73:人族のツガイ / side 久遠 霞(蓮生母)
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鈴さんの試験を終え、ようやく迎えた婚約式。
(余韻に浸っている暇もなく、この後はすぐにでも結婚式の準備に取り掛からなくてはならないわね)
なんせ相手となるのは息子のツガイ――残念ながら鈴さんにはその認識は全くないようだけれど――自分の生活区にツガイがいない状態は耐えられない(らしい)ので、急がざるを得ない。
(そもそも堂々と同棲する為に婚約も急がせた様子だし、放っておいたら勝手に入籍まで済ませてしまうのではないかしら)
初めは蓮生よりも七歳下で、元気で明るいけれど少し恥ずかしがり屋な一面のある、か弱い人族の女の子といった印象だった。
それなのに聞かされる武勇伝? は正直「本当にこの子が?」と疑ってしまうほど。いくら獣人でも誘拐されれば怖いし、手を縛られた状態で一人立ち向かおうだなんて、勝機を確信できない限りはしない。まして人族の女性が複数の獣人、それも男性に敵うはずもないのに。
心的外傷でも負っていないかと心配していたら、逆に抵抗し逃げ切る為に必要な術を単身オランドラへ渡り学んで来ると言われたそうだ。私達が思っている以上に心は強いらしい――それに、あの山の主の背に乗って下山できるのだ、中々に肝も据わったお嬢さんと言えよう。
ふと報告を受けた時を思い出し、笑みが零れる。
「それにしても、気持ちの良い秋晴れね」
「ああ。蓮生、今日は良い婚約式になりそうだな」
「そうですね」
あらあら……無意識だろうけれど、息子の尻尾がそわそわと落ち着きなく動いているわ――なんて思っていたら私の尻尾まで揺れていた。
良い結納の儀になる――
そんな気持ちで始まった結納の儀。だけど、鈴さんの表情は硬い。
初めは儀式ならではの緊張感からだろうと思っていたぎこちなさが、ついには会食に移ってからも消えることはなかった。
正直言って息子に『本当に婚約の了承は得ているのよね!?』と問い正したいくらいだったけれど、その肝心の息子も表面上は取り繕っているとは言え、鈴さんの様子に困惑していてなにがあったのかわかっていない様子だった。
そして訳知りだと思われる碧海家のご家族やご親族の火神家の方々は、彼女を庇うように代わる代わる話をし、それに対して鈴さんが頷いたりしていた。
(このまま婚約を押し進めてしまってもいいものなのかしら? もっと考える時間が必要だったのではなくて?)
よくわからない状況の中、このまま終わってもいいのだろうか? そう思ったところで火神家の奥様より鶴の一声が入り、二人は庭園へと向かって行った。
二人きりならば蓮生も理由を聞き出し易いとは思うけれど、あんなに落ち込んだような表情を見てしまうと、実は息子の一方的な想いなのではないかと疑ってしまう気持ちもある。
残された私達も、二人が席を外したことで一瞬気が抜け、思わず全員がほぼ同時に溜息を落としていた。
そんな中、鈴さんのお母様が「あの……」と申し訳なさそうに、口を開いた。
「娘が今日は失礼な態度で大変申し訳ございません。体調が優れないわけではないのです……」
曰く、今日という日を迎え、色々なことを考えてしまった鈴さんが、これから先は家族の元を離れて暮らすのだと現実味を帯びてきたところで、寂しさが込み上げてしまった、ということらしい。
「そういうことでしたの。結婚を前にすると色々と考えるものですものね。以前お会いした時のような雰囲気と違っていらしたから気になってはいたのですけれど……やはり、蓮生が早く結婚をと急かせ過ぎてしまったせいでしょうか?」
「だから俺は早過ぎると……」
「あなた!」
「私も同意します。鈴はようやく学業を卒業し、仕事を始めたばかり。本来であれば、あと数年は清い交際をすべきところ、蓮生殿の我が儘に鈴が無理をして合わせたに過ぎない」
「朱羅、やめないか……」
(蓮生の我が儘……そうではないとは強く返せないのも辛いわね)
小さく溜息が零れた。
割り切った政略的なものや見合いならまだしも、ツガイ認識ができない人族の女性では、気持ちが追い付かないのかもしれない。
鈴さんはまだ若いけれど、息子はすでに27歳。本人が早く結婚を望んでいたこともあってこちらも了承したけれど、考えてみればお付き合いが始まってから半年も経っていない。
(お二人共、同席しているということは『反対』はしていないけれど、かと言って『歓迎』はしていないと言うことなのね)
現状、鈴さんがようやく登山口に立ったのに対して、蓮生はすでに山頂にいるような状態かしら。
私と夫の間にはもちろん愛情はあるけれど、私たち夫婦はツガイ同士というわけではない。貴重なツガイ同士だという碧海夫妻、ご子息と婚約者の方には蓮生の気持ちがわかるのでしょうけど、私はなんとなく鈴さんの気持ちに少しは寄り添えるような気がした。
(蓮生には申し訳ないけれど、鈴さんを想うなら婚約は済ませたのだし、せめて挙式はもう少し遅らせたらと提案すべきね)
そう思ったところで、一羽の小鳥が鈴さんの兄である陽さんの肩へ止まり、何か耳打ちしていた。私達に鳥語はわからないけれど野生種ではないことは確かでしょう。
「朱羅、例のアレ、今教えてしまった方がいいかもしれねぇぞ?」
「ハァ……助け船になるのは癪だけど、鈴をあのままにしておくのは私も心苦しいからね。あの子が笑ってくれるのなら教えてあげるといい」
一体「アレ」とは何を指すのかわからないけれど、陽さんが小鳥に指示し飛び立ってから数分後、息子が笑顔の鈴さんと手を繋いで戻って来た。
「鈴、うちの藤の大棚は、見事だったろう?」
「うん、見ない間にすごく立派になっててびっくりしちゃった。鳥たちもたくさんいたけどあれって野生種? 小鳥隊じゃない、よね?」
「さぁな? 活動がない時はアイツらも自由に過ごしてるから、どこでなにをしてるのかなんてオレだって知らねぇよ」
「……お前たちは結局のところ応援しているのか、邪魔をしたいのかどちらなんだ?」
鈴さんの背後で息子が不機嫌なオーラを放ちながら二人を睨みつけている。なにか邪魔されたようではあるけれど、鈴さんの方は笑顔なので一体なにがあったのかがわかり辛い。
ただ、『たくさんいた鳥たち』それは野生種ではないし、事裏達がどこでなにをしていたのかも把握していたでしょうね。
「邪魔? なんのことだ? オレ達はここから一歩も動いてないってのに」
「酷い言いがかりだね。強いて言えば、今日は鈴にとって大切な日だから警備は万全にしてある、ということくらいだけど……なにか不都合なことでもあったのかい?」
「……お陰様で、何も?」
『何も』できなかったってことかしら? きっと、そういうことね。
「ところで鈴、随分と機嫌が良くなったみたいじゃねぇか」
「なにかあったの? 鈴」
「陽兄、アキちゃん……あれって二人が見つけてくれたの?」
「俺たちが見つけて、朱羅が改築させたっていうのが正しいな。使わなきゃ使わないで賃貸にしたり、他にも使い道はあるって言って」
「朱羅兄……今の話は、ホント?」
また鈴さんの瞳がうるうるとし、涙を溜め始めた。
少しわかってきたけれど、末っ子で小柄だからなのか、妙に庇護欲が掻き立てられてしまう可愛らしさが鈴さんにはあるように思える。
「鈴、また泣いたら意味がないだろう? そういう時は笑っておくれ。本当はもう少しあとに言うつもりだったのだけどね」
「すまんなぁ、鈴。父さんも知っていたんだが、口留めされていたから言えなくてな」
「あなたは口が軽いから心配だったわよ」
「ふふ、鈴と離れたくないのは、なにも鈴だけじゃないってことなのよ」
「オマエは寂しがりだからな。こうなると思ってたぞ、オレは」
鈴さん達の方で盛り上がっているところ、スッと輪から抜けた蓮生がこちらの席へもやってきた。
「父上、母上、今さらっと話に上がりましたが、どうやら朱羅達が新居の候補を見繕ってくれているようでして。改装もしているということは、おそらく彼女の好みにもなっていることだと思います」
「ええ、きっとそうでしょうね」
「そうだな」
「ですから、彼女の実家近くにはなりますが、俺はそこを新居に決めたいと思ってます」
「鈴さんの為にもそれが良いわね」
「ああ。私達は良いから二人の良いように決めたらいいさ」
「ただ、たまにはこちらにも顔は出せよ? 義理とは言え、家族になるんだからな」
「それは、まぁ……」
普通はこちらの歓迎する様子に喜ぶところだと思うのだけど? なんなのかしら、あの気乗りしない態度は。
「女性が増えるのは嬉しいですね、お義母様」
「そうね。三人でお茶とか観劇、あ! お買い物も良いわね。蓮生、もちろん義娘になるのですもの、誘っても良いのよね?」
「……はぁ、彼女が『行きたい』と望むのであれば。ですが、そういったことは俺がいない時のみにして下さい。二人の時間を割くのは嫌なので」
「まぁ、呆れた! 婚約まで済ませたと言うのに、まだ心配なの?」
「……しばらくは無理そうですね、お義母様」
「むしろ当たり前ではないですか。せっかく婚約を済ませたのに、数ヶ月後には留学してしまうのですから。気が気じゃ――鈴!」
はぁとか、まぁとか、まったく……可愛らしさは子供時代に全て置いて来てしまったようね。表面上だけでも取り繕えないものかしら。
こんなにブスっとした可愛気ない息子では鈴さんも付き合いにくいのではないかしら。
――なんて思うのは無駄だったようね。
鈴さんがパタパタとこちらへ向かう音が聞こえた瞬間、「ははうえ~」と満面の笑みでよちよちと歩いていた頃よりも良い笑顔を向けているもの。
「蓮生さ……あ、お話中でしたでしょうか? でしたら後で、」
「いや、ちょうど話が終わったところだよ。なにかあった?」
話途中だったとは思うのだけど、当然そんな野暮なことは言いませんとも。鈴さんが気にしないよう、私達はそっとその場から離れたわ。耳は傾けていますけどね。
「じゃーん! これ、さっき話していたお家の鍵なんだそうです。持つところが木彫りのワシになっていて変わってますよね。こっちの可愛い感じのワシが私用で、こちらの凛々しい野性味溢れる方が蓮生さん用だそうです」
鈴さんの方はコロンと丸みのある可愛らしい小鳥のような作りのワシだけれど、息子の方は野生種のワシが威嚇をしているような意匠だわ。
「ありがとう……随分と眼光鋭いワシだな。木製だし、うっかり折ってしまいそうだ」
「そっか……蓮生さんと私では握力も違うから。食器とか、揃える時は分けた方が良さそうですね」
「鈴、冗談だよ。俺は君と揃いのものを使いたい。家が決まったら今度一緒に買いに出掛けよう」
あの子の視界には鈴さんしか映っていないのではないかしらと思えるほど、只々彼女へ目と耳を、笑顔を傾けている。
「それなんですけど……私、なんだか気になっちゃって。ご近所ですし、一人で明日の夕方にでもちょっと覗いてみようかなって」
「俺も行く」
「え? でもお仕事が……」
「行く。絶対に行く。少し抜けるくらいどうってこともない」
聞き耳を立てておいて今更だけど、息子のこういった様子を垣間見るって、こうも堂々とされてしまうと却ってこちらの方が恥ずかしくなるものなのね。
「ふふ」
「うん?」
「一緒に見たいと言ってもらえて……その、嬉しくて」
「俺も嬉しいよ。一日でも早く君と一緒に暮らせるのなら、俺としては大歓迎だから。なんなら明日から住むつもりで着替えなんかも持参しようか?」
「またまた~! それはさすがに気が早いですよ」
「そうかな?」
今のは本気だったわね。
終始口元が緩みっぱなしの息子だけれど、始まりの時のような雰囲気に比べたら、やっぱりこちらの方がいいわ。
「お茶会よりも、引っ越し祝いの方が早そうですね、お義母様」
「ええ、そうね」
そして、息子の行動の早さに驚かされるのはこの二日後のことである。




