68:主で駆ける少女 / side 久遠蓮生
◇◇◇◇◇
【ヤギ助けをしてから帰る】
イマイチ状況が掴めない手紙を受け、俺は実家へとすぐに走った。
鈴蘭は入手済であることに加えて、今は無事とは言え、女性が一人崖に留まっている状況など、安全を保障された試験とは言い難いと母に訴え、異論は絶対に認めない構えだが、一応今から麓へ向かうことを伝えた。
崖にいると聞き、母も思わず目を見開く。
「その話が本当であれば向かうことに異論はないわ。けれど崖……? 普通に順路を辿っていたのなら崖に向かうような道はなかったはずよ?」
「それは……きっと疲労感から道に迷って、踏み外したのでしょう」
母が言うには余程道なき道を進もうとしない限り、普通の登山順路から崖はかなり離れているらしい。
ピスケの報告によれば、ソリが勢いよく滑り過ぎて崖から落ちたものの、運良く崖の中腹辺りに着地したとか……こんな、なにをどうしたらそうなるのか俺ですら理解し難いことを、母に話せるわけがない。
ただ、それを抜きにしても、小さくか弱い女性が一人で一週間も山に籠もるだなんて、心細いに決まっている。きっと精神的に追い込まれて、ソリだって寂しさを紛らわす為とか、正常な判断が取れなくなったことで異常行動を取ったに違いない。
まさにそうであるのなら、また次があるかもしれない。胸の辺りにずっとそんな気持ちが渦巻いているのは、その前兆だろうか?
「それよりも気になるのはヤギね。もちろん、野生種のヤギのことよね? 山の主もヤギに見た目は近いけれど、明らかに普通のヤギとは違う風格だもの。そもそも主が人に近づくとも思えないけれど」
「いくら彼女でも、似ているだけで見た目が異なっているのですから、そんなものと鉢合わせたのであれば報告するでしょうし、まず威圧感だけで腰を抜かしますよ」
主はあの山にのみ生息しているが、一体何年生きているのか、未だわかっていないことが多い。俺も子供の頃に久遠家の者としての顔繋ぎとして連れて行かれたことがあったが、圧と言うか気が、ただならぬ雰囲気を纏っていた記憶が蘇る。今は負けるとは思わないが、あの頃は圧倒的な力の差に尻尾を丸めたものだ。
こうして母から許可を貰い、俺は麓へと向かった。許可の有無に関わらず行くつもりではいたが、許可をわざわざ貰いに立ち寄ったのは、一重に彼女の努力を無駄にはしたくなかった、それだけだ。
一応情報共有はする約束の為、陽や朱羅にもその旨を伝えると、すぐに陽が別の事裏隊に【連絡場所を麓へ変更せよ】とピスケへ知らせるよう命じていた。
朱羅の方は帰ろうとしていた朱雀隊の緋炎隊長を捕まえ、何やら耳元で言うと『お前、なぜそれをっ!!』と顔を真っ赤にしながら動揺していた。
鳥語で伝えていた為、何を言ったのかはわからないが、どうにか話し合いで明日の仕事は変わってもらえることになったようだ。
鳥族は噂話もうまく拾って来る非常に諜報に適した種族の為、ここで下手にツッコミを入れようものならこちらに飛び火してくる。見て見ぬ振りが基本だ。
朱羅が鳥語でわざわざ話したのは、一応仕事を変わってもらう立場にあるから俺にはわからないようにしたのだろう。気遣いするところはそこじゃないと思うが。
鈴が絡んでの尊い犠牲なので、後日菓子折りでも渡そうと思う。
◇◇◇
一足早くまだ夜明け前ではあるけれど、麓へと着いた。管理人のいる小屋は灯りがついていて、すでに俺が向かうことは連絡が行っていたようだ。
「もう六日目だ。今日の手紙で下山が見込めないとあれば、その時点で助けに入る」
「期日は明日までありますが、宜しいのですか?」
「宜しいもなにも、鈴蘭は採取したと言っているのだから、その確認が出来る者も同伴すればいいだけの話だろう? それとも、怪我をしている母ヤギを見殺しにして来いとでも彼女に言うのか?」
「そうは言いません。畏まりました、その際は私が同伴致しましょう。ただ蓮生様、まだ夜明け前ですし、小屋の方で少し身体を休めて下さい。ずっと走りっぱなしだったのでしょう?」
「いや、彼女だって不安定な場所では夜も不安で眠れないだろうに、俺だけ寝台で眠るわけにはいかない。境界線ギリギリのところでいい、敷物だけ用意してくれ」
外の方が万が一の時、彼女の声を拾いやすい。
鈴は我慢したり、強がったりするし、手紙だから余計に心配掛けまいとして詳細を書かないのだと思う。もしかしたら重症じゃないだけで、怪我もしているのかもしれないし、体力面や精神面での疲労も大きいだろう。
小さくか弱い身体で、俺の……俺達の為に、我が家の無茶な試験を受けてくれた彼女には感謝しかないし、より一層愛しさが募る。
恐鳴山は基本的に遊びに行くような山ではなく、興味が惹かれるような場所でもなかった。そもそも次男の俺には関係のない場所だと思っていたせいで、ほとんど記憶にない場所だ。
その辺りは嫡男として関係があった兄ですら、ここへ遊びに来たいなどと言うことはなかったはずだが……今思えば、母も管理人から報告を聞きがてら数回連れてくる程度しかなかったのは、俺達にあまり土地勘を持たせない為だったのかもしれない。
「崖がある位置というのはどの辺りなんだ?」
「そうですね……野生種のヤギも生息している側であれば、あちらの西側かと。反対の東側は山の主様の寝床がある側ですので、基本的にはその寝床を荒らすような野生種はおりません」
示された西側を見上げ、息を吐く。朝日が昇る時間になっても山の朝は少し冷える。鈴が風邪を引いていないといいが……
ザ……ザザ……バサァ!!
ピクっと何かの音が聞こえ、反対側を見ると野生種の小動物や鳥達が一斉に騒ぎ出し飛び出していた。
「どうしたんだ? なにかに追われているのか?」
「そんな大型獣は主様以外にはいないはずですが……」
ドドドド――ドドッ! ドドッ! ――……
「とまっ……は、はやいぃぃ!」
「ハッ! この声は、まさか鈴!?」
「ええ!?」
なにかが駆け下りてくる音と、鈴に似た声……
本物の鈴!?
「ヌッシィィ!! もう無理っ! そろそろ腕もお尻も魔力も限界だって!! ひゃぁぁぁぁ」
「ヴェェェェェェ!!!」
「ヌッシー……?」
一瞬自分の目を疑ったが、巨体な山の主に跨り……と言うよりも、ほぼしがみ付きながら、鈴が山を下りて来ていた。
特徴からしても野生種のヤギではなく、かつて見た山の主そのものだ。
そんなことより、今は鈴が振り落とされないように角に必死に掴まっている状態で、主が跳ね上がる度に身体が浮いていて非常に危険な状態だ。
「あああ……あ、あれは主様! れ、蓮生様、鈴様はなぜ山の主様の背に乗っているのですか!?」
「そんなこと……俺が知りたいよ」
いまいち状況が掴めないが、境界線まではあと僅かなところまで来ていた為、視線は一切逸らさず、いつでも飛び出せる構えで待つ。もちろん、絶対に彼女を取りこぼさない自信はある。
すると、俺達の只ならぬ雰囲気に気付いた山の主が急停止する体制を取り、頭を後ろに倒すと、そのまま前に大きく振りかぶった。
山の主から振り払われ 綺麗な弧を描くように彼女が飛んでくる。
「キャァァァーーーーーーー!!! 嘘でしょ!!」
「鈴!!!」
こちらに向かって飛ばされて来た鈴を空中で受け止め、着地。鈴は小刻みに震えながらも、ひしと俺にしがみ付いていた。
「大丈夫か? 怪我は? ああ、こんなに震えて……怖かっただろう?」
「だ、大丈夫です、でも、あ、あああの、顔が近くないですか? あ、う……あの私、一応毎日身体を拭いてはいましたけど、まともにお風呂に浸かってないし、今も汗は掻いてるし、髪はぐちゃぐちゃだしっ!」
怪我の心配、会えない間の寂しさ、そして会えた嬉しさから、無意識に鼻をスリ、と彼女の小さな鼻と合わせていた。彼女は気にしているようだから言わないけれど、魔法薬を飲んでいないのか、滅多に触れられない彼女自身の香りにこのまま酔いしれたい気分だ。
「ヴェェェェェ!!」
うっとりと彼女が気にしている髪を整えていると、主が存在を主張せんとばかりに地響きするほどの鳴き声を上げる――正直、もう帰っているものとばかり思っていた。約一週間ぶりの再会なのだ、もう少し空気を読んでもらいたい。
「『さよなら』って言ってるのかな? ヌッシー、送ってくれてありがとうー! 奥さんもお大事にねぇ」
鼻をフンっと鳴らし、満足したのか、もう用はないとばかりに山の奥深くへとまた帰って行った。
「……もう小僧じゃない」
「え? 蓮生さん、ヤギ語がわかるんですか!?」
ヤギの言葉がわかるわけではなく、主の言葉だからなんとなくわかったと言ったところだ。
「あー……なんと、なく? 君にお礼を言っていたみたいだよ。『助けてくれてありがとう』だって」
山の主は『昨日、妻と子を助けられた、礼を言う。だが小僧、そのメスは弱いし勘も悪い割に、無駄に勢いと行動力、そして少しの運だけはある。いずれにせよ、危険だから躾け直した方が良い』と、そんな感じのことを言っていた。
しかし、少しの運とはなんの運なんだ?
「さっきはお礼だったんですね。ヌッシーは義理堅いですね。昨日も果実とかキノコとかたくさん採って来てくれて、おもてなし? してくれたんですよ。その代わりヤギーズに栄養補助食品をほとんど食べられちゃいましたけど。ふふ、ピンク色のキノコは初めて見ましたけど、肉厚で歯応えもあって美味しかったです」
「え……それ毒じゃないか?」
鈴、今すぐ吐いて!!




