20:嵐の予感
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出勤の為に隣の事務所へ向かうと、陽兄が両腕を組んで待っていた。
喧嘩相手を待ち伏せでもしていたような雰囲気だけど、これが彼の通常モードだ。
「おい、鈴。今日は午後から強い雨が降りそうだから、配達は近場だけにした方がいいぞ」
「え、そうなの? こんなに天気が良いのに」
見た目が厳つくとも陽兄の天気予報はほぼ外さないので、降ると言うのなら降るのだろう。言われた通り近場だけにすると了承すると、陽兄は裏朱雀の訓練が午前しか出来ないからと、早めに出て行った。
さて、本日の郵便物をチェックする。
少し離れたエリアの大口二件と、引っ越しで離れてしまう友人宛の速達便があった。
普通郵便は明日の朝イチでもなんとかなるけれど、ハガキの方は、明日には街を去ってしまうという相手へ向けたものらしく、回収箱ではなく直接持ち込まれたものだ。
大口二件も速達便があるので優先した方がいいし、ハガキの送り先も運良く同じ方面である。
「う~ん、これは届けてあげたいよね。天気の良い今の内に離れたエリアからまわれば、近場で少しくらい濡れたって、マントでも被れば防げるでしょ。馬なら速いし。道が細いところは明日にすれば、それなりに配達できそうよね」
リクは老馬だから、急ぐ今回はやめて、クウにしようと決めた。リクでは雨に濡れれば負担も増すので無理をさせられない。ウミも検討したけれど、少し気が弱い女子なので「晴れたら乗せてもらうね」と約束した。
久しぶりの長距離配達にクウも上機嫌のようだ。最近は散歩程度だったから、定期的に長距離で乗ってあげないといけないなと反省。餌付けが多いせいで太りそうだと思い、走ることが多くなっていた。
「クウ、宜しくね!」
「ヒヒーン!」
見比べたことはないけれど、獣人国の馬は人族の国の馬と比較すると持久力もあり、一まわり程大きめらしい。お陰で、休憩なしでも一気に駆け抜けて行くことができた。やはりうちの馬は凄い。
ハガキも無事、本人に手渡すことができた。
受け取った相手も、直接挨拶できなかったことを気に掛けていたようで、とても嬉しそうにハガキを胸に充てていた。
こういう時、この仕事をしていて良かったなと思える。もちろん良いお知らせばかりではないけれど、想いをお届けするという仕事にやりがいを感じていた。
「さぁて、一番離れた街へのお届けも無事完了したし、あと二件ほど大口の速達を済ませて、最後に四神基地へお届けすれば今日はおしまいよ! ちょっと雲行きが怪しくなってきたけど、ギリギリ間に合うでしょ」
空を見渡せば、そのほとんどが灰色の雲に覆われ始め、太陽はすっかり隠れている。陽兄の予報通り、これから本格的に降り始めそうな雰囲気を醸していた。
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「そう、うまくはいかないか……」
「ブルル……」
陽兄の予報が的中し、雨がポツポツと降って来た。マントのフードと日除け帽子を目深に被り、雨を凌ぎながら一件目の大口先へ届け、すぐさま次の大口先へと向かうも雨はどんどん本降りになっていった。
手紙類は濡れないようにしていたけれど、少しずつ染みていきそうなほど雨も強まってきていた。大急ぎで二件目もお届けし、挨拶もそこそこにクウに再び飛び乗る。
お客さんは「そのままじゃ風邪を引くから少し乾かしてからがいいんじゃないか」と心配してくれたけれど、待ったところで雨は酷くなるばかりだったので、それならば早く帰って温まった方が良さそうだと判断した。
「うわぁぁん、クウごめんねぇ! やっぱり速達とハガキだけにすれば良かったかも~。絶対帰ったら説教案件だよね。頑張ったのに最悪だよ~」
すでにマントの隙間から雨が入り、服はずぶ濡れ状態だったので、せめて最後の四神基地本部への郵便物は濡らすまいと、マントを脱いで鞄を包んだ。プロとして手紙だけは濡らしたくない。
濡れっぱなしのまま、一時間以上走り、ようやく基地が見え始めた頃、追い打ちを掛けるように雷までゴロゴロ鳴り始めた。
「ひぃぃ! これはいよいよマズイわ。ここまでとは思わなかった、どうしよう!」
クウも多少慣らしているとはいえ、雷が得意なわけがない。不規則に起こる稲光と鳴動に、明らかに動きが固くなったし、落ち着かない様子を見せていた。
「あぁ~私ったらクウまで巻き込んで! やっぱり自分が走れば良かったのかもしれない。クウ、帰ったらこっそり人参かさ増ししてあげるからね、本当にごめん!」
『いいよ気にすんな!』なのか『お前、それ絶対守れよ!』なのか、「ブルル……!」と返事をしてくれた。希望としては前者であるよう願いたい。
容赦なく吹き付ける暴風雨でほとんど前を向けない中、クウが頑張ってくれたお陰で無事、四神の基地に到着することができた。
「うぅ……寒い、重い」
雨を吸ってすっかり重たくなったマントと荷物、下の服がクウから降りた途端にズシ、と重く圧し掛かる。よろよろと歩きながら受付まで向かうけど、その通路も私のせいで所々水溜まりを作ってしまっていた。
「まぁ、鈴ちゃんじゃないの!? 今日は配達お休みだと思っていたのに。ちょっと! 全身をこんなに濡らして、身体が冷え切ってるわ!! 誰か、拭くもの持って来てちょうだい!」
「い、いえ、できましたらまとめてこちらに手紙を置かせて頂きますので、各部署に仕分ける分のみお願いできればと……私では手紙を濡らしてしまいそうですし、床も汚してしまうので、すぐに帰りま……くしゅっ!」
気合を入れている間は耐えられたけど、一度建物内に入ってしまうと自分の身体の冷え具合がよくわかる。家族に怒られるにしても、お風呂に入ってからにしてもらおう。
ズズっと鼻を啜りながら帰る構えをしていると、階段を滑るような勢いで久遠さんが駆け下りて来た。
「鈴!? 窓から見えたのはやはり君だったのか。こんな日にどうして配達なんか……ずぶ濡れじゃないか!」
「久遠副隊長! この子、こんな状態で帰るなんて言うのよ! 顔色は血の気が失せたように白いし、こんなに震えてるってのに」
「いえ、ですからすぐに帰り……くしゅんっ!」
ちょっと軽くくしゃみをした程度だったのだけど、そこから久遠さんに抱き抱えられるわ、受付の藤さんにタオルを大量に渡されるわで、気付けば私、基地内のお風呂にカポーンと浸かっている状態です。
え、なんでだろ? どうしてこうなった?
でも、正直身体は本当に冷え切っていたから、助かったのかもしれない。あまりに冷えていて、お湯に浸かった時にビリビリしたくらいだった。
外の軒下に繋いでいたクウも基地内に入れて保護してくれているそうで、本当に至れり尽くせりとはこのこと。
更にありがたいやら申し訳ないやら、入り口はなんと久遠さんが見張ってくれている。
ただの配達員が玄武隊の副隊長様になにをさせているんだって話でして……これ本当に大丈夫なのかなと、冷静になればなるほど、今度はそちらが気になってきた。
「温まるまでは絶対に出てはいけないよ」と言われていたのでしっかり温まったけど、さてどうしようか。荷物を抱き抱えていたお陰で、下着はギリギリ守られたけど、そこ以外の部分は身体に張り付くほど濡れていたってことで用意されたのがコレ。
「久遠さんの服、なのかな? 大きい……」
渡されたのは上質な素材と思われる肌触りの良い男性用のアオザイ。そして調整用だろう腰紐だった。
久遠さんって身長何センチなんだろう? 男性サイズは陽兄の子供時代の物は着慣れているけど、成人サイズは初めてだ。
当然、上衣部分は私の膝下ほどの長さがあり、ズボンは今から牛乳を飲んだとしても、こんなに足は伸びないと思うほどに長い。
しかし柔らかく、つるっとした素材が仇となり、折り曲げてもスルスルと落ちてしまうのだ。このまま無理矢理履いては、長袴のように借り物のズボンを床に擦りながら歩くことになってしまうだろう。
とりあえず袖はまくり、悩みに悩んだけどズボンは諦め、上衣に腰紐を巻くだけに留めた。そもそも交換して欲しいなどと言える立場にはない。
「お待たせして申し訳ございませんでした」
一応、あまりお待たせしてはいけないと、髪は滴れない程度に適当に拭き、着替えてすぐに出たつもりだ。
「鈴、しっかり温まっ……た……」
振り向いた久遠さんは、言葉を途中で詰まらせた後、目を見開いたまま固まっていた。
「久遠さん? あの、上衣だけお借りしました。実は、ズボンが大き過ぎて履けなくてですね。お恥ずかしながら足が短いもので、すみません」
なんだろう? 「足が短い」と言った後に、久遠さんが視線を上から下へやり、3秒ほど凝視した後、またバッと上へ戻していた。「ホントだ、驚くほど短いなコイツ」みたいな感じだろうか?
「え、と……?」
久遠さんが動かないし、話さない。
下着が見えてるわけでもないし、前と後ろを間違えてもいない。
首を傾げながらも自分の格好を今一度チェックしたけれど、サイズが大きい以外、特にこれといっておかしいと思うところはない。
丈の短いものを着用する人もいるし、それに比べたら膝下まで隠れているのだから破廉恥と言われるようなことはない、はず。
「くしゅっ!」
「!?」
寒かったわけではないけど、入浴後の寒暖差から軽くくしゃみが出た。
その音にピクっと久遠さんの耳が反応する。
「鈴、これは駄目だ。これは……このままではいけない!」
「え? 駄目って、きゃあ!!」
言うが早いか、余っていた大きなタオルでぐるぐると巻かれ、また抱き抱えられながら今度は久遠さんの執務室へ連れて行かれた。この謎行動はなんでしょうか!?
ミノムシ状態のままソファに降ろされたので、「なにが駄目だったんですか?」と小首を傾げると、「くっ……巻いても駄目か」と久遠さん。全く話を聞いていない。
結局まともな答えはもらえないまま、久遠さんは片手で両目を覆ってブツブツ呟いていたけれど、急になにかに気付いたようで無言で動き出した。
戦いに挑むかのように眼光が鋭く、奥歯を噛み締めているのか、犬歯が見える程ギリギリと音を立てていて、怖くて話掛けられない。
ソファの背凭れで良く見えないけれど、給湯室の方からパァン! と頬を叩いたような音がした。一体なんの気合を入れているのだろうか?
なんでもいいけれど、できればこのミノムシ状態から解放して欲しい。顔と足先しか動かせないのは不便である。
「鈴、すまない。今日は兎月も早い内に帰らせていていないんだ。今温かい飲み物を用意するから」
「え、久遠さんが!? いいです、いいです!! 私、すぐに帰りますか、らぁぁぁ、ゔっ!」
ソファの上でビッタンビッタンと釣り立ての魚よろしく、ゴロンとうつ伏せに転げ落ちた。鼻痛い。
「鈴! 大丈夫か!?」
タオルでラッピングされてなければ大丈夫だったはずです。とは思ったけど小心者だから言えない。
すぐに久遠さんが駆け付け、横向きで抱き上げ、そのままソファに腰を掛けた。なぜ横抱きのまま一緒に!?
なるほど、顔に怪我がないか確認する為だったのか。久遠さんが鼻やおでこなどを確認すると安心した表情を見せたので、そろそろ解放してもらおうかと思い「では、私はこれで……」と言い掛けると、途端に支える腕に力が入った。
「鈴、今帰るのは許可できないよ? 髪もまだ濡れたままだし、きちんと乾かさないと。上着や服も藤さんに言って乾かして貰ってるから、それが終わったら俺が鈴を送って行く」
「そんな、久遠さんにそこまでしてもらうわけには……では、せめて朱羅兄に連絡を、」
久遠さんとはお別れも秒読みなのに、ここで変に関りを深めない方が良いだろう。それなら身内である朱羅兄に頼った方が良いというもの。
ただし、朱羅兄になぜこんな状況になったのかを知られれば、両親、陽兄にプラス朱羅兄も加わった、大説教タイムに突入することはもはや避けられないと思うけど、自業自得だから粛々と受け入れる覚悟だ。
だからって怖くないわけじゃない。めちゃくちゃ怖い!
久遠さんから肯定の返事はなく、見上げると彼の目の奥が鋭く光った……ような気がした。タイミング良く稲光が瞳に映り、ゴロゴロと音まで鳴るものだから怖さも倍増である。
「鈴……まさかその恰好のまま朱雀棟まで行くというのか? それを俺が許可するとでも?」
「許可……?」
久遠さんの顔は笑っているのに、声は今まで聞いたこともない、地を這うような低い声だ。うん、これは逆らってはいけないやつ。
獣人族じゃなくても経験から養われて行く野生の本能みたいなやつが、少しは私にも備わってきているらしい。主に怒っているやつしかわからないけど。
「もう一度聞くけど、朱羅の元へ行くの?」
本来この質問なら、「行く」または「行かない」二つの選択肢があるはず。なのに浮かんだ選択肢は「行かない」と「行ってはいけない」しか表示されていなかった。
「……い、いいい、いえ。あの、やっぱり久遠さんに、お願いしたいなって……」
ゴロゴロと鳴動が執務室にまで響く。
「逆らう、危険!」と脳内でも警報が鳴り響いていた。




