23:解けない誤解 / side 久遠 蓮生
◇◇◇◇◇
「久遠さん、昨日は大変ご迷惑をお掛けしました」
「全然、迷惑とも思ってないよ」
鈴が配達に訪れて早々、深々と腰を折り、謝罪と礼を述べる。
昨日はくしゃみをしていたから心配したが、無理をしている様子もないことに胸を撫で下ろす。
「鈴、今日は仕事の後に時間の余裕はあるかな?」
「いつも通り配達が終われば夕方から空いてますけど……なにか?」
「ああ、今夜一緒に食事でもどうかなって」
「あ、お礼の件でしたら、お給金の日まで待って頂いても良いですか?」
彼女が理由もなく食事に素直に応じてくれるとは思っていない。しかし、昨日の今日で俺がお礼の催促をしたと思われたことが悲しい。
「そうじゃない。あ……っと、相談もあるし。そうだ、鈴は知ってるかな? ふわとろの卵と炒めたご飯を合体させて”タンポポライス”と言うものを提供している店ができたらしい。すごく気になるが、俺一人では、ね」
ピタリと鈴の動きが止まる。
「ふわとろ……お、大きな揚げエビが乗ってるっていう、あの?」
「ああ」
「そちらの甘味一品無料券を頂いたのですが、期限は……今日まで、ですね」
「か、甘味が無料!? 行きます!」
優秀な秘書官の事前情報のお陰で、なんとか約束を取り付けることができた。
どこ情報かと思えば、集団向けの郵便物を預かる受付嬢こと藤さんと鈴の雑談の中で、最近気になって仕方がない店があるのだと話していたのを小耳に挟んだ、らしい。
さすがは兎族だ。
◇◇◇
「久遠さん、お待たせしてすみません」
「鈴、お疲れ様。俺も今終わったところだ」
夕方になり、鈴が仕事着のまま立ち寄ってくれた。配達が終わってから直で来たようだ。
てっきり着替えてから来るのかと思っていたが、「この格好の方が、久遠さんも変な誤解を受けずに済むかと思いまして。これで心配ご無用です!」と、仮初中のはずなのに、逢瀬とは捉えて貰えなかったらしい。使わなくていい方向での気遣いをされてしまった。
確かに鈴の匂いはせず、兄のお下がりの制服を着用している為、薄暗くなって来る時間帯なら、髪を帽子の中に埋め込んでしまうと、遠目では男の子に見えなくもない格好をしている。
これはこれで他者に彼女の可愛さを隠せる利点はあるが。
彼女の場合、根が真面目なのだろう、「逢瀬」と言っていない部分に関してはまるきり演じる気もないようだ。初めに「鈴はそのままで良い」と言ったのはこちらなので、むしろ合わせてくれているだけありがたいが。
ただ、心なしか、逢瀬ではないと思っている今の方が生き生きとしているように見えるのは、気のせいと思いたい。
目的の店には、話していたらいつの間にか着いていた。
外観は随分と古く趣があるが、窓越しに見える店内は清掃がよく行き届いていそうな、清潔感のあるお店のようだ。
店の前には行列が出来ていて、話に聞いていた通りの人気店であることが伺える。
「すごい行列ですね! ここでは一時間くらい並ぶのは普通なんだそうですよ。小腹が空くようでしたら、小さいあられ菓子がありますので言ってくださいね」
【リシュラン~気になるお店~】と書かれた小さな手帳を閉じると、またいそいそと鞄にしまい込み、小さな親指を得意気にくいっと上げて見せた。その手帳をできれば一時間程貸してもらえないだろうか?
思っていた以上に彼女は楽しみにしていたようだ。気合の入り方が今までの店とは違うと見て取れる。
「鈴、その、気合が入っているところすまないが、予約を入れあるんだ。だから俺達はすぐに入れる」
「え、ここって予約ができないお店では?」
「知り合いの伝手でちょっと、ね」
「伝手……久遠さんレベルともなると、これが普通……」
俺レベルとはどういうことなのかよくわからないが、詳細を聞かれてもあまり都合が良くない為、笑顔で返しておいた。
ただ、「これが普通」と言われても、予約は初めてなのだが、「わかってます。大丈夫ですよ」と、どう見ても全くわかってもらえていないまま、適当に流されてしまった。
少しは親しくなれたと思ったところで、例の誤解のせいか、むしろ薄っすら壁ができたような……やはり誤解を早く解かなければ、距離を縮めるよりも離れてしまいそうだ。
◇◇◇
温野菜、スープに続き、鈴お待ちかねの大きな揚げエビの乗ったタンポポライスが運ばれて来た。
俺は仕事柄どうしても早食いになりがちである。
だが今は光のシャワーを浴びているかの如く、輝く笑顔を振りまくツガイを余すことなく見つめることに忙しい為、ゆっくりと咀嚼し味わっていた。
「久遠さん……このトマトソース入りライスと、ふわとろ卵の組み合わせを考えた人には奨励金を与えるべきだと思いませんか? ナインテイルとオランドラを繋ぐ友好の証と言いますか、発想が天才の領域ですよね? 世紀の大発見です。料理って卵に始まり卵に終わるって聞きますけど、ふふ、『終わりの卵』ってなんでしょう? きっと絶対すごい料理なんでしょうね。ハァ、私もこの卵に包まれて眠りたい……」
「ふはっ! 俺は詳しくないから始まりも終わりもわからないが、卵に包まれた鈴は可愛いだろうなということだけはわかるな。君にこれほどの感動と喜びを与えてくれたタンポポライスは、俺も賞賛に値すると思うよ」
運ばれてきた瞬間から「わぁあ! うわぁ! すごいですよね! 本当にエビもおっきい!!」と空色の瞳を大きく見開き、はしゃいだり、頬に手を当てて「はぅ……ほっぺが落ちる美味しさってこのことですよね。私の頬はまだ無事ですか?」とうっとり食べたり。
(幸せだ……)
彼女の色んな素顔を垣間見ることができたのはこの料理のお陰なわけで。今後も贔屓にしようと思う。
「鈴、ご満足頂けたかな?」
「はい! それはもう!!」
食後につけた無料券利用のアイスも「これを考えたオランドラの見知らぬ方に敬礼したいですね。至高の食べ物ですよ」とこちらも目を輝かせてチビチビと食べていた。鈴は甘味ではアイスが大好きだそうで、確かに甘味のページではアイスの欄をよく眺めているし、何度か注文もしている。
もう、今日はこの笑顔を見れただけでも十分満足ではあるが、本題はここからだ。
まずは誤解を解きたい。
「ところで鈴、君に話し損ねていた件なんだけど、」
「そうです、相談ですよ! アイスはともかく、タンポポライスに見合う助言が私にできるとも思えないので、全く役に立てなかった場合は自分で支払いますね」
「鈴、食事は報酬じゃない。俺の誘い方が悪かったけど、今日は逢瀬のつもりだったんだ。鈴は気にしなくていいよ」
鈴は隙あらば割り勘にしようとする。食事を誘うにも敷居が高過ぎず、かといって安っぽくも見えない店選びと、奢る為の理由を考えるのは中々苦慮するところ。
「わかりました。聞いてからにします」
「じゃあ、まずはこれまでの誤解から……」
「誤解? 私、久遠さんになにも誤解なんてしていませんけど?」
「え? しかし、君を不快に」
「右近さんから聞いたんですか? もう今はバッチリ理解してますからご心配なく」
「理解? なにも伝えていなかったはずだが」
「はい、全然大丈夫です! それより、相談の話の方が気になります」
そうは言ってもと思うが、本人がここでその話は駄目だという姿勢なので、仕方なく相談へ切り替える。
「君の理想の男性ってどういう人なのかな? 格好良いなって思うところとか、強くて頼もしくて地位もお金もある方がいいとか」
聞いておきながらかなり恥ずかしいのだが、当の本人はポカンとした表情で、頭にはたくさんの疑問符が浮いているのか、首を傾げていた。
「え? 相談ってそれですか? いくら他の方に聞きにくいからって、よりにもよってそれを恋愛未経験者に聞くことではないと思います」
「えっ!」
「……そんなに驚かなくても」
口を尖らせながらも耳は赤い。
「すまない、つい」
(嬉しくて)
てっきり鈍感なだけかと……今までなんら響かなかったのも、納得だ。実際、俺も初めての経験で戸惑っているくらいだ、恋の駆け引きなどしたことがないのなら、わからなくて当然。
(と言うことは、身内以外で手を繋いだり、食事に行くのも俺が初めて?)
嬉し過ぎて顔がにやけてしまいそうだが、鈴にとってはあまり知られたいことでもないようだと、平静を装う。
少し悩むふりをしつつ、口元を手で覆い、緩んだ頬を揉んだ。
「一応お答えしますけど、あくまで一意見として下さいね」
「ああ、わかった」
「理想の男性像と言うよりは理想の恋人同士、夫婦なんですけど」
すごく気になる。むしろ、それが一番知りたいかもしれない。
「兄達のようにお互いを信頼し合える関係や、両親のように支え合える関係に憧れはあります」
「素敵な家族だね。確か、どちらもツガイ同士と聞いているが。羨ましいな……鈴もやっぱりツガイに憧れていたりする?」
ツガイの話題に触れ、期待に胸が高鳴る。
いっそここで「俺と君もツガイ同士なんだ」と言ってしまいたい。だが、まだ鈴に俺への意識は見られないし、やはり早計だろうか。
そもそも今は必死に抑えているだけで、絶賛ツガイ脳になっている俺は、すでに脳内では鈴と夫婦になっていた。我ながら重症だ。
ツガイの両親と兄が理想と言うことは、鈴もツガイとの出会いが理想と言うこと。
鈴にツガイの認識はなくとも、こうして二人が出会ったのは必然で、ツガイ同士ならば惹かれずにはいられないのではないか?
現に、俺はツガイと知る前から鈴に惹かれていたのだ。もう運命としか言いようがない。
俺は尻尾が動くのを片手で椅子に縫い留めながら、鈴の反応を待った。「私もそういう人と出会いたいです」と鈴が言ったら、我慢出来ずに言ってしまうかもしれない。
それなのに、彼女の口から零れた言葉に思考が停止する。
「私、ツガイが苦手なんです」
「え?」
「いえ、苦手と言うか、怖い? と言うか……」
「……苦手で、怖い」
ツガイが苦手? 怖い? 聞き間違いか?
「……久遠さん?」
「あ……あぁ、ハハ……少し驚いた。そういう感想は初めて聞いたから」
彼女は困ったような、言い難そうな様子で、水の入ったコップを両手で押さえ、水に映る自分を見つめていた。
「そう、ですよね。普通はツガイに憧れますから、私の方がおかしいのだと思います。でも、ご存じの通り私は種族が……ですからツガイという感覚はわかりません」
「……うん」
確かに鈴は人族だからツガイの感覚はわからない。だが、”苦手で怖い”とは一体どういうことだ?
ツガイとは、獣人族なら皆一度は憧れ、夢見る存在であり、その存在に出会えることは幸運の象徴とも言える。決して相手を怖がらせるようなものではないはずだ。
「たとえ相手から『ツガイだ』と言われても、わからない以上は信じきれないと思います。嘘か本当かもわからないですし。そもそも獣人と人族では、ツガイになり得ないんじゃないかなって思っているくらいで」
「そん――!」
反論したかったが、鈴の表情が申し訳ないような苦笑いに変わり、揺らぐ瞳に戸惑う。
無責任に「そんなことはない」と言うのは簡単だ。だけど、ツガイの認識ができず「ツガイが怖い」と言う彼女に、それをどう証明したら良いのか、考えあぐねていた。
そのまま単純に「俺が鈴のツガイだから、人族と獣人のツガイは成立する。それに君は前世でもツガイだったんだ」と伝えても、記憶を持たない彼女には信じてもらえないだろう。
(せめてほんの僅かでも俺との記憶があればいいのに)
鈴は、獣人だって必ずツガイと出会えるとは限らないことは理解している。実際、身内である火神家もツガイ同士というわけではない。
彼女の言う通り、ツガイには生涯出会えない確率の方が高い。だからこそ、それに拘らず婚姻関係を結び、幸せな家庭を築いている夫婦もあるし、むしろそちらの方が一般的で大多数を占めている。
だけど鈴は、もし結婚している過程で相手がツガイに出会ってしまったら? 匂いで異変に気付くことも自分にはできないし、そもそもツガイという強制力があるのなら、止める術がない。
婚姻契約は何の守りにもならず、一種の洗脳のように相手の心がツガイに囚われているのならば、なんの意味も持たないのではないか。そんな不安を持ちながら誰かと恋愛をするのはとても怖い、と。
人族同士だったとしても、恋の熱に浮かされたようになることも、浮気心が芽生えるなんてこともあるだろう。それでもツガイのような、自分に理解できないものよりも信用できるのは、己、もしくはお互いの努力次第でなんとかできる場合がまだあるからだ。
鈴は幼い頃からツガイのペアを家族内で二組も見て来た。初めの頃は只々憧れ、それはやがて羨望へ、そして自分は獣人ではないから叶わないのだと、諦観するに至ったのだろう。
(だから結婚願望はないと言っていたのか)
「なんか、たくさん話過ぎました」と、話終えると吹っ切れたようで、清々しささえ滲み出ていた。
鈴、君はもしかして――
「国を出るつもり?」
「……え?」
恋を知らないと言う君だけど、始まる前から諦めているというか、始まることがないように、そもそもこの国では恋なんてしないように、きつく心を縛っているみたいだ。
獣人のツガイが怖いのなら、自分と同じ種族の国へ渡って、そこで出会った誰かと恋に落ちて、俺の手の届かないところへ……
「独り立ちしたいと言っていただろう?」
想像だけでも胸が苦しい。ドクドクと心臓が早鐘を打っている音が、耳のすぐ傍で聞こえるほどだ。
彼女がもしも肯定してしまったら……
だが、俺の吹き荒れる心内とは裏腹に、彼女は深刻さの欠片もなくからりと笑って答えた。
「なんですか、それ! 独り立ちはしたいと思ってますけど、国を出るだなんて思いませんよ」
「……そう、なのか?」
「一度オランドラへは留学経験があるので、ご縁はありますけど。私は生まれた時からこの国にいるんですよ? 身寄りもないのに、まず現実的ではないですよ」
「確かに、そうだな」
彼女の言っていることは至極当然である。今更異国で一人暮らす方がむしろ怖いというものだ。
ひとまずこの国から出ないとわかり、こっそり息を吐いた。緊張していたのか、無意識に固く握りしめていた手は汗で湿っていて、手の平には爪痕が残っていた。
「それなら、どういう人となら考えられるんだ?」
「そんな方、現れませんよ」
合わせていた視線をフイっと逸らす。
鈴は自分の恋愛や結婚の絡む話には目を逸らす癖のようなものがあると思う。
だけど、ツガイは苦手でも他の条件があるのなら、俺はそれに賭けたい。兎月が言うように機会はそう何度もあるものじゃない。
両親や兄のような関係に憧れを抱くのは、誰かに自分も愛されたいと思うから。
だからほんの少しでいい、君の心の内を見せて――
「『現れない』と思うほど理想が高いのか?」
「そ、そんなんじゃ、」
鈴は「うぅ~」と唸りながらも、諦めたように口を開いた。
「ずっと傍にいてくれる、そう心から信じられる人、です! これでいいですか!」
「え……?」
彼女は「だから言いたくなかったのに」と、耳まで真っ赤に染め、両手で顔を覆っていた。
覆っていた手を離すと、顔を赤らめたまま、彼女はコップに入っていた水を一気に飲み干した。
どうやら相当言いたくなかったことのようだ。
矛盾?
絶対に裏切らず、死が別つ時まで離れないツガイ同士に憧れるが、その見えない存在が怖いと怯えている。それなのに、やっぱりそんな相手を夢見ていると言う矛盾に、自分で言いながらも気付いたのだろう。
ツガイじゃなくても、そうあれる存在。
鈴のことを言えないほど恋愛に関してポンコツな俺が、どうやって彼女に気持ちを証明し、受け入れてもらえばいいのだろうか?
俺自身はツガイだと認識しているから、頼まれなくても鈴の傍にいたい。離れる気も離す気もないし、鈴を一人残さない為に、より健康に気遣って長生きすると今すぐ誓うのに。
「心」と言う、目に見えないものを証明するのはなんて難しいのだろう。そしてツガイなのに、ツガイと言えないなんて……辛い。
「あ! もうこんな時間!? 今日は兄達も近くで食事をしているみたいで、帰りは一緒に帰るって約束をしているんです」
「そうなのか? 俺が送って行くのに、残念だ」
全く名残惜しさの欠片も見られない彼女の頭の中は、待ち合わせに間に合わせることで一杯のようだ。
会計を済まし店を出ると、「ご馳走様でした」と礼を取り、「また近い内にお会いできますか?」と尋ねられる。 昨日の礼がしたいらしい。
「一度くらいはご馳走になろうか。約束だったし」
「はい。最初で最後でしょうから、ぜひ」
彼女を見送り後、ふと引っ掛かりを感じた「最初で最後」という言葉。
結局、誤解も弁明させて貰えなかったが……
「まさか、な」




