49:人生最大のピンチ
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「痛っ……! 見えないんだから、そんなに乱暴に押さないでよ!!」
「いいから黙って入れっ!」
顔に麻袋を被せられ、手首を縛られたまま、どこかの部屋に入ったことだけはわかった。
入ってから麻袋だけは取り払われたけれど、室内は入り口の扉の両側につけられた照度の低い魔石ランプで照らされているので薄暗く、少しカビ交じりのような独特の臭いのする小さな部屋で、窓はない。
室内にあるのは、なにに使われていたのかわからないけれど、湿気を多く含んでいそうな大きな木箱。それがいくつか雑多に積まれていて、中の見張り役だろう男がそこに腰を下ろした。
「お前もその辺に座れ」と言われたけれど、とてもじゃないけど座る気にはなれない。ただ、ここで相手を怒らせるわけにはいかない為、大人しく指示に従う。
(どうやって逃げたらいいだろう)
武器になるようなものなんて当然持ち合わせてはいない。だけど服の下に隠れている、肌身離さず持っているようにと渡された蓮生さんの犬笛と、朱羅の鳥笛はなんとかバレずにやり過ごせた。
笛があるからと言っても、こんなところで鳴らしたら間違いなく没収されるだろう。鳴らすのなら少しでも外に近づいた時か、あまり考えたくはないけど、もうどうしようもない時に鳴らすしかない。
(鳴らす機会なんてあっても一回……あれば良い方かな)
どの程度の距離まで笛の音が届くのかは半信半疑な上に、場所が地下なのだとすれば不安が残る。
(大丈夫、きっと今頃誰かしらには伝わってはいるはず……)
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ほんの少し前まで、私はアキちゃんと一緒に街へ買い物に出掛けていた。
報告したいことって何だろうと思ったら、『実はね……そろそろ式を挙げようかって、陽が言ってくれたの』とほんのり頬を染めながらも、私に一番に報告したかったと教えてくれた。
二人の正式な婚約は三年前、彼らが学園を卒業と同時くらいに交わされていたのに、『まだ卒業したばかりだし』とか『仕事に慣れてからでいい』と言って、中々式を挙げようとしなかった。そんな二人がようやくだ。
朝の落ち込みはどこへやら。大好きな二人がいよいよ結婚するんだと思えば、気持ちも一気に上昇するわけで。
蓮生さんとの逢瀬の約束は夕方の早い時間。今はまだお昼前なので、それまでは目一杯アキちゃんと過ごすことが出来そうだ。兄は中止を告げに言ったみたいだけど、さすがに約束していたことを反故にしたくはない。
こうして二人きりで出掛けるのは本当に久し振りで、二人でお茶をしたり、新婚用の食器を眺めたり、お祝いは何がいいか考えたり、女子二人は会話が途切れることがなくて、只々楽しい時間だ。
途中、アキちゃんが『陽に似合いそうなアンクレットがあったから寄ってもいい?』と言って、店内に入って行った。
地方と違って中心地は賃料も高い為、小さく狭い店が多い。特にアクセサリー系のお店は商品が小さいのでそういった傾向にある。
一緒に入っても良かったけれど店内は狭く、人ひとり分の幅の通路しかない為、買った荷物を持ちながら店内へ入るのは中々厳しそうだ。うっかり傷つけたり、落としてしまうかもしれない。
私は買った荷物を持ちつつ外で待つことに。
アキちゃんが店内へ入ってすぐのこと――
どこかから小さな子供の泣き声のようなものが聞こえてきた。
気のせいかなとも思ったけれど、気付けば寄りかかっていた路地の壁の隙間から、鼠獣人――小型種――の小さな男の子が、涙をぽろぽろと零しながら声を掛けてきた。
「ふっ、うぅ……お、お姉さん助けて! 妹が……ふぇ、妹が穴に落ちちゃた」
「えぇ!! 穴に落ちちゃったの!? 大変、ちょっと待ってて! 大人の助っ人を呼ばなくちゃ」
男の子はプルプルと震えながらも、頭をブンブンと横に振った。きっと不安で一杯なのだろう、落ち着きがない様子だ。
まずはアキちゃんに声を掛けて、と動き出したところ、服の裾を掴まれる。
「お姉さんだけで大丈夫。それに、すぐに戻るって約束したんだ。お姉さん、お願いだよ……」
「君の妹は今一人で待ってるのね? じゃあ、穴を見てみて無理そうだったら、お兄ちゃんは妹の側に居てあげて。すぐに私が呼びに戻るから、これでいい?」
「……うん」
ガラス越しに店内を覗けば、アキちゃんは他にも気に入ったアクセサリーがあったようで、色々と試着している最中だった――鳥獣人は貴金属好きが多いので、女性に限らず男性も装飾を嗜む者が多い――邪魔をするのも申し訳ないけれど、荷物を預かって貰えるよう店員さんへ声を掛け、「穴に落ちたらしい子供を助けて来る」とアキちゃんへ伝えた。
アキちゃんは試着をやめ、一緒に行くと言っていたけれど、試着で結構な数をじゃらじゃらと下げていた為、それを外すのを待っているのは男の子の絶望したような表情を見るに無理そうに思えた。
現場を見て、私だけで無理そうなら協力を仰ぐからとアキちゃんを説得し、私と男の子だけで先に向かうことに。
店の扉を閉めた途端、男の子の丸い獣耳がピクンと反応し、慌てて急かし始めた。
「お姉さん、妹が泣いてる! 急がなきゃ!!」
「ちょっ、ちょっと! わかった、わかったから。じゃあ案内して。ここから近いの?」
男の子は頷き、私の手をぐいぐいと引いて路地の奥へと向かった。
路地の入り口はまだマシだけれど、奥に進むほど狭まって行き、子供や私みたいな小柄なタイプしか入れなさそうだ。
「結構奥なのね。どうして子供だけでこんなところへ来たの?」
「……」
やや小走りで進む男の子はなにも応えず、代わりにぎゅっと繋いだ手の力を強めた。
手を引かれるままに向かえば、途中、曲がれば先が拓けていそうな道もあったので、女の子が怪我をしていたらそちらから助けを呼ぼうと、大通りへ出る為のルートを考えることに気を取られていた。
だから完全に油断していた。
すぐそこだと言うように導かれていたのに、すぐに辿り着かない。
穴に落ちたと言う女の子の泣き声が微かにも聞こえない。
向かう先は明らかに薄暗い路地裏で、治安は良くない場所。
それでも、穴に落ちた小さな女の子が一人で助けを待っている。男の子も必死の形相で泣いて縋って来ていたから……
相手が子供だからと言うだけで気を抜いてしまい、急かされるままに、ついて行ってしまった。
この子自体に悪意はなくても、相手を油断させやすい子供を利用する悪い大人は存在するのに。
結局、袋小路のようなところへ誘い込まれていて、気付いた時にはいかにもな風貌の覆面をした男達に囲まれていた。
「これってどういう……?」
助っ人の大人達ではないことは確かで、穴に落ちているはずの女の子は口を塞がれたまま、男に押さえられていた。
「や、約束は守ったぞ! 妹を返せ!!」
「よーし、坊主よくやったな。ホラよ、妹は解放してやる」
「お兄ちゃん!! うぁぁん!」
女の子はお兄ちゃんに駆け寄り、ひしとしがみ付く。お兄ちゃんも妹を抱き締めて、「遅くなってごめんな、怖かっただろ」と、自分もすごく怖かっただろうに、妹の前では必死に平気なフリをして「もう大丈夫だからな」と笑って見せていた。
(妹を人質にして脅すなんて……なんて酷いの!)
「オイ! おっちゃん達は、そのお姉ちゃんと話をしたいだけって言ったよな? だから話が終わったら帰してくれるんだろ? 酷いことなんてしないよな?」
男の子は妹を後ろに隠すと、どう見ても腰が引けているのに、自分が誘い出してしまった負い目からだろうか、私が酷い事されないか男達に尋ねる。
(話をしたいだけ……もちろんそんなわけないわね)
「うるせえ! ガキは知らなくていいことだ! さっさと行かねぇと痛ぇ目見るぞ!」
「うわっ!」
「お兄ちゃん!!」
「ちょっと待ちなさいよ!!」
男に手を挙げられ、驚きのあまり男の子は尻もちをついた。
もう見ていられないと、二人の前に庇うように立ち、男の子の手を引き立ち上がらせる。
「大丈夫よ。ちょっとビックリしたけれど、このおじさん達は知り合いだったみたい。私はここに残ってお話しするから、君達はもう戻って大丈夫よ、ね?」
チラッと男達を見上げた男の子が「でも……」と言い淀む。
「そうだ! 道案内のお礼は、さっき買ったお菓子でもいいかな?」
「え……お菓子?」
今の状態では一人でも精一杯だし、戦えない小さな子を守り切ることも私には不可能だ。この子達をこれ以上巻き込みたくはない。
ハンカチに包んであったお菓子が、こんなところで役に立つとは思わなかった。覆面の男の一人が疑って包みの上から鼻をヒクヒクとさせ中身を確認していたけれど、菓子の香りにうまく紛れて気付かれずに済んだ。内心はヒヤリとした。
ハンカチを縛る時に密かに忍ばせた”陽兄の鳥笛”、どうかこれがアキちゃんに届きますように――走り去る兄妹の背中にそっと願いを込めた。
(さて、なんとか無事に二人を逃がすことができた……けれど)
両手は後手にひねり上げられていて動かせないし、獣人四人の、それも男性を一人で相手は難しい。どうにかして逃げなきゃ……
やり取りを見るに、始めから私を狙ったのだろうか? 獣人の国に住んでいる珍しい人族だから? それとも弱いってわかってるから誘拐しやすいと思ったのか……
様子を見るに、今はまだ人族とバレているわけではなさそうだ。出掛け前に魔法薬を服用したから香りでバレることはないだろう。
(魔法と笛は切り札だ。焦らず、ここって言うチャンスを見逃さないようにしなきゃ!)
まだ圧倒的に体術、剣術の経験が足りていないけれど、先生の魔法訓練を受けておいて本当に良かった。冷静に攻撃チャンスを見極める訓練が不本意ながら早速役に立ったみたい。
移動中にどこかで隙をつけるか……なんて考えていたけれど、「じゃあ、嬢ちゃんには騒がれちゃ困るからよ、暫くおねんねしといてもらおうか」と言われ、抵抗する間もなく、なにか薬品の染み込んだ布で口と鼻を覆われ、あっけなく意識を失ってしまった。
薬の効果が切れ、目を覚ましたのが囚われた場所へ向かう通路内。
「……ん……うぅん」
「ようやく目が覚めたか? 中々目覚めねぇから、担ぐ羽目になったじゃねぇか。起きたなら歩け!」
乱暴に降ろされると、寝起き状態だと言うのに後ろから急かされ、そして冒頭に戻る。
熟睡していたお陰で、ここがどの辺で、どんな建物で、敵はどのくらいいるのか、周りになにがあるのか、あれからどれ位時間が経過しているのかも全くわからないまま、遅ればせながら結構窮地に立たされていると知るのだった。




