62:普通って?
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「ん、あれ? ここは……?」
「蓮生さん! 良かった、急に黙ったまま動かなくなっちゃったから。木陰までなんとか引き摺って来たんですよ」
前世のカーネル○ンダースの如く目を開けたまま動かなくなり、思わず呼吸を確認してしまったほどだ。
いくら身体強化を使っても、重さはともかく、大きさはどうにもならない。踵をかなり引き摺ってしまったけれど、道の往来でずっとフリーズ状態の蓮生さんを放置はしておけなかったので許して欲しい。
「そうだ、確か留学がどうのって……考えてみたら、もう君は卒業しているんだ。友人の話だったのだろう?」
いっそ一旦忘れて欲しかったのだけど、しっかり覚えていた。
「私、です」
「そうか、『ワタシさん』か。初めて聞く名前だね。大丈夫、心配しなくても送別会に行くななんて俺は言わないから。一応確認だけど、ワタシさんは女性? まさかワタ氏って男性じゃないよね?」
渡司、和多氏……絶対にいないとも言い切れない絶妙な苗字だけど、そんなことあるかーい。
「どちらも違います。私です、鈴です」
「ハハ、君が? …………なぜ今、留学なんだ?」
乾いた笑いの後に急に表情が抜け落ちたようになるの、めちゃくちゃ怖い。
私は尋問を受けている容疑者の如く、これまでの経緯を話した。
「――君の話はわかった」
「本当ですか、良かっ「でも!」」
蓮生さんは目に涙の膜をたっぷりと張りながら、キッと怒ったような目つきでこちらを見た。
「絶対に嫌だ。許容できない」
「……そうですよね」
「鈴、俺達はようやく、ようやく! 付き合い始めたばかりなんだ。それなのに、なんでこんな……」
「ごめんなさい! 今日言うつもりはなかったのに」
どうして私はこうも間が悪く口を滑らせてしまうのだろうか。楽しい時間が一気に消し飛んでしまったかのように、さっきまでゆらゆらと機嫌良く揺れていた尻尾はピンと警戒しているように立っていて、怒りと悲しみが表れていた。
「一体いつ言うつもりだったって言うんだ。こんな話、行く直前に聞かされたら、とてもじゃないけどまともに話しなんて聞いてあげられない。むしろ、口を滑らせてくれて良かったくらいだ。期間は? なんの留学かは知らないけれど、一ヶ月……いや、二週間とか、そういった短い期間なんだろう? 二週間ならこれから休みなく働けば……うん、なんとか、どんな手段を使ってももぎ取ってみせるから。それなら俺も一緒に同行出来るし、一緒の宿に泊ればより安心だ」
二週間では留学と言うよりも、ホームステイや長期滞在の旅行のようなものじゃないだろうか。
「えっと……期間はもう少し長いかなぁ~。その……い、一年とか?」
「一年だって!? あり得ない! 君が一年も国内にすらいないだなんて、そんなの俺が耐えられると思う? 毎日不安で、衰弱してしまうよ」
付き合いたての一番甘酸っぱくも、くすぐったい時期――と友人から聞いている――に離れ離れになるのだ。そう思うのは当然なわけで……本当なら留学から戻ってから返事をするべきだったのかもしれないけれど、一年間も答えが出ているのに朱羅へ曖昧な態度を取ることは出来ないし、朱羅へ返事をしたのなら蓮生さんへもしないと変だ。
なにより、返事を保留のままで、蓮生さんが変わらず私を好きでいてくれるのか不安でもあった。
「私だって寂しくないわけじゃありません。でも、自分なりにたくさん考えたんです。守られるばかりじゃ駄目だって。だって、例えば結婚して子供が出来たとして、このままじゃ私と子供を蓮生さんが一人で守ることになるんですよ?」
「もちろん、家族を守るのは俺の役割だ。君に戦って欲しいなんて言うはずがないだろう?」
「それはわかってます。実践で真向勝負をかけようなんて私だって思いませんけど、少なくとも無傷で逃げ切って、蓮生さんに助けを求められるくらいの術を手に入れたいんです。誘拐された時にそれを実感しました。蓮生さんが私を守りたいように、私だって自分自身と大切な人達を守りたい。足枷になんてなりたくないんです」
「気持ちは嬉しいけど、それなら俺と一緒に休みの日に鍛えるとか……ほら、晶さんから護身術を習うでもいいじゃないか」
「ここでは駄目なんです」
「どうしてっ!」
ここでどれほど頑張って学んでも、力では敵わないってわかっている。だったら自分にしかないもので対抗するしかない。
「私が唯一使えるものは魔法です。そして、それを生かして戦える術を学ぶには留学しなければ出来ません。これは、蓮生さんとお付き合いが始まる前から決めていたことなんです」
「前からだって? まさかとは思うけど、留学する日はもう決まっていたりは……しないよね?」
「決まってます」
「……それは、いつ?」
「春、です」
信じられないものを見たかのように目を見開き、興奮状態にあるのか小刻みに震えていた。
「は、春だって!? もう半年もないじゃないか! 試験は? 当然、試験はあるのだろう? これから勉強して、その次の春に受験すると言う意味だよね?」
「実技試験はガードナー先生がこちらへ来た時に見てくれて合格を頂いてます。その推薦状とあとは筆記試験ですが、筆記は主に日常会話程度の言語理解があるかと言ったところで、基本的には推薦状があればまず合格できるらしいです」
「向こうへ一切渡らずして試験を済ませるなんて……そんなことがどうして可能なんだ?」
「私もそう思ったのですが、私の場合、以前一年間留学していた時にオランドラ語で日常会話が出来ていた実績と、そもそも試験管も務めているらしいガードナー先生と実際にオランドラ語で会話をするように言われて、外国語での会話に問題なしと判断を頂いていたので、筆記とは言っても形ばかりのような感じでした」
もはやコネ入団と言われそうな気もしなくはないけれど、ガードナー先生が私なら出来ると言ってくれたのだから、それを信じるしかない。
それに留学と言ってはいるけれど、厳密に言えば短期入団? のようなもので、学校のように懇切丁寧に教えて貰うと言うよりも、訓練について来れないようなら容赦なく追い出されるらしいので、入団は楽でも、入ってからの方が苦労しそうだ。
一定の能力があれば来る者拒まずだけど、ついて来れず心折れ去る者は追わずというスタンスらしい。
「もう少し先には……伸ばせないのか?」
「伸ばせばお互いにもっと辛くなります」
「今だって十分辛い」
「本当にごめんなさい。留学後に返事をするべきだったとは思うんですけど、その間に蓮生さんの私への興味が薄れてしまうんじゃないかとか、もっと素敵な方と出会うかもしれないとか不安で。私、好きだって自覚をするとどんどん気持ちが溢れて来ちゃうタイプみたいで、きっと今日より明日、半年後より一年後はもっと蓮生さんを好きになっていると思います」
「~~っ! こんな時にその台詞はずるいじゃないか」
乙女のように両手で口元を覆い、「そんなことでは誤魔化されないから」とは言いつつも、隠し切れない気持ちはしっかり尻尾に表れていた。
「ずるくなんかないです。私が言いたいのは、そうなってから離れるのは決心が揺らいでしまうってことです。それに蓮生さんは十分適齢期ですし、結婚はなるべく早くしたいと考えているでしょう?」
「年齢関係なく、それは思ってる」
「ですから尚更こういったことは早く済ませてしまった方がいいと思うんです。だって、ナインテイルでは結婚したら必ず蜜月に入りますし、場合によってはすぐに家族が増えるかもしれません。そうなってからではもう留学なんて無理じゃないですか。この頼りない状態では、私は怖くて子供を育てる自信が持てません」
「正直、君がもうそんなに先まで考えているとは思ってもみなかった……」
「薄々気付いているかと思いますが、私はどうしてもアレコレ先のことを考えてしまいがちなんです。まだ仮初の頃に、買い物先の店主の奥さんに『強い旦那さんなら守って貰えるから安心ね』って言われたことがきっかけで考える様になって、その後、ガードナー先生に『君は安全な檻の中に籠るのを選ぶのかね?』と問われて決心しました」
先生からはこの国で私が子を産み、育てるのは難しいのではないかと言われていた。誰にも話していないけれど、もしも人族の国で人族同士との婚姻を望むのならアテがなくもないとまで――もちろんそれは気持ちのみありがたく受け取ったけれど。
ここではともかく、オランドラでなら私の強さは騎士団に入れるくらいにはあると言う。パワーはともかく、兄達に鍛えられたお陰で動体視力が優れているお陰だと思う。
「そこで『守って貰えるから安心』と思って貰えないことが情けなくも寂しいけど、それが君なんだな」
「私、出来るだけ蓮生さんと対等でいたいんです」
蓮生さんは口を開き掛け、閉じる。
黒い睫毛が琥珀色の瞳を隠し、ぐっと眉根を寄せる。口は引き結んでいるものの、僅かに唸り声が漏れ出ていた。多分、葛藤しているのだろうと思い、そのまま黙って言葉を待つ。
「……君の想いはわかった。離れることが嫌なことに変わりはないけれど、これから出来るだけ理解は深めたいとは思う。でも今はこれ以上言葉を尽くしても覆せないのなら、旅立ちの日までの残された時間を無駄にはしたくない」
「蓮生さん……」
「だけど条件がある。恋人になったのだし、俺からも要望を言わせてもらっても良い?」
「それはもちろんです」
「これだけはお願いしたい……行く前に婚約はして欲しい、できればすぐにでも。二人で過ごす時間をたくさん作りたいから同棲して欲しいんだ。正直、恋人と言う肩書だけで印もない君を、君と同じ人族の国へ送り出すなんて俺には出来ない」
陽兄や朱羅は生まれた時から一緒に過ごしているけれど、蓮生さんとは出会って半年を過ぎたくらいだ。ずっと私を探してくれていて、ようやく見つけ、交際が始まったのにまた離れると言われているわけだから、拷問のようなものだろう。
それに、交際をしている獣人が印をつけない状態でいることは基本的にあり得ない。ないのは恋人未満や遊びの関係、又は浮気相手くらいだ。
蓮生さんが危惧しているのは、例え今印をつけたとしても、離れてしまえば数日も掛からず消えてしまうこと。人族には印があってもなくても全くわからないのだけど、相手がわからなくても獣人族にはわかるので、自分の恋人や伴侶に印がついていない状態は耐え難いのだ。
そんな拷問のような仕打ちに、嫌でも、悲しくても、歩み寄ってくれるのなら、私もそれに対しての誠意は見せるべきだと思う。ちゃんと蓮生さんとの未来を考えてのことだと言う証明を。
付き合いたてなのに同棲だなんて私には早いとは思うけれど、なんとなく彼となら大丈夫だと思えた。
だけど――
「より、離れ難くなりませんか?」
約半年一緒に暮らした後にまたお互い一人暮らしになるなんて、考えただけでもすでに寂しい。私から留学は言い出したことだけに、私が寂しいだなんて弱音は言うべきではないのだろうけど。
「なるに決まってる。それでもなにもない状態よりは全然良い。俺だって自分が無茶を言っている自覚はある。本来はこんな風に対価として婚約や同棲を迫りたくなんてなかったけれど、それがなければきっと俺の精神は正常ではいられない」
不謹慎だけれど、嬉しいと思ってしまった。
自分も含め、私の周りは「平気だ」とつい言ってしまいがちだ。寂しいとか、心配だということは多々言われるけれど、自分がこうだから嫌だというのはあまり言われることはない。思っていないわけじゃないのだろうけど。
蓮生さんは、少なくとも私に対する想いだけはとてもストレートに伝えてくれるのでわかりやすいし、その気持ちに嘘はないと信じられるからこそ、私も素直に受け取れるようになってきた。その想いを知る度に好きだなと思う気持ちが増すから、明日は今日よりも好きになるだろうと思えるのだ。
「わかりました」
「……本当? 本当にいいのか?」
「はい。少し早いかなとはもちろん思いますけど、私は先々を意識したからこそ留学しようと決めたわけで。その覚悟はある程度持って、告白を受け入れたつもりです」
「そうだったのか!?」
「ふふ、そうだったのかって……蓮生さんはそのつもりはなかったんですか? 私は遊びではお付き合いしませんと言ったはずですよ?」
「ち、違う! もちろんそのつもりだよ! でも、返事をもらった時点では君がそこまで考えてくれているとは思ってなくて」
「私も、もう少し蓮生さんのように真っ直ぐ伝えられるようにしたいとは思っているんですが……そこは少しずつ改善していくので、今はそう思っているという気持ちだけわかって頂ければと」
蓮生さんが自信を持てないのは、私がそういった意思表示をあまり示せていないせいだ。私に尻尾でもあればわかりやすかっただろうし、魔法薬を飲んでいなければ多少は香りでわかるのかもしれないけれど。考えてみたら言葉や態度に出さなければ、不安に思うのは当然とも言えた。
(余計なことは口を滑らす割に、肝心なことは伝えてないって……駄目だなぁ)
「でも、婚約についてはお互いの家は無視出来ませんし、そもそもまだ蓮生さんのご両親へのご挨拶もさせて頂いてませんので、まずはそこからですね」
「それはもちろん。じゃあ、時間が惜しいから今から行こうか」
「そうですね。いつ頃が良いかご都合を……今から!!!?」
蓮生さんは善は急げとばかりに犬達を呼び寄せて先触れを送り、私は思考がまとまらないままに、あれよあれよと伺う方向で話がまとまってしまった。
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「ううう……私お作法とかそういうの全然で、火神家での集まりでも身内以外がいる時は大人しく座っているか、お酒を注いでまわるくらいで、芸事の一つも出来ないんですけど」
「鈴、君はそのままで大丈夫だから。我が家もそこまで堅苦しくはないよ」
「それでも心配で心配で……蓮生さん、手を握っててもらってもいいですか?」
蓮生さんはそれは嬉しそうにしながらうっとりと目を細め「もちろん、一生離す気はないよ」と手を握る。
そういう意味じゃないけど、今は緊張の為、突っ込む気にもなれない。
蓮生さんのご実家は水ノ都にあり、ここまでは獣化したもふもふの蓮生さんに乗ってやって来た。普段ならヒャッフーと喜んでいるところだけど、今回だけは緊張が勝って(早いよ! もう着いちゃうよ~)と涙目になった。
「あれだよ」と指差された方向には、どう見ても周りの建物とは広さからして違うものが。塀の端から端がどこなのか見えない、まるで要塞のような高い塀が続いていた。
これは水ノ都が北に位置し、更に北上すると魔虫が住まう剣山がある為、水ノ都まで降りてくる魔虫が少なからずいるからだとか。久遠家を守ると言うよりも、これより先には通さない為の堅牢な要塞となっているらしい。
大きな門をくぐり、更に進む。広く手入れの行き届いた庭園を眺めつつ、ようやく玄関前についた。
「鈴、緊張しなくても大丈夫だよ。建物が大きいのは大型種が住む建物だからだし、それに作りは古いんだ。立派なのは庭師が手入れしてくれる庭だけで、あとはごく普通の家だから」
「は、はい、わかりました!」
蓮生さんが声を掛けると同時に自動的に開いた玄関――は使用人の方が開けたのだけど。
「「「蓮生様、おかえりなさいませ」」」
目の前には両サイドに美しい姿勢で並ぶ使用人の方達、そして、全員特注で仕立てたであろうサイズぴったりな素敵な洋装を纏った、蓮生さんのご両親とお兄様家族が揃って待っていた。
『普通』って?




