61:天国から地獄 / side 久遠 蓮生
◇◇◇◇◇
「蓮生さん、少し遅くなってごめんなさい。この服、走りにくくて」
「鈴、危ないから走らなくていいよ」
小走りで駆け寄る姿もたまらなく愛おしいなどと思っていたが、いつ転ぶかもわからない状況だ。慌てて彼女の方へと駆け寄り、危なくないよう即座に手を取ったものの、鈴はその繋いだ手をじっと見つめていた。
「ごめん、強過ぎた?」
「あ、いえ。助けてもらった時も、入院中も、この手に支えてもらっていたんだなぁって。蓮生さんの手は大きくて温かくて、こうしていると安心します」
えへへとはにかみながら、俺の手をにぎにぎとしている彼女……駄目だ、今日死ぬかもしれない。感動のあまり、目から涙が。
そんな可愛い彼女の雰囲気が、今日はいつもとは違って見える。
彼女が着て来たチーパオは、膝下で裾が窄まっていて普段よりも少し大人っぽい装いだ。切り込みは大胆なものが多いが、彼女のものはちらりと膝を覗かせる程度に落ち着いてた。彼女の好みなのか、俺への配慮なのかはわからないが、大胆なものでなくて良かったと胸を撫で下ろす。
だが、それ以上に感動したことは――
「鈴、その服もしかして……俺を意識してくれたりする?」
「ひゃっ! あ、あああの、なにを着て行こうかとタンスを開けたら、多分母かアキちゃんだと思うんですけど、いつの間にかこのチーパオが下がってまして。子供っぽい私が着ても変じゃなかなって思ったんですよ? それに付き合った途端に思い切り意識してるじゃんとか笑われないかなとか、玄関出るまで散々悩んだんですけど、父以外は大丈夫って言うので、それで……うぅ、恥ずかしい」
そう、彼女のチーパオは黄色が主体。さらに装飾や縁などに黒が取り入れられていて、まさに俺の瞳と髪色を意識したと思われるものだった。可愛らしい彼女の為にあるような桜色の髪は、ふんわりと緩く編まれていて、そこにも以前お揃いで購入してくれた俺色の寄木細工の髪留めが見られた。
少し大人びた中に含まれる甘さが――もう可愛い、最高以外、どう表現したら良いものなのだろうか。語彙力の勉強もしておくんだった。
「鈴、俺は凄く嬉しいよ。それに良く似合ってる……見惚れてしまうほど綺麗だ」
「み、見惚れ!? わ、私はただ、蓮生さんの方が年上だから、少しでも釣り合うように大人っぽく見えたらいいなって」
「君にそんな風に意識してもらえていたなんて、少しは自惚れてもいいのかな?」
「ふぁ!?」
繋いだ手に唇を落とすと、驚いたのか不思議な声を発し、みるみる内に顔が朱色に染まる。
彼女は一度は顔を背けたが、ゆっくりとこちらへ視線を戻すと、こくんと頷いた。
恥じらいからの肯定。あまりの可愛さに呼吸が止まりそうになる――やっぱり、今日死ぬかもしれない。
鈴に身内でも恋人でもないと線引きされていた時は素っ気なく感じる時もあったが、その線の内側に一歩入っただけこんなにも変わるものなのか。
一方的に好意を寄せていた時に見えていた景色と、恋人になってから見える景色が全く違う。世界はこんなにも光り輝いていたのか。
そもそも、単純に恥ずかしさだけではなく、俺を意識し、そして俺の言葉を素直に受け入れてくれる彼女の破壊力が凄まじい。
「そうだ! 蓮生さん、昨日はうちの父がすみませんでした。なんか勘違いに尾ひれ葉ひれがついたみたいなんです。嫁だのなんだのって、急にビックリですよね」
「いや、全く気にしてないよ。簡単に許しを得られるだなんて思っていないから。お義母さんが反対しないと言って下さっただけでも有難いし、お義父さんへもうまく取りなしてくれるって」
「ちょ、ちょっと待って下さい! え? あれ? もしかして私以外の家族は知ってる話なんですか?」
「実は、入院中に話したんだ」
「入院中? あ、寝ていた時にお見舞いに来たって言ってた……でもその話は初耳です」
「すまない、隠すつもりはなかったんだ。ご両親へは君への想いと、君が俺を選んでくれたらすぐに求婚させて欲しいって話だったんだけど」
「きゅ、求婚!?」
「そう思っていたって話だよ。今言われても、きっと君は頭を悩ませてしまうだろう?」
「うぅ……はい。さすがに交際ゼロ日婚は……」
強引に進めず、思い直して本当に良かった。
「まずは結婚の前に”婚約”だって気付いたから、今度俺の両親へ、」
「待って、待って、待って! あのですね、嫌とかそういうんじゃないんです。でも、なにもかもが私が思うよりも早過ぎて、気持ちが追い付かないと言うか……蓮生さんだって、そんなに重要なことをさらっと決めちゃってもいいんですか? まだ付き合って始めての逢瀬ですよ、私達」
彼女には言えないままだが、ツガイなのに他を選ぶなんてあり得ない。ツガイに信用してもらえないのは胸が押し潰されそうなほど辛い。
「鈴、狼族は君が思うよりもずっと一途な種族だと思ってくれていい。”この人”と決めたら、ちょっとやそっとの理由で離れるなんてことはないんだよ。俺はもちろん、今世の鈴を好きになったわけだけど、前世の俺も君が好きだったと言っただろう? そんな俺がこの先、君以外を見初めるかもなんて思う?」
「それは、思いたくはないですけど……。それだけじゃなくて、お付き合いするのは蓮生さんが初めてなんです。だから、私もついに友人から聞いていたような恋人体験が出来るのかなって、楽しみにしていたので」
「鈴、心配はいらない。それは俺だって望むことなんだから」
聞けば、今まで散々自慢話や惚気話をひたすら聞き役に徹して来た為、付き合うと決めた辺りから心の奥底にしまってあった憧れが溢れて来たらしい。
むしろ、どんどん溢れさせてくれて構わない。
「俺が婚約を急ぐにも理由があって、君と婚約すれば、婚約者の為の特別休暇、業者とは別の面会許可証、なにより同棲許可が下りるんだ」
「う、う~ん……なるほど? 福利厚生的なものがより強化されるということでしょうか。でも同棲はともかく、兄達も式を挙げると言っていたので、私もそろそろ出なければいけないんですよね。部屋探しくらいは必要ですね。中央の家賃相場とかよくわからないので」
俺としては家を購入するつもりでいたが、二人きりの内は敢えて小さな賃貸で、その後家族が増えて行くに合わせて購入という形を取りたいということだろうか? 確かにそれはそれで良いかもしれない。
「それなら、今日は君の好きなお茶選びのあとに、賃貸を軽く見てみようか? 物件はすぐに見つかるわけじゃないから、まずは雰囲気だけでも。どうかな?」
「そうですね。見てみたいです!」
◇◇◇
母が贔屓にしていると言う、国内外様々な地域の茶葉を取り扱っている店に着いた。
手頃な定番から、店主が自ら仕入れた限定高級茶葉まで多種多様に取り扱っている。外観の大きさの割に店内は狭いが、ざっと表に見えるものだけでも五十種類はくだらない。他にも壁一面が全て引き出し付の棚になっていて、そこにも変わった茶葉が保管されているらしい。
季節や流行、仕入れにより表に出す商品は入れ替わる。その為、店舗より広めに作られている裏の倉庫に在庫を保管しているそうだ。
店内を二人でまわり、香りが良さそうだったり、効能、名前が面白いなど、まずはざっくりと数種類選出する。
一周した辺りで、その選出したものの説明を受けながら更に絞ることに。
(鈴は香り以外に、変わった銘柄、色が普通と違ったり、酸味があるとか、変わり種なんかも案外挑戦するんだな)
ツガイのことなら一から十まで知っていたい。それだけに、こうして一つずつ好みを知って行く過程は至福以外のなにものでもない。
「う~! このお茶酸っぱい!」
「うっ、本当だ。飲めなくはないが、慣れていないと飲み辛いな」
酸味のある茶を試飲してみるも、想像以上に酸っぱい。
「こんなにたくさん種類があると、悩みますね」
「少し選択肢が多過ぎたかな?」
「久遠様、碧海様、宜しければ目でも楽しめるものはいかがでしょうか?」
決めかねていると店主がスッと現れ、店内の一角にある試飲場所へと案内される。
薦められたのは、甘い香りがするものではなく、湯を注ぐとゆっくりと花開く工芸茶というもの。
店主の好意で一つ注いでもらうと、蕾から花開いていく様を彼女は食い入るように見ていた。
「わぁ、凄く綺麗! 蓮生さんも間近で見た方が良いですよ!」
彼女が「早く早く!」と手招きをし、どうやら無意識のようだけど、ぴったりと隣り合い、蕾がはらりはらりと解けていく様子を二人で眺める。
「本当だ凄いな。こういう茶は初めて見た」
「私も! ふわりと解けていく様子も可愛いですね」
「そうだな」
はしゃぐ君が本当に可愛い。
「見てるだけでも癒されますね」と言って眺める君を見ている俺も癒される。
静かに見守る店主へ視線を送ると静かに頷く。店主は傍に居た女性店員へ耳打ちすると、女性は奥の部屋から工芸茶の入った小箱を持って来て、鈴に六種それぞれ別の花が見られる工芸茶を薦めていた。
「益々お茶の時間が楽しみになりますね」
「そうだな」
わかりやすいくらい”欲しい”と顔に出ていた為、今回のお茶はこれを買い上げることに決まった。
◇◇◇
「家と言えば、蓮生さんは寮に住んで、身の回りのことは全て自分でされているんですよね? 凄いですね」
「そんなに大したことはできないよ、必要最低限ってところかな。遠征の時は皆自分のことは自分で出来ないといけないからね」
「私は一応、身の回りのことは自分でしているので、そこは心配していないんですけど……家族から許可が下りるかどうか」
「そこはほら、俺の出番じゃないかな? それに……こうして外出もいいけど、君と二人きりで落ち着ける場所があってもいいかなって。天気が悪い時とか、出たくないなって時もあるだろう?」
「二人きりで落ち着ける場所?」
鈴がなにやら思案顔で唇に人差し指を当て、首を傾げた。
なにか誤解されてる!?
「あっ、違う! 変な意味でじゃない。そうじゃなくて、周りの目を気にせず……なんて言うか、君は奥ゆかしいから、なんとなく人目のつかない、二人だけの空間っていうのがあった方が良いのかと」
「あはっ、心配しなくても大丈夫ですよ。いつ誰に見られるかとか、落ち着けないところでは、したくても出来ないって話ですよね?」
「うん? したくても出来ない……?」
「えっと……実は、私も我慢していたんですけど、恋人ならいいのかなって思って。あ、でも蓮生さん的には婚約するまでは駄目ですか?」
指をもじもじとさせながら愛しの彼女に『駄目ですか』と聞かれて『駄目だよ』と返せるほど俺は出来た獣人ではない。何度だって言うが、彼女は俺のツガイだ。希望することは叶えるべきである。
脳内では未だかつてない早さで計画が練られていく。
(もう今日契約を済ませてしまおう。そして最短で入居しよう、そうしよう)
同棲は婚約してからにはなるが、それまでは二人で自由に使える空間とすれば良いだけだ。そこであれば堅苦しい作法も必要ないし、彼女も他人の目が気になることもない。俺としても可愛いツガイを他の男に見せずに済む。良いことづくめである。
「駄目なわけない。俺達はもう恋人同士なんだから」
「そうですよね! そうなると、蓮生さんが寝転んでも狭くないところが良いですよね。それから、大きくてふかふかな絨毯も敷きたいし」
「お金は全然使ってこなかったから貯まる一方だったんだ。君の気に入る内装にしよう」
「いえ、そこは私が希望を叶えてもらうわけですから、自分で買います」
「君にだけ負担させるのは、ちょっと俺としては情けなく感じるのだが……」
「そんなことないですよ。言わば蓮生さんは接待される側なんですから。ドーンとただ身を委ねてくれるだけでいいんです」
接待? 身を委ねる?
ちょっと良くわからない言葉が出て来たが、俺はもしかしなくても盛大な勘違いをしているのではないだろうか?
「接待とは、何の話だろうか?」
「え? なんのって、蓮生さんの【ブラッシング】の話でしょう? 完全獣化してもらって、全身ブラッシングをするんです。以前も一度させて頂きましたが、あの時は仮初めだったので、サラっと流す程度でしたし」
「……ブラッシング? え、俺の?」
「ふふ、蓮生さん以外に誰をブラッシングするんですか? レインもブラッシング好きでしたし、それなら蓮生さんも好きだろうなって。でも外ですと他の人に見られてしまう可能性もありますからね。立場的にあまり無防備な姿は晒せないですよね」
「そうだな……」と返し、呆然としたまま歩いていると、突然金タライを落としたような大きな音と衝撃があった。まさに今の俺の心境を表しているようだ。
全く前を、というより何も見ていなかったせいで、通りに下がっていた不動産屋の看板に顔を思い切りぶつけていた。少し鼻頭が赤くなっている程度で痛くはないが。
「蓮生さん!! 大丈夫ですか!? どうしちゃったんですか、ボーっとして」
「愚かな自分への罰というか、ちょっと舞い上がり過ぎたというか、うん。わかっていたのにどうかしていたのかも」
「??……ちょっと言っていることがよくわからないです」
「いや、大丈夫。もう、冷静になったから」
ニコリと仕事用の笑みで返し、店主には謝罪と看板修理代を支払った。
改めて近場の物件を紹介してもらい、数件見てまわる。
俺は当然、(近い将来の)二人の家探しとして提案していたつもりだったのだが、鈴は少し広い一人暮らし用の、ひたすらブラッシングに適した賃貸を探していた。
少し夢を見ていた俺は、彼女が狭い物件の間取りばかり選ぶのは、お互いの息遣いがわかる広さを希望しているからなのかと思っていた。
さり気なく「ついでに二人で住む賃貸も見てはどうだろうか?」と提案してみたものの、「まだ気が早いですよ~」と笑われて終わってしまった。早いのか……
狼族には、政略的なものがあって利害が一致した、所謂、感情を別とした婚姻以外では、軽い付き合いなんて考えはない。そもそも現在では政略的な婚姻はほぼない。
よって、交際すると言うことは即ち結婚する相手と同義である。
この辺りの重たさが、同じ考えの種族以外からはやや敬遠されがちの為、相手に逃げられてしまう場合もある。何人か尻尾の毛が剥げた同族を見掛けたことがあるが、ああはなりたくない。
元々軽く見るだけの予定だったことと、鈴の決めた予算もあって候補はあまり多くはなく、すぐに終わった。
「ふぅ、計画としては一年後以降を考えていたんですけど、一人暮らし用でも結構費用が掛かるんですね。すごく参考になりました」
「それは良かったけど、なぜ一年後以降なんだ?」
「あっ……」
うっかり口に出たようで、慌てて手で口を覆う。
各種族それぞれのしきたりと言うか、方針のようなものがある場合もあるが、鷲族にはそういったものでもあるのだろうか? 陽はツガイと出会って即一緒に暮らし始めたと聞いていただけに、同棲までの道のりがまだ一年以上も先という事実に泣きそうである。
彼女は「ううん……今言うつもりはなかったんですけど」とバツが悪そうにしながらも、決心したように口を開いた。
「実は私、オランドラに留学するんです」




