63:初耳ですね
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ドドンと向かい合ったまま、一瞬の静寂。
私も含め、なぜかお互いにびっくりとした表情で静止画状態である。
身嗜みは整え直して蓮生さんに見てもらったものの、例え私の髪に寝癖がついていようが「可愛い」としか言わなそうな人に聞いたのが間違いだったのかもしれない。
(もしかして、髪がまだボサボサだった? それとも、控え目のつもりだったけど服装が下品と思われたのかな?)
次の機会があるのなら、鏡と櫛は必ず鞄に入れて持ち歩こうと誓う。
やっぱり日を改めるべきだった。あまりに行動が早過ぎて着替える時間も手土産を買う時間もなくて、もはや自分達用に購入した工芸茶を手土産だったことにするくらいしか思いつかない。
挨拶を忘れオロオロとしていると、私の腰を更に引き寄せ、蓮生さんが口を開いた。
「なにも全員で待ち構えていなくても……彼女が委縮してしまうではないですか。鈴、ちょうど良いからこのまま紹介するよ。父の魁生、母の霞、兄の慧生、そして義姉の百合子さん、甥っ子の静生――」
他にも控えていた使用人の方や『じい』と呼ばれていた家令を務める方まで紹介され、目と脳が忙しい。
「――と、こんな感じかな。父上、母上、彼女が碧海 鈴さん。鈴、挨拶だけしてくれる?」
「は、はいっ! 始めまして、碧海 鈴と申します。本日は急な来訪となってしまいまして、大変失礼致しました。あの、また日を改めて出直させて頂きますので……」
きっと常識のないやつだと呆れられて言葉も出なかったに違いない。勢いに押されたとは言え、こうしてノコノコとついて来たわけだから蓮生さんを責められないけれど。
「鈴さん、出直す必要はない。ようこそ我が家へ。色々と驚いたが、可愛らしいお嬢さんだな、蓮生」
言わずもがな、蓮生さんのお父様は狼族の、犬獣人の現当主様である。
黙っている時は少し圧を感じたものの、こうして笑顔を向けてくれると、蓮生さんも年を取ったらこんな雰囲気になるのかな? そんな風に思うと緊張感が薄れて来た。
「初めまして鈴さん。そう畏まらなくても大丈夫よ、私達はあなたにお会いできるのを楽しみにしていたの」
「初めまして。話には聞いていたし、姿絵も見ていたからか、初めて会った気がしないな。君が弟を受け入れてくれて、心底ホッとしているよ」
(私の姿絵?)と一瞬思ったけれど、考えてみたら仮初の時に調べられていたはずだし、その時のものだろうと思い、一人納得した。
それにしても、蓮生さんは黒狼のお父様似だけれど、お兄様は銀狼のお母様譲りの銀髪で、目元が涼やかなせいか爽やかな印象。体格も背丈はあまり変わらないけれど、蓮生さんと比べるとやや細身だ。
蓮生さんが普段大型わんこっぽいせいで忘れ掛けていたけれど、ご家族で並ぶと「そうだ狼族だったんだ」と思い出された。目力が強い。
「……兄上、彼女の姿絵とは、いつ、どこで、誰に描かせたのですか? 当然特徴だけを伝えた彼女もどきのような姿絵であって、よもや隠れて盗み見て描かせたものではないですよね?」
そう冷ややかに告げた蓮生さんは、スッと目を細める。
ゆっくりと沈み始めた夕日が、急降下して闇落ちしまったかのような、禍々しい空気感に変わる。
「鈴さんがお前とツ、き合っているとわかっていて、そんな恐ろしいことを狼族がするはずがない。畏奴達から聞いた特徴から、母上が描いたものだ。ざっくりとした雰囲気だけで、当然実物とは齟齬があるに決まっているだろう?」
「あなたが中々会わせてくれないから、せめて絵だけでもと思って描いたのに。想像上で描いた絵を見たくらいで嫉妬するなんて、さすがにどうかと思うわ」
私もそう思います。それに、多分姿絵の方が綺麗に描かれていたんじゃないかな? 絵との違いがあり過ぎて思わず驚いてしまった、とか?
「兄上が誤解を招くようなことを言うからではないですか。そもそも、絵では彼女の可愛らしさや愛くるしさを表現し切れないと思いますけど」
「れ、蓮生さん! 恥ずかしいので、そういうのはやめて欲しいです」
「鈴、すまない。姿絵とは言え、君と称される贋作が家にあって、俺ではなく他の者がそれを独占して見たのかと思ったら、つい……君の言う通り、君の良さは俺だけが知っていれば良いのであって、わざわざ他者へ聞かせる事でもなかったな。あとで二人きりの時に君にだけ伝えることにするよ」
チュッと音を立て、私の頭に口付けを落とす。
「なっ!? な……なん……!!」
驚き過ぎて言葉がうまく出て来ない。『君の言う通り』ってどの辺が私が言ったことなのかもわからない。
私が恥ずかしさに顔を両手で覆っている間、ずっと大人しくしていた甥っ子の静生君が一瞬、驚愕の顔を見せ、隣に並ぶ母親の方へ一歩近付いていた。
『叔父上、いつもと違う……』
『シッ! 余計なことを言わない』
ボソッと呟いていたようだけど、「いつもと違う」?
首を傾げつつも、どこか変かなと蓮生さんを見上げれば、彼も私に視線を向け、嬉しそうに琥珀色の瞳を細めて微笑む。私もつい、それにつられてえへらと笑ってしまった。間違えた。
(今日、普段と違うところと言えば……もしかして服装!?)
今まではチャンパオを着ていることが多く、あとは仕事着の隊服が主に蓮生さんのイメージだった。それが今日は珍しく洋服を纏っているのだ! 背も高く、スタイルも良いのだから似合って当然ではあるけれど、こんなにも蓮生さんの魅力を引き出すとは思わなかった。
私の中で男性なのに女性よりも色気を醸すのは朱羅兄くらいだと思っていたけれど、それとはまた違った、男性ならではのちょっと危険な香りのしそうな色気を纏った蓮生さんは、三十秒以上は直視出来ない。
洋装と言っても貴族的なフォーマルではなくて、少しだけ余所行きのカジュアルなジャケットとベストにループタイ。スーツの色味は彼がよく着ているモノトーンなものではあるけれど、シャツだけは薄い空色だ。今日は日中暑く、その為ジャケットは脱いで腕に掛け、シャツの袖を七分丈辺りまでまくっていた。
普段は腰紐の装飾や腕に巻き付けていた、髪留めと揃いの寄木細工のループタイは、窮屈なのか、第二ボタンまで外されたシャツに緩く締めてある。極め付きは長い足をこれでもかと主張しているスラックスだろうか。
(見慣れていないから新鮮というのもあるけれど、きっと静生君も格好良い叔父に見惚れちゃったんだね。その気持ち、よくわかる)
私の瞳の色のシャツをさり気なく着てくれているのは、恥ずかしいけれど嬉しい。
ゴホン――蓮生さんのお父様が軽く咳ばらいをし声を掛ける。
「ところで、鈴さんの前では蓮生はいつもこうなのかな?」
「? いえ、いつもは私に合わせて下さっているので、口調も気さくな話し方をして下さいます。蓮生さんは優しい方なので、私はそれに甘えてしまって……すみません」
「無理矢理合わせているわけないだろう? それこそ、俺は素で話しているのだから、君ももう少し気負わず普段通り話してくれると嬉しい。今は『蓮生さん』と呼ばれるのも気に入っているから良いけれど、いずれは敬称なしで呼んで欲しいな」
蓮生さんは私の腰は抱いたまま、もう片方の手で顔の輪郭をなぞるように撫でる。声は焦がれているような声音で輪郭を撫でながら、私へ向ける瞳にはたっぷりと甘さを含んでいて――恥ずかしいのに目が離せない。ようやく冷ましたのに、また一気に顔に熱が集まる。
甥っ子の静生君がまた一歩分ほど母親へ近付いていた。まだまだ甘えたい盛りなのかもしれない。
『……母上、あの人叔父上に似ているけど、別な人だよ』
『静生、お前の叔父上で間違いありませんよ』
どんな内緒話をしているのかわからないけれど、二人共笑顔で会話をしている光景が微笑ましい。
「結婚の話をすれば、半年は顔を見せなくなっていたお前がこうも変わるとは……正直、こうして目の当たりにするまでは本当に実在するのか心配だったが、これがツガ、ゴフッ!!」
お父様が蓮生さんへ向けて話をしていると、隣から「グルゥ……」と唸る声が。あれ? と思い、彼を見上げても笑顔のままで……気のせいかなと思ったら、お父様が咽ていた。
お兄様が「失礼、父は今朝から喉の調子が悪くてね」と言い、背中を向けて咳込んでいるお父様の背中を擦る。
「大丈夫ですか!? 体調が優れないようですし、やはり日を改め……」
言い切る前に、お母様が慌てて言葉を被せる。
「気にしなくても大丈夫よ! 病気ではないの。恥ずかしいのだけど、昨夜は随分お酒を摂り過ぎて気分が上がり過ぎたのか、大声で歌い出してそれで……ねぇ? あなた」
「アイタタタ……そ、そうだったな。昨夜は月が綺麗だったから気分が高揚してしまってね。ハハ、ハハハ……」
昨日は中央の土ノ都では雨が降っていたけれど、どうやら水ノ都の方は晴れていたらしい。
お母様がお父様の腰を支え、お兄様が水を手渡すと、小さい子供がコクコクと頷くように水を飲んでいた。支えているお二人がなにか小声で話しているけれど、私の聴力では聞き取れない。
『父上、私も危ないところでしたが、今は余計なことは言わないで下さい。アレは言わない約束ですよ!』
『危うく帰ってしまうところだったじゃない! 式に呼んで貰えなくなるわよ、いいの?』
『あ、ああ、私が悪かった。嬉しくてつい、な』
咳が治まると、「待たせてすまなかったね」と言って、お屋敷内へ通される。
皆さんが足が長いのでやや間ができてしまった。普段、いかに私の歩幅に彼が合わせてくれているのかがよくわかった。
ちょうど小声で話せば届かなそうな距離が開いたところでそっと蓮生さんの袖を引く。
皆さん耳の良い獣人なので、背の高い蓮生さんにはだいぶ耳を傾けてもらい、声もかなり潜めた。
『皆さん驚かれていましたけど、やっぱり私が原因でしょうか?』
『それはあり得ないよ。多分、俺が普段と様子が違ったからじゃないかな?』
『私がいるから普段通りには話しにくかったってことですね。気にせずいつも通りに話してくれて構わないですよ。普段の様子とか見てみたいですし』
『そもそも俺自身、君にこうして家族を紹介出来るまでになったのだなと感慨深くて。家族の反応とか気にもしていなかった。いつも通りの俺か……でもきっと退屈すると思うな』
『そんなに違うんですか? じゃあ、私といる時は無理をしているんじゃ……』
『君の目にはそう映っているのか? そうだとしたらとても悲しい。俺はいつも幸せ一杯だし、君といる時の俺が一番自然体の俺なんだと思う。ハァ……このままこっそりと帰って、二人でゆっくり過ごしたいな』
蓮生さんは「そうすれば、どれほど幸せを感じているか証明できるのに」と、少し拗ねて見せた。
『ふふ、それでは婚約が遠退きますよ?』
『ムッ、それは嫌だ。もう少し我慢するよ』
エスコートしてくれている蓮生さんの腕にキュっと力を込めれば、クスっと笑い、尻尾で私の腰を支えるように巻き付けてくれた。
そしてご家族にばかり目がいっていたけど、後方の少し離れたところには、あえて存在感を消した使用人さん達もいて――屋敷イチ聴力に優れた者を筆頭に、驚愕の眼差しや羨望の眼差し、親目線と様々な視線と、無言のハンドサインが飛び交っていた。
当然、この会話も聞いていて、報告にあげられていることなど私は気付かない。気付けるわけがない。
***
付け焼刃ではあったけれど、食事会もなんとか乗り越えた。
マナーで一杯一杯で、せっかくのご馳走なのにいつも以上に食べれなかった。甥っ子の静生君以下の量しか食べていないと少々ざわつかれたけど「胸が一杯で……」で誤魔化した。
そして食事中は雑談などもあり、静まり返った食事会じゃなくて良かったと安堵の気持ちで一杯の中、出されたお茶――本日購入した工芸茶――を飲んでいる。花開く様子に静生君は興奮しきりで、ここでも一役買ってくれた工芸茶グッジョブである。
お茶もほぼ飲み終わり、そろそろお暇しようかという雰囲気が蓮生さんから伝わってきた頃――
優雅に紅茶を嗜んでいたお母様が「そう言えば、蓮生から聞いているかしら」と、至って普通の雑談の延長のように話し始めた。
「久遠家では婚約前に、皆例外なく受けて頂く”試験”があるの」
ズバリ、初耳です。
「母上! それは次男の俺には関係のない話ではないのですか!?」
ガタン! と椅子をひっくり返しそうな勢いで蓮生さんが立ち上がる。
ただ、それに驚いたのは私だけで、それ以外の使用人の方を含め全員が、まるでこの蓮生さんの反応を予想していたかのように冷静に見つめていた。
「蓮生、座りなさい。鈴さんが驚いているじゃないか。お前は勘違いしているようだが、長男のみではない。久遠家に嫁ぐ者全員だ。鈴さんだけ特例で行うわけではない」
「そんな……っ!」
蓮生さんは手を硬く握り、ぎりっと奥歯を噛み締めながら座り直す。
私に関することでご家族と揉めるようなことはあって欲しくないけれど、どうにも話がよくわからないので、まずは試験の内容を聞きたい。
彼には少し落ち着いて欲しくて、固く握られた手に、そっと手を重ねた。
「蓮生さんが動揺するくらい、試験の難易度が高いんですか?」
「鈴、君は受ける必要ないから気にしなくてもいい。挨拶も済んだし、もう帰ろう」
「帰りたいのであれば構わないわ。ただし、二人の交際はおろか、婚姻は認めなくてよ? 蓮生、あなたそれでも良くって?」
「婚姻以前に交際もだって!? ふざけないで下さい! 昔は見合いはどうだの、良い人はいないのかとしつこいくらいに言ってきたのに、いざ彼女と出会い、ようやく心を貰えたと思えば試験を受けろと……? 応援して下さったのではないのですか?」
「蓮生さん、落ち着いて! もう少し詳しいお話を聞きましょう?」
「いいんだ。親の許可などなくとも結婚は出来るのだから」
「蓮生さん、それは駄目です! あ、あの試験とはどういったものなのか教えて頂けませんか? 私、頑張りますから!」
まさか婚約云々の前に交際の段階から試験があるとは思わなかった。厳密には交際自体が不可というわけではないけれど、狼族はほとんどが交際と婚姻が結びつくかららしい。この辺りは種族独特のしきたりのようなものだろうか。
蓮生さんが興奮状態にある分、そちらへ気が逸れているけれど、私だって驚いている。筆記試験なら努力のしようがあるけれど、実技の戦闘系ならかなり不利だからだ。
それでも、蓮生さんだって留学で離れるのを耐えてくれると約束してくれたのだ。私も蓮生さんの為に、少しでも早く婚約へと運べるよう努力したい。
「その心意気は合格よ。試験内容は、久遠家が代々管理している恐鳴山の頂上付近にのみ咲く、我が家の家門にもなっている”枯れない鈴蘭”を、あなた一人で採取して来ると言うものです。期限は本来三日間ですが、鈴さんは人族ですから一週間の猶予を差し上げます」
「あの険しくて暗い山で、もしも彼女が怪我でもしたらどうするのですか? 俺は反対です!」
駄目だ……宥めても蓮生さんが落ち着く気配がない。こうなったら、話を進めてしまった方がいいかもしれない。
「あの……私やります! 恐鳴山のことはわかりませんが、枯れない鈴蘭のことは図鑑かなにかで見たことがあります。蓮生さん、私は駆け落ちじゃなくて、ちゃんと皆様に認めてもらって婚約したいです。私きっとやり遂げて見せます、お願い!」
ひし、と彼の手を握り、頭を下げた。
「鈴……頭を上げて。俺はただ、君を一人あの山へ送るなんて、心配で……年中雲がかかっていて、薄暗いし、魔虫の心配だけはない反面、それらが寄り付かないくらい不気味な場所らしいから」
「らしい」と言うのは、男子禁制だからだそう。
登山口から先は嫁ぐ予定の女性のみ。その為、登山道などの整備も数年に一度、嫁姑で数日掛けて行うほど徹底している。
魔虫が出ないのは山の位置関係もあるけれど、山には主と呼ばれる守り神のようなものが居て、その主の縄張り内である恐鳴山には昔から魔虫が一匹も寄り付かないそうだ。
「蓮生、諦めるんだ。掟は掟だし、百合子も怪我せず戻って来た。お前も少しは鈴さんを信じてあげるべきじゃないのか? 捏ねているのはお前だけだ」
「蓮生さん……」
「くっ……わか、った」
こうして、交際及び婚前試験が行われることに決まったのだった。




