59:思いがけない展開
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「鈴、私だ。入っても大丈夫かい?」
「大丈夫だよ。どうぞ」
待機でもしていたかのように、きっちり蓮生さんと入れ替わりで朱羅がやって来た。
久し振りでもなく、転院してから二日後に火神の叔父様達と共にお見舞いに来てくれて以来、ほぼ毎日隙間時間にちょこちょことお見舞いに来てくれている。
母やアキちゃんは基本的に私の分の配達をしてもらっているので忙しいし、父や陽兄も事件後の雑務は終わったようだけど、溜まっていた大型の配達を急ピッチで配達している為、忙殺されているとか。
「鈴、変わりはないかい?」
「うん。予定通りもうすぐ退院できそうだよ」
それは良かったと言いつつも、朱羅は椅子に腰掛けず、まずは窓へと向かう。
「この部屋は空気が澱みやすいね。換気をしようか」
「あー……うん」
これを来る度に行うので複雑極まりない。これが蓮生さんの言うところの朱羅の”嫌がらせ”である。
窓を全て開け放ち、羽で風を起こして室内換気をしてから椅子を拭き、ようやく腰を下ろす。
「病室は常に清潔にしないとね」と、終わった後はとても満足気だ。ちなみに蓮生さんもこれと全く同じことをしているので、この部屋の空気は定期的に入れ替えられている。
腰を掛けると、私を救い出す為に傷だらけになってしまった翼に、火神家御用達だと言う”美羽ケアクリーム”なるものを私が塗るまでがルーティンとなりつつある。
翼の状態にしないと塗れないし、翼にしてしまうと自分では塗り辛いと言うので、ぜひ私にやらせて欲しいと願い出た。
もちろん、これに関しては蓮生さんにもきちんと許可を貰っている。
複雑そうに眉根はがっつり寄ってはいたけど『嫌だ。嫌だ……けど、脱出する時に大穴を開けてもらって君を庇う為に負った傷だから……塗るだけなら、いぃ……嫌だけど! 心底嫌だけど!』と奥歯をぎりぎりとさせつつも一応、了承してくれた。
この際、何度も「嫌だ」と言ったのは聞こえなかったことにした。
クリームと言っても火神家御用達はベトつかず、さらっとすぐに吸収される特別製。傷んだ髪にも効果があると言って、私の髪にも塗ってもらうとサラサラになった。香りからして高級品の匂いがする。
仕上げは気休め程度、感覚的には「早く良くなりますように」の神頼みレベルではあるけど、少しでも回復が早まればいいなと思って治癒魔法を掛けている。
「鈴、いつもありがとう。これならきっと以前より美しい翼になるだろう」
「そうだったら嬉しいな」
獣人は回復が早いというけれど、見るたびに羽も生え揃っていってるので、本当に良かったとホッとしている。私の貧弱な魔法の効果も少しはあったのかもしれない。
ちなみに蓮生さんには申し訳ないけれど、魔法のことだけは内緒にしている。
あの事件の時に魔力をギリギリまで使い、意識を失ったことがトラウマになってしまったみたいで、退院するまでは絶対に使わないでと言われていた。魔力自体はもう心配ないと伝えても信用してもらえない。
「私は見ることが出来なかったけれど、朱羅も蓮生さんも幻獣化したって言ったでしょ? 身体への負担は本当になかったの? 身体強化を制限時間以上に使用しただけでもかなりひどい筋肉痛になるのに、そういう副作用的な反動とかあっても不思議はないと思うけど」
「お前は心配性だね。あんなものは少しばかり張り切ったら、ちょっと通常よりも美しい獣化になってしまった程度でしかない」
「そんなわけないでしょう! ボロボロになったのは、吹き飛ばした瓦礫を内側に取り込んだからって聞いてはいたけど、ほら、こことか! まだ腕の筋とか張ってる気がするし」
「筋が張っているのは普段サボっているツケがまわったのだろう。今後は真面目に鍛えるとしよう。私のことはともかく、あんな思いをするのはもう二度とごめんだからね。今後は危険なことに単独で突っ込むようなことは決してしないように」
なんだかんだ言って、いつも朱羅は弱いところを見せてくれない。いつでも安定、安心、安全。適当に見えて、その実努力をしているし、疲れていてもそんな素振りはほとんど表に出さない。
孤高的存在に近いと言うか、食事を除けば”完璧な人”と言う印象なのだ。
それだけに、兄としてではなく、異性として見た時の彼はどこか遠くて、こちらを見ているようで全く別のものを見ているような、そんな気がする時があることに気付いた。だからってそれがなんなのかはわからないのだけど。
なんとなく釈然としない気持ちでいると、朱羅が凪いだ目でじっとこちらを見ていた。
このまま目を合わせていると、何もかもが見透かされてしまうようで、慌てて別の話題を振る。
「あ、そうだ! 聞こうと思ってたことがあるの」
「なんだい?」
「朱羅は、”前世の記憶”ってある?」
「……どうかな。仮にあったらどうなんだい?」
一瞬ピクリと反応を示したけど、笑顔は崩していない。でも、朱羅はこういったことをわざわざ誤魔化すような人じゃない。否定をしないってことは、きっと肯定なんだ。
「どうって……へぇ、そうなんだぁって思うくらい、かな。あとは前世でも今世でも優しい性格なのは変わらないなぁって思うとか? 私自身があれは私だけど私じゃないって感じるから、兎のシュシュが朱羅だったとしても、同じだけど同じじゃないって言うか、やっぱり違うなって思うの。もちろん素敵な思い出としては残るけど」
「フッ、ハハハ!」
彼にしては珍しく、大口を開けて笑っていた。
「え、爆笑するほどだった? 私は思い出したって言うより、思い出の一片を見ただけだから、イマイチそこまで感情が引っ張られないというか」
「ふふ、やはりお前には適わないね。懐かしいその名前をまた聞けるとは思わなかった」
「実は夢でね、最近見たの」
「そうか、夢で……それにしてもあまりに驚きが少ないのではないか? 他の二人へはすでに?」
「うん。オウムのアルが陽兄で、黒猫のレインが蓮生さんでしょ? すごい奇跡だよね。願い事が本当に叶っちゃうんだもん」
「願い事が叶う……そうなのかな」
「朱羅は二人との思い出っていうか、なにか覚えていることある?」
「ふむ……オウムのアルは鈴音と話ができて羨ましかったけど、あの狭い籠には同情していたね」
「う~ん……レインと仲良さそうではあったけど、猫と鳥だし、なにかあってもいけないかなって思ったんじゃないかな? 私が一緒の時は出していたみたいだけど」
「黒猫はどうだったかな……私が鈴音に甘えていると必ず邪魔をしに来る煩わしい猫、邪魔をしなくても威圧を掛けて早く移動させようとする猫、ひとの縄張りに堂々入って来る猫、私よりも長生きした分、鈴音と共に過ごした時間が長い忌々しい猫――という記憶しかないな」
深く根に持って覚えていらっしゃる。
「そ、そっか。シュシュはそんなにレインと仲悪かったんだね。お互いに興味なさそうではあるなと思っていたけど」
「有体に言えば嫌いだよ。私が先に鈴音の膝に乗っていても、唸ったり威嚇してきたりしていたしね。独占欲が強過ぎるんだ。あの頃は弱い生きものだったから仕方がないけれど」
なるほど。知らないところでペット同士の攻防があったんだね。
「でも、今は随分大きくなったよね」
「ふふ、そうだね。自分でもまさか、兎の天敵でもある鷲族に生まれ変わるとは思ってもみなかったけどね」
***
朱羅からは一応告白を受けている関係だと言うのに、きっと彼が気不味くならないように振舞ってくれているからだろう。なんだかんだ気付けば、いつものようにお菓子を食べながら雑談で盛り上がり、楽しい時間だけが過ぎて行った。
言わなきゃいけないことは重々わかっている。蓮生さんの為にも、朱羅の為にもきちんと誠意を持って伝えなければって。
(出来るだけ相手を傷つけないように断るって、告白をするよりも難題だと思う)
これからも変わらない関係でいたいって思うのは、ハッキリ言って私のエゴだ。相手がそう望まない限り、私からは口にしてはいけない。相手を傷つけるのに、自分だけ傷付かないようになんて虫が良過ぎる。
だけど、もし『一定の距離を置いて、一族で年一回会うのみにしよう』とか、『手紙は基本的に兎月に渡して欲しい』とか、とにかく疎遠になるよう求められたらどうしよう。
バクバクと心臓がうるさい。
(だけどもう時間がない)
もうそろそろ朱羅は帰ってしまう。機会は全くなかったわけじゃないのに、言おうと口を開きかけては喉の奥に言葉が詰まり、言えないままズルズルと二日を過ぎてしまった。
蓮生さんもその度に「言い辛いことだから、仕方がないよ……」と言ってくれたけど、本当は落胆しているとわかる。
ゆっくりと微かに深呼吸し、覚悟を決めることにした。
「朱羅……あのね、あの時の返事だけど私――」
「鈴、私からも大切な話があるのだけど、先にいいかな?」
大切な話? 私も結構大切な話ではあるけれど、自分の話の後ではきっとまともに聞けないだろう。
「あ、うん。いいよ」
「ありがとう。実は、お前をここまで翻弄しておいて今更申し訳ないのだけどね、私はどうやら思い違いをしていたことに気付いたのだよ」
「思い違い?」
「そう、思い違いだ。私はずっと鈴に恋をしているのだと思っていたが、どうやらお前の中に残る『鈴音』を想っていたようだ」
「私の中の『鈴音』……」
「そうだ。だから確かに鈴音はお前でもあるが、同時に鈴音そのものというわけではない。それは先ほどお前も言っていただろう? 同じであって同じではないと。私は時折見せる鈴音の面影をお前を通して見ていたのだよ」
そうか、こちらを見ているようで全く別のものを見ているような気がしたのは、そういうことだったんだ。時折、眩しいものでも見るみたいに目を細めて見つめていた時もそうだったのかな。
「……そうなんだ」
「だからね鈴、」
『告白の件はなかったことに』
当然、そう言われるのだろうと思っていた。
「――私のことは諦めておくれ」
「わかった、なかったことに……うん? 諦める?」
「ああ。鈴はきっと私を選ぶ予定だったとは思うのだけどね、その後に『実は……』などと言えないだろう?」
「そう、なのかな?」
あれ? これってどういう状況? ちょっと理解が追い付かない。
「折り良く、私には少しばかり劣るが、強さも経済力もまぁまぁ、見てくれもそれなりの駄犬が立候補しているだろう? それで我慢しては貰えないかい?」
「我慢って……」
「安心すると良い。昔も今も鈴が私の可愛い鈴であることに変わりはない。だからお前も今まで通り、私も『重度なシスコン』に戻るだけだ」
「元に、今までのように……戻って、くれるの?」
「違う。私が”戻って欲しい”と望んでいるんだ」
これは朱羅の優しい嘘なんじゃないだろうか。
私の緊張を、蓮生さんとのことを感じ取ったの? 私から言ったら、今後気不味くなるから……だから自分から切り出してくれたんじゃないの?
鈴音の面影を見ているのは全くの嘘ではないだろうけど、それだけではなかったって、ちゃんとわかるよ。私は香りで察することができない分、目をなるべく見て来た。
彼からは慈愛だったり、情懐、憧憬のようなものが多かった。だけど確かに恋情も瞳の奥に宿しているってわかった。その全てが鈴音だけに向けたものではなかったでしょう?
素直に教えてくれるとは思わない。
でも、これでいいのだろうか。
ここまで甘えて、辛いことを全て彼に引き受けさせてしまって、本当にいいの?
「でも、それは――」
あまりに私にだけ都合が良過ぎる――そう言おうとした私の唇の前に指を当て、それ以上を語らせてはくれない。
「鈴、たまの私の我が儘だ、聞いてくれるだろう?」
困ったように眉尻を下げた朱羅を見て、私が気不味くなりたくないのと同じように、朱羅もそうなのだとわかった。だから『そういうことにして欲しい』と。
黙って頷くと、彼は指を戻した。
こんなことにまで彼に気を遣わせてしまい情けないけれど、彼もそう望んでくれるのなら――
「あ~あ、振られちゃった」
「ふふ。まぁ、何事も人生経験と言うものだよ」
そう軽口を叩きながらも、結局私は我慢し切れずにぽろぽろと泣いてしまって。だけど、それを見て笑う彼の目にも涙が浮かんでいた。
「あは、変なの。朱羅まで泣いてる」
泣き顔のまま無理矢理笑う。
「困ったものだ。鈴が泣いているのを見ていたら、もらい泣きしてしまったよ。だが振るのも、振られるのも、胸が痛むのことに変わりはないのだね。勉強になったよ」
本当に私には勿体ない。
強くて、優しくて、格好良くて、頼りになる、大好きで大切な兄。想いには応えられなくても、そこに変わりはないわけで。私にはどうしたって朱羅との繋がりは切れない。
結局、ずっと彼には甘えてばかりだ。
「私も勉強になった。だから、もっとイイ女になれるよう努力する」
「では、私は来世こそ鈴音と結ばれるよう努力しよう。次は邪魔される前にすぐに婚約してしまう方がいいかもしれないね」
我が儘でごめんなさい。
「朱羅兄って、割と重いタイプだったんだね……」
「おや、私の可愛い妹は表現が雑ではないか? そこは『一途な男』と表現するところだろう?」
こうして私と朱羅は、妹の鈴と朱羅兄の関係に戻った。
彼を想えば切なくて胸は痛むけれど、この痛みは彼から分けてもらったものとして、心の奥に大切にしまっておこうと思う。
***
「よーっす、鈴。朱羅、そろそろ交代だってさ」
予定時間より早く陽兄が朱羅兄を呼びにやって来た。
そして私と朱羅兄を見て、「うげっ! あからさまだな」と言って顔を顰めた。
「鈴、オマエってやつは、悪女の才能あるな。朱羅も、どんどん嫌がらせに磨きがかかってないか?」
「なんで私が悪女なの?」
「嫌がらせとは酷い言い草だ。彼が『留守の間 鈴を頼む』と言うから、頼まれる筋合いもないがこうしてやって来ているというのに」
「だからなんで私が悪女なの?」
「そもそも、いつから鈴がアレのものになったというんだい? 私は許した覚えもないのだけどね」
「おぉ……そうきたか。苦労するなぁ、アイツも」
「苦労? 世界一幸運な男の間違いではないか? こんなに可愛い鈴と、短い期間とは言え、付き合える奇跡を手にしたのだから。鈴、彼を本当に受け入れたのかい? 断りにくい状況だったのではないか? 脅されたりしたのだろう?」
「そんなことないから!」
短い期間と断定されているのはなぜだろうか?
ドドドと言う音と共に、蓮生さんが駆け込んで来た。
「鈴、遅くなってごめん!!」
「おい、オレに先に伝えて来いって言った割に早ぇじゃねぇか」
「陽と朱羅はまだいたのか」
「オマエも大概言うようになったな」
「ほら、彼はこんなにも神経が図太く腹黒い男だ。あんな者に気を遣う必要なんてないのだよ?」
「あは、あはは……」
これがかつてはオウムと猫と兎で、お互いに会話などしなかったペット達なのか。言葉が通じない者同士、こうやって好き勝手文句言っていたのかな。
「蓮生さん、おかえりなさい。予定よりも早かったですね」
「君に『いってらっしゃい』と『おかえりなさい』を言ってもらえるなんて……幸せだ」
「それは良かった。もう一生分の幸せを貰ったのだから、その思い出を胸に生きて行けるのではないか?」
「は?」「うん? なにかな?」と笑顔で見つめ合いながら、バチバチに火花が散っているのが見える。陽兄に視線を向けたけど、黙って首を横に振られた。無理か……
ハラハラと動向を見守っていると、蓮生さんの視線が私に向き直り、表情を柔らげる。だけど途端に一部分を凝視し、また朱羅を睨みつけた。
「どういうことだ?」
「?」
なんのこと?
蓮生さんの視線は私の頭から顔へ。
顔は確か、換気の時に埃が舞って、『顔に埃がついてしまったね』とハンカチで払ってくれただけだし。頭は……あっ! 美羽クリームの香りがお揃い……しまった!
「あのね、これは深い意味はなくて髪が傷んでいたからで、」
「あの薄汚いのはマーキングだったのかい? そうとは知らず、汚れと勘違いして消毒してしまったよ」
「なん、だと?」
「わー! わーわーわー!!」
部屋の温度が一気に下がったような気がする。
隣に座る朱羅兄を押し退け、私の頬を両手で包むと、出掛ける前と同じように顔を撫で始めた。そこへすかさず「余裕のない男はすぐに愛想を尽かされるだろうね」と朱羅兄が煽り出す。
髪はともかく、顔は払ってもらった後に、念の為自分でも洗顔して消したはずなのに。どこか洗い方が甘かったのだろうか? 片手では洗いムラがあったのかもしれない。こうなるのが嫌で洗ったのに!
二人はあーだのこーだの言い合っているけど……ここで私が変にフォローを入れる方が拗れそうな気がする。
あれ? 蓮生さんとはお付き合いが始まり、朱羅兄とは元の状態に戻れるのは喜ばしいけど……それって、こんな感じがこれからも続くってことじゃない、よね!?
陽兄へ再度視線を送ると、言わんとしたことが伝わったらしい。壁に寄り掛かったまま、兄はフンと鼻を鳴らす。
「んなもん、朱羅が飽きるまで辛抱するか、オマエらが慣れるかだろ。まっ、飽きる日が来るとは思えねぇけどな」
そ、そんなぁ~!




