58:大変申し上げにくいのですが
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私に恋なんて、まして恋人なんて早々出来っこないと思っていた半年前。
そして、兄に若干促された形にはなったけれど、そこから半刻かそこいらで蓮生さんと恋人同士になった。
人生ってなにがあるかわからないなぁなんて、のんびりお茶を啜るのにはワケがある。
「鈴」
「なんですか?」
「鈴は俺の恋人?」
「はい、未熟者ですが宜しくお願いします」
ここまでは、蓮生さんと私の関係についに名前がついたんだなぁなんて、しみじみ喜びを嚙みしめていた。ええ、かなり序盤ですね。
「俺の方こそ、末永く……出来れば来世もお願いしたいな」
少しもじもじとしながらはにかんでいる割に、言っていることは重い。
「あは、面白い冗談ですね~」
もちろん、冗談ではないのだろうなと察してはいる。
「鈴は照れ屋だな」
照れてない。今のは全く照れてない。これから今世での交際がスタートするぞってところで来世の話を持ち出さないで欲しい。
「鈴、傷のない方の頬に少し触れてもいいかな?」
「頬ですか? どうぞ」
ツンツンともの凄く優しく、触れると言うよりも突いている。ジーっと観察されたり、突かれたり。
新種の動物にでもなった気分だけど、蓮生さんの目がキラキラと輝いていて、それはもう嬉しそうに満面の笑みを浮かべているものだから、結局それに絆されて私も笑顔になってしまうのだ。
心の内に入れてしまえば、こんなにも私って単純だったのか……と思わなくもないけれど、蓮生さんのことを言えないくらい、きっと私も浮かれているのだろう。
「……タオルで拭く時も思っていたけれど、君の肌は柔らか過ぎないか?」
「同年代の女性ならみんな似たようなものですよ」
「こんなに可愛い頬は、君以外で見たことがないが」
「それは欲目と言うやつです」
――とまぁ、こんなバカップル丸出しのようなことばかり蓮生さんが言い続けるものだから、これは私まで一緒に沼にダイブしてはすぐにバレてしまうのではないかと心配になってきたのだ。
だから、今はそれをなるべく表に出さないように努めている。沼る前ならまだなんとかなる。多分。
そりゃあ、私だって初めての恋、初めての両想いに、本当は海だろうが沼だろうが飛び込んで浮かれポンチ一色になってみたい願望はある。それなのにブレーキがかかるのは、まず、ここが病院だから!
個室でプライベートは守られていると言っても、定期的に看護婦さんは様子を見に来てくれるし、お見舞いだっていつ誰がやって来るともわからない。それに、朱羅のこともある。
「蓮生さん、お願いがあるんです」
「君からのお願い? なんでも言ってくれ」
お願いはむしろご褒美だみたいなことを以前言っていただけあって、相好を崩した蓮生さんはワクワクを隠しきれていない。尻尾はノンストップである。猫じゃらしを捕まえたい猫の気持ちが今、少しだけわかる。動きを止めてみたい衝動に駆られる。
と、そんなことより、その期待を今からバッサリ切ってしまうのは大変心苦しい。
「あのですね、私と蓮生さんはこの度両想いになったわけですけど」
「両想い……いい響きだ」
目を瞑り、告白のシーンをまた回想している様子。戻って来て下さい。
「実は、まだ朱羅へ返事が出来ていません」
「朱羅へ……そうだな。その問題が残っていた」
「はい。ですから、私としてはきちんと朱羅へ伝えるまでは、これまで通りにして頂けないかと」
「うん? これまで通り……と、言うと?」
「えっと、告白前のような感じ?」
ピシャーン! と蓮生さんの後ろに雷が落ちた……ような気がした。
「こ、告白前……? ようやく想いが通い合ったと言うのに? また俺は介助に関わる部分でしか君に触れてはいけないのか?」
「すみません、本当は朱羅へ返事をしてから蓮生さんへは気持ちをお伝えしようと思っていたんですけど、なんか勢いづいてしまったと言いますか。私が意識をし始めたならすぐに蓮生さんは気付くだろうって兄が言うので、それなら自分の口から伝えた方が喜んで貰えるかなって思ったんです」
「確かに、もしかしてと思う場面はあったが、それでも言葉で伝えてくれる方が何倍も嬉しいよ。それが俺を喜ばせる為だったんだって知れて、もっと特別な思い出になった。君のその純粋なところ、すごく好きだよ」
蓮生さんは真っ直ぐ「好き」を伝えてくるから嬉しい反面、慣れるまではやっぱり恥ずかしい。
「そう言って頂けて良かった……それで、朱羅へもきちんと自分の口から伝えたいので、返事をする前に、見せつけたり、蓮生さんの香りを纏わせて、遠回しに伝わるようなことはしたくなくて。恋人にはなれなくても、彼は私の大切な兄であることに変わりはないので」
「……そういうことならわかった。じゃあ、今は介助に専念するよ」
「私の我が儘を聞いてくれてありがとうございます」
蓮生さんが理解を示してくれて本当に良かった。
狼族は囲い込みの習性があることをギリギリで思い出せたお陰だ。親友に感謝である。
「その代わり、その後でいいから俺の我が儘も聞いてくれる?」
「蓮生さんの? ええ、それはもちろん。どんな我が儘なんですか?」
「まだ秘密。晴れて堂々恋人同士と言えるようになったら伝えるよ」
大きな三角耳をピルピルさせながら人差し指を口の前に立て、にんまりと笑った。
この、時折見せる悪戯を思いついた少年のような表情が私は好きだ。
私から見れば二十五歳と言う年齢はかなり大人で、七つの年の差は一生埋まることはない。まだまだ背伸びもうまくできない分、彼がこうして屈んでくれた時に、ほんの少しその差が縮まったように感じられて嬉しいのだ。
これは多分、私が釣り合っていないと感じるから余計にそう思うのかもしれない。
力はこの国では弱く、かと言ってずば抜けて才女と言うものでもない、中の上レベル。魔力が凄く高いわけでも、特別な魔法が使えるわけでもない。顔は……個々の好みによるものだけど、きっとやや童顔なのだろうと思う。
今まで人より劣っているところがあっても『それが自分だ』と受け入れ、それなりにうまく付き合えていると思っていた。だけど恋を意識し始めた時、せっかく受け入れ大人しくしていた自分の弱い部分が表に出て来るようになった。
受け入れたと思っていたけれど、ただ見て見ぬ振りをしていただけなのかもしれない。
初めは落ち込んだりもした。
――私にはなんの価値もないんじゃないか、と。
だけど、恋心を自覚したら不思議とそれ以上に”強くなりたい”と思えるようになった。不安な気持ちがなくなったわけじゃないけれど、前を向いている自分の方が好きだ。
自分は欠点ばかりしかなく、相手の弱点にしかなれない存在。甘えることが下手なのは、多分そういった負い目もあるのだと思う。してもらうことばかりが増えて、それが当たり前になってしまうと、益々自分が小さく、か弱い存在に思えてしまうから。
好きだ、可愛いなんてチヤホヤされて、柵で囲まれた安全地帯でただ生きて行くなんて嫌なのだ。
前世の私が動物が話す世界に行きたいと願った。自ら望んでこの国に生まれたと知ってからは、より一層強く思うようになった。
だから私は――
***
転院して四日が過ぎ、退院まであと三日となった。二日目、三日目にようやく朱羅に会えたけれど、両親や陽兄が一緒だったりで、さすがに返事の件は断念。だけど折り良く本人が今日も顔を出すと言ってくれたので、今日伝えるつもりでいる。
「鈴、だいぶ回復しているのはわかっているけど、治りかけが肝心なんだ。一人で外へ出歩くのは絶対に禁止だからね?」
「うん……蓮生さん、朝からこのやり取りで、もう五回目だよ?」
「そう、五回目だね。なのに鈴、昨日も同じことを言ったはずなのに、俺が君の代わりにおつかいに出た時、何をしていたんだっけ?」
「い、異議あーり! 外って言っても病院敷地内の中庭じゃないですか! 筋力が落ちないようにちょっと運動をと思っただけです」
彼が戻る前に部屋には戻っている予定だったのに、その予想よりも遥かに早くおつかいから戻った蓮生さん。病室へ入るとベッドはもぬけの殻。もの凄く焦った彼が「鈴!! どこにいるの、鈴!!」と叫んでいてびっくりしたものだ。
走ってはいけないはずの廊下を猛スピードで走っていたのが中庭からも見えて、慌てて「ここです! ここにいます!」と叫んだ。誰か跳ね飛ばしていないことを祈りながら。
そして声が届くなり三階の窓をガシャーンと豪快に開け、「あ!」と思った直後にはすでに窓枠に足を掛けていて、なんの躊躇いもなく飛び降りて来た彼には本気で心臓が止まるかと思ったものだ。
あの後、担当の看護婦さんにも「せめてメモくらいは残してから出て行かないと……こういうことは困りますよ」とやんわりながらもしっかり怒られてしまった。
もちろん蓮生さんも追加でこってり叱られていたけど、その割には「大変でしたね」的な同情の声掛けをされていた。おかしい、私の方が分が悪いらしい。
院内は他の獣人もいることと、転院時に持って来てもらった消臭石鹸の使用を再開したせいで匂いが薄く見つけにくいと言われ、それから一部に印をつけられるようになった。
「鈴は目を離すとすぐにフラフラといなくなるから、ちゃんと印をつけておかないと……」
「……うにゅ、しるしってぇ……こんな、擦り込む……もの、なんですかぁ?」
今も私に言い聞かせつつも、ぎゅむっと両頬を手で挟まれスリスリされたり、頭を撫でられている。
これはやり過ぎなんじゃないか、と私は抗議してみた。これから朱羅と会うのに、話す前から威嚇しているような状態にならないのか心配だったからだ。
蓮生さんはそんなこと言われるとは露ほどにも思っていなかったようで、一瞬目をぱちくりとした後、深い溜め息を吐き、真剣な顔で理解の悪い子供に再度言って聞かせるかのように説明し始めた。一応私は娘ではなく恋人のつもりである。
「いい? 鈴、これは迷子防止の為の匂い付けであって、恋人へするそれとは全くの別物なんだよ? また病院に迷惑掛けてはいけないし、本来、君の香りさえ辿れれば、俺だって取り乱しはしなかった。これは朱羅へ当てつけるようなものではなく、言うなれば小さな子供に親がするのと同じことだ。人族で言えばはぐれないように手を繋いでいるような状態と言えばいいかな。普通、恋人同士ならもっと触れ合いは多いし、少なくとも口付けくらいはするだろう? 鈴が許してくれるのなら、そちらの方がより強く印を付けられるから嬉しいし、俺としては今すぐにでもそうしたいけれど、君はどちらの方がいい?」
どこで息継ぎをしているのかわからない早さでこんなことを言われてしまっては、「このままでお願いします……」としか返せなかった。
昔から人族の匂いを目立たなくする為に、両親や陽兄、アキちゃん、朱羅に匂いを付けてもらっていたからこういうことには慣れてはいる。でも、そこはやはり身内と、そうではない異性との差に尽きるだろう。
両親や兄達を見ても、仲が良いんだなと思う程度なのに、自分がされる側に立つと恥ずかしいと思ってしまうのは性格なのか感覚の違いなのか。
みんなが恋に勤しんでいた青春期、私はどうしていたっけと思い起こせば、愛馬たちを愛でたり、道具がなくても狩りはできないかと、風魔法と小石で練習してたら小鳥隊の子の羽をうっかり掠めて怒られたり……なにをしている私。
陽兄のことを言えない程わんぱく生活を送っていたせいで、なにが正解なのかわからない。
なんてアレコレ考えていると、なんか手の平がモゾモゾとする。
蓮生さんが頭をぐりぐりとしていて、柔らかな髪の毛が手の平をくすぐっていた。
「ああ、嫌だ。行きたくない、離れたくない……本当は離れたくないけど、事件の進捗状況とか確認があるから。入れ替わりで朱羅が来るから……それもすごく嫌だ。また絶対嫌がらせすると思うけど、鈴を一人にするよりマシだし、返事をしないことにはいつまでも介助人の距離感でいなきゃいけないのは辛い。だから俺は断腸の思いで――」
「うんうん、ちゃんと大人しくしてますから」
またそこから十分ほど「やっぱり行きたくない」を繰り返しながら、今生の別れのかのように瞳を潤ませつつも渋々出掛けて行った。
(もう一つの話はいつ伝えたらいいだろう……)
行動しようと決めたのも、告白のタイミングも、全ては自分で決断したことだ。適当な気持ちで決めたわけじゃない。両親の許可は貰っているし、ある程度の準備も揃っている。
(後悔なんてしない)
だからどうか……大切な人を悲しませることになったとしても、この決断は間違ってなかったと思えますように。
窓から見送り手を振りながら、そんなことを考えていた。




