18:鈴の憂鬱、兎に始まり兎で終わる
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何度目かの早朝逢瀬の日のこと。
その日は顔を合わせた時から久遠さんは言葉数も少なく、どこか気不味そうにしながら別れ際に「鈴、急で申し訳ないが、暫く会えない」といつもは目を見て話す方なのに、視線を逸らされたまま告げられた。
「そうなんですね。お仕事ですか?」
「……あぁ、そんなところ、かな。すまない」
よくわからないけれど、仕事であれば守秘義務がある。あまり突っ込まれても困るのだろう。
「いえいえ、お気になさらず。お仕事、頑張って下さいね」
「本当にすまない……」
いつもならそのまま久遠さんは走って帰るのに、「今日は見送らせて」と言い、少し寂しそうな顔で私が角を曲がるまでずっと見送っていた。
――それから約一ヶ月、久遠さんとは一度も会っていない。
仕事と聞いていたから、物寂しさはあったけれど仕方のない事だと、あまり気にしてはいなかった。
だけど、最近妙に気になる噂を耳にするようになり、左京さんにそれとなく聞いてみることにした。
守秘義務のこともあるので内容はともかく、元気かな程度の。純粋に何の音沙汰もない久遠さんを心配してのことだ。
暫くとは言っていたけれど、半月程度と勝手に思っていて、こんなに挨拶はおろか、顔すら見掛けることもないとは思ってもなかった。
だけど、左京さんから聞かされた話に、私は驚きを隠せなかった。
「なにか悩みがあるようで寝付けない日々が続いてるようです。尋ね人がどうとか……」
「え……」
(あ……きっと想い人だ)
今まで頑なにお見合いを断って来たこと、聞こえて来た噂が、私にそう確信をもたらした。
「良かった……それなら早めに仮初の契約も終われそうですね」
「契約が終わる?」
左京さんは驚きで目を瞬いた。
「はい。私は今でも構いませんが、一応久遠さんの許可が必要でしょうし。尋ね人の方の目星がつきましたら、なるべく早く解消しましょうと久遠副隊長様へお伝え頂けますか?」
「『副隊長様』って、鈴さん!? 少し誤解があるように思いますが」
「気を遣って頂かなくても大丈夫ですよ。私は特に気にしませんし、どこでなにをされていようと、私が干渉するようなことはありませんから」
「困りましたね……副隊長は鈴さんに説明が足りないようです。近い内に対話の機会を作りましょう」
「いえ、邪魔になるだけですから」
「そうおっしゃらず」
そう、恋人でも何でもない私は無関係なのだ。
久遠さんがその女性を昔から探し続けて来たのなら、きっと結婚を考えるほどの方に違いない。
ただ、左京さんに言った言葉も本心だけど、なんとなく釈然としないのもまた本心で。
なんて言うか、それが本人の口からではなく、噂話や第三者から知らされてしまうのは、如何なものかなと思ったり。
仮にも私と久遠さんは今は契約関係にある。
どこの誰だと詳細を教えて欲しいわけじゃない。だけど、そういう相手がいてカモフラージュが必要だと言うのなら、「忘れられない女性がいる」とでも言ってくれたら良いのにと思うのだ。
「ハァ、今日もいらっしゃる……」
玄武棟から朱雀棟へ向かう道中、ひと際賑わっている空間がある。
今は公開訓練期間中。一通り親衛隊との交流時間も終わり、余韻に浸っている者がまだ多く残っていた。集まった親衛隊の方達も、互いの情報を持ち寄って盛り上がっているのだ。
『久遠様もついに結婚を意識し出したようね』
『今日も別な女性にお声を掛けていたわよ』
『羨ましい。戯れでいいから、私もお付き合いして欲しいわ』
こんな話題を毎日のように聞かされてうんざり。配達時間をずらせる日はずらしているけれど、その日の配達先の都合もあり、中々うまくは行かない。
『そういえば少しの間、久遠様に恋人ができたかも? みたいな噂が立ったじゃない? 悪質ではあったけれどデマで良かったわよね。あんなの……ふふ、ありえないもの』
『確かにアレとじゃ……ねぇ? 久遠様がお可哀想よ』
『やぁねぇ、信じたの? お相手がつけ上がるだけじゃない』
視線は向けていないけど、クスクスと笑いながら私に向けて言っているのだとわかる。声を潜めてはいても、私に聞こえるくらいだ。私が通りがかったことに気付いて、意図的に言っているのだろう。
それについては元々言われると思っていたことだし、仮初じゃないのなら私だって「なんで私!?」って思う。だからこれについては本当に傷ついてもいないし、ド正論だと思うから同意しかない。
逆にあまりにも噂が立たないなと不思議に思っていたから、「そういうことか」と納得したくらいだ。
久遠さんなりの計画がなにかあるのかもしれないけれど、左京さんの言う通り、彼は説明が足りないと言うか、言葉が足りない。本人が不器用だと言っていたけれど、そこは否定できないかもしれない。
モヤモヤとしつつも、その場を急ぎ通り過ぎようとしたその時、聞こえて来た噂話に思わず足を止めてしまった。
――久遠家でお茶会と言う名の複数見合いがあるらしい――
なにかの間違いかなと思ったけれど、忙しい久遠さんに合わせて、本来一対一のところまとめて、となったとか。お相手もご両親が決めた方ではなく、久遠さん本人が興味を示した方だそうだ。
これ以上は移動しながら立ち聞くことはできない為、詳細はわからなかったけれど「久遠さんが自ら選び、望んだお見合い」ということが、更にモヤモヤとさせた。
(好きな人がいたんじゃないの? なのに複数人とお見合いって、なに?)
正直、心の内は面白くない。
今の私のポジションは浮気をされている女、もしくは遊び相手だ。なにもここまでの醜聞を作ってくれなくてもと思うのは当然だろう。
さすがに文句の一つも言いたい。
(言わないけど……)
もうすでに立ち上がってしまった噂ではあるし、久遠さんのお見合いが頓挫しては元も子もない。それにあんまり騒いで、血気盛んな最恐兄二人が暴れても困る。正直言って、これが一番である。
「こんにちは、郵便です」
「やぁ鈴、ご苦労様」
朱雀棟の執務室に着き、入るなり少し気が抜けてしまい、無意識でハァ、と小さく溜息を落としてしまった。マズイ……
「溜息とはどうした? 元気がないようだけど、体調でも悪いのかい?」
「え!? ううん、全然体調はいいよ!!」
ほら、キタ! 目聡過ぎる!
「体調は良いのだね。ならば、あの黒いのになにかされた……とか?」
「されてない、されてない! ええっと……ちょっと新しく買った本が面白過ぎて、夜更かしし過ぎたのかも。気を付けるね!」
うっかり頷いたらどうなることか……
ほとんど確信を持った――ように私には見える――眼差しで私を見ているけれど、捨て置けないほどのレベルではない限り、私が望まない報復はしない……はず。
そもそも久遠さんが絡んだ時点で「捨て置けないレベル」と言われそうな気がするから怖い。仮初を始めた頃に朱羅兄が久遠さんの元へ怒鳴り込んで来た話も聞いているので余計だ。
心配はありがたいけど、過剰は困る。
「そうか、鈴がそこまでのめり込む本ならば、私も読んでみたいね。読み終えたら私にも読ませておくれ」
「あー……うん、そうだね。でも朱羅兄にも面白いかはわからないけど、それでも良ければ」
そう言って配達後、急いで本屋へ駆け込み【ブラッシングの極意2】を購入して帰った。輸入本はお高い……
嘘を真にする為に購入したものの、本気で読み耽りそうだったので、使った本代を取り戻すべく、やることをやろうと机に向かった。
「こういう時は写経よ。それも書けば書くほど売上に繋がる写経をしよう!」
心頭滅却の如く、ひたすらメッセージ付ハガキを作る。作って作って、売りまくって、貯蓄を増やすことに怒りのエネルギーは注ぐことにする!
こうして、また腱鞘炎になるまで取り憑かれたように書き続け、生産禁止令が出されてしまい、手持ち無沙汰となった頃、久し振りに久遠さんと執務室で会った。
「鈴、中々時間が作れなくてすまない。個人的にちょっと立て込んでいて」
「そうなんですね。一、二、三……」
想い人の捜索にお見合い、そして仕事じゃ、立て込みますよね。
「……怒ってる?」
「いつもと変わりませんが? 十三、十四……」
久遠さんはチャラ男化しましたけどね。
「だが……全くこちらを見ようとしないし。そもそも、なぜこんな配置なんだ?」
「二十八、二十九、三十……おかしいですか?」
今日の執務室は左京さんが不在だったので、なんとなく完全に二人きりを避けたかった私は、「たまには基地内の中庭にしませんか?」と提案した。
二基並んだベンチは幸いどちらも空いていた。
靴紐を結び直すフリをしながら、久遠さんに場所取りとして先に座っていてもらうよう促し、手前のベンチに腰掛けたことを確認。そして立ち上がった私はそれを通り過ぎ、奥側のベンチの端に腰を掛けている状態である。
状況を今一つ理解できていない久遠さんは、不思議そうに見ていたけれど、私は時間があるのならと、この後配る手紙の細かい仕分けをしているので、視線は手紙の束にあり、一切久遠さんを見ていないので今の表情はわからない。
ちなみに移動して来ないように、座面には荷物を広げている。
「鈴……実は、」
「久遠副隊長ー!」
久遠さんが立ち上がろうとしたその時、上の階から隊員の方の呼ぶ声が聞こえた。
「久遠副隊長、そちらでしたか! 影暁隊長がお呼びです」
「……ああ、わかったすぐに行く」
ハァ、と小さく溜息を溢すと「相談したいことがあったのだが、また日を改めるよ」と言って久遠さんは戻って行った。一度立ち止まり、こちらを振り返ったようだったけれど、私は気づかないフリをした。
(ふぅ……緊張した)
何の相談かはわからないけれど、正直あからさまな態度を取り続けるのも辛かったので、呼び出してくれた影暁隊長には感謝である。
広げていた手紙をまとめ、いそいそと鞄に詰めていると、ふっと頭上に影が差した。
「ユービン、こんなとこでなにやってんのさ?」
「わっ!! 右近さん!? 右近さんこそ、どうしてこんなところに?」
白虎隊の秘書官であり、兎月家四男の右近さんが気付けばベンチの後ろに立っていた。いつから居たのだろうか。
「なに? ユービンのくせに質問に質問で返すなんて生意気。僕はこれから休憩なの、天気の良い日は中庭で食べるんだけど、辛気臭い溜め息を吐いてる奴がいると思ったらユービンだったってわけ」
「辛気臭くてすみません……」
文句を言いつつも前にまわり、同じベンチの端に腰を下ろした。
「で?」
「で? ……ああ、すみません。今すぐ立ち去ります、イタッ!」
全く痛くはなくても、叩かれるとつい反射的に「痛い」と言ってしまう謎。右近さんが私の頭にコツンと軽く手刀を落とす。
「バカ。そうじゃなくて、なにかに悩んでんでしょ? 食べてる間は暇だし、特別に聞いてやるよ」
「悩みですか? 私、悩んでいるように見えました?」
「はぁ? 自覚ないの? 顔に『絶賛お悩み中』って書いてあるよ」
「絶賛……う~ん、悩みなのかな」
「まぁ、いいから話してみなよ。軽く聞き流してあげるからさ」
「それは独り言になるのでは?」
せっかくなので右近さんのデレに、私は甘えてみることにした。取り敢えず自分の話と言うより、もし右近さんがお付き合いしている恋人にこうされたらどうかというものだ。
「なにそれ実話?」
「違います。そうだったらと勝手に思っているだけで、事実確認はしていません」
「なんでそれ本人に直接聞かないのさ? ユービンって基本は顔に出るからわかりやすいのに、言葉にした方がいい時に限って隠すって言うか、飲み込むのが癖なの?」
「飲み込む癖と言いますか……言っても仕方がないこととか、言えた立場じゃないとかあるじゃないですか。大抵、私が一番下っ端ですし。どの立場で言えと言うんですか?」
「ふぅん」
「ふぅんって……」
食べ終わった野菜サンドの包み紙をくしゃくしゃと乱暴に丸め、ポイっとゴミ箱へ投げ入れると、職場にも持参しているという、牧場直送牛乳を一気に飲み干し、口を拭う。案外ワイルドだ。
「聞かないのはそれだけが理由? それとも噂は本当だと知るのが嫌なの?」
「怒っているのはあくまで教えてくれなかったからであって、知ることが嫌とかではないです。右近さんならどうされるんですか?」
「そんなの誰だって怒るに決まってるじゃん。そもそも僕の彼女なのに、理由も言わず他所の男と会うなんて浮気でしょ? 別れるね」
「右近さんは結構バッサリと行くんですね。でもそうですよね、別れようと思いますね……あれ?」
ついに答えに辿り着き、手の平にポンっと握った手を落とした。
「そう言うこと?」
「なに急に……僕変なこと言った?」
これなら、左京さんが「説明が足りない」と言っていたことも理解できる。
想い人については本当だろうけど、それ以外は喧嘩別れをする為の「設定」だったんだ。
タイミングはともかく、無理がなくて良い設定である。ふむふむと頷く。
「ちょっと、一人で納得するなよ」
言葉にしなかったのは、どこで聞かれているかわからないから。早まったのは、想い人が見つかりそうなことに起因するのだろう。
(【久遠犬】がいるからって、なるべく手を繋いだり、近くにいたくらいだし)
うんうんと更に頷く。
「右近さんに相談して良かったです! すごくスッキリしました!」
「ねぇ、絶対変な解釈してない? きちんと事実確認した方がいいって」
「いえいえ、もうピターッと見事にはまったんですよ! 右近さんのお陰で今日は久しぶりに熟睡できそうです」
「ならいいけど……絶対なにか違う気がする」
うーんと思い切り両腕を上げ、伸びをする。
久遠さんの言う「相談」がこの話だったのなら悪いことをしてしまった。でもあの様子なら、きっと近い内に別れ話が出るのだろう。
私は晴れ晴れとした気持ちで右近さんにお礼を伝え、そのまま配達を再開した。
一人残ったのは右近。
「ややこしいことになりそうな気がする……ハァ、面倒臭いなぁ。ま、左京くらいには一応報告しといてやってもいいか、たまには貸しを作らないとね」
ふふ~ん、と機嫌良く鼻歌を歌いながら、白虎棟とは別の棟へと駆けて行ったのだった。




