72:涙色の結納のち、快声
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本当に母の言う通りマリッジブルーに陥っているのか、せっかくの晴れ舞台なのに口を開くと泣いてしまいそうで、慌てて口を引き結び深呼吸を繰り返した。
少しして久遠家の皆様も到着し、婚約の儀式が始まった。
幸い、儀式の間は基本的に私は伏目がちのまま黙って座っているのみで、時折頭を下げたりお礼を述べたりする程度。お陰であまり不自然さもなく乗り越えられたと思う。
(でも、蓮生さんと目が合った時に、思わず目を逸らしちゃった)
私とは対照的に少しの緊張感はあれ、幸せ一杯な彼を今は直視出来なかったのだ。勘の良い彼のことだ、もしかすると気付かれてたかもしれない。
粛々とした雰囲気の中で儀式を終え、食事へと移ったけれど、せっかく用意されたご馳走も今は食べられそうになかった。
「胸が一杯で……」とだけ伝え、お茶と小菓子だけ少し口に含んだれど、まるで味がしない。
(まさか、私がこんなセリフを言う日が来るなんて……)
代わりとばかりに身内がこぞって私の話をしてくれて、私はただそれに頷いたり軽く笑みを浮かべるだけで済んだのだった。
そんな、和気藹々とは言い難い空気を入れ替えるかのように、それまでどちらかと言えば聞き役に徹していた叔母から急に「鈴ちゃん」と声が掛かった。
「はい、叔母様」
「今ね、庭園の藤棚がちょうど見頃なのよ」
叔母と朱羅兄は良く似ている。ようするに美女だ。その美女がおっとりとした雰囲気にたおやかな笑みを浮かべ、二人で庭園をゆっくり見てまわって来たらどうかと言う。
来た時にも見たけど? と思ったけれど、私よりも反応早く立ち上がった蓮生さんを見て気付いた。気分転換ももちろんあるだろうけれど、「二人で話なさい」と言うことなのだと。
終始作り笑いで精一杯だった私は、今日は全くと言って良いほど彼と話をしていない。
婚約の儀式から今も、彼はずっと私を気にしていた。
蓮生さんも歓談中に聞きたかったことだろうと思うのに、私がずっと視線を合わせないことや身内が代わりに話していることもあり、ずっと様子を伺っていたようだ。
***
すでに勝手知ったる火神家の庭園。お庭までの案内人も付けていない。
ゆっくりと私の足元を気遣いながら手を繋いで歩く。
足元へ視線を落としながら歩いていると、ふわっと甘く爽やかな匂いが漂い始め、見上げれば藤棚の中にいるのだと気付いた。
叔母様が見頃と言っていただけあり、目の前にはそれは見事な白と紫の藤の大棚が広がっていた。来た時にも見えたはずなのに、メソメソとしている間に通り過ぎていたようだ。
「綺麗ですね」
「ああ。でも、桜模様のアオザイを纏った君の方が何倍も綺麗だ」
「……ありがとう、ございます」
何事もないかのように返事をしてくれたけど、やはり私の反応が悪いことから、彼は私の正面に向き直り、繋いでいない方の手も取った。
見つめる彼の瞳には、はっきりと「心配と不安」が滲み出ていた。
せっかくのおめでたい日だと言うのに、私はどれほどみんなに迷惑と心配をかけているのか。成人したばかりとは言え、これでは全く以って子供が駄々を捏ねているのと同じだ。
婚約者となった彼の耳も尻尾も下げさせ、こんな状態にさせているのは紛れもなく私なのだと思うと、余計に申し訳ない気持ちになる。
「鈴、具合が悪い……わけではなさそうだな。一体何があった? 俺、ずっと心配で」
「具合は大丈夫です。母が言うには、今は情緒が不安定になってるみたいで……ごめんなさい」
「情緒が……? 一体、何に不安を感じて悩んでるんだ? すまない、俺が気付かずなにかしてしまったのだろうか?」
「いえ、蓮生さんは何も悪くないんです。私が全部……私の心構えが追い付いていなかったせいなんです。一人暮らししたい、自立したいって散々言ってきたのに、いざそれがすぐ傍まで迫った途端に怖気づいてしまって」
「でも、君は高等部の頃にオランドラへ単身留学していたのだろう? それだって十分自立しているじゃないか」
「あれは寮に入っていましたし、ただ学生をしていただけです。今回の短期留学だってそれと似たような感じですし。でも、結婚は違います。私一人でもちゃんと家を守れるのか、それを可能にする為に留学すると決めたのに、それでも出来なかったら? って勝手に不安になってしまって。改めて、全てにおいて私はみんなに守られて来たんだと実感して、私なんかでいいのかなとか、ずっとぐるぐる考えて……」
「まず鈴、私なんかじゃない。君じゃなきゃ俺は駄目なんだってこと、決して忘れないでくれ」
「……はい」
別に怒られたわけでもないのに、あまりにも自信喪失しているせいで、また俯いてしまう。
「俺も格好良く、『俺に全て任せろ』と言いたいところだが、残念ながらそれは無理だ。それに、君の家族だって今まで一人で鈴を守って来たわけじゃない。それぞれ連携を取って守ってきたはずだ。四神部隊であっても、基本的な作戦では一人行動は取らない。なんでも自分一人で考え、行動出来る、そんな立派な人格者なんてそういないよ。君の言う自立もわかるけれど、誰かと協力し合える関係性を築いて行く方が、相互に助け合い、高め合えるんじゃないかな。家族は一つの組織だろう?」
「一つの、組織……」
繋いでいた手が離れる。
先程まであった温もりが急に離れ、なんとなくもの寂しさを感じていると、蓮生さんは自分の手の平の上に私の両手を重ねるように誘導し、その上からそっと包むようにもう片方の手を乗せた。
「これからはその組織の一員に、俺や俺の一族も加わるんだ。それぞれで補って、助け合って行ければ良いと俺は思う。もちろん、君の一番近くで守り支えて行くのは俺の役割だけど。他にも俺と二人の生活に不安なことはない? 君が悩んでいたなんて知らずに、すっかり一人浮足立っていて、恥ずかしいよ」
「蓮生さんは全然恥ずかしくなんてないです。私も……その、楽しみですし」
「本当!? 君もそう思ってくれていたのなら嬉しいよ」
「ふふ。はい、もちろん」
本来の私なら『ついに同棲生活かぁ、寝ている時に歯軋りしたらどうしよう』とか、『もっと料理も勉強しなきゃ』とか、あれこれ考えていたはずである。おはようからおやすみまで、親兄姉以外の人と同じ屋根の下で一緒に暮らすなんて、恥ずかしさもあるけれど、ドキドキする気持ちの方が今のところ勝っているかもしれない。
「良かった……やっと君の笑った顔が見れた」
「蓮生さんのお陰です」
蓮生さんが嬉しそうに笑い、抱き締めようと手を広げたところで、その間へ割って入るように一羽の小鳥が飛んで来た。
「ピピッ!(参っ上!)」
「その模様は……ピスケ? お祝いに来てくれたの?」
「手紙を持たされているな」
蓮生さんが手紙を足から外すと、ピスケは『じゃあな!』とばかりにまたどこかへ飛んで行ってしまった。
気を取り直して蓮生さんが手紙を広げると、どう考えてもどこかで聞かれていたのではないかと思うような内容が走り書きのような字で綴られていた。
【碧海家まで徒歩五分の近場に、一軒家で鳥獣人も降り立ちやすい広めの屋上付物件あり】
「これは……陽の字、かな?」
「ええ……陽兄、ですね」
ハァ、と溜め息をつきつつも丁寧にメモを折り畳みポケットへしまうと、少しだけ考える素振りを見せ、すぐにうん、と頷いた。
「盗聴に関してはあとでじっくり話を聞くとして、鈴はこの条件どう思う? 俺は帰宅時間が遅い日もあるし、夜勤や遠征なんかが入ってしまうと、夜に君を一人にさせてしまう時間がどうしてもできてしまうからそこが気掛かりではあったんだ。それに仕事も通うなら近くの方が安心できる」
「それはそうですけど……」
「じゃあ、決まりだ。早速次の休みにでも一緒に見に行って、鈴が気に入ればそこに決めよう」
「ええ!? でも、我が家の近くですよ? 蓮生さんも住むのに嫌じゃないんですか?」
私としては帰宅が遅かったり、夜勤明けなんかは出来るだけ早く帰って休める方が良いだろうと考えていたので、蓮生さんの職場近くになるだろうと思っていた。現在彼は独身寮に住んでいる為、職場までの距離なんてゼロに等しい。
「嫌ではないよ。俺が許容できないのは君と共にいられない、結婚できないことだけだよ。正直、住むところにあまり拘りはないんだ。どんな所だろうと、君のいるところが俺の帰る場所だから」
「ふぐっ!」
当たり前とばかりになんの躊躇いもなくそう言い切られてしまうと、なんて返答したら良いものなのかと困る。「それもそうですよね!」と自分言うわけにもいかないし、かと言って「やだぁ、冗談ばっかり!」などど、冗談ではないことなど見ていればわかるだけに愚問である。
「もしかして拘りがないって言ったのは嫌だった?」
「嫌じゃないです。はい、あの……私、頑張りますね!」
誤魔化すようにへらっと笑うと、同じように蓮生さんも笑った。
「ハハ、でも、もう思い悩むほど頑張らないでくれ」
「うっ、はい……今日は本当に心配掛けてすみませんでした」
散々心配を掛け、迷惑を掛け、それでもひたすらに私のことを考えてくれる蓮生さんに愛しさが溢れた。
「もういいんだ、君が元気になったなら」と言って、私の頭を撫でる。萎れたようになっていた蓮生さんのふわふわな尻尾も撫でる手と同じようにゆらゆらしていた。
(なんだか無性に蓮生さんに抱き着きたい!)
思わずギュッと抱き着くと、蓮生さんは一瞬驚いたあと破顔し、すぐに抱きしめ返してくれた。
「今日は、やっぱり良い日だ……」
「? なぜですか?」
「鈴はこれまであまり俺に甘えてはくれなかったから……君の悩みを共有できて一緒に考えて、それで元気になって、今こうして君が甘えてくれるんだから、最高に良い日だよ。今後もなにかあれば俺に話して欲しいな」
「はい。蓮生さんも、なにかないですか? 悩み。あったら私にも教えて下さいね」
「俺の? うーん……悩みと言うか、希望と言うか」
「希望ですか?」
「ああ。婚約も済んだし、今すぐにでも引っ越して今日から君と一緒に暮らしたい、とか」
「それは、中々……今日の今日では難しいのではないかと」
さすがにこのままみんなを放って、内見して契約して引っ越しなんて芸当は私には無理だ。
「あとは、そろそろ敬語と敬称を取って欲しいかな。俺達は近い将来家族になるんだし、家族と話すように砕けて欲しい」
「敬語を、ですか……はい、いえ、うん。頑張りま……頑張る」
「本当に……? じゃあ、名前を呼んでみて」
「名前からですかっ!? ええっと名前、名前……」
動揺する私の頭上から『鈴』と名前を呼ばれ見上げると、熱を帯びた琥珀色の瞳が私を見つめていた。
「蓮生……」
名前を呼ぶと満足そうに笑う彼の顔が近付き、私もそっと目を閉じた――
花弁のような感触と、覚えのある花の香りに目を開けると、私と蓮生さんの間に藤の花がぶら下がっている。
ん? これはなんぞ?
蓮生さんは真顔で花を掴んでいてちょっと怖い。
「ピピッ!(ふぅ、危ねぇ! 間に合った)」
「ピチュピッ(まだ嫁入り前ですからね)」
「ピチチチ……(諜報の鳥族ナメんなって話ですよ)」
「チュチュ、ヂッ!(うちの敷地内で調子こくと婚約を白紙にするぞ駄犬めが! と、朱羅様が言ってます)」
「……」
「??? なんて? 一斉に話すと余計にわからないよ」
一羽ずつでもわからないけれど。
小鳥たちも藤棚を愛でに集まっていたのだろうか? ちゃんと『花を見なよ』みたいな? そもそも、彼らは小鳥隊なのか野生の小鳥ちゃん達なのか、残念ながら私には区別がつかない。
希望としては野生種であって欲しいと思っている。そうだよね?
「ハァ……そろそろ、戻ろうか」
「で、ですね!」
蓮生さんは片手で顔を覆い、小鳥たちに向かって大きく溜息をついた。私達が移動するや、三十羽ほどの小鳥たちも一斉に飛び出し、ここにこんなにいたのかとビックリする。
あの……野生種、よね?
涙で始まった結納の儀は、家族愛と蓮生さんの優しさのお陰で、なんとか笑顔で締めることができた。
戻ったと同時に、「心配をお掛けしまして、大変申し訳ございませんでした」と頭を下げたと同時、ほとんど食べていなかった私のお腹が鳴き始め、静寂そして爆笑。
すっかり緊張感の欠片もなくなってしまったけど、『オマエらしくていんじゃね?』と兄に締められ、閉幕した。
全然良くないよ!




