5:もう一人の兄、朱羅
後半:◆朱羅視点
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「こんにちは、碧海郵便です!」
「謝罪はうまくいったのかい? もう今日はゆっくりして行けるのだろう?」
青龍、白虎、玄武隊を経て、最後に朱雀隊へとお届けに来たはいいけど……
この、仕事で来ているのに親戚の家へ遊びに来たかのようなお出迎えをするのは、父方の従兄で赤茶色の鷲族、火神 朱羅だ。
せっかくお仕事モードで来たというのに、すっかり脱力してしまったけど、一応小声で話す。とはいえ普通ならいるはずの秘書官の方は席を外しているのか、室内には朱羅兄しかいなかった。
「うん、久遠さんが優しい方だったから、私も成人してすぐに罪人にならずに済んで良かったよ」
「久遠が特別優しいわけではない、そんなことで怒る方がおかしいと言うものだ」
朱羅兄はいつもマイペース。人に流されることなどない、我が道を地で行くタイプだ。なんなら副隊長もやりたくてやっているものではない。
隊内部で行う剣術大会でちょっと煽られてブチギレた状態で戦い、気付いたら優勝していたとか。
大会の度にそれを思い出してはキレてを繰り返していたら、彼の相手をできるのが隊長くらいしかいなくなってしまい、仕方なくやっている状態、とは本人談。思い出しキレとは器用な……
ちなみに何を言われたのか一度尋ねたけど、先に聞き出した陽兄が鬼の形相になったのを見て、聞くのを諦めた。世の中知らない方が良いこともある。
簡潔に言うと『クソみてぇな内容だから聞く価値もねぇ!』らしいので、とりあえず頷きました。
経緯はどうであれ役職に就くほどの実力があり、さらに顔面偏差値は神様の贔屓があったに違いないと思うほどの美貌である。
「でもこうやって隊服を着て執務室に座っていると、やっぱり朱羅兄は副隊長様なんだね。格好良い! すごく似合う」
「向こうへ行く時は私服だったからね。でもそうか、鈴には格好良く映っているのだね? ならば副隊長になった甲斐もあるというものだ」
そう言って立ち上がると、上着の縁に刺してある金糸の羽根刺繍を見せてくれた。
朱雀隊だけは通常の隊服のような袖だと翼が出し難い。その為、袖のないチャンパオの上に、少しだけ袖口が広めで丈が短い上着を羽織っていて、翼を出す際は上着を脱ぐ仕様だ――ちなみに夏季は上着を着用しない為、素晴らしい筋肉美が見れると親衛隊には大人気――
隊服は既製品ではなく、各々に合わせて作られるので、細身の朱羅兄の身体にもぴったり。ズボンの足元は絞ってあり、飛空の際にめくれないようになっている。
腰紐には鳥獣人らしく、綺羅と輝く装飾を何種類か組み合わせて下げており、私が以前誕生日に贈った手作りの組紐も愛用してくれているようで嬉しい。
副隊長以下は大体固定の意匠だけど、装飾は個々によって違う為、見ていて面白いし一番派手な隊である。その中でも顔面がすでに宝飾のように目立っている朱羅兄は、断トツ朱色の隊服が似合い過ぎなのである。
「格好良いけど、美しくもあって困るよね」
「それは褒め言葉と取っていいのかい?」
陽兄も黙っていれば顔は整っているけど、男っぽいというかちょっと強面でがっしりとした、まさに鷲族男子って感じなのに対して、朱羅兄は食が細いせいか無駄な贅肉ありませんって感じで線が細い。
一見儚い美人のようにも見え、髪も肩下くらいまであるせいか、よりそう見せる。
当然、学生時代もモテてはいたようだけど、全てこのマイペースさにやられて自滅していったと言う。なんて恐ろしい……躱しのプロだ。
そのせいか親衛隊の間では、朱羅兄はみんなで遠くから眺めているのが一番だという結論に至ったようだ。国宝の美術品のような対象というか、【みんなは一人の為に】精神がスゴイ。
だけどこの両親の良いとこ取りをした国宝級の遺伝子は、残念ながら引き継がれないのではないかとまことしやかに囁かれているし、叔父も叔母も若干諦めモードに入っている。
「褒め言葉だよ。顔良し、頭良し、性格良し、それに次期当主だよ? 悪い所なんて積極的に食事を摂らないことくらいじゃない」
「おや? 鈴は随分と私を高く評価してくれているのだね。しかしそれだけの条件を持っていようとも、中々思うようにならないのが人生というものだ」
意外な返答に目を瞬いた。
「朱羅兄でもうまくいかないことなんてあるの?」
「あるよ。望むのはたった一つだと言うのに」
少し眉尻を下げ、困ったような笑みを浮かべていた。
たった一つ、それってなに? と聞いてみたけど「さてね」と誤魔化されてしまった。聞いてはいけない内容なのか、聞いても理解できない難しい問題なのか。
どちらにしても本人が言いたくないのなら、それ以上は聞くことはしない。
「ところで鈴、今日はお前が好きそうな飴細工を用意してあるのだけど」
「え、飴細工!? 見たい! いります!」
わぁ、スゴイ!! 細い竹串の先に、精巧な鷲が作られてる!! 他にも花や兎なんかもある。
店舗を持たず移動販売のみで一個一個注文を聞いてから作る、毎日行列必至の名店と聞くのに。一体どうやって忙しいはずの副隊長が手に入れたのだろうか?
「ほら、口を開けて」
朱羅兄がその中から頭の白い鷲を取り出し、そのまま私の口元へ運ぶ。
「食べるのが勿体ないけど……あっ、ふふ。これ、白鷲で陽兄っぽいから頭から噛み砕いちゃおうかなぁ」
「悪い妹だね。でも、私が許そう。陽の頭から思い切り齧るといい」
二人でクスクス笑いながらも、「あ~ん」と口を開けたと同時に「失礼致します!」と扉が開いた。
「取り急ぎ、申し訳ございません! 火神副隊長の自筆署名がどうしても必、」
「ん? 署名かい?」
「あー……」
口をあんぐり開けたまま振り向いた私と隊員の方とで、しばし見つめ合う……
そして、こんな時でもなんてことないように、気の抜けた返事をする朱羅兄。
「し、失礼致しました!! 逢瀬ちゅ……ゴボン、ご歓談中とは気付かず、ノックもせず。出直して参ります!」
「おや? 急ぎではなかったのかい?」
「え、あのっ……!!」
口を開いてから、隊員さんがバタンと出て行くまでが10秒ほどだった為、なんら言い訳もリアクションも起こせずに終わってしまった。
っていうか「逢瀬中」とか言いかけてなかった!?
「鈴、どうやら逢瀬中らしい」
「なにを悠長に! さっきの人完全にそう思っていたみたいだよ」
「ハァ……私としたことが、鈴には悪いことをしたね」
「悪いこと?」
なんだろう? 額に手を当てて「不甲斐ない私を許しておくれ」とか言ってるけど、全く話が見えない。謝るのは私にじゃなくて、先程の隊員さんにでは?
「なにって、交際しているにも関わらず、恋人への贈り物が飴細工とは。彼から見たら、なんと安い女だと映っただろうね。こんなに可愛い鈴をその辺の有象無象と同列に思われるのは、とても耐えがたい」
「んん?? 朱羅兄、私達実際は交際していないんだし、気にするところはそこじゃなくてさ、もっと別なところにあるでしょ?」
先程の隊員さんが恋人とあくまで勘違いしたのであって、実際は付き合ってもいない、ただの身内なのだ。彼にはそう伝えたらいいだけの話では?
「それ以外で気になるところなんてあったかい? 私はお前が好きなのだから、二人でいたのならそれこそ恋人を愛でているように見えても仕方がないのかもしれないと私は思っていたのだが」
「だから誤解を生むよって昔から言ってるのに!」
「誤解? なるほど。告白はしても、ことごとく袖にされている私は、情けない男というわけだね。全く私の鈴はつれない」
「もう、ふざけないの! 早めにちゃんと誤解を解いておいてね? 完全に勘違いしてるみたいだったから」
こんな感じで少し天然なところがあるけれど、陽兄同様、実の妹のように可愛がってくれている、優しいもう一人の兄のような存在。
重度のシスコンを拗らせているのか、ちょっと距離感おかしくて「私の鈴」とかさらっと言っちゃうけど、これは昔から。何度言っても治らないので、もうあだ名か姓を「渡野」と勘違いしていると思うようにしている。
ただし、温和だけど例に漏れず鷲族なので、怒ると非常に好戦的となるのは陽兄と同じだ。
「別に勘違いなのだから放っておけばいい。私は全く気にならないからね」
「私は気になるの!」
「そんなに私と恋仲と思われるのが嫌なのかい?」
「今はそういう話じゃないでしょ? そうじゃなくて、朱羅兄が周りからなんて言われるか」
ふぅ、と朱羅兄が溜息を吐くと、空気が変わったような気がした。
「私はなにを言われても気にしないと言っているよ。それが嘘ではないことくらい、鈴はわかっているね?」
この手の話の時はおチャラけた雰囲気は消され、真面目な視線を向けてくる。嘘でもふざけてもいないと私にわからせる為、そうするのだ。
朱羅兄が本気で気にしないことはちゃんとわかっている。
だけど私が嫌だ。
陽兄にはアキちゃんがいるから大丈夫だけど、朱羅兄にはまだ婚約者はおろか恋人すらいない。
代々実力で朱雀隊の役職を務めてきた火神家本家の嫡男、それも完全獣化できる朱羅兄に「人族の恋人がいるらしい」なんて噂を立てられたくない。今は人族とバレていなくても、いつかはボロが出るものだ。
朱羅兄に限らず、いくら私がナインテイル国民とは言っても、大抵が人族とのハーフなんて望んでいないのが本音だろう、と思っている。
私の立ち位置はいち国民、友人、隣人、知人、仕事関係で関わる分には問題ないけど、こと婚姻関係となると大きな壁となる。
国民全員がとは言わないけど、そんな風に誰かが話しているのを、学生の頃 耳にしたことがあって、今も私の心に深く棘のように刺さっているのだ。
「それは……わかってるよ。でも嘘は良くないから、ちゃんと誤解は解いておいて欲しい」
甘えるような甘噛みも、お互いの匂いを確かめ合ったりマーキングし合うことも、そして種族別の求愛行動も、どれも「真似事」しか出来ない。
あくまでも求められてする必要があるのだ、これが常識だというのならそれに習うだけで、彼らのように本能でそういった行動は起こせない。
だからと言って、人族だけど、人族の恋人同士はどのように関わっているのかなんて、特別習うものでもないので、物語とかそういった創作物で読んだ程度しかわからない。こういう時こそ前世の記憶に頼りたいと言うのに。
つまり私は人族のくせに、知識だけは獣人寄り。理解ができるのは人族の方だろうけど、そちらの知識はないという、なんとも中途半端な立ち位置なのだ。
許されるのはきっと割り切った関係の恋人までだろう。
だからこそ、迷惑を掛けたくないと考えているのに、中々わかって貰えない。
私の声が震えていることに気付いた朱羅兄は、髪をかき上げまた小さく溜息を落とすと、私の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「お前からお願いされたのでは仕方ない、彼には説明しておこう。さて、そろそろ戻った方が良い時間だろう? 飴は持って行くといい」
「ありがとう、朱羅兄大好き」
「私も、いつもお前を想っているよ。私の鳥笛はちゃんと持っているね? なにか困ったことが起きたら遠慮なく鳴らすのだよ?」
「わかってる。陽兄のもあるし、最強の鳥笛だもんね」
「そうだよ。お前の後ろには最恐の兄が二人ついているのだから、安心するといい」
服の下に忍ばせている陽兄と朱羅兄の鳥笛を引っ張り取り出し、「ほら」と見せた。
どんな御守りよりも頼りになる私の宝物だ。
◆◆◆◆◆
パタパタと忙しなく執務室を出て行った、可愛い私の従妹であり、前世好いた女性と同じ魂を宿す鈴。
人族のせいか、獣人と比べて骨格は小型獣人よりも細く頼りない。
前世はあんなに大きく見えたのに、実際の大きさは今と同じくらいだったのだろうか。
獣人であれば小型であろうと然したる心配はないが、あんなにも小さく弱いのに元からの性格なのか、環境がそうさせたのか、家で大人しく……なんてことはもちろんするはずもなく。
人のことには涙脆いのに自分のこととなると、我慢して飲み込んでしまう。弱いなりに頼って甘えてくれたら余程楽なのだが、変なところで男らしさを無駄に発揮したり……実を言えば毎日ハラハラとさせられている。
四六時中傍についてやることなんてできないからこそ、陽らも鈴を鍛えたのだと思う。それでもいつか本当に大きな事件に巻き込まれるなんてことがないように、自分にだけ”SOS”とわかる専用の鳥笛を陽と私は作ってもらい、彼女に渡した。
「とは言え、鈴に呼ばれたことなど一度もないのだけどね」
それは陽にも同じことが言えるけど。
つい先程まで彼女が手を置いていた場所に自分の手を重ねてみるけれど、もうなんの温かみも感じない無機質な机へと戻ってしまっていた。
これまで困ったことが一度も起きていないわけじゃないのに、彼女は中々素直に甘えてはくれない。
先程の反応を見るに、やはり未だに婚姻が絡むような話には敏感のようだ。昔はツガイに対してのみだったのに、学生時代になにかきっかけのようなものがあったようだけど、真相はわかない。
探りを入れたことはあったが、どうしても話したくはないようだった。この手の話だけは瞳に悲しみの色を乗せやすく、それに気づいてしまえば無理矢理に聞き出そうとは思えず、結局私が折れることになる。
私自身、彼女に嫌われているわけでも、信頼されていないわけでもない。
だけど、只々もどかしい。
「私の立場、なのだろうな……」
ハァ、とまた一つ溜息を落とし、彼女が出て行った扉を見つめる。
「鈴……鈴音」
私はお前が怪我を負ったり、傷つき涙する姿を見たくはない。
前世の自分の死に際、鈴音の泣きじゃくる姿は記憶が戻った一番初めに思い出したもので、一番脳裏に焼き付いて離れないものだ。
前世はお前の傍で甘えるばかりだったから、今度は私が、と。そう思いこれまで研鑽を重ねて来た。
それなのに私の立場を気にして呼ばないのなら、何の為に強くなったのかわからない。
少々過保護気味だという自覚は確かにある。鈴の為とは言いつつ、自分が安心したいだけなのかもしれないし、どんな形であれ関わっていたいという思いの表れなのかもしれない。
引き出しを開け、一つ残しておいた小さな飴の包みを取り出す。菓子類は太りやすいと言うので、食の細い私は確かによく食べてはいるが、特別好みなわけじゃない。
いつでも鈴に与えられるように常備して、古くなったものを食べているにすぎない。
「朱羅兄大好き、か……」
彼女はツガイではない。
だから陽のように早い段階で鈴がツガイと出会うようなことがあれば、仕方がないものとして受け入れようと思った時期もあった。
もちろん、本心ではそんなもの望んでいない。もっと言えば、ツガイであっても自分より強い者でなくては絶対に受け入れないだろう。
その為には自分が弱くては意味がない。だから強さを求めたし、誰にも文句を言わせない為の当主の座だって、興味はなくとも必要と思ったから、最終的にはなっても良いと受け入れた。
こうして必要だからと身に着けた力も、知識も、立場も、これほど揃えても、たった一つの「心」が手に入らない。
お前はいつになったら気付くのだろうね?
「こちらの準備がいくら出来ていても、鈴の心がまだまだ硬い卵の殻の中から出て来ようともしない」
正直、ここまで良好な関係を築いておきながら、その関係性を兄妹から男女に変えようというのはそう簡単なことではない。
「従兄」ではなく「男」を意識させた時、彼女はどう思うのだろうか? 今、最も彼女に近い異性なのは私で間違いない。だが、それが忌避感を持たれ、一番遠くに追いやられたら私はどうなってしまうだろう。
変化の先に希望があると見るか、このまま孵らない卵を温め続ける、変化のない関係を続けるのか。
「全ては私の行動次第」
変化を望むのなら――殻を割らなければ。
紙に包まれた丸い飴を取り出せば、淡い琥珀色の飴の中心に茶色い飴のようなものが見える。『試験的に作ってみたので宜しければ』と渡された、ちょっとした仕掛けがあるらしい飴を口に含む。
カラコロと転がせば、口の中一杯に甘さが広がる。
仕掛けとは一体どこにあるのか。
ただの甘い飴じゃないかと結論付けてガリっと奥歯で噛み砕けば、思わず眉を寄せてしまうような苦味が流れ出て来た。砕いた甘い飴で苦みを消すようにゆっくりと味わえば、今度はそれらが混ざり合うことでまた違った味に変わる。
なるほど、これが仕掛けか。
丁度良い塩梅になるまでゆっくりと溶かし、味わう。
「……ほろ苦いねぇ」
殻を割った先にあるのは果たして。
――それは割ってみなければわからない。