64:いってきます
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象が踏んでも壊れない懐中電灯、子供の歯でも齧れる栄養補助食品、ふっかふかの完全防水・吸湿・保温寝袋、台風が来ようともビクともしない天幕、泥水すら浄水する魔法瓶(オランドラ製)、一通りの応急処置用具を一式etc……
自分で用意する予定だったのに、「よし、準備するか!」と、リュックを物置から探し出したところで蓮生さんが『簡易的なものだけど、これを持って行って』と言って、仕事終わりに我が家へ立ち寄って届けてくれた荷物一式。
簡易?
とりあえず、まだ着替えとおやつとゴミ袋、ロープしか用意していなかった私。遠征のスペシャリストが用意してくれたものなので、ありがたく受け取る。
そのまま庭で使い方の説明や、自分でも組み立てられるよう指導も受けた。出して・設置して・片付ける……を十回。それもRTA式なので、一回目よりも二回目、三回目と僅かでも早くなっていなければやり直しである。ちょっと泣いた。
でも一人で行くのだ。これくらいは最低限も最低限なのだろう。
結構大変だったのは、自分で行う怪我の応急処置の講習。これは蓮生さんから依頼を受けた朱羅兄より教わることになった。
「鈴、すまない。本当なら準備も指導も、全て俺がしたかったのだが……」
「大丈夫です。それが最善だと思ったんですよね?」
器用に素早く処置をするのは鳥獣人の方が優れているそうで、感情を抜きにすれば、こういったことには甘えも妥協も許さない朱羅兄が最も適任だと判断したとか。
鳥獣人は手が羽の状態でも処置できるように、空中でも口や足などである程度できるように必ず訓練しているらしい。
「私は久遠殿から頭を下げられたから受けたのではないよ。これをせずお前が怪我を負い、対処出来ないが為に傷を残すことになったらと考えただけでも恐ろしい。試験とは名ばかりの、一種のいびりではないのかい? と抗議したものだよ。どれほど貴重なのかは知らないが、私が先回りして鈴蘭を刈り取り、登山道の途中で落ち合って渡せば良いのではないか?」
「朱羅兄、それは完全に不正だよ。用心はもちろんするけど、習っておくに越したことはないでしょ? 私だって怪我はしたくないから、用意してもらった肘あて、膝あて、保護帽もちゃんと着用するから」
朱羅兄は教え方はわかりやすいし丁寧だけど、指導時間ギリギリまで合格はもらえなかった。でも、意地悪でそうしているのではないとわかるから、私も最後までやり切った。
それにしても……あの日を境に、実は告白なんて元々なかったんじゃないかな? と思うくらい、完璧に告白前の朱羅兄に戻っている。あまりにも変わらないので、意識してしまった自分が少し恥ずかしいくらいだった。
朱羅兄が本当のところどう思っていたのか、私にはどうにも出来ない以上、掘り返すことは出来ないわけで。この状態を彼自身も望んでくれるのなら、距離感なんかは今後の課題ではあるけれど、私としては嬉しい。
陽兄は本来は絶対に一人じゃないといけないのに、なにかあった際に知らせる役目を担う、小鳥を一匹つける許可を出発ギリギリでもぎ取った来た。忙しそうにしていると思えば、まさか交渉に行っていたとは思わなかった。
少しズルをしているような気持ちもあるけど、正直心細いのでありがたかった。私は会話は出来ないけれど、肩に乗ってくれているだけでも違う。
恐鳴山までの移動は馬車なので、馬車内にてピスケの餌や手紙の時間帯など、注意点を聞く。
「鈴、こっちからの返信は許されてねぇから、オマエから受け取るのみの一方通行だ。返事は書けねぇけど、無事とわかるよう必ず毎日コイツ……ピスケに手紙か言葉を一言でもいいから預けろよ?」
「うん、わかった。生存確認ってやつだね。ピスケは配達もできるなんて優秀なんだねぇ」
「ピッ!(エッヘン!)」
心なしか、胸を張って『ボクに任せて!』と言っているように見えて、頼もしい限りだ。なにを言っているかわからないけど。
「ピスケは事裏隊ではあるけど、まだ郵便程度にしか使えない新人だ。絶対に無理はすんな。命を危険に晒すくらいなら、コイツと別れればいいだけだ」
「家紋だの試練だのと……お前がそこまで心を配る必要はないのだよ。大体、跡取りでもないのに、なぜ鈴がしなくてもいい苦労をしなければならないのか。鈴と婚姻関係で結ばれたいと懇願している、貴殿が入り婿となる方法もあっただろう? フン、そうなれば、満足の行くまで鷲族の試練でも体験させてやったものを」
鷲族にも婚前試験があったの? アキちゃんがしたところを見たことがないんだけど?? そもそも、我が家には陽兄がいるので別段婿に入る必要もない。
普段なら真っ先に反論しそうなものなのにと隣を見れば、蓮生さんは完全に耳を下げ、言葉も出ないほど落ち込んでいた。
「二人共、心配してくれるのは嬉しいけど、決めたのは私だから。蓮生さんは最後まで……ううん、今だって反対しているけど、私の気持ちを尊重して我慢してくれているだけだよ」
「いいんだ、鈴。本当に二人の言う通りだから。ただ、入り婿だって考えなかったわけじゃない。だけどその場合でもやることは同じだと言われた。俺は……仮に失敗したとしても、君さえ無事ならそれでいい。どんな結果であっても、俺は君を諦めないし、結婚するのも鈴だけと決めているから。そこだけは忘れないで、絶対に無理だけはしないでくれ」
私の手をギュッと握ると、蓮生さんは目的地に到着するまで放さなかった。
麓までの同行が許されているけれど、入山してから私が戻るまで蓮生さんに仕事の休みはなく、連日出勤にされているらしい。もちろん不測の事態があれば動かせてもらえるけれど、それ以外で様子を見に行ったり、助けに入ったりできないようスケジュールが組まれるといった徹底ぶりだった。
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恐霊山登山口――
「ここから少し進んだところが恐鳴山の登山口かぁ。上はよく見えないけれど、標高は4000mくらいだっけ? 高いね……」
理想は400mなんだけど。
今日は晴天なのに、恐鳴山の中腹辺りから上は雲に隠れていてよく見えない。馬車の道中遠目に見た時は、雲の隙間、僅かに覗いた山頂には雪が残っていて、まだ残暑が残る今でそうならば、山頂の雪は年中溶けることがないということだ。
「オマエ、平地は得意だけど登山はあまり得意じゃなかったよな? 四分の三はオレや晶頼みだったし」
「ちょっと! それは小さい頃の話でしょう? いつも私がズルしているみたいに言わないでよ」
小さい頃以降、山に登っていないけれど。
「鈴、やはり今一度母の説得に戻らないか?」
「蓮生さんまで……登山口まで来てなにを言ってるんですか?」
みんな私には無理じゃないかと思っていることが解せない。いくら登山が苦手でも、普通は三日で事足りるところを一週間も猶予を貰えたんだから、さすがに余裕なんじゃないかと私は思ってるのに。
「少しは私の無限に広がる、未知数の可能性に賭けてみようよ。なんか今ならなんでも出来るんじゃないかって、無駄に自信が漲ってるんだよね」
「んなもん、泥船確定じゃねぇか。オマエはやる気を出すと碌なことないから、その無駄な自信はここへ置いて行け」
ヒドイ! そこまでボロカスに言わなくてもいいのに!
「勝率が未知数の賭けなのか……益々不安だ。鈴の自信には根拠がないし」
まさかの恋人にも信用されていない!?
「確かに鈴の行動は読めないことが多い分、言い得て妙だとは思うが……せめて七割は欲しいところだね」
七割もあったら結構な可能性じゃないの。肯定と見せかけて、ようするに「低確率」と言っているようなものだよね?
「酷いよ……心配はわかるけど、そんな風に言われたら、不安な気持ちで登ることになるじゃない」
「スマン、珍しくオマエの言う通りだ。鈴、オマエならやれる!! 頑張って来い。ピスケ、伝達は任せたぞ?」
「ピッ!(御意!)」
「一言余計だよ」
「億が一、飢えた野生動物とかち合ったらピスケ、お前が囮になるのだよ。いいね?」
「ピッ! ギィギィ……(ひっ! 善処しますぅ)」
「ならなくていいからね!?」
「ピスケ、くれぐれも彼女を宜しく頼む。くれぐれもだ。護衛も担うのならば肩や指先に止まるのは特例で許可するが、節度を持って、紳士な態度で接しろ。あまりべったりとくっつくな、なるべく目も合わせないで欲しい」
「ヂュッ!?(無理じゃね!?)」
「条件が厳し過ぎる上に、ピスケは護衛じゃないからね」
はらりとピスケの羽根が抜け落ちた。みんなでプレッシャーを与え過ぎである。
げんなりとしている(ように見える)ピスケだったけれど、一応隊長にあたる陽兄に敬礼ポーズを取ると、私の肩へと移った。蓮生さんに凝視されて居心地悪そうに、また羽根が抜けたけど。
「鈴、毎日無事を祈って待っているからね。お前が戻るまで、願掛けのつもりで私は食事を絶つ。だから、鶏ガラになる前に戻って来るのだよ?」
「お願い、お菓子でもいいからちゃんと食べて!」
これは本当に冗談ではなさそうだ。私が入院中も、病室で摘まんでいた以外は食べてなかったって聞いたし。『心配掛ける時は食べない』って、怒られるよりも堪える……帰ったらお肉を詰めに詰めまくった、高カロリー弁当を持って行こう。
陽兄と朱羅兄は迎えの時は許可が出たものの、見送り時は管理人さんのいる小屋より先には進めない為、ここで別れた。
久遠家の山の管理人さんが、登山口手前にある小屋に常駐していて、二十四時間交代で待機しているとか。
山小屋から先、登山口までを私と蓮生さんの二人で歩いていた。
「それにしても、お義父さんが許可を出してくれたのは、正直意外だったな。てっきり一番反対されると思っていたから」
「ああ……そうですよ、ね」
(多分)
この試験の話をした時に父は『うちの鈴を試験するとはどういうことだ!』と乗り込む勢いで大層怒っていたけれど、それが狼族のしきたりなのであれば従うのが道理だと母から――キングラリアットを食らった後に――諭されて、頷いたのか、ただ堕ちたのか……
翌朝、『初めて走馬灯と言うものを見たが、そのどれもに母さんがいてな……あまりの美しさについ見入ってしまった。だが、やっぱり現実の母さんには適わないがな!』と朝からご機嫌だった。ツガイの威力って物理もだけど、走馬灯ですら良いものに変えるのかと、羨ましいを通り越して若干戦慄した。
陽兄もアキちゃんも『走馬灯にも出てくんのか。いいなぁ』とか『貴重な体験ですね』と笑っていたけれど、父が危うく三途の川を渡りかけたのかと思うと、そんな感想は持てない。
少し話しただけだと言うのに、そう遠くもないのですぐに登山口に到着。
蓮生さんは顔全体に「心配」を張り付けたかのような表情だ。
「鈴、俺にとって大切なのは鈴蘭でも、認めてもらうことでも、結婚でもない。”君が無事、戻って来ること”これ以上に優先することなどないんだ。だから、絶対に危険なところへは近付かない、なにかあれば迷わず救助信号でも、犬笛でもいいから合図を送ること。必ず守ると約束してくれ」
そう言って私を包み込むように抱き締め、私の肩口に顔を埋めた。
確かに相手がいなければ結婚云々以前の話ではあるけれど、それよりも私が無事戻ればもうそれでいいと言われ、ここまで想ってもらえているのかと、思わず目の奥がじんわりと熱くなってくる。
「蓮生さん、これ、預かっていてもらえませんか?」
結んだ髪に着けていた髪留めを外す。
「……これはお揃いの寄木細工の髪留めじゃないか」
「はい。お気に入りなので、私が戻るまで髪留めは預かっていて下さい」
「……わかった。髪留めを君だと思って、肌身離さず持っておくよ。じゃあ、代わりに君にはこれを……」
蓮生さんは腕に巻いていたループタイを外し、私に手渡した。
「ふふ、これで寂しさも紛れますね」
「俺は寂しいけれど、大変なのは君の方だから耐えてみせるよ」
最後に緩く抱擁を交わし、私から離れた。
全く不安がないと言えば嘘になるけれど、私は努めて明るく「いってきます!」とピスケに習って敬礼し、出発した。
***
「ピスケ、今からしばらく一人と一匹旅だけど宜しくね」
「ピピッ!(ヨロシクな、リン!)」
小鳥隊は今までも何かと見守り隊を勤めてくれていたけれど、特定の子を連れて行くのは始めてだ。
ピスケは小鳥隊の中でも伝書鳥として、その伝達の速さを買われたらしい。
陽兄は他の熟練の小鳥隊員にしたかったみたいだけど、あまりに何でも出来てしまうと不正になってしまう為、まだ新人のピスケが選ばれたとか。
初日の登山は順調だった。
安全を第一に、急斜面の多い近道ではなく、迂回しながらもなだらかな道を選んだので、あまり高さは登れていないけど、少し拓けていて水場も近いところがあったので、今日はそこに天幕を張ることにした。素人だからね。暗くなる前に準備はしなきゃ。
小川の水は気持ち良いけれど、ずっと触っていると手が冷えてくるほど冷たい。
「山頂付近には雪があるんだよねぇ。途中から防寒着に着替えなきゃ」
以前住んでいた火ノ都は、雪がほぼ降らない温暖な地域だ。稀に降っても積もったと呼べるほどは降らない。現在住む土ノ都で冬はまだ迎えていないけれど、こちらも積もっても数センチ程度と聞いていて、小さな雪だるまくらいなら作れるだろうかと密かに楽しみにしていた。
ちなみに獣人の国では種族によって寒冷地の得手不得手がある為、降雪地域でもある水ノ都は寒さや雪に強い獣人がメインで暮らしている。狼獣人もその一つだ。
ここは久遠家の管理する山と言うだけあって、当然、登山客とすれ違う、なんてことは全くない。それどころか、小動物の類すら一切出会わない。
さて、天幕も張り終わり食事の準備だ。
「ピスケ、今日の夕飯はゴマがいい? それともパン?」
「ピッ!(やった! パンがいいな)」
「だよね。やっぱりゴマだよね、目にも良いんだよゴマって。でも鳥目に有効かって言われると違うと思うけど。用意しておくね」
「ピピッ!(いや、だからパンがいいって……)」
「あ、明るい内に手紙を書かなきゃ。ピスケが戻って来れなくなっちゃうと困るもんね。……え~っと≪天幕もちゃんと張れました。無事です≫っと。はい、ピスケお願いね!」
小さなピスケに持たせるなら小さめの紙にしなければ負担が掛かると思い、預かっている用紙を更に四等分にして小さくしたものに書き込んだ。
「ピィッ!(すぐに届けてくるから、リンはここから動くなよ!)」
可愛く『行ってきます!』なんて(多分)言いながら、ピスケは凄い速さで飛んで行った。あの小さな身体のどこにそんなパワーが!?
頼りになる相棒を見送り、待っている時間は寝床の準備を進めておこう。
「明日は雪のある手前まで登りたいな。ふふ、疲れたけどのんびり登っているから案外平気かも」
『無事、家に帰るまでが遠足』
なんとなく、ふわっとそんな懐かしい言葉を思い出した。




