は?」
「それで、いつかその二号さんに私は負けて、ボロ雑巾のように捨てられ――」
「待て、なにがどうしてそうなる。その……二号さんとは誰のことだ? そんな相手はいないし、いたこともない!」
「ホントに?」
「ああ、誓って君だけだ」
「嘘ついたら耳に噛みつくから」
「耳!? ……わかった」
一瞬、耳をはぐはぐと甘噛みする彼女を想像してしまった。
狼族の、延いては完全獣化が出来る俺にとって甘噛みは愛情表現の一種で、それをツガイがしてくれると言うのなら喜びに勝るものはない。
彼女を悲しませてまで噛んで欲しいとは思わないが、じゃれるように甘えてくれる日が来たら嬉しい――ではなく、なぜこんなことになっているのか。
始まりは、指定時間通りに一部の家具が運び込まれ『家具が入ると私達の家なんだって実感が沸いてきますね』と言う彼女に同意し、帰りに買い込んだ総菜をつまみに乾杯をしたところまで遡る。
「えっと、なにに乾杯しましょう? 蓮生さんにお願いしてもいいですか?」
「じゃあ、”君を独り占め出来る喜びに”」
鈴は「恥ずかしいことを言わないで下さい!」と怒るだろうが、今日は同棲初日。これくらい言ってもいいかと思い口にしたのだが、返って来た言葉は思い掛けないものだった。
「わ、私も……その、蓮生さんを独り占め出来て嬉しい、です」
「ゴホッゴホッ!」
まさか恥かしがり屋な彼女からそんなことを言われるとは夢にも思わず、軽く口にした酒が変なところへ入ってしまった。
心配する彼女を手で制し、大丈夫だと伝える。
「取り乱してすまない。そう言って貰えるとは思わなくて」
「出先ではちょっと冷たかったなと反省してまして……でも、二人きりの時でしたら、私だって……」
もの凄く声量を押さえて「甘えたいと思ってます」と呟いていたが、当然俺の耳には届いていた。
「じゃあ、これからはたくさん甘える君が見れるんだな。楽しみだ」
聞こえていたことに驚いた彼女はフイと顔を逸らし、耳まで赤く染め上げていて、今すぐ腕の中に閉じ込めたいほどに可愛い。
「もうっ!」と言いながら一口自分のお酒を口にした後、俺のコップを見て、更に自分のコップを見て首を傾げていた。
「どうかしたのか?」
「あの……私だけどうしてこんなに小さいんですか? お猪口を少し大きくした程度じゃないですか」
予感はあったが、コップの大きさに不満を漏らす。もちろんコップを選び、用意したのは俺だ。
「すまない。だが、鈴は飲酒に関しては家族から注意されているのだろう?」
「うっ。注意と言いますか、家族から酒場での飲酒を禁止されているだけです。あ、でも酒場であっても身内同伴で個室なら一杯までは良いって言われてます」
「みんな過保護過ぎるんですよ」と愚痴を溢す。どうやら飲酒は好きな方らしい。
「そうか……だけど酔うとどうなってしまうのか気になるな。体調に異変とかないのか?」
「ないですよ。家族が言うには喜怒哀楽がよりはっきりするとか、饒舌になるとか、そんな感じだと聞いてはいるんですけど、あんまり記憶に残っていないんですよね。でも、普段から私はそんな感じなのであまり変化がない気がするんですけど」
「確かに一般的な酔い方に近くもあるが、記憶に残らないと言うのは心配だな」
どれくらい振りかを確認すれば、家族に少し嘘をついて友人の家で宅飲みをしていたところを、あっさり朱羅に見つかり懇々と説教を受けて以来の飲酒だとか。
(朱羅が鈴に怒るレベルか……思っているよりも酒癖があまり良くないのかもしれないな)
それはそれとしてもツガイのことなら一から十まで知っておきたい。身内が知っていて俺が知らずにいるわけにはいかない。その為にも適量を把握しておく必要がある。
「今日は蓮生さんがいますし、仮に私が暴れようとも片手で押さえることができるでしょうから、安心・安全ですよね」
それは安心・安全と言えるのか?
◇◇◇
飲み始めて一時間が過ぎた――
「三回目のカンパーイ!!」
「……もう六回目だよ」
「蓮生さん、全然飲んでない」
「ねぇ鈴、そろそろ飲むのは控えようか」
鈴の使っているコップは俺の半分以下のサイズで、限度を知っておく為にお代わりも七割程度しか注いでいない三回目の「カンパイ」辺りから呂律は崩れない代わりに敬語が取れ、コロコロと表情を変えるようになっていた。
酔うと彼女は驚くほど甘えてくれるらしい。もちろん嬉しくもあるが――あまりの変化に混乱もしている。
一応、三杯目の時点で控えるようには促した。
すると彼女は席を立ち、そのまま俺の膝の上に座ると「お願い、あと一杯だけ」と言って、うるうるとした上目遣いでコップを差し出すのだ。
ツガイにお願いされては断ることはできない。
これで最後だと少なめに注ぐも、また次もおかわりを要求。これは止めないとと断ると、今度はぎゅっと身体に抱き着いて「あとちょっとだけ」に負け、その次は絶対断ると身構えれば頬に口付けされ「これで最後だから」に陥落……結局これで三回おかわりをさせてしまった。
俺の意思の強さなど、ツガイの前では炉端の石程度もないのだと思い知ったわけだが――いよいよ止めなくては彼女の身体の為にも良くないと本能が訴え始めた。
(ニ杯目までは普通だったな)
となると、確かに酒場のエール大では一杯目で鈴は出来上がってしまう可能性が高い。だから家族から外飲みを禁止されているのだろう。
「イ・ヤ! まだ飲む! 一緒に飲もうって言ったのに……蓮生さん、私のこと嫌いになったんだ」
「嫌いなわけない。ただ、君の身体が心配なだけだ」
と、ここから「私のこと好き?」の話へ発展したのだが。
「耳を噛んだら絶対痛いんだから」と言う彼女に頬が緩みそうになるがぐっと堪える。「それは怖いな」と宥めつつ、そっと鈴の手からコップを引き揚げ、酒瓶と共に台所へ下げた。
(水を飲ませないといけないな)
すぐ後ろでは「あれ? 私のお酒は?」とキョロキョロしているものの、彼女はその場で大人しく座っていた。
「全然まだ酔ってないのに……じゃあ、もうお風呂入って寝よっと」
「鈴、お酒が回っている状態だから今日は拭くだけにしよう。すぐに準備するから座って待ってて」
桶に湯を貯めているとガサゴソと音が。振り返ると、鈴が座ったまま服を脱ぎ棄てているところだった。
「!?」
一瞬なにが起きているのか理解が追い付かず、止めるのが遅くなってしまった。名誉の為に言うが、断固として魅入っていたわけではない。
「鈴、駄目だっ!! こんなところで脱いじゃ駄目だから! ほら、お湯も用意したから脱衣所へ行こう? 拭いたら桶はそのままでいいから夜着に着替えて来るといい。俺はその間に寝台を整えておくから」
「あれ? 間違えちゃった」
(大間違いにも程があるから!!)
お酒が入ってトロンと潤んだ瞳、ほんのり朱が差している頬と滑らかな項や背中……パッと慌てて顔を背けても、一度見てしまったものは目を閉じても瞼の裏に張り付いていて消えるわけもなく。
なんとか天井を見上げたまま脱衣所まで誘導し、必ず着替えてから出てくるよう指示。その間に急いで新しいシーツを敷き、枕を置きと、寝台を整えていった。
(今日はこのまま大人しく寝て貰った方が良さそうだな)
豪快にスパーン! と開ける音がした。
着替えが終わった彼女が脱衣所から出て来たようだ。
万が一を考え、彼女の方へ顔は向けず、ちゃんと服は着ているのか声を掛けると「ちゃんと着てまーす」と機嫌の良い返事が返ってきたので安心して振り返り……そのまま固まった。
「じゃじゃーん! 蓮生さんの夜着はワンピースみたいになることがわかりました! 大発見~」
「ワンピー……じゃなく、なぜ俺の夜着を……? 君の分も置いてあっただろう?」
「あったけど蓮生さんの夜着と並んでたから、どれくらいサイズが違うのかなぁって気になって大きさを比べてみたの。そしたら、あはっ! もうこれってワンピースと同じじゃーんって笑っちゃって」
「それで、着たの?」
笑い事ではない。
思わずゴクリと喉が鳴ったのは許して欲しい。
婚約者、つまり愛する女性が自分の夜着……それも上衣部分のみを着て生足を晒し、肩をはだけさせている状態を見て、なにも思わない方が異常ではないだろうか? 以前の嵐の日の関係性とは違うのだ、比べるべくもない。
鈴より七歳年上とは言え、まだまだ健全な二十代男性の狼族。
理性の糸が引き千切れ出し、その両端をずっと両手で掴み続けてきたが、「もう手を放してしまってもいいんじゃないか?」と囁く悪い狼と、「彼女は素面ではないんだ! お前まで飲まれたら終わりだぞ!」と叫ぶ真面目な狼で脳内は大混戦、僅かに真面目な狼が優勢と言ったところだ。
「それにこれは蓮生さんの匂いがするから安心でしょう?」
別の意味では危険かもしれない。真面目な狼の足が縺れ、悪い狼が押し始めた。
「そ、そうか。だが、それはまたの機会にして、今夜は鈴の夜着に着替えないか? ほら、足が出ていては風邪を引くかもしれないだろう?」
その目に毒な足もお願いだから今日はもう隠して欲しい。丈が際ど過ぎる。
「えぇ、せっかく着替えたのに……ここで脱ぐの? 蓮生さんの、えっち……」
「ぐはっ……」
”ここで”とは言ってない。
一時的にも煩悩から逃れる為、柱に頭を打ち付けると、ズキズキとした額の痛みでどうにか気が逸れて来た。いつか家を壊しかねない。
「蓮生さん!?」
「よし、落ち着いた」
危うく今まで築き上げてきた鋼の精神が崩壊するところだった。耐えた俺は偉い。真面目な狼が悪い狼の尻尾に齧りついている。容赦なく噛む姿に自分の尻尾まで痛いような気がして来た。
俺は極力心を無の状態にして、彼女を寝台へ運び掛布で簀巻き状態にした。俺の突然の奇行に、彼女は理解が追い付いていないようだったが、そのまま隣に寝ころび堅く目を閉じた。見たら負けだ!!
(これは甥っ子の寝かしつけ、寝かしつけだ!!)
優しくポンポンと一定のリズムで背中を叩いていると、初めはなにやら言っていた彼女も静かになり、「スゥ……スゥ……」と寝息が聞こえてきた。
「はぁぁぁぁ………」
深く、深く溜息を吐いた後にようやく視線を彼女へ向ければ、こちらの気持ちなど知る由もなく、幸せそうに眠る天使の寝顔がそこにはあった。
思うことも、言いたいことも色々あれど、今はその全てを飲み込むしかないが、一つだけ決めたことはある。
【鈴は絶対に酒場では飲酒禁止!】
彼女は寝ているし、テーブルに出しっぱなしのつまみや、仮置きしただけの酒もなるべく目のつかないところへ隠しておきたい。
彼女に巻きつけていた掛布は寝苦しくないよう直し、そっと寝室を出た。
しまいかけた酒を、ふと思い直してテーブルへ戻す。今夜は飲まないと眠れそうになかった。
翌朝――
「なっ!? ななななななんで、この格好!?」
「おはよう、鈴」
「キャーーーー!! れ、蓮生さんもっ! なんて、なんて格好をしているんですか!!」
「酷いな、忘れてしまったのか? 君が俺の夜着を着てしまったからだろう?」
「ひぇっ! 私が蓮生さんの夜着を奪ったんですか!?」
「着替えた方が良いと俺は言ったけど、『俺の匂いがして安心するから』って「わーわーわー!! もういいです! すみません、急いで着替えて来ます!」
昨夜の記憶がない彼女は、目覚めるなり自分の格好に驚いていたが――俺は君以上に驚いたよと心の中で呟く。
「駄目、行かせない」
「ひょわ!」
寝台から飛び出る勢いだった彼女の手を取り、自分の方へ引き寄せる。
「鈴は俺の匂いで安心するんだろう? それなら服ではなく、直接くっついた方がもっと安心するんじゃないのか?」
「む、むしろ、ドキドキして落ち着けません!」
「そうか……嫌なら仕方がないな」
「蓮生さん?」
パッと抱き寄せていた腕から解放し、ごろりと向きを変え彼女に背を向け自分の腕を擦る。
「少し暖を取らせて貰いたかったのだが、こんな冷えた身体では君も嫌だよな……」
「ごめんなさい!! ずっと寒かったですよね!? 私で良ければ温めさせて下さい!」
慌てて寝台に舞い戻り、俺の背中側からぎゅっと彼女が抱き着く。それだけですぐに心が温かくなり、幸福な気持ちで一杯だ。
「ありがとう。ああ、鈴は温かいな」
「私こそ、蓮生さんに寒い思いをさせて本当にごめんなさい」
実家が治めている地域は北の寒い地域。寒さには非常に強い。
真相としては、彼女が起きる少し前に目が覚め、起きたついでに朝食の準備をして戻ったところで彼女が目覚めたので少し冷えているように感じるだけである。
「今後は飲み過ぎないよう気をつけます」
その言葉にくるりとまた向きを変え、そのまま彼女を腕の中に閉じ込める。
しっかり伝えておかなくてはならない。
「酒と言えば、俺も君が外で飲むのは絶対に禁止にすべきだと思う。飲みたい時はいつでも付き合うから、その代わり外では我慢してくれないか?」
「ぜ、絶対禁止!? 蓮生さんにそう言わせるほどのことを私はしたってことですよね? 一体なにを?」
「はぁ~温かいなぁ」
「蓮生さん! お願いですから教えて下さい! 私はなにをしたんですか~」
「このまま、もうひと眠りしようか」
「蓮生さーん!!」




