22:みんなの鈴音、俺だけの鈴 / side 久遠 蓮生
◇◇◇◇◇
鈴が家に入るまで見届けた後、俺もそのまま寮へと戻った。
今から数時間前、ついに「鈴音」と再会することができた。
ハガキにあった残香ではなく、直接触れた懐かしい鈴音の……想いを寄せる鈴の、ツガイの――甘い匂いだけではなく痺れるような感覚に、座っていなければ膝を着いていたかもしれない。
今までの謎が一気に繋がったが、人族だと隠していた鈴の動揺を落ち着かせる為に、そちらに意識を向けていた。
薄っすらとでも今まで鈴音の匂いを感じていたお陰だろう。あれが初めてツガイの匂いを嗅いだ瞬間であれば、きっと鈴から離れることはできなかったと思う。
それほど甘美で、泣きたくなるほどの幸福感で満たされたツガイの匂いから離れられたのは、一重に鍛え上げて来た鋼の精神の賜物だと思う。辛い。
ツガイから香りの暴力と、視覚の暴力……辛い(二回目)
湯上りに濡れ髪で出て来た時も呼吸が止まりかけたが、自分で渡しておきながら、己の上衣しか纏わず出て来た彼女の姿にも胸を撃ち抜かれていた。「これはいけない」というのは自分自身に言い聞かせた言葉だ。
タオルで巻き付けても全く可愛さは隠しきれないし、どうしたものかと悩んでいる間に、彼女が転がり落ちてしまい、抱き上げたら離せなくなるというドツボに陥ってしまった。
足の間に彼女を座らせ、ハガキの件などを聞きながら髪を拭いていると、揺れる髪や、晒された項から、鈴音の匂いが微かに漏れ始めたことに気が付いた。
ハガキからの匂いと同じ匂いが、今、目の前に……
(魔法薬の効き目が切れ始めている?)
「早く!」と、急かすように心臓が早鐘を打っても、彼女から許可を得るまではと、そのわずかな時間を耐えた――
まだ少し逆上せたような思考の中、雨に濡れた隊服から部屋着へと着替えた。
そのままフラフラと寝台へと倒れ込み、天井を見つめる。
「鈴が、【鈴音】だった……」
匂いもわからず、見た目も性格も全然違うのに。
黒く長い髪は桜色に、夜空を映したような少し垂れ目がちの黒い瞳は、太陽の光を携え、キラキラと輝く空色の瞳に。
鈴のことは言えないほど、自分はそれ以上に大きく変わったのだから、当然と言えば当然なのかもしれないが、元鈴音だと言っても、匂い以外は別人のようでもある。
それでも――
温厚で大人しく優しい雰囲気だった鈴音。
今は元気で明るくて、馬を語る時は少し得意気で、美味しいものに目がなくて料理が上手く、獣耳と尻尾が好きで、甘えて欲しいのに中々甘えてくれない、少し真っ直ぐ過ぎて頑固なところがあるけれど、家族思いな君に俺は……
いつの間にか恋に落ちていた――
俺は鈴音を裏切ってはいなかった。正しくツガイに恋に落ちていたという事実に、震えるほどの喜びが込み上げた。
解釈違いか、鈴には慰められていたようだが、目を閉じれば鈴音に撫でられているようで、暫くその幸せな時間を享受していた。
◇◇◇
「鈴」と言うのか……いい名前だ。
初めは純粋にそう思っていた。
【鈴音】と似た名前を聞き、ふと遠い過去の彼女に想いを馳せる。
考えると胸が締め付けられることが多く、ここ何年かはあまり考えないようにしていた。
どうせ考えることは常に同じで、その行きつく答えもまた、変わることがないから。
――もしかしたら、もうすでに誰かと幸せに暮らしているのかもしれない。
――もし人族の国で見つけたとしてそれで? その後はどうする?
今世の俺は獣人であってペットではない。
会えたとして『前世、あなたに飼われていたペットのレインです』と言ったところで、相手はどう反応を示すだろうか?
俺ですら前世の記憶が戻ったのは七歳の頃だ。生まれた時から覚えていたわけではないのなら、鈴音も同じく前世を覚えていない状態もあり得ない話ではない。
もしそうならば、むしろ引かれないだろうか?
それこそ相手がいたとしたら不用意に近づくこともできない。こうして「もしも」と「たられば」だけを考えていても良い考えなど浮かぶはずもないのだ。
もう、諦めろということなのだろうか……そもそも本当にいるのかどうかすら、段々わからなくなってきていた。
これまでは鈴音と再び会うことのみを目標としてきたが、今世では会った後のその先が見えない。ただ純粋に会いたいと思う気持ちだけで走って来た少年期、青年期前半は良かった。
大人になると、世の中には受け入れたくなくても、受け入れせざるを得ないこともある、ということを知って行く。
今更この目標を完全に消し去るなんてできない。記憶が戻ったあの日、自分の中で時が動き出したような感動を忘れたわけではない。
それでも長い時間を掛け、自分の気持ちにも少しずつ折り合いをつけ始めた。
いや、正確には隠した、と言った方が正しい。
今まで心の拠り所として支えてくれたこの想いを完全に消してしまったら、そこにはただ大きな穴が残るだけで、埋まることはないだろう。
だからこそ『いつか会えたら』そんなささやかな思いだけ、こっそりと希望の光のように胸の奥に残しておいたのだ。
そんな時に君と出会ったんだ。中々強烈ではあったけど……
君と仮初の恋人になって間もない頃、協力者である兎月と、鈴の種族について話し合ったことがあった。
「鈴は、鷲族にしては顔立ちが随分柔らかいし、髪色も変わっているが、何族なのだろうか?」
鷲族と一言で言っても個性はもちろんそれぞれ。ただ、見た目の傾向としては、瞳は茶系、金、琥珀色、そして大抵がつり目と言うか鋭い目つきの者が多いし、髪色も白、茶系、赤茶、黒、灰色が主だった色だ。
しかし鈴は顔が小顔な割に空色の瞳は大きく、くっきりとした二重で、桜色の髪は鷲族ではあり得ない色ではあるが、明るい色はそこにいるだけでも華やいで見えた。
「鈴さんは養子ですから、恐らく鷲や鷹ではない鳥獣人なのでしょうね。明るい髪色は鳥獣人にはおりますし」
今思えば、所々に手がかりは散りばめられていたのだ。
身体的特徴である獣耳や尻尾がない。あえて消すなら完全人化を常に取っていることになるが、正直現実的ではない。ならば普通になんらかの鳥獣人しかあり得ない、だけど飛べない。
だが、ここまでは初めに思った通り、未発達ということも大いにある。
違和感があったのは、完全獣化した姿なら、たとえ国内で出回っている消臭石鹸を使用していても嗅ぎ分けることが出来るのに、鈴本人の匂いがわからなかった時だ。
なぜ、そうまでして匂いを消すのか、と。
本気で暴こうと動けば、もっと早く「鈴音」と気付けたのかもしれないとは思うが、身分証の提出もきちんと為されていて、何の疑いもない者を嗅ぎまわるような真似はやはり難しい。
過去の自分が、北斗さんから養子の娘自慢を聞いた時に『娘さんは何族なんですか?』ともっと興味を持って聞ければ良かったのかもしれないが、北斗さんのことだ、恐らく聞いても『何族とか関係ねぇ! 俺の娘だ!』と返すのだろう。
今回、鈴が「鈴音」だったと知れたことは、偶然に偶然が重なった奇跡のようなものだ。嵐に感謝したいくらいである。
(兎月を帰して、一人残って良かった)
あの時も、藤さんに今日はもう客人は来ないだろうから、早く帰るよう言いに向かっていた時だった。あの場に居合わせなければ、恐らく身内の朱羅の方へと連絡は行ったことだろう。
だが欲を言えば……
「せめて公開訓練前に知りたかった……」
手で両目を覆い、「あぁ……」と後悔するも、それは遅すぎた。
思い起こしても溜息しか出ない――
鈴と距離を置いて、もう少し冷静になって考えようと思った矢先に見つけた、「鈴音」の匂い。
親衛隊のものとわかれば、本人を呼び「すまない、今回の親衛隊との交流は俺が当番なものでな」とありもしない役割で誤魔化しながら、確認をしていた。
基本的に少し近付くだけで確認は容易にできた為、鈴へやったような確認は彼女以外には誰一人として行っていない。
しかし、その時にハガキを持っていたこと、「当番だ」と言ったせいで、抽選と勘違いした親衛隊から俺宛の”交流希望ハガキ”が益々増え、さらに当日でも見初めて貰えると考えた親衛隊が、かつてないほど詰めかけたことで、より一層鈴には軽率な男に映ったのだろう。
公開訓練期間とこの「鈴音探し」の間は、普段とは始業時間が変わることもあり、このずれによって早朝や配達時に、鈴とは本当に一切会うことがなくなってしまった。
鈴のことは気掛かりだったが、鈴音の匂いがある以上、見つかるのも時間の問題だろうとこの時の俺は高を括っていた。
今を生きる鈴音に一目会えたなら、この恋が本物なのかどうかはっきりとさせることができるだろう。俺は絶対に二心を持つような男ではないと断言できる。
鈴音の僅かな香りに焦がれてしまうのは、ただ懐かしむ思いからなのか、それとも鈴への想いが錯覚なのか。
錯覚なんかじゃない、勘違いなんかじゃないはずだ。では鈴音は?
自分の気持ちだと言うのに、考えるほどわからなくなってくる。
会えなくなってから、夜も寝付けないほど、鈴に会いたい、一目顔が見たいと強く思っているのに。
俺は今の気持ちを大切にしたいと思い始めていたが、こんな中途半端な状態で鈴に想いをぶつけるのは誠意ある対応とは言えない。だから決着を早く、と急いだのである。
ある日、所用があり実家に立ち寄った。
いつものように自室のテーブルに置かれていた数枚の釣書とハガキ。
全く気が進まないが、未開封のままだと文句を言われる為、確認したという痕跡と、いつものように「全て丁重にお断りを」と書き残すつもりでいたが、その中からわずかに鈴音の残香が感じられた。
(この中にもしかして鈴音が!? まさか、鈴音も獣人に転生を……?)
慌てて俺は釣書を確認していき、その内の二人と見合いと言う形ではなく、母がたまに行っているような気楽な茶会のようなものでいいから、彼女らを招いてもらえないか願い出た。
俺はもちろんそこに参加したいわけではなく、挨拶程度交わして確かめられたらと思っただけだった。
母がこの機会を逃すわけがないのに。
気が変わらない内にと、すぐに母が整えたのは茶会とは名ばかりの、顔合わせのような席。二人選んでいた為、一対一ではないことや、相手の両親まで伴っていなかったのは幸いであったが……
当然、本人達と会った瞬間に「違う」とわかった。美しく着飾られてはいたし、品も良く性格も穏やかそうな素敵な女性なのだろうと客観的には思う。だけど、違う。
ただ、自ら願い出ただけにすぐに席を外すこともできず、ひたすら味もわからない銘茶を口にしながら、双方の女性の趣味や特技を聞いては頷く。
俺へも同じ質問をされたが、趣味は見回りや走り込み、特技は剣術と答えた。ちなみに、これは事前に母に聞かれて「特にない」と返したら、こう答えるよう用意された回答だ。
一対一ではなく幸いと思ったが、一対二では息を着く暇もないほど話し掛けられてしまう為、話下手な俺にはかなり困難を極めることとなった。
彼女達を見送った後、席を設けてくれた母には礼と、しかし申し訳ないが結婚や交際の意思はないとはっきりと伝え、期待をさせてしまった二人へも精一杯の謝罪を認めた。
◇◇◇
中庭で話そうと思ったものの、結局なにも説明できないままに今日を迎え、鈴もあの日は怒っていたわけではなく、体調が悪かっただけだと言ってくれた。
そうは言っても兎月から報告があった誤解の方は大丈夫なのだろうかと心配したが、会話もいつものようにしてくれたし、なによりツガイと二人で過ごす時間は幸福に満ちていて俺はまたすっかり話忘れてしまったのである。
鈴音と鈴が同一とわかった以上、二度とあんな誤解されるような真似はしたくない。明日すぐに食事に誘おう。ツガイに誤解されたままだなんて辛過ぎる。
「もう鈴に会いたくなって来た……」
鈴音と同じく動物好きで、真面目で優しく、芯が強いところとか、共通点が全くないわけではない。懐かしく思う面影もある。
でも、俺が今抱いている恋情も、好きな相手として思い浮かべる顔も、全て鈴だ。
それに『鈴音?』と聞いた時の反応を見るに、きっと前世の記憶は引き継がなかったのかもしれない。少しくらい覚えているんじゃないかと期待した分、残念に思ったが、そもそも俺の姿も猫ではない以上、わかるはずもない。
【鈴音】だけど【鈴音】ではない。ほとんど以前の彼女の面影もなければ、記憶もなさそうではあるのに、思えばあの撫で方や笑い方、拗ねる時の表情は【鈴音】を少し思い起こさせた。
それでも「レイン」ではなく「蓮生」と呼ばれたいと思うのは、やはり俺もまた、【レイン】であって【レイン】ではないから。鈴には今の蓮生を見て欲しい。
「前世、『鈴音と共に』と願った時の思いと今では、執着の度合いが違う気がする」
ペットの時はただの純粋に『一緒にいたい』と慕う気持ちしか恐らく持っていなかったのに、鈴が俺のツガイだと詳らかになった途端、滾々と泉が湧くように、気持ちが溢れて止まらない。
前世の俺の分も合わさっているのだろうか?
鈴は仕事柄、これからもたくさんの異性と出会い、触れる機会が多いだろう。もちろん、それはただの手紙の受け渡しだと理解はしている。理解は。
「理解」と「受け入れ」は必ずしも結びつくとは限らない。
しかしそれ以上に重要なのは、実はまだ彼女とはなにも始まっていないということだ。恋人の上に(仮初)という余計なものが乗っかっている。
ようするに俺には彼女を独り占めすることも、約束なく会いに行く資格も、ただ傍にいることすら許されていないということだ。
彼女との関係が仮初なんてものではなく、本当に交際をしていたのなら、今すぐ彼女の家へ飛んで行き、「お嬢さんを下さい!」と頭を下げたことだろう。
彼女へ「一緒に行って説明を」と言ったのは、もちろん帰宅が遅れた事情のこともあるが、さり気なく「鈴さんと真剣に交際しております」と改めて挨拶がしたかった部分も大いにある。
残念ながら、鈴の目が『本当にここまでで結構です!』と断固拒絶で訴えていた為、諦めることになったが。
重たい男だと思われたくはないが、そう思っている時点で、自分は相当重たい男の自覚があるのだろう。
「困ったな。これから彼女とどう接して行けばいい?」
どうしたら君の心が手に入る?
君はどういう男が好みなのだろうか?
人族の鈴にはツガイの認識ができない以上、油断はできない。
「今世は君の愛情を誰かと分け合うなんて、俺には出来そうにない」
みんなの君じゃない、俺だけの鈴になって欲しいと望んでもいい?




