55:彼女の目覚め / side 久遠 蓮生
◇◇◇◇◇
鈴がついに俺を意識してくれるようになった。
不器用で鈍感な俺がこの僅かな変化に気付けたのは、一重に彼女がツガイだから。折良く、魔法薬の効果が切れていたお陰で香りが変化していく様子までわかったのである。
だが、当の本人を見てもまだ自覚していない様子で、その目には迷いと戸惑いの色が見えた。これ以上は心の負担になり兼ねないと判断し、話題を切り替えることに。
とても残念ではあるが、今彼女に必要なのは休養なのだ。
それに朱羅からも鈴は告白されている。誠実な彼女のことだから、考えてくれているのは俺のことだけではないだろう。
俺としても今回朱羅には助けられたところはあるし、謹慎のみで済んだ借りもある。彼は俺がずっと鈴の傍に付き添っていることを決して良く思っていない。ただ、彼女の安全の為にと私情を挟まないでいてくれるだけだ。
謹慎明けから恩を倍返ししなければならないのは確実だ。そうなれば今度は俺が彼女に中々会えなくなるだろう。ようやく彼女の心が動き始めたと言うのに辛いものがある。
「ハァ……」
自然と指が自分の唇に触れる。
初めて彼女の唇に触れた……正確には端だが。
傷に障らない様、慎重に触れたつもりだが、彼女の頬はそっと触れないと傷つけてしまいそうなほど柔らかい。
「君は気付いていないのだろうな」
君が寝たくないと言った時、袖を掴み引き留めた時、俺へと向けていた瞳がどんなものだったのか――
君が怪我をしていなければ。
全身筋肉痛の副作用がなければ。
なにより、本当の恋人同士であったなら……
彼女は怪我人なんだと何度自分に言い聞かせたことか。やり過ごすには相当な忍耐を要した。
『鈴、まだまだ話していたいところだけど、身体の回復の為にももう少しだけ眠った方がいい。魔力も枯渇寸前だっただろう?』
『えぇ……大丈夫だと思うのに』
(こんな状態じゃなければ、俺だってもっと話していたい)
『うっ……いや、駄目だ。安静にしていないと』
『でも……』
(そんな寂しそうな目で見ないでくれ)
『心配しなくても、眠るまで傍にいるよ』
(いつだって君の傍にいたい)
『べ、別にそういう意味じゃ!! もう寝ます!』
上掛けを掛けてあげると、勢いよく引っ張り上げて頭から被る。
すると、勢いつけて腕を動かしたせいだろう。「イダァー!!」と叫び、布団の中でしくしくと泣き声が聞こえて来たので、少しでも痛みが引けばと布団の上から擦った。
暫くそうしていると、スゥっと穏やかな規則正しい寝息へと変わっていった。
「鈴、君は俺と話したかったの? それともそれは誰でも良くて、たまたま居たのが俺だったからなのか?」
そんなことを気の利いた言い回しで聞き出すことも出来はしないのだが。
俺は恋の駆け引きなどしたことがないし、まず出来る気がしない。
不器用な俺にできることは、なるべく急激に印象を変えないことくらいだ。『こんな人だと思わなかった!』などと言われようものなら、廃人になる自信しかない。
ツガイとは言え、相手はその感覚を持ち得ない人族。それに鈴はたまに斜めな思考を持つことがある、油断はできない。
「君の澄んだ青空のような瞳に俺を映して欲しいけど、こうしてずっと見つめていられるのもいいな」
『そんなに見ないで下さい!』と顔を真っ赤にしながら動揺している君も、それはもう可愛くて持ち歩きたくなってしまう衝動に駆られてしまうが。
入院中は眠りに落ちる瞬間も、起きてすぐも彼女の瞳に映るのは俺で。それを間近で見ることが出来ることのなんと幸せなことだろうか。
鈴の寝顔を見ていたら、身体の力が抜けたようで急に睡魔に襲われる。鈴が目覚めるまでは不安で浅い眠りだったせいだろう。休める時に休み、夜の番も万全にしておかなくては。
◇◇◇
鈴より先に目を覚まし、夕食を受け取る。もっと良いものを食べさせてあげたいが、万全でない以上は療養食で我慢してもらうしかない。朱羅のお陰で軽微だったとは言え、彼女は煙を吸っているし、喉も少し痛めている様子だ。
鈴を起こし、温かいタオルでそっと優しく顔を拭いてやると「はふぅ~気持ちいい」と少しぽやぽやとした様が可愛過ぎて、心臓を撃ち抜かれる。日課にしてもいいだろうか?
「鈴、ちょうど夕食が運ばれて来たんだ。お腹は空いてる?」
「食べたいです! もうお腹ぺこぺこで」
鈴はお粥の乗った盆を受け取ろうと片手を出したけど、もちろん渡すわけがない。
匙でお粥をすくい上げ、彼女が絶対に火傷をしない温度まで冷ます。今世では問題ないのだが、前世の名残で熱いものには慎重派である。
「ほら、口を開けて」
「……へ?」
「身体は本調子じゃないし、片腕も不自由だろう? 無理に動かすことはないよ。俺が食べさせてあげるから」
「え!? いいっ!! 大丈夫だか、あ”ー!! イターイ!!」
筋肉痛の腕をブンブン振ってしまい悶えることに。背凭れ用にまたクッションや枕を重ねて起こし口に運ぶと、視線をうろうろとさせながらも小さな口を開ける。もう本当なんだろうか、この可愛い生き物は。
「熱かった? 顔が赤いけど」
「……ダイジョブです」
俺の給餌で顔を真っ赤にして……ただもぐもぐと咀嚼しているだけなのに、どうして君はいちいち可愛いのだろう。一体、君は俺をどうしようと言うのか。
可愛いと幸せだけが詰まった給餌時間は瞬く間に過ぎてしまった。子供が食べる量程度しかないのが残念で仕方がない。
食事を終え、明日の転院には俺も同乗し、また付き添う旨を伝える。
彼女は俺に負担を掛けたくはないと言う。
これが陽や朱羅なら当たり前に許されるのだろうなと思うと、彼女の理屈はわかってはいるものの、前世では少なくとも平等だったのに、自分だけ線を引かれたようで切ない。
(俺の笛を鳴らしたのはただの偶然だったのだろうか)
偶然でもなんでも、君を取り戻すことが出来たのだからそれでいい。失うんじゃないかと恐怖したことを思えば、どうということはない。
今、君が目の前に居てくれて、前世を少し思い出してくれた。これだけでも十分幸せだ。
だけど、君の痛々しい傷を見るともっと早く駆けつけられたらと、自分の力不足を痛感させられるし、彼女が鏡で見る度に心を痛めることがないよう、早く綺麗に治してやりたい。
俺は努めて明るく鈴の攻防を躱しながら、卑怯だとは思うが”お礼”代わりに付き添いを了承して欲しいと提案した。
すると、ふわっとツガイ特有の甘い香りが鼻腔をかすめる。
気のせいかと思ったが、鈴が服用している魔法薬の効果が切れているからだと気付く。だけどこれはツガイが持つ香りだけではない、以前確かめた時とは香りの強さが違う。
これはもしかして――彼女は今、俺を意識した、のか?
ハッとして彼女を見つめるが、鈴は人族だからと言うよりも、自覚がないのだろう、キョトンとした表情をしていた。
話題が変わるとすぐに元の香りに戻ってしまったが、あの香りから伝わった心の変化は嘘じゃないはずだと思わずにはいられなかった。
◇◇◇
そろそろ食器を回収に来る時間かと思い席を立とうとすると、彼女が袖口を掴み引き留めた。
一体何があったのかわからないが、中々口を挟ませてくれないほど、つらつらと自分がいかに俺に相応しくないかといったことを口にする。正直、彼女の涙がなければこのまま俺は振られるのかと思ったほどだ。
だけど、涙が流れると共に、また感情の揺れを示すような強い香りが広がる。
「ねぇ、鈴。この涙はどういう涙?」
鈴はわからないものは信じられないと以前言っていた。だから断腸の思いでツガイと知らせないまま、鈴が俺に恋をして好きになってくれるのを待っていた。獣人界の常識で言えば、わざわざそんなことをするなんて変人の領域だし、理解されないだろう。
鈴の感情が昂っているのか、果物よりも甘い香りが部屋一杯に広がる。
「自分に都合良く取ってしまうよ」
(君の気持ちが俺へ向くのを、ずっとずっと待ってたんだ)
どうしようと言いたげに零した溜息でさえ甘い香りがしそうで、次に紡がれる言葉に、その唇に、そして端の傷に自然と注目してしまう。
(顔の傷は早く治してやりたい。鏡を見たらきっと気にするし、恐怖体験を思い出させてしまうかもしれない)
そう思ったら身体が勝手に動いていた。顔を逸らしていた鈴がこちらを振り返り、視線が重なる。
「鈴、嫌なら拒絶して」
「え……」
甘い蜜に吸い寄せられる蝶のように、鈴の小さな唇……の端の傷口に、そっと自分の唇を重ねた。
ツガイにだけでも治癒魔法が使えたらいいのに――
「――っ」
「これは、消毒」
自分がこんなに甘い声を出せるなんて知らなかった。
◇◇◇
陽から預けられた事裏を使い、鈴が目を覚ましたとの一報を送っていた為、ご両親と陽のツガイの晶さんが再度鈴の見舞いに訪れた。
「なんだ、鈴が目を覚ましたって聞いたのに、また眠ってしまったのか」
「療養食を摂った後に痛み止めの丸薬を服用したので、そのせいかもしれません」
薬には回復力を高める為、眠くなる成分が含まれていることもあるが、彼女の許容範囲を超えさせてしまったせいもあるのかもしれない。あの後、心ここに非ずといった様子でボーっとしていた。
「仕方がないわね。残念だけど、会話も出来て食事も出来たのなら安心だわ。怖がったりしていなかったかしら」
「はい。俺もそこは心配していたのですが、今の所は平気な様子でした。ただ、なにかの拍子に思い出してということもあるかもしれないので、そこは注意が必要かと」
「鈴……目が覚めて本当に良かった」
一度目は目覚めない鈴の姿を見て、支えないと立っていられないほど憔悴し泣いていた晶さんも、彼女の様子を聞いてようやく安堵していた。
「それにしても久遠さんの申し出に頷いたものの、本当に甘えてしまって良いのかしら?」
「俺から願い出たことですから、むしろ任せて頂けて光栄です。どうか気になさらないで下さい」
「この件が片付いたら、ぜひ礼をさせてくれ」
「礼なんて……お義父さんから頂くなんてできません」
むしろ今後頂きたいと願い出るのは俺の方だ。他には何もいらないので、「娘さんを下さい」と願い出た時に、ごねずに頂けると嬉しいです、と言いたい。
ああ、駄目だ。
少し前進したと思っただけで浮足立ってしまい、考えるのは早過ぎるとわかっていても、彼女との未来を夢見ずにはいられない。
「……ん? 鳥獣人は視力は抜群にいいが、耳はそんなにいいわけではないんだ。今、『お義父さん』って聞こえた気がするが、これは聞き間違いだよな?」
「言ってたわよ。ねぇ、晶?」
「ええ、間違いなく」
「はい、言いました。鈴さんには伝えていないのですが、彼女は俺のツガイです」
三人は顔を見合わせていたが、陽から聞かされていたのだろう、それ以外は冷静に聞いていた。
「朱羅のことも知っています。一族からすれば、そうあれば良いと思っていらっしゃるでしょう。言いたくはありませんが、彼には任せられるだけの力も地位もあるし、彼女に対してはどこまでも誠実でしょうから」
「ハァ……そうだな。正直、朱羅なら安心だと考えてはいた」
「子供の頃からだものね」
「昔から一貫して鈴だけを特別に扱っていたもの」
身内的には鈴が頷きさえすれば、朱羅との婚儀を許可すると言っているようなものだ。そうなる前に出会えて本当に良かった。
「申し訳ないのですが、それでも俺は身を引くことは出来ません。それと、俺はツガイを盾に彼女に迫ることもしません。あくまでも彼女が振り向いてくれるまで待ちます。ですが、そうなった暁にはすぐに求婚させて下さい」
「なに? 交際許可じゃなく、即、娘を嫁に欲しいだと! いくら助けてもらった恩人と言っても、それとこれとは話が違う。簡単に俺が結婚を許すとでも、ゴフッ!」
お義父さんが俺に掴みかかろうとしたところで、隣から伸びた拳が綺麗に顎に直撃していた。
「あなたはちょっと引っ込んでなさいっ!」
「い、いい拳だ……」
元朱雀隊、現裏朱雀の筆頭である北斗さんが、お義母さんの鉄拳で病室の隅まで飛ばされ、伸びている……なるほど、碧海家の序列一位はお義母さんで確定のようだ。
「久遠さん、少しいいかしら?」
「は、はい」
お義母さんに手招きされ、やや緊張の面持ちのまま病室を出てすぐの廊下へ。
「久遠さんは、あの子が獣人じゃないことも理解した上で、それでも鈴を、と思ってくれているのよね? あの子にはツガイの認識が出来ないってことも」
「はい、わかっています。それもあってツガイであることを盾にしないと決めました」
ツガイに関して良い印象がない鈴に配慮してのことだが、これはご両親に言わない方が良いだろう。
「そう……それにしても、鈴がツガイだってわかっているのに、よく言わずに耐えられるわね」
「いえ正直、かなり辛いです。ですが、待つのは得意な方ですから。出会うまでの期間に比べたら短いもの……そう、自分に言い聞かせて耐えてます」
すでに気が遠くなるほど、再会するまでを耐えた。
「たいしたものだわ。うちの人なんて、毎日現れていたわよ。それでも私は家を継がなくてはならなくて、それをどうするか迷っている間にせっかく入隊した朱雀隊を退役してくるんですもの」
「ふふ、馬鹿よね」と笑うお義母さんの顔は、当時を思い出しているのかとても幸せそうで――血縁上の親子ではないが、鈴の笑い方はお義母さん似だなと思えた。
「羨ましいです。俺も毎日彼女に会いたいですし、退役だってしたって構わない。ですが、彼女を守って行く為にはまだ続けていた方が良さそうだと思っています」
「それにしても、偉丈夫な副隊長様を二人も虜にするなんて。普段そんな素振りもなかったのに」
「魅力的なのは、きっとお義母さん似ですね」
「うふふ、久遠さんもお上手ねぇ。よくわかりました。そういうことでしたら反対しません、主人のことは私に任せて。だけど結婚をと望むのなら、そちらのご両親にもご理解頂かないと娘が傷つくことになるから……そこは久遠さん、くれぐれもお願いしますね」
「その件はご心配頂かなくても大丈夫かと。鈴さんに想いを寄せていることをすでに母は承知してますし、むしろ会わせて欲しいと言われているくらいです。ですから歓迎こそすれ、反対などあり得ません」
「それならそちらは安心ね……」とホッと安堵の表情を浮かべるも複雑なのは、俺側の問題はなにもないが、肝心の彼女の気持ちがはっきりとしていないこと、朱羅のことがあるからだろう。
だが、俺がどんなに不器用でヘタレと言われようと、彼女は俺のツガイ。
絶対に彼女を諦めることはない。
相手が朱羅でも、他の誰かであったとしても、彼女だけは絶対に譲れない。




