35:孤立無援のポンコツヘタレ / side 久遠 蓮生
◇◇◇◇◇
「やってしまった……」
「なんです? ウキウキでお戻りになったはずでは?」
手紙に『お試しからで宜しければ』とあったので、その時点でも舞い踊る気分ではあったが、やはり直接本人から聞くと実感が沸くと言うものだ。
もちろん、あくまでも”お試し”を了承したのであって、恋人になったわけではない。
それを重々わかっていながら、途中からは完全に気が緩み、舞い上がってしまった。
彼女を前にするとどうしても調子が狂うと言うか、春の高揚感、百花繚乱の如く浮かれてしまい、まるで恋人同士になれたとでも言うような錯覚と言うか、願望が行動に出てしまった……
机の上で深い溜め息と共に、頭を抱える。
「慎重に詰めて行こうと決めたばかりだと言うのに」
「なるほど。大体理解しました」
兎月は俺の脳内が覗けるのだろうか? なにも説明しなくても理解できるらしい。戻って来て早々お茶を煎れてくれたが……また例の如く、とても濃い緑。
なにか怒らせるようなことをしただろうか?
「私はゆっくりと休憩を頂きましたし、副隊長は機嫌良くお戻りになられたので、これはうまく行ったものと思っておりましたが。やってしまわれましたか」
その表情は完全に呆れ顔である。これまで築き上げてきた信頼できる上司像は、どこかに吹き飛んだ模様だ。
「そんな目で見ないでくれ。俺がポンコツだってことは自分が一番よくわかっている! 言っておくが、ツガイの前では皆無力になるものなんだ」
「確かにそのようですね。これまでの付き合いの中で、副隊長がここまで慌てふためくポンコツ野郎に成り下がったのは初めて見ました」
「ポンコツ野郎って……そんなはっきり」
自分で言うのと他人に言われるのは違う。まして秘書官に言われるのは結構傷つく。
「言いたくもなります。すでに仕出かしてしまったことを、いつまでウジウジと嘆いているのです。仕事と同じと思えばいいのです。作戦が失敗したのでしたら、それを教訓に次の作戦を練る。これが基本でしょう?」
「仕事……? 確かに、次の作戦を練った方が良さそうだ。一応、送って行った道中に次回の約束は取り付けたのだが」
「そんなことよりも、今差し迫っている現実の対処に目を向けるべきですね」
「なんだ? なにが差し迫っているんだ?」
「副隊長のお母様が応接室でお待ちです」
「もっと早く言ってくれないか!?」
なぜ早く言ってくれないのかと思ったが、「あのような状態でお会いになれば確実に負けます」と言われ、確かにそうだなと思った。
母への対応は気を引き締めなければならない。
急ぎ応接室へ向かい、扉を開け……そっと閉める。
「本当に母がいるじゃないか……」
「そう申し上げましたが?」
再び開けると、優雅に紅茶を傾けていた母がカップをソーサーへ戻し、不機嫌そうな顔で口を開いた。
「蓮生、待ちくたびれたわ。あなた、あの茶会以降また家に寄り付かなくなって。今日と言う今日は、聞かせて貰いますからね。安心なさい、母は人相書きが実は得意なの。きっとあなたの探している女性を見つけてみせるわ。さぁ、紙もペンも用意済ですから想い人の特徴を言って頂戴!」
唇はにんまりと弧を描き、母は豪快に紙の束をバサッと置いた。さらに持参したペンを片手に、記者の如く俺の言葉を待つ体制を取っている。
気付けば俺の味方のはずの兎月は母の後ろへ付いていた。本能が強者の元へと向かわせたのだろう。気持ちはわからなくもないが、信頼していた秘書官の裏切りに、俺は恨みがましい視線を送るも難なく躱されてしまった。
(こうなることが容易に想像できたから、実家には近付かなかったと言うのに)
「母上、申し訳ないのですが」
「本当に申し訳なく思うのなら早くおっしゃい! 私だって昔から息子が頑なに結婚をしたがらない理由がわからなくて悩んでいたのですよ? それがようやくその気になったと思い、勇んで場を設ければ『違う』と呟いたきり、その後はまるで『そうですか』『そうですね』と、面接のような雰囲気だったと言うじゃない。私がその後どれほど謝罪行脚をしたと思っているの?」
それを言われてしまうと、頼んだ側としてはぐうの音も出ない。
自分でも精一杯の誠意を謝罪文は込めたつもりであったが、女心を欠片も理解できていない不肖な息子の尻拭いを母がしてくれていたらしい。これでは益々頭が上がらない。
「……その件は本当に申し訳なかったと」
「そんなことはもう良いのです。あの子達に不満があったと言うよりは、違ったのでしょう? あなた、もしかして」
「……そうです」
「まぁ! まぁまぁまぁ、まぁぁぁ!! 兎月さん、あなたも聞いてらして? 息子に、息子にようやく春が!!」
「誠におめでたいことです」
母はふるふると感極まった様子で、透かし彫りの入った香木、白檀扇子を広げ、その興奮を落ち着けようとしているようだが、声は弾んだまま全く効果は見られない。
「こうしてはいられないわ! すぐに完璧な人相書きを仕上げるから、それを我が家の畏奴にも見せて、それから一族方々にも声掛けを……」
「母上、それは結構ですので」
「なぜ? これはもう久遠家の最重要案件です。心配しなくても邪魔をするつもりなどないわ。だけど捜索くらいは協力させて頂戴」
「だから……それはもう必要ないと言っているのです」
「どういうこと? 兎月さん、ちょっと言葉足らずな息子の翻訳をお願いできるかしら」
「はい、副隊……いえ、蓮生様は長年ツガイ様を探していらっしゃったようなのですが、つい最近そのお相手が見つかりまして」
「自力で見つけたのね! ではすぐに婚儀の準備よね……その前に、略式で急ぎ婚約だけでも済ませた方が良いかしら? 婚約さえ済めば同棲できるものね。もちろん、お相手のご両親へ挨拶は済んでいるのよね? それで、どこのご令嬢なのかしら? 」
「ちょ、ちょっと待ってくれ……それはまだ早い」
上機嫌だった母の顔が一気に真顔となり、パチンと扇子を閉じた。言葉足らずな息子に苛立っているのだとひしひしと感じるが、俺自身あまりにも急な訪問だった為、どう説明したら良いものかと言い淀んでしまうものがある。
「……兎月さん!」
「はい。お相手は蓮生様の妄想ではなく、きちんと実在する方ではありますが、現状はようやく半歩ほど進んだくらいと言うところでして。まだご紹介できる段階にはないようです」
結局、兎月によってほぼ暴露されてしまった。うまく行っているならともかく、情けなくも苦戦している、そんなことを母親に知られると言う息子の心情を、誰か理解してくれる者はいないのだろうか?
当然、母の頭上には疑問符が大量に浮かんでいた。言いたいことはわかる。
「半歩……一体どういうことなの? 蓮生、あなたのツガイなのでしょう? 実は同棲しているでも、こっそり入籍だけ済ませていて、子供がすでに二人いますと言われても、母は喜びこそすれ怒りません。正直に言いなさい」
そんな、俺にとって夢のようなことを母に隠すわけがない。そんな状態なら間違いなく泣いて喜ばれるだろう。
「副隊長、もう話した方が宜しいかと」
「ハァ……話す代わりにこれだけは約束して頂けませんか? 絶対に、勝手に外堀を埋めようとか、下手に圧力を掛けるとか、無断で本人に接触するとか。とにかく邪魔をしないで欲しいのです」
「邪魔だなんて……酷い言われようね。しかしわかりました、きちんと話すのなら約束しましょう。ただし、お相手にわからない程度に調べるくらいは構わないかしら?」
「それも不要です。俺のツガイは鈴、碧海 鈴です。どうせ調査済ですよね?」
「碧海……碧海って、最近まで目くらましの為に付き合わせていた女性ではないの? あの郵便の。それならばなぜ、わざわざツガイ同士なのにあんな茶番を行ったの? 普通に紹介してくれたら良かったじゃない」
「彼女は……獣人国民ですが、人族なんです。それに色々あってツガイを怖がっている節があって、俺がツガイだと言うことも彼女には知らせていない状態で」
「獣人国民なのに……人族ですって?」
母の眉間にゆっくりと皺が寄る。
今まで言われたことはないが、他種族の者との婚儀を望まれていないのではないか? ツガイを否定されるかもしれない、そんな焦りから、母が二の句を踏む前に慌てて言葉を被せた。
「母上、獣人同士でないことや、種族が違うからと反対されるのであれば、俺は籍を抜けることも厭わない。誰がなんと言おうと彼女は俺のツガイだし、彼女以外となんてあり得ない。皆、完全獣化出来る子供を望むのでしょう。だが、あれは獣人同士、種族は関係なく運だ。だから――」
バシャッ――「不愉快だわ」と言ったと同時、母から冷めた紅茶の洗礼を浴びた。
一拍遅れて、拭くものを用意しようと動いた兎月を片手で制し、自分のハンカチを取り出し拭う。母の金の目は怒気を孕んでいたが、母と言うよりも、当主の妻と言った方が正しい。
銀狼である母の纏う空気は、黒狼の父とはまた違った怖さがある。意識せずして俺も、そして兎月も背筋が伸びる程の気迫があった。
「蓮生、あなた誰に物を言っているか、わかっているのかしら。私は久遠家 当主の妻です。その私が、あなたに完全獣化できる子を作りなさいと今更命じるとでも? そんな気があるのなら、とうの昔に強制的に政略結婚でもなんでも、当主命令でさせたのではなくて? そもそもそんな能力を持たない親から生まれたお前に、私達がそんな考えを持っていたと言うのなら、兄の慧生ではなくあなたを次期当主へ据えていたでしょう」
「申し訳ありません。つい、熱くなってしまいました」
「熱が引いたのならいいわ」と言って、また扇子を広げ扇ぎ出す。母も少しカッとなってしまった自覚があるのだろうが、今のは完全に俺の失言だ。
生みの親に対して言うべきことではなかったし、冷静に考えればそんなことを思うはずがないとわかるものを……母の尊厳を踏み躙ってしまった。
反省をしていた俺とは違い、母は新しく兎月が入れ直したお茶を口に含むと、また雰囲気を母の顔へと戻した。
「それよりも鈴さんよ。今後はどうするつもりなの? 余計な手出しはしない、相手にも接触はしてはいけないと言うのなら、当然あなたから聞くことや多少の助言くらいは許してもらえるのよね? どこか貸切りたいところがあるのなら早めに知らせて欲しいわね。必要なら久遠の息が掛かった者達を客に見立てて固めても良いし。宿を一棟丸ごと押さえるのも素敵じゃないかしら?」
「母上、事を急ぎ過ぎです。彼女はまだ若く、恋愛慣れしていない初心な女性なんです。それに俺が嫌です。顔を見知った者に囲まれるのも、その者達に彼女を見られることも」
「そもそも、このお二人が貸し切りを優雅に楽しまれるには、まだまだ道のりは遥か先のことかと。鈴さんも案外鉄壁な所や若干斜めな思考をお持ちですし、蓮生様におかれましては……私の口からはなんとも」
「兎月、その誤解を招くような言い方はやめてくれないか?」
「案外的を射ているのではなくて? 一見男気あるように見えるけれど、要するに不器用なヘタレと言うことでしょう?」
「御明察です」
「ポンコツだの、ヘタレだの……一体俺にどうしろと言うのか」
「ポンコツだろうとヘタレだろうと、あなたにも狼族の本能があるでしょう? 根気強く押して押して押しまくりなさい。贈り物を贈るにしても、彼女がなにを欲しているのかよく観察してからにするのよ。ちなみに彼女はあなたのどういったところを好んでいそうとかわかるの? 顔が良いとか、強そうな体格とかあるでしょう?」
「彼女は獣耳と尻尾が好きで、完全獣化した姿を殊の外喜んでいたと思う。あとは毛並みがいいとか、か、可愛いとか……」
「カワイイ……? え、うちの息子に可愛らしさなんてあったかしら? それに、獣耳や尻尾なんて大抵の獣人にはあるわよね? ねぇ兎月さん」
「多様性の時代ですから」
扇子で隠しながらこそこそ耳打ちしても、全て聞こえる距離にいるので無駄だと思うが?
「兎月! お前だって耳と尻尾を褒められた時、喜んでいたのを知っているからな? そもそも鈴は人族だから、獣人とは見るところが違うんだ。相性の良い香りとか強さの階級とか、鈴はそういったところは全く見ていない」
「そうですね。彼女はとりわけ動く耳と尻尾、ふわふわに関心があるようです」
「それよ! それならそれを大いに活用なさいな。多少あざとくとも、本人が喜ぶのならいいじゃないの。それで、次はいつなのかしら? 遠くから眺めるのは良い? それとも――」
結局、このまま母の勢いに圧倒された俺は、孤立無援のまま根掘り葉掘り質問攻めに合い、相手に関わらない代わりに、定期的な成果の報告をするよう約束させられてしまった。
いつの間に頷いたのか記憶にない。
これからどう自分を売り出して行こうかと悩んでいたと言うのに、別の方面での悩みまで加わってしまい、久しぶりに寡黙な父と酒を交わしたい気分になったのだった。




