3:もう一つのプロローグ~かつての記憶~ / side 久遠 蓮生
◇◇◇◇◇
前世の記憶――
琥珀色の目の黒猫、生まれた兄弟達の中では一番小さな子猫。大きくて丈夫そうな兄弟達はすぐに貰われて、一匹だけ残った。
独りは寂しい、そう思ったその時、目の前に天使が現れた。
「かわいいネコちゃん、リンちゃんち、きてくれる?」
これが、小さな飼い主鈴音との出会いだ。
【レイン】と言う名前は、雨の日にちなんでつけられた。
猫は気まぐれだけど、俺は鈴音が大好きだったからいつも一緒。だって鈴音は温かくて他とは違う特別な匂いがするから。鈴音に抱き込まれて眠る時間は幸せに満ちていた。
やがて、小さな子猫も少しは
大きくなった。
散歩中によく鉢合わせる野良猫のボスから「お前、嫁はとんのか?」なんて聞かれて、俺は鈴音について話した。
俺にとって鈴音は、誰よりも可愛くて、良い匂いがする。どんなに可愛いと言われる猫を見ても、全くなにも思わない。周りの猫友には「変わってるな」と言われるくらいだった。
「ツガイの匂いじゃニャーか?」
「ツガイ!? 本当?」
「けど、人間と猫でツガイが成立するかニャー。よく餌をくれるパン屋の親父も、料理教室のマダムもめちゃくちゃ良い匂いするしニャ」
「どうしよう、嬉し過ぎる」
「……まぁ、お前が良いならいいニャ」
「ボス、ありがとう」
彼女がツガイ。
鈴音は俺のことが好きで、俺も鈴音が大好き。
家ではいつも一緒に過ごし、隣で笑う君を眺めて、眠る時も一緒。
こんな毎日がずっとずっと続くと信じていた――家族が増えるまでは。
どこからやって来たのか、片翼が歪な白いオウムと片脚が不自由な赤茶色の兎が仲間入りしてからは、愛情が三等分になってしまったのだ。
オウムは殆ど籠の中だからまだいい。だけど、膝の上は兎との争奪戦だ。
ちなみに現在、十戦中 三勝四敗三引き分け。勝負は拮抗している。
アイツは小さくて軽いから乗っても怒られないし、鈴音も手が空いた時には撫でて構っているのだ。
それでも俺は前に邪魔をして怒られたことがあるから、嫌われまいとジッと後ろで寝たフリをしながら耐えている。
鈴音がいる時は籠から出ているオウムは鈴音と会話をしていて羨ましい。
『今日ハ楽シカッタ?』『スゴイ!』『ダイスキ』『オッケー』などと言って鈴音を楽しませている。
(俺も鈴音と会話をしたい……俺だけを見て)
◇◇◇
月日が経つのは早い。
鈴音とお別れの時がやって来てしまった。
どうしても抗えない、年のせいだ。辛い、悲しい、寂しい。
まだ傍に残れるオウムが羨ましい。先に儚くなった兎もきっと同じことを思っただろう。
君を泣かせてしまっていることが辛い。
君を残して先に逝くことが辛い。
君と離れることがなによりも辛い。
鈴音は一緒にいてくれたのに、俺は鈴音を置いて逝ってしまう。
長生きした方かもしれないけれど、どうしたって人間には適わない。
彼女の顔は涙でぐしゃぐしゃだ。兎の時のように、それを舐めて拭ってあげることも、傍に寄り添って慰めることもできない。
ギィギィと鳴くオウムとふと目が合った。
「ナァ……ン」
(……君にしか頼めない。鈴音の傍にいて支えて欲しい)
ツガイの傍に居れないことも、誰かにそれを託すことも、本当は身が引き裂かれるほど辛い。それでも鈴音を慰めてあげて欲しい、そう思った。
「ギィ……」
お互いに言葉はわからない。それでも「わかった」と言ってくれたような気がした。
『今日は流星群が見れるんだって。星がたくさん流れるから、願いも叶い放題だよきっと。レインが元気に長生きしますようにって私、たくさんお願いするね!』と鈴音は今朝言っていた。
(願いを叶えてくれる流星群か……)
ほとんど目も見えない状態なのに、窓越しになにかキラリと大きく光った気がして、眩しくて目を閉じた。
――もし叶うなら、今度こそツガイの鈴音と一緒に年を重ねたい。話がしたい、彼女を守れる強い身体、抱き締められる手が欲しい――
段々と意識が薄れていく中、彼女の体温を感じながら、夢のようなことばかり考えていた。
(そんな奇跡、起こるはずないけど、願うくらい……なら)
目を閉じて迎えるのは暗闇ではなく、真っ白な光だった――
「今のは……夢?」
確か、昨夜は今年の星祭りはたくさんの星が降ると聞き、兄と共に屋敷近くの丘で眺めていた。
星祭りは毎年あるけれど、必ずたくさん星が降るわけではない。それに毎年見たいと思っていてもまだ幼く、すぐに眠くなってしまっていた為、初等部に上がった今年こそはと意気込んでいた。
わくわくとした面持ちでたくさんの流れ星を待っていると、小さいのに他の星よりもひと際目立って輝く星を発見した。
『兄上、あれを見て下さい! すごく光ってます』
『ん? あれは街の灯りだよ。それよりも早く願い事しよう』
(絶対に違うのに。兄上には見えないのかな?)
次々と降り注ぐような流れ星に兄は夢中なようで、再度場所を説明しても「わかった、わかった」と軽くあしらわれるだけだった。
あんなにも輝いているのに、小さな星のことなど全く気にも留めてくれない。
(あれ、あの星動いてる?)
ただ、流れ星の割にゆっくりと浮遊している様子はどうしてだろう? 他の流れ星は地上に落ちる前に消えるのに、あの星はずっと光ったままだ。
(もしかしたら地上に落ちて、拾えるかもしれない!)
『兄上、兄上!』
『あっ! 願い事の途中だったのに!』
ぐい、と隣の兄の袖を引っ張ると、丁度手を合わせてなにやら願い事の最中のようだった。
『兄上、申し訳ありません。あっちの方角に星が落ちたようなのですが、どの辺りになりますか?』
『あっち? えっと……大体南だから火ノ都かな。だけど星はすごく遠いところにあるから、多分海を越えてオランドラ王国の方に落ちたんじゃないか?』
(オランドラ王国……遠いなぁ)
それなら願い事は、『あの星が欲しいです』にしよう。そう決めて両手をぎゅっと強く握り、祈った。
――自分だけが見つけた、小さな輝く星
物心ついた頃から、ずっとなにかを待っていた――
そう、待っていたのは……
「鈴音」
星の欠片が胸の中に飛び込んできて、途端、激流のように頭の中に沢山の記憶が流れ込んで来る夢を見た。
「鈴音」と口にした途端、胸が高鳴る。
不思議な夢の影響か、あるいは昨日の星の興奮状態が続いているか。妙にソワソワとして落ち着かない。
(どうしてこんなにも胸が高鳴るのだろう? でも嫌な気持ちじゃない)
気持ちを落ち着けようと、パシャっと顔を冷たい水で洗い、顔を上げ鏡に映る自分の姿を見てふと思った。
「少し癖のある黒髪と琥珀色の目は前世と似てる……」
前世?
身体つきや顔は人間みたいなのに、ふさふさの尻尾と頭に大きな三角耳がある。
すでに身体は七歳。昨日まではなにも思わなかったのに、今更ながら自分の身体をペタペタと触り確認する。
夢だけど、夢じゃなかった!
「生まれ変わってる」
突然、記憶が蘇った。
獣人しかいない国に俺、久遠 蓮生は黒狼の大きくて強そうな獣人に転生していた。
◇◇◇
記憶が戻ってから18年後――
カーテンを開ければ、差し込む光が眩しい。雲一つない快晴だ。
「今年の星祭りは星がよく見れそうだな」
なんとなく前世を思い出してからは、流れ星が自分の願いを叶えてくれたのだと思えて、流れ星や星祭りにはつい反応してしまうようになった。
それに流星群の日には意識していなくても、必ずわずかだが鈴音の存在を感じられるから星は好きだ。見えなくても「いる」と、そう思えたから。
ただ、わずかに感じる時と胸が高鳴るほどの時の違いは一体何なのか。気まぐれな星は教えてくれない。
昨日は兎月に『きちんと休みを取って下さい!』と半ば無理矢理追い出され、仕方なく寮の近場で食事を摂り、すぐに帰って身体を休めた。
普段は夢もほとんど見ないほど、身を清めたらさっさと寝台に倒れるように寝ていた。まともに丸一日休みをとったのはどれくらいぶりだろうか?
若干頭がぼうっとして身体が怠い。寝過ぎたのだろう。
「休みと言われてもな……」
入隊してから今までひたすら剣と体術に打ち込んできたせいで、どうにも休日の使い方がうまくない。
身体を動かさないのも落ち着かないし、これといった趣味もない為、やれることといったらこの世界のどこかにいると思う「鈴音」を探すことくらいだ。
友好国である人族の国オランドラ王国へは、あちらで開かれた国際会議と、外交使節団交歓の際の護衛随行で渡航しているが、特に収穫は得られなかった。
護衛は副隊長相当の実力がある者でなければならないとされていたから、最短を目指してきたのだが……
オランドラ王国の国土は、ナインテイルの半分程度しかない。それでも上陸した時に初めて鈴音を感じた七歳の時のような胸の高鳴りも「いる」という気配も全く感じられなかった。
ついに会えるんじゃないかという期待が大き過ぎて、いないとわかった時の気持ちの落差が大きかった。
名前もなにも情報がない中で、頼りなのは匂いの記憶や声、顔くらい。生まれ変わっているのなら声や顔も当然違っているだろう。もしかすると匂いも――
まず他国で、獣人が人探しなんて不審にも程がある。彼女との関係性も今はないのに、尋ね人として依頼するわけにもいかない以上は自力で探すしかない。それに、他国を好き勝手に回れるわけではないので探す範囲も当然狭くなる。
でも多分、鈴音は今世も人族だ。これは俺の勘だけど。
「オランドラではなく、他の小国か、もしもアグリード帝国の方だったら小国を探すよりも厳しいな」
アグリード帝国との紛争は、歴史で語られる程度だとしても、互いに良いイメージは持っていない。こちらが、というよりもアグリードが獣人をいち民族と認めない国柄だというのもある。
そもそもナインテイルの北、かの国との間には肉食の大型魔虫が棲む険しい山――飛影山――がそびえ立っていて、交流らしい交流もほとんどない。
あるのは大昔に作られた整備もなにもなされていない、まさに獣道と呼ぶに相応しい道のみで、今は定期的な魔虫討伐に向かう際に使用するに留まっている。
「ハァ、起きるか」
ゆるりとベッドから降り、適当な服に着替える。一年のほとんどを隊服で過ごしている為、お洒落よりも動きやすさでつい選びがちだ。その為、私服でも隊服に近いものが多い。
現在、実家の方は兄が結婚し跡を継いでいる。兄からは完全獣化ができる俺が継ぐべきと何度か言われたが、そもそも俺は結婚を考えていない。
家を栄えさせる目的としては不適合なのだ。
特に女性が苦手なわけではない。ただどうしても「鈴音」か「鈴音ではない女性」かという見方をしてしまう為、精々、気さくな友人や同僚止まりだ。
しかし、意志はなくとも実家にいれば見合い話が次々と持ち上がる。「今は力をつけることに集中したい」と言って、逃げるように四神抜刀隊の独身寮に移り住んだ。
それからは休みなく一心不乱に剣を振り続けた。
実家にも近寄らなかったことで、ようやく両親も諦め、見守ってくれるようになったのだと安心していたのだが、副隊長に昇格してからは「そろそろ身を固めてもいいのではないか」と言い出すようになり、それでも無視を続けていたところ、最近は職場へも釣書が届くようになり頭が痛い。
袖を適度に絞り、腰紐を締める。
すでに朝食と呼べる時間は過ぎている。なにか口に入れようと適当に摘まむ物を探すが、基本的に家で食べることが少ない。
「飲み物くらいしかない、か」
この必要最低限のものしかない中で、寛いでいる自分が想像できない。がらんどうとしたこの寮の部屋で、やれそうなことは読書程度しか浮かばない。
あるのは語学書や仕事に関わるもの。所謂、娯楽的な読み物や小説などは実家へ戻れば多少なりとあるが、寮には置いていない。
基本的にナインテイルでも大陸共通語が使われているが、その他にも部族ごとの言葉もある。オランドラでも共通語で通じるが、それはあくまでも王都周辺に住まう者や、地方では教養のある貴族のみ。
万が一鈴音がオランドラ語しか話せない場合に備えて、学生時代から専攻科目はオランドラ語や人族関連のものを選んでいたから、簡単な会話程度ならできる。
「食べに出るついでに街の見回りでもするか」
「休みの意味がないではないですか!」と秘書官に怒られそうではあるが、仕事一辺倒なところがあると自覚しているので、これくらいは許して欲しいところ。
実際、街の見回りは主に警吏が受け持ってはいるが、”国民の安全を守ること”を生業としている部分においては、警吏だろうが、自警団だろうが、四神抜刀隊だろうが変わらないのだ。
鈴音が今の俺を見たらなんと言うのだろう。
『レイ、すごい! 強くなったんだね!』と褒めるだろうか。あの優しい眼差しで見つめ、頭を撫でるのだろうか。
そこまで考えたところで、我に返り頭を振った。
もう18年……鈴音はどこの国にいるのか、積極的に外交を行っていないナインテイル国内にいては一向に手がかりが掴めない。
そもそも姿が「鈴音」とは違う可能性の方が高い。ただ漠然と「あの頃の鈴音」に会えると思ってきたが、俺自身が猫から狼獣人に生まれ変わっているのだ、鈴音もその可能性があっても全くおかしいことはない。
もしかしたら性別も違っていたり……
「やめよう、そっちの思考に耽ると落ち込むばかりだ」
気を取り直し玄関扉に手を掛ける。
ドクン――
全身の血が沸き上がり、一気に心臓に流れ込む、激流のような鼓動。
「うっ……! ハッ、ハッ、ハ……ァ……なんだ、これは」
ふらつく身体をなんとか扉に凭れることで支え、胸を押さえながら荒くなった呼吸をゆっくり整えると、ふわりと鈴音の気配のようなものを感じた気がした。
「どういうことだ? なぜか今、鈴音が近くにいる気がする」
さらに、胸騒ぎまで。
鈴音がナインテイルに? なにかトラブルか? 確率は低いが仕事で?
「なんでもいい、探しに行かなくては」
気付けば身一つで玄関を開け放ち、飛び出していた。
◇◇◇
真っ先に港へ走ったが、外国船の入港予定は今日はないらしい。警吏の詰め所や自警団になにか事件は起きていないかも確認したが、至って平和だと言われた。
「結局、なにも手掛かりは掴めなかった……」
なんとなく土ノ都のみを探していたが、もしかしたら他の地方都市なのだろうか?
そう思いながら歩いていると、裏通りから若い女性の叫び声がわずかに聞こえた。なにか事件に巻き込まれているのかもしれないと思い、急いで声の方へ向かうと、そこにいたのはなぜかゴミ捨て場に嵌っていた女の子。
救出後、汚れたまま女の子が一人家に帰るのでは不憫だろうと思い、最寄りの警吏の詰め所へ立ち寄り、女性警吏に対応して貰おうかと考えていた。
「降ろして欲しい」と彼女は言うが、靴が片方脱げたままでは怪我をするかもしれないと思って配慮したつもりが、なぜか暴れて彼女の手についたゴミを食らうことに……
手を離した途端、彼女は風のように走って消えてしまった。どうやら怖がらせてしまったらしい。
結局、顔についたゴミのせいで鈴音探し所ではなく、未だに鼻の奥に不快な臭いが残っていて抜けない。秘書官から小言ももらい、耳鼻専門治療院へ通うことになった。
嗅覚がうまく機能しないのは死活問題だ。
あの子自身の匂いはわからなかったものの、飛べないということはおそらく未発達の鳥獣人なのだろう。
あまりに衝撃的な出会いだったせいか、あの子のことだけは妙に印象に残っていた。
汚れてはいたが肌は白く、あまり見ない、桜色の髪と晴れ渡る空を映したような瞳が印象的な華奢な女の子。
とはいえ、今は鈴音のことだ。
今朝感じたような胸騒ぎもとうに消えている。
「もしかすると再会が近いという知らせだったのだろうか?」
もし、再会出来たらなんて声を掛けよう――
「初めまして……いや、二度目まして、か」
そう呟きながら夜空を見上げ、まだ見ぬ鈴音に想いを馳せた。