21:君は「鈴音」?
******
『逆らう、危険!』という本能に従い、久遠さんの言う通りにしている。タオルラッピングは多少解放されたものの、「足は見えると……いや、冷えると良くないから」と言い、巻かれたままだ。
だけど少しくらいこの状況について、質問くらいはしてみても宜しいだろうか?
「あの……久遠さん、髪を拭いて下さるのは嬉しいのですが、どうして久遠さんの足の間なんでしょうか?」
「うん? 俺と鈴では背丈の差があり過ぎるから、後ろに立ったのでは拭きにくくて。それに、狼族は体温高めだから、鈴の身体を冷やさない為にも丁度良いだろう?」
確かに久遠さんは温かい。ですが、お陰様で今恥ずかしさでこちらの体温も急上昇しておりますので、もう十分じゃないかと!
今日は左京さんと言う緩衝材が不在な分、どうツッコんだらいいのかわかりません。タスケテー!
ガシガシ拭くというよりも、私に「内側からも温まらなくてはね」とホットミルクを持たせているからか、ゆっくりと毛束を分けて優しく、それはもう生まれたての卵を拭く親ばりに優しく拭いてくれている。
「……そういえば、この間話しそびれたことなんだが」
話しそびれた? あ……私が素っ気なくしちゃった日の!?
「先日は、すみませんでした! あの、えっと、ちょっと胃腸の調子が悪かったと言いますか……」
「胃腸? そうか……痛いのに我慢していたんだな。俺の方こそ気付いてやれず、すまなかった」
「とんでもない! 私も言えば良かったですよね」
「もう胃の方は大丈夫なのか?」
心から心配そうに言われてしまうと居た堪れない。早々に「それで話と言うのは?」と続きを促す。
「ああ。最近流行っているのか、同じ人が書いたような字体のハガキを見掛けるんだ。郵便関係なら鈴がなにか知らないかと思って」
「同じ字体のハガキ、ですか? それは多分、私の始めたメッセージ付きハガキを購入された方のものだと思います。ふふ、私こう見えて、文字だけは得意でして、自慢じゃないですけど、今結構人気で品薄状態なんですよ。主に休日とか、夜の空いた時間を利用して――」
久遠さんは「え?」と言った後、ピタリと手の動きが止まった。あれ? 私なにか言ってはいけないことを言ってしまったのかな? 思い切り自慢してしまったんですけど。
「そう、か、君が……君だったのか。ようやく繋がった……だから」
「繋がる?」
「なんでもない、こちらの話だよ。確かに字が綺麗なハガキだった」と言って、また黙々と髪を拭きだす久遠さん。得意な文字を褒められるのは嬉しい。
毛先の方が終わり、今度は頭皮側を拭き始めた。ゆっくり、ゆっくりと殊更優しく、マッサージでもされているかのようで、眠くなりそうだ。
「俺と同じ石鹸を使ったのに、鈴が使うと違った香りになるんだな」
「そうなんですか?」
私が寝そうになっていたのを悟られてしまったのか、いつもよりかなり近い距離間で、久遠さんの落ち着いた低い声が聞こえて、思わずドキリとしてしまう。
(私もどうかしてる! 仮にも異性と二人きりの空間なのに)
「ああ、石鹸そのままの匂いに近いかな。お兄さんのお下がりの制服を着ている時はそちらの匂いがするし。私服も多分ご家族の匂いだろう? あとは花香水の匂いが混ざった香りだった」
「新しい服はサイズが大きくて、それでお下がりを仕立て直して着ているんです。たまに母が一から作ってくれたりもありますけど。兄のものでは不快な匂いでしたでしょうか?」
「不快ではないが……」と一度言い掛けた言葉を止め、逡巡している雰囲気が背中からも伝わった。
「……実は、鈴自身がどんな匂いなのかわからなくて、ずっと気になっていたと言ったら怒るだろうか?」
「え……私自信の匂い、ですか?」
うっかりしていた――
いつも家では私専用の消臭石鹸を使っていたけど、当然ここにはないから使用していない。
問題は、入浴後すぐに帰る予定だから大丈夫だろうと思っていた魔法薬の効果が、もう切れている可能性が非常に高いということだ。
念入りに洗ってはきたけど、自分でくん、と嗅いでも石鹸の匂いしかわからないから確認しようもない。
もしかして、今「人族の匂い」がし始めているのだろうか? そうでなければこんな質問してくるとは思えない。
まだギリギリ切れていないかもしれないし、薄っすら「なんだろう?」程度なのかもしれないけれど、それもわからない。
でも、久遠さんはさっき『石鹸そのままの匂いに近い』そう言った。
ドッドッドッと響く心臓の音は私のものなのか、久遠さんのものなのか。私の緊張が移ったのか、お互いに緊張しているようで区別がつかない。
「どうしても知られたくないのであれば、今すぐ離れるけど。もし、君が嫌じゃなければ……」
「嫌なわけじゃ……」
緊張で声が少し掠れた。
(大丈夫。多分、久遠さんなら差別はしない。それに秘密にして欲しいことなら話したりしないはずよ)
久遠さんは髪を撫でていたタオルを外すと、「少し触れるね」と言って私の髪を少し避け、首の辺りに顔を近づけた。少し冷たい鼻先が軽く首元を掠め、思わず「ひゃっ!」と声が出てしまう。
私は手が無難かと思い、少し前屈みになり、持っていたホットミルクのカップをテーブルの上に置こうとしていたところだったので、危うくカップを落とすところだった。
匂いの確認を首にしたのは多分、久遠さんが私を抱えるようにして座っていたからなんだろうけど、それでもここまで身内以外の異性と密着した状態は初めての経験だった。
今日の私は無防備過ぎると自分でも思う。もしかしたら風邪でも引いていて、暑いと感じるのも熱のせいだろうかと疑いたくなる。これでは朱羅兄に危機感が薄いと怒られても何も言えない。
それでも獣人の間で匂いというのは大きな役割を持っているから、お互いの匂いを確かめる行為自体はおかしいことではない。ただ、さすがに人前で大っぴらにはしないけど。
子供時代ならともかく、大人でここまでの至近距離は、身内以外なら余程気を許せる間柄か、相手の許可を得てからとなる。だから久遠さんも私に許可を願い出たのだ。
しかし、我が家のような鳥獣人なんかは、視力が抜群に良い分、嗅覚は割と鈍感なのでそういった行為は日常で見ることが少ない。たまに朱羅兄が『鈴の匂いに癒されたいね』と言ってするくらい。
キラキラしたものや花が好きな種族なので、人族で言う香水のようにオシャレの一つとして花の匂いをあえて纏わせて香らせている。人工的なものではなく自然由来なので、好みはそれぞれ分かれるけど、どの獣人にも抵抗はない。
私もこんなだから、匂いを探られるようなことは火ノ都での学生時代に何度も経験している。私の場合少し割高だけど、体臭をかなり抑える石鹸で洗ってから花の匂いを纏わせるか、陽兄や家族の匂いのついた服を身に着けて極力人族の匂いを晒さないようにしていた。
中央の土ノ都に越してくる前、父がどこで情報を入手したのか、オランドラで作られた一粒でおよそ半日体臭を消すという魔法薬を使用し始めてからは、便利なので愛用している。
あちらでは夏の暑い季節の汗臭を気にする紳士淑女が使用する割と一般的なもので、副作用もなく安心だとか。
火ノ都では知っている人は知っている感じで、人族に興味を持ってくれやすい小型獣人の猫・鳥・兎族、あと犬族は友好的なタイプが多い。
逆にそれ以外だと大体遠巻きにされるか、ちょっかいかけてくるかに分かれるので、無益なトラブルを生まないように自ら「私は人族です」と言いふらすことはしていない。
耳元で久遠さんのハッと息を飲む音が聞こえた。
「鈴、君は……人族、だったんだね」
「い……今まで黙っててごめんなさい! 隠すほどでもないけど、でもあまり堂々とは言ってはなくて、その」
特に獣人の国だから人族がいてはならないという法はない。けれど、文化の違いとか力の特性が違い過ぎるせいか、この国に根を下ろしている人族はおそらくいないと言っていいと思う。
せいぜい長期滞在程度だ。
少し前までは地方に住んでいたからほとんど見ることはなかったけれど、ここ、首都の土ノ都ではオランドラからの輸出入もあるので、港では度々見掛けるようになった。
ただ、こうした交流も20年ほど前に開国したから見られるようになっただけで、私が生まれた頃なんかはまだまだ鎖国のような状態だった。
それだけに生まれ育った火ノ都や、同世代、元から我が家と交流がある獣人達はともかく、一部だけど港のある土ノ都には急激に人族の文化が入り込み、街の様子が変わってしまったことで人族に対して良い印象を持っていない者もいると父から聞き、わざわざ言いふらすようなことはしてこなかった。
久遠さんももしかしてその『一部』に含まれるの? 今までは鳥獣人と思っていたから良くしてくれたのかも。今の今まで優しかった久遠さんの私を見る目が変わってしまったら、さすがの私でもしばらく落ち込むだろう。
「あの……私、やっぱり帰ります!」
今、久遠さんがどんな顔をしているのか、気にはなるけど怖くて見れない。
手をギュッと握り締め、勢い良く立ち上がったけれど、腰と手をすぐに久遠さんから押えられ、その反動で完全に久遠さんに凭れているような形になってしまった。
久遠さんは黙ったまま私の身体を更に自分へと引き寄せた。
(どうしよう、怒ってる?)
背後から抱き締めるように座らせると、耳元に顔を寄せて、私にしか聞こえないような小さな掠れた声で話掛けてきた。
髪のお陰で直接触れてはいないけど、髪がなければまるで耳に口付けるような、そんな近さだ。
少し震えているような気もするけれど、私からは久遠さんの表情が見えない。
「君は……【鈴音】?」
聞こえるのは雨風が窓を叩く音と、久遠さんの少し早い心臓の鼓動。それなのに、それとは逆にゆっくりと落ち着けるように零される微かな呼吸が耳に触れる。
「……リン、ネ? リンネって誰ですか?」
久遠さんの身体がわずかに強張り、呼吸が一瞬止まったように思えた。
誰のことだろう? 私と似た名前だから勘違いをしてるのだろうか。
「……そう、か…………いや、なんでもない。少し動揺してしまっただけだ。鈴が人族だったとは驚いたけど、それだけだよ。だから、逃げなくていい」
「……はい」
なんでもないという割には、すごく緊張感が籠っていたと思う。それに、多分期待した返答ではなかったのだろう。力が抜けたように私の肩に額を当て、前に凭れているような状態になっている。
なんとなく落ち込んでいるような雰囲気が背中から伝わってきた。
この時、どうしてそうしたのかはわからない。けれど、そうした方が良いような気がして、久遠さんの頭をそっと撫でた。
彼を慰めてあげたいと、そう思ったから。
(でも、なんだろう? この頭を撫でた感じ)
懐かしいような癒されるような不思議な撫で心地。慰めるつもりが、撫で心地が良すぎてむしろ私が癒されそうである。ブラッシングとはまた違った良さがある。
どれくらいの時間だろうか。特に久遠さんも抵抗なく撫でられていたので、私の方も遠慮なく撫で続けていた。
「……鈴、そろそろ顔を上げてもいいかな?」
「……ふぁっ! あ、すみません! つい夢中になってしまって!」
わしゃわしゃしていたら、すっかり夢中になって撫でまわしていた。触り心地がすごくいいし、耳を掠める度にぴるぴる動いていたのも、なんか可愛い。
「いいんだ。久しぶりに撫でられて嬉しかったし、鈴が髪だけでも俺に夢中になれたって言うのなら」
「むちゅ……って、ちがっ! わ、私は髪の触り心地にですね!」
久し振りに撫でた? 直に撫でたのは初めてのはずだけど、髪を梳いてあげた時のことを言っているのかもしれない。
「フッ、もしかして照れてる?」
「違います! そもそも顔が近過ぎるんです!! 笑ってないで離れて下さい!」
ぐいぐいと頭を引き剥がそうとしているのに、落ち込んだ雰囲気なんてなかったかのように、終始クスクスと笑いながら私をギュッと抱き寄せ、顔を肩に乗せて揶揄う。
時折、こうやって免疫のない私を翻弄し、楽しむ傾向にある久遠さんにはまだ慣れない。
大人って怖い。
***
抵抗している間にすっかり髪も乾いたので、乾かしてもらった服に着替え、家の側まで久遠さんに送ってもらった。
私の両親に説明を、と言われたけれど、正直怒られるところを人様に見られたくはない。
『副隊長様にまでご迷惑をお掛けして!』と怒りの小突きが追加投入されるのも避けたかったので、目力も込めて丁重にお断りした。
「鈴、もう一度言うけど、心配しなくても、君が人族だろうが俺の気持ちは変わらないよ。それに兎月辺りはおそらくだけど気付いていると思う。君も今までと変わらず……むしろ俺の前では隠す必要もないんだ、なにか困ったことがあったらいつでも相談してくれ」
「はい、ありがとうございます」
「さ、また身体が冷えてもいけない、君が中に入るのを見届けてから俺は帰るから。きっとご両親も心配しているだろう」
「すみません、では、近い内にお礼をさせて下さいね」
久遠さんと別れ、家に戻った。
「ただい……」
「お~ま~え~、今までどこに寄り道していたのか聞かせてもらおうか?」
こめかみの血管を浮き立たせながら仁王立ちで玄関に待ち構えていた兄に迎えられた。
ギャーーー!! やっぱり、すっごく怒ってるー!!
四神の基地で雨宿りをしていることだけは、帰り道がこちら方面の隊員さんから伝達を受けていたので把握していたけど、それにしても遅いとヤキモキしていたらしい。
兄に続き、両親に説教をされ、ヨロヨロと立ち上がったところで「鈴! ずぶ濡れのまま基地に来たってどういうことだい!? なぜ私を頼らなかった!」と心配して駆け込んできた朱羅兄に、どれ程心配したかと感情に訴えかけてくる、ある意味で普通の説教よりも凹む話を延々と聞かされた私のライフはゼロというかマイナス。
もう、絶対雨の日は無茶はしないと固く誓いベッドに入った時に思い出した。
「あ、クウに人参買ってない……」
翌日、クウには一日無視をされた。




