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70:初心者?


******


 いつの間にか眠りに落ちていた。


 一度ぼんやり馬車の中で意識が浮上した時に、どういうわけか朱羅兄のふわふわな天然羽毛に包まれていて、「着く頃に起こしてあげるから、まだ眠っているといい」と言われ、そうなんだと思い、また目を閉じた。


 この時、脳がきちんと覚醒さえしていれば、すぐに違和感に気付けたはずである。覚醒さえしていれば!


 少しくらい言い訳をさせて欲しい。


 約一週間野宿生活をしていた私は、思っていた以上に気を張っていて疲れていたのだ。毎日早寝をしていたとは言え、快適な環境で過ごしていたわけではないのだから、当然と言えば当然なのだけど。


 次に目覚めた時、ボーっとした頭を上げ対面を見ると、蓮生さんと陽兄が並んで座っていた。蓮生さんの表情は暗く、陽兄も微妙な、どこか疲れたような表情をしていた。


 寝起きのせいで普段以上にすっとぼけな私は、大型獣人が三人も揃うと馬車も狭いし疲れるよね、とか思っていた。自分がなんの為に、なにをしに行っていたとか、誰の恋人なのかとか、忘れていたわけではないのに、なぜかその時だけは意識の外に吹き飛んでいた。


 ようやく覚醒すると、蓮生さんが死んだ魚のような目をしながらぼんやりと外の景色の方を見ていることに気付いた。どうしたのか尋ねると、蓮生さんではなく、陽兄が若干軽蔑の籠もる視線を向け溜め息をつきながら説明してくれた。


 なんでも、一度目覚めた時に自分(蓮生)を全く意識されず、声を掛けたらしいのだけど、気付いてすら貰えなかったとショックに打ちひしがれ、陽兄はそれを宥めていて疲れたとか。


 私は慌てて陽兄と席を変わってもらい、色々と言い訳をしたけど、そこに朱羅兄が「狭量な男は嫌だねぇ」と煽るものだから、一触即発な雰囲気になり……止めるのに一苦労。


 陽兄は「お前も無事目覚めたし、先回りして報告してくるわ」と尤もらしいことを言いつつ、逃げた。


『では私も……』と朱羅兄も言ってくれないものかと僅かに期待したけれど――



「私はずっと鈴が落ちないよう支えていて少し疲れたからね。このまま休憩しながら一緒に戻るよ」

「ごめんね。ずっと膝枕させちゃって」


 これでは「飛んで戻った方が楽じゃない?」などと、とてもじゃないけど言えないよねっていう。いや、そもそも朱羅兄手配の馬車だから、降りるなら私なんだけど。


「ハッ、その程度で疲れるような軟弱者は四神部隊にはいないはずだがな」


 少々嘲笑い気味に、しかし視線は外の景色の方へ向け、吐き捨てるように言った言葉は独り言ではもちろんなく。ここまで朱羅兄にとことん邪魔されたと言う、蓮生さんのダイレクトな嫌味の交戦だ。


「ふむ、どうやら私は軟弱者らしい。道理で身体の疲れが抜けにくいわけだよ。鈴、少し腕を揉んでもらってもいいかい?」

「いいよ。ついでに治癒魔法も掛けようか? 少しなら出来るよ」


 立ち上がろうとした私を蓮生さんが手で制す。代わりに彼が立ち上がり、上着を脱いで私の肩へと掛けてくれた。身体を冷やさないようにとの配慮らしいけれど、寒くはない。これは多分朱羅兄の匂い消しなのだろうと察し、ありがとうと素直に受け取る。


「鈴、君にはまだ休息が必要だ。朱羅には俺がマッサージするから()()()()()()()座ってて。俺、ほぐすのは得意なんだ」

「そ、そうなんですね……」


 その表情も声色もいつも通り優しいのに、琥珀色の瞳の奥だけがヒンヤリとしていて、『俺の隣から移動しないでね?』と言っているようだったので、コクコクと頷いておいた。


 蓮生さんのマッサージは言わばボキボキと鳴る、痛い方の整体みたいな感じで、見ている私からは痛そうに見えるのだけど。

 ボキッとかペキッとか、聞いていて身体の節々がむしろ痛くなりそうだ。こんな大柄な男性二人が器用に施術しているのが結構シュール。


「……朱羅兄、痛くないの?」


 いつも爽やかな朱羅兄の額にはあぶら汗のようなものまで浮かんでいる。


「痛い? むしろ弱過ぎてくすぐったいくらいだね。久遠殿がお優しいのか、非力なの、ぐぁっ、うっ!」


 バキッ! ゴキゴキッ! とこんな音、折れる以外で鳴ることはあるのだろうかと言う音と共に、朱羅兄の顔が苦痛で歪……んだと思ったけれど、すぐに笑顔で「今くらいでようやく効いた感じがするね」と返していた。


「いやぁ、気が利かなくてすまない。朱羅殿のような『細腕』にはこの程度かと、()()()加減をしていたんだ。今ので普通程度だが、もう少し強めでも耐えられそうか?」

「ふむ、お願いしたいところだが、私ばかりやって頂いては申し訳ない。今度は私がほぐしてやろう」


 そう言いながら、二人で仲良くギリギリと歯軋りしながら腕だの肩だのを交互にほぐし? 合っている。

 獣人さんはあんなに力を入れないとほぐれないのだろうか? 確かに、そんなに力が必要なら私が身体強化をかけても足りるかどうかだ。


「これからは、気楽にマッサージしてあげるなんて言えないね。私にはそこまで出来そうにないし」

「……え? 鈴のマッサージ!? してもらえるならして欲しい!」


「気を遣ってくれなくても大丈夫ですよ。だって弱過ぎるのって、くすぐったかったり、かえってリラックスできないでしょ?」

「そんなことはない。俺は弱めの方が好みなんだ」

「鈴、久遠殿もおっしゃっていただろう? 私は軟弱者だからね。鈴くらいの力が心地いいのだよ」


 二人共そんなにムキにならなくても、こんな弱めのマッサージで良いならしてあげるのに。

 

「じゃあ蓮生さん、手でも揉みましょうか? 手ならそんなに力が強くなくても大丈夫ですよね」

「疲れているのに、いいのか?」


 私の隣に再び戻って来た蓮生さんが、ハンカチで念入りに自分の手を拭くと、『お願いします』といって右手を差し出して来た。

 

 まずは軽く全体を温めるような感じで、両手で右手を揉むと言うよりも包む。ただ、先ほどまで力一杯マッサージしていたせいか、そもそもが温かいので、ほんの少しで十分そうではある。

 ハンドマッサージは自己流だけど、指の付け根や指先、手の甲、手の平とゆっくり丁寧に圧を掛け揉んでいった。



 こうしてじっくりと蓮生さんの手を見るなんて、そういえばなかったなと思う――



 鷲族で比較してみても、彼らは足の爪が鋭く、あまり武器を使用しないから剣だこが少ない。蓮生さんも完全獣化をした時は刀は使えないけれど、日常的に剣の稽古をしているからかゴツゴツしていて表面は少し固い。



「鈴、指圧が上手だね。気持ちがいいよ」

「本当ですか? 良かった」


 指も手首の太さも全然違う……戦う人の腕ってこんな感じなんだ。


「指が細いから、ツボに入りやすいんだな」

「そうですか?」


「うん? 前腕までほぐしてくれるのか?」

「そうですか……」(腕は着やせするタイプなのかな?)


「鈴……? どんどん上にあがって来てるけど、手のマッサージってどこまでなんだ?」

「そうですか……」(結構触ると服の上からでもわかるくらい、がっしりとして太い……肩もそうなのかな?)



――パァン!



 急に大きな音が鳴り我に返ると、眼前には蓮生さんのドアップ。私が座る位置から動かない代わりに、蓮生さんが無抵抗で腕をぐいぐい引っ張られてきた結果である。


 手を叩いた音は朱羅兄で、軽く額に手をあてて溜息をついていた。


「ひゃっ! 全然気づかなくて、ごめんなさい! ちょっと夢中になっちゃって、つい」

「いや、君を夢中にさせるものがあったのなら嬉しいよ」

「鈴、お前は熱中し過ぎると周りが見えなくなるからイケないね。どうせ筋肉の観察をしていたのだろう? 大方、陽の影響だろうけど」


「なっ! どうして朱羅兄わかったの!?」

「以前、私の肩揉みの時にも二の腕まで揉んだ方が効果的だと言って、『上腕二頭筋は細いけど朱羅兄は速く飛べるんだよね?』とか言っていただろう?」

「君がそんなに筋肉が好きとは知らなかった」

「違いますよ!」


 誤解があるようだけど、別に特別筋肉好きではない。かと言って興味がないわけでもないけど。


 兄が筋肉筋肉うるさいから三回に一回は聞いてあげていただけだ。むしろ、身軽な方が鳥獣人には優位なはずなのに、父と兄は珍しく筋肉隆々タイプで暑苦しい。


 少し話しては揉めてを何回か繰り返した頃、朱羅兄がチラリと小窓から外を確認し「そろそろ退散しようかな」と言い出した。


「ああ、速やかに退散してくれ。控えめに言っても邪魔でしかない」


 蓮生さんの言葉には耳を貸さず、朱羅兄は私の頭をひと撫ですると、馬車を走らせたままドアを開け飛び立って行った。



***



 車輪のガタゴトと鳴る音が、二人きりの空間に妙に響く。


「ふ、二人きりですね……」

「そうだな」


 間違えた。


 なにか気の利いた話を、なんて思いながらも全く浮かばなくて、”二人きり”なんて口にしたばかりに、思い切り意識してしまい、より一層緊張することになってしまった。


「私、前の席に移動しますね。その方が窮屈じゃないですよね」


 移動しようと腰を浮かせると、片手を掴まれる。


「俺の隣は、嫌?」


 少し潤んだ琥珀色の瞳としょぼんと下がった獣耳が、より一層悲壮感を引き立てている。


「ち、違いますっ! ただ……」

「ただ?」

「ただ、その……馬車の中だと密着しやすくて、どうしても意識しちゃうから」

「意識って、俺を? 今、顔が赤いのも、そういう……」

「もうっ! そういうことは口にしないで下さい!」


 見られたくなくてフイと顔を逸らした。


「鈴、隠さないで見せて」

「嫌です! こんな変な顔、誰にも見られたくありません」

 

 彼の指先が頬に触れるけれど、無理矢理自分の方へ向けようとまではしない。


「もちろん、俺を意識して耳まで赤く染めた可愛らしい君を、他の誰にも見せるつもりはない。でも今は二人きりだろう? 俺にだけ見せてくれないか?」

「うぅ~」


『くぅん』と思わず聞こえてきそうな声に、思わずコクンと頷いてしまった。蓮生さんは私がこういうお願いの仕方に弱いと知っているんじゃないだろうか。


 おずおずと振り返ると、彼はなぜか口元を手で覆っていた。


「笑って、る?」

「違うよ。これは嬉しいのと、君があまりのも可愛いらしい行動をするから頬が緩んで」

「こんな茹で上がった顔のどこが良いのか……」

「全部かな」

「ふぁっ!?」


 完全に独り言のように溢した言葉も彼はしっかり拾い上げ、ついでに砂糖をコーティングして返してきた。


「鈴、口付けても良い?」

「今!?」

「駄目?」

「うっ……また。駄目、じゃないです、けど――っ」


 言い切る前に、唇が重なっていた。


 お互いに初めての口付けとあって、唇と唇を軽く合わせるだけの拙いものだったけれど、私には十分過ぎるものだった。


 蓮生さんはコツンと額を合わせると「……少し安心」と、思わず本音が漏れていた。それに対して私は苦笑するしかないのだけど。


 以前にも触れた話しだけど、恋人同士なのに(マーキング)をつけないのはかなり珍しい。一般的には口付けが最もポピュラーなのだけど、人前では無理だと言う私に合わせてくれて、私の頬や手、服に触れる程度でいてくれたのだ。

 これまでも偶然なのかなんなのか、完全に二人きりという機会には恵まれず、怪我だったり、誰かしら空間にいたり、かと思えば試験が始まったりとあって、唇の端や指先に受けた以外では初めてのことだった。


 これらを思えば、蓮生さんが同棲したいと言い出すのも頷ける。片や独身寮、片や実家暮らしをしていては、泊りの旅行にでも出掛けない限り二人きりの空間など作るのは難しい。


「大丈夫だった? その、俺も慣れてないから」

「はい……あの、全然……むしろ満たされる感じがして、良かったです」


 本当にただ唇と唇を合せただけだというのに、恥ずかしさよりも満たされる気持ちの方が強かった。


「ぐぅ……」と堪えるような声がして視線を上げると、一瞬、顔が真っ赤な蓮生さんが見えたような気がするけれど、すぐに唇が塞がれ、今度は上唇、そして下唇をかぷっと優しく食み……また唇を合わせる。

 

 途中、呼吸が苦しくなると、クスっと笑った彼が「鼻で呼吸して」と教えてくれて、なるほど今度からそうしようと思えば、まさかのやってみてとばかりに早速実践に突入。



――そして今。



 確か、スタートは同じ初心者同士だった……はず。


 だけど彼はほんの数回経験しただけで、一を聞いて十を知るタイプだったらしい。すでに五十段ほどの階段を一足飛びで登ってしまい、たどたどしかった口付けは、私からすればもはや上級者向けの深いものへと変わっていた。


「ふっ……ぁ……蓮生さ、」

「鈴……ハッ、好きだ」


 私達は恋人同士で、近い内には婚約も交わす予定で。


 だから、口付けだってもちろん嫌ではない。


 むしろ、この甘く溶けてしまいそうな心地に、このままでも良いかもしれないと思い始めているくらいだけれど、って違う、そうじゃない。


 つまり言いたいことは――



(終わり時がわからない!!)



 そろそろふやけるんじゃないかと思うくらい、彼は飽きることなく私を抱き締め、身体も唇も離す気配がない。もう私の腰は砕けたようにぐでんぐでんになっているというのに、がっちり支えられているせいか、倒れることもない。


 もう終わりましょうと言うのも雰囲気的にどうなのかとか、パシパシ叩くのも拒否したようで傷つけてしまう気もする。


 そんなことを考えている内に腕の力が緩み、唇からも離れると、繋がっていた銀糸がぷつりと切れた。


「ごめん、君が嬉しいことを言ってくれるから、つい」

「い……いえ」


 呼吸を止めていたわけではないけれど、ハフハフと逆上せたような状態な私を見て、もう一度「本当にごめん」と苦笑すると、少し乱れた髪や服のシワなんかも私の代わりにテキパキと整えてくれた。


 ほどなくして久遠亭に到着。


 先に降りた蓮生さんから手を差し出されるも、立ち上がろうとした瞬間に足がふらつき前へ倒れてしまう。

 すぐに蓮生さんが受け止めてくれたけど、腰が抜けたようにフラついてしまい、結局蓮生さんに抱き抱えられての移動となってしまった。


 口付けで腰が抜けそうになると言うのは、ただの比喩表現だと思っていたけれど、どうやら本当だったようだ。


 察した蓮生さんは見るからに上機嫌で尻尾は高速ブンブン状態だけど、私は土にでも埋まりたい。



 それでも一応「馬車を降りる時に足をくじいてしまったんだ」と蓮生さんが言ってくれたので、その場はうまくやり過ごしたのだけど……



 帰るまでの間ずっと片足を痛めている演技をしなければならなくて、それはそれで心苦しい思いをしたのは言う間でもない。





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