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54:記憶の欠片②


******


「……ん……ううん」


 意識がゆっくりと浮上し、目は瞑ったままだけど、なんとなく指先にレインの耳があるような気がして、手探りで撫でてみる。くすぐったいのか、耳がピルピルと動いていた。


『☆△※○!!』


 なんだか騒がしい雰囲気にゆっくりと目を開ければ、ぼんやりと映る黒いふわふわな毛に三角お耳のレイン――と思われる黒い塊のようなものが、ジタバタと動いていた。

 

 寝ていたと言うのに、私ってば頭を押さえつけていたみたい。


「う……ん」

「鈴、鈴! 起きてくれ!」


 先程まで猫のレインと思って撫でていた頭が持ち上がる。


「あ、蓮生さ……ゴホッ」

「無理に話さなくていい。喉、渇いてない?」


 寝込んでいたせいか、喉が酷く渇いていた。頷くと、水差しをそっと口元に運び入れ、ゆっくりと慎重に飲ませてくれた。


「美味しい……」

「良かった。中々目を覚まさなくて心配していたんだ」


 一息ついて現状を聞けば、どうやら私は丸一日近く眠ったままだったらしい。


 私の両親は寝ている間に来ていて、治療院の先生に軽い怪我――あくまで獣人には軽傷――だと説明を受けたものの、毛を逆立てながら父は裏朱雀の方へ合流に向かったとか。

 母とアキちゃんはここに残ると言ったけれど、家業の方も誰もいないわけにはいかない。アキちゃんは自分を責めて憔悴したような様子だった為、アキちゃんまで倒れてしまおうものなら陽兄が正気でいられない。兄や母から家で休むよう強く止められたみたい。


 そこで、蓮生さんが警護も兼ねて自分が残ると申し出たらしい。


「蓮生さん、なにからなにまでご迷惑をお掛けしてすみません」

「迷惑なことなんて一つもないよ。それよりも俺が遅くなったせいで、鈴の心に深い傷を作ってしまったことへの後悔ばかりだ。君を守る、すぐに駆け付けると豪語したのに……」


 蓮生さんは膝の上に置いた手をぎゅっと握り締め、悔しそうに顔を歪めた。


「怖くなかったと言えば嘘になりますけど、絶対に助けに来てくれるって信じていましたし、実際こうして助けて頂いたので、思ったよりも平気です」

「……無理してないか?」


「無理なんてしてません」

「本当に?」


 蓮生さんが助けに来てくれた直後に気を失っていたから、その辺りの記憶が曖昧だ。一度薄っすら目覚めた時も土煙であまりよく見えなかった。


 それでも懐疑的な表情で見つめられると、居た堪れなくなるので話題を変える。


「それより蓮生さんに聞きたいことがあって」

「俺に? なんだろう」


「はい。蓮生さんと私は前世で関わりがあったと言っていましたけど、もしかしてその……猫、だったりしますか? レインって名前の」

「!!!」


 彼は驚き、後ろに跳ね飛ぶ勢いで立ち上がったせいで、丸椅子は盛大に後ろへ転がって行ってしまった。


「鈴……記憶が戻ったのか!?」


 恐る恐るといった様子で、椅子を抱えた蓮生さんが尋ねる。


「いえ、厳密には戻ったわけではなくて、不思議な夢を見たと言いますか……そこに鈴音? と思われる女の子とオウムのアルと黒猫のレイン、赤茶の兎のシュシュが出て来て――」

「ああ、信じられない……俺は君が生まれた時に記憶が戻ってからずっと、ずっと再会を夢見てた」


 今にも泣きだしそうなほど、蓮生さんの瞳に涙の膜が張る。


「私が生まれた頃から!? あっ、つぅ!! なん、か全身が痛いっ!! これ、き、筋肉痛も……イダイ」

「大丈夫か!? 君は腕も痛めてるし、他にもあちこち怪我をしているから、まだ安静にしていないと」


 今度は私が飛び起きる勢いで動いたせいで、自分は怪我をしていたんだということをようやく思い出した。怪我にプラスして、魔法の使い過ぎによる反動(全身筋肉痛)まで加わっていて辛い。

 

 痛みを実感した途端、身体の凝りや、筋肉痛も自覚する。とは言え、横になったままなのもそれはそれで辛い。痛みにグスグスとしながらも座りたいとお願いすると、蓮生さんが背中に枕やクッションなどを重ねて座りやすくし、起こしてくれた。


 そして話はまた戻る。

 

 自分の姿は黒髪の後ろ姿や、ぼんやりしか見えない顔の記憶しかないけれど、蓮生さんが言うには見た目は以前の私とは全くの別人らしい。

 確かに黒髪黒目だったようだから、桜色の髪、空色の瞳の時点で印象も相当変わるだろうなと思う。


「覚えていないのは仕方がないし構わないと思っていたが、思い出してもらえると……やはり嬉しい」

「ごめんなさい、私なにも知らなくて」


 少しだけかつての思い出話を聞いた。


 狼族の蓮生さんが猫の話をしているのは不思議だったけれど、大きな狼と小さな猫とのギャップがちょっと可愛いなと思ったのは内緒だ。

 元アル、元シュシュに関しては直接本人から聞きたいと思ったので、レイン以外は尋ねなかった。だけど兄の陽がオウムのアルだったことは、すごくしっくりと来てしまった。なんか「ぽい」な、と。

 


 時間にして三十分程度だろうか。


 もっと話したいのに私には養生が必要とのことで、背中のクッションが取り除かれ、強制的にまた寝かしつけられてしまった。


 横になりながら蓮生さんを見上げると、前髪の隙間から覗いた傷跡がチラリと見えた。そうだ、あの時彼は血を流していたはず。


「蓮生さんは身体は大丈夫なんですか? 思い出しましたけど、あの時たくさん血が出てましたよね? 蓮生さんこそ横になって下さい!」

「俺はこの通り、かすり傷だよ。額の傷も君が治癒をしてくれたから、塗り薬程度で治まった。それもこれも、鈴がくれた防護下着のお陰だよ。ありがとう」


 私が贈った防護下着が大いに役に立ったと聞き、あの時作って本当に良かったと思った。切り付けられたことを笑い話のように話さないで欲しいけれど、刃物すら通さなかった鎖帷子(くさりかたびら)を褒め称えたい。


「でも、流れた血はどうにもならないんですよ? しっかり食べて休まないと」

「ああ、だから君が眠ったら俺もここで少し休むよ」


「ここで!? 確かにこのベッドは大きいけど、で、でも、ここで一緒になんて私……」

「え!? いや、そうじゃなくて……あそこの大きめのソファを付き添い用のベッド代わりにもしていいと言われたから、俺はそこで寝るつもりだったんだが」


「ソ、ソファ……?」


 指差す方を見れば、確かに蓮生さんが横になっても大丈夫そうな、大きなソファが個室には備えてあった。私が盛大な勘違いをしていることがわかると彼はクスっと笑い、少し意地悪そうな笑みを浮かべた。


「君が望むのなら隣で添い寝しようか?」

「しません!」


 残念と言いながらも優しく目を細め、私に上掛けを掛けると、「眠るまで傍にいるよ」と握ってくれたその手の温かさと優しい声に、安心して眠りについたのだった。



***



 少し眠って起きるとお粥が用意されていて、全身筋肉痛で片腕負傷中の私は、恥ずかしながら蓮生さんに半ば強制的に食べさせてもらっていた。


 ここの治療院ではあと一日様子をみたら、自宅近くの治療院へ移ることになっているけれど、その時も蓮生さんが付き添うと言う。



「そこは両親もいますし、ずっと蓮生さんに負担をお掛けするのも……」

「俺が付き添えばご両親は仕事を休みにしなくても済むじゃないか。それに、鈴もあんなことがあった後では不安だろう? その点、俺は良い”番犬”になるよ」


 さすがに実家近くの治療院ならお見舞いはあっても、付き添い入院なんてないと思っていたのに。いつの間にか転院先での付き添い申請欄には蓮生さんの名前が書かれていた。なぜ!?

 仕事だってあるはずなのに、『傷病休暇中なんだ』と言う。さっき、かすり傷しかないと言っていましたけど?

 

「副隊長職の方を番犬扱いなんて出来ません! むしろ私は助けて貰ったお礼をする側ですよ」

「『可愛い、大好き』と言ってくれたじゃないか。遠慮はいらないよ」


 蓮生さんはそれはもう嬉しそうに目尻を下げながら、尻尾はブンブンとそのまま掃き掃除ができそうなほどご機嫌に振り、給餌をしてくれている。確かに今は器を支えることが出来ないので、介助をありがたく受け入れている。

 だけど寝込んだ状態のままならいざ知らず、筋肉痛さえ取れれば手が不自由なことや、多少節々が痛い程度で収まるはずである。


「ひぇっ!! そ、そそそれは……夢で寝惚けていたんです! もう忘れて下さい!」


 夢に出てきて可愛がったのは、前世の記憶の中のレインである。


「それはできないな。なんであれ、君の夢の中に俺がいたのだろう? そうだ、お礼と言うのなら、入院中は俺に身の回りのお世話をさせて欲しい」


 それはお礼ではないと訴えていると、蓮生さんは私の固定されていない方の手をふんわりと握り、頬へと寄せた。


「あ、あああああ、あの、蓮生さん?」

「少しだけ、このままで。こうして鈴が俺の手の届く所にいる。これが今は涙が出るほど嬉しいんだ。攫われたと聞いた時は生きた心地がしなかった……」


 そんな風に言われると、繋がれた手を振り解く気になれない。


「蓮生さん……」

「入院の間だけでも、君の傍に置いてくれないか?」


 傍に置いてって、なんだか嫌ですとは返事し辛い。彼にこんなにも心配させてしまったのかと猛省するところではあるけれど、寝ても覚めても彼が同じ空間にいるなんて仮初契約の時よりも難易度が高いと思う。


 早起きは苦ではないけれど、寝起きは覚醒までに時間がかかるし、寝ぐせもしょっちゅうだ。寝言も言うかもしれないし、寝相も悪いかもしれない。酷いイビキや歯ぎしりなんてしていようものなら恥ずかしくて生きて行けない。


「うぅ……」

「駄目?」


 彼は目でなにかを訴える節がある。口下手とも思えないのに、前世のレインとこういうところは確かに似ているのかもしれない。

 

「わ、わかりましたっ! でも、自分でやれることは自分でやりますからね」

「ありがとう。君が回復に専念できるよう、精一杯補助させてもらうよ」


 可能ならこの空間から今すぐ逃げ出したい衝動に駆られているくらいなのに、私の手は一方は繋いだままだし、もう一方は痛くて動かせない為、顔を隠すことすらさせてもらえなかった。



***



 目覚めてから聞きたかったこと、聞いておくことが色々とあって、肝心の謝罪をしていないことに今更気付いた。


「蓮生さん、護衛がいらないって言っておきながらこんなことになって、本当にごめんなさい」

「むしろ、謝るのは俺の方だ。今回君が誘拐された原因は、多分俺や朱羅にあるのだと思う」


 確かにそれっぽいことは言っていた気がする。だけど、油断をしたのは完全に私の落ち度だ。


「ううん、子供が相手で私完全に油断してた。他にもっと良い方法があったはずなのに」

「だけど、子供の方は奴らの仲間だったわけじゃない。言わば彼も被害者だ。普通は油断もするさ」


 繋いでいた温かな手が解かれ、するっと離れて行く。温もりが離れたことが今は無性に寂しくて、思わず袖先をぎゅっと掴み引き留めた。


「鈴、どうかした?」


「あ、急にごめんなさい」

「大丈夫。食器を片付けようとしただけだ。なにかあった?」


 引き留めた手前、なにか……と考え、気になっていたことを聞いてみることにした。


「あの、蓮生さん、本当は無理していませんか?」

「無理って、俺が?」


「ほら、私ってお転婆だし、言うことは聞かないし? 見た目も中身もまるで子供で、食い気ばかりでお洒落でもないじゃないですか」

「そんなこと」

「それに、男装令嬢なんて先生にも言われちゃうくらいで、色気なんて皆無ですから」

「鈴、ちょっと待ってくれ」


 自分で言って悲しくなるばかりなのに、一度堰を切った言葉は止まらない。


「そもそも蓮生さんの告白自体が、奇跡みたいなものなんですよね。それだけでも私には過分なことではあるんです。こんな子供相手じゃ蓮生さんも嫌だろうし、でも蓮生さんは優しいから、言った手前言い出せないんじゃないかなって。でも、私は大丈夫ですよ? 全然蓮生さんに釣り合ってないってわかっていますから。だから別に――」


 視界が滲み、頬に温かいものが伝う。拭おうとするも手はより強く繋がれ、代わりに蓮生さんがそっと親指で涙を拭った。


「君が大丈夫でも、俺が大丈夫じゃない」

「え?」


「ねぇ、鈴。この涙はどういう涙?」


 蓮生さんはじっとなにかを図る様に、琥珀色の瞳で私を見つめていた。

 

 彼の瞳には灯が映り込んでいて、キラキラの太陽を閉じ込めているみたいに見える。そのまま見続けていると私まで吸い込まれてしまいそうな、そんな不思議な錯覚さえ覚えた。


「鈴、答えて欲しい。陽からも少し聞いたけど、俺は君を子供扱いなんてしていない。今だって一人の女性として意識している。だけど、まだ君と俺の関係には名前がないに等しい。だからこそ大切にしよう、適切な距離を取らなければと考えていたんだ」

「そう、だったんですか……」


 前段階に仮初契約があって、その時との振舞いの違いに違和感があったのだけど。恋人でもなんでもないのだから、蓮生さんの言っていることは正しい。むしろ、私の方がどうかしていたんだと今更気付いた。


 そう思ったら途端に恥ずかしくなって、ふいっと顔を背ける。けれど、きっと耳まで真っ赤になっていることだろう。


「鈴、そんな可愛い態度を取られてしまうと、俺は自分に都合良く取ってしまうよ?」


 蓮生さんがベッドに片手を置いた。

 

 その重みで、ぎしっとベッドが軋み、ほんの少しだけ私の身体も傾く。



 顔に影が差しふと見上げると、すでに視界一杯に蓮生さんの顔があって――


「鈴、嫌なら拒絶して」

「え……」


 頬に手を添え、蓮生さんが気遣わしげに唇の端を見て、傷口にそっと口付けた。


「――っ」

「これは、消毒」


 蓮生さんの低く落ち着いた声が耳元で響き、心臓が跳ねる。


 傷口へのそれは獣人特有の習性ではあるけれど、これでは治るどころか、今度は不整脈で倒れそうである。


 蓮生さんの衝撃的な行動にうまく言葉が発せず、私はただ口をはくはくさせていた。


「鈴、君が不安なら何度だって言うけど、俺は君が好きだ。君が鈴音だったからじゃない、俺は鈴だから好きになったんだ」

「蓮生、さん……」


「お願いだ鈴。俺を見て、意識して。俺は君の”特別”になりたい」

 

 彼の優しく温かい眼差しが、今は熱を宿し私だけをとらえて離さない。

 


 その熱が私の身体の内側までも捕らえ、胸の奥をじりじりと焦がして行く。



 どうして袖をつかんだの?


 どうして涙が流れたの?


 どうして拒まなかったの?

 


 どうして、彼の目が離せないのだろう……



 心の中で育った小さな赤い実の弾ける音が聞こえたような気がした。



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