11:気持ちの変化
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朝の走り込みという名の逢瀬は、元々お互いに日課なので無理なく続いていた。特に待ち合わせはせず、時間が合えば一緒に走るという形を取っているからだろう。
愛馬もそうだけど、犬系の獣人は走る時にとても生き生きとした表情をする。本人が意識しているかはわからないけれど、楽しさが滲み出ていると言うか。
それに普段とは逆で、馬上からは視線が高くなる分、久遠さんを見下ろす形になって、失礼だけどなんだか対等な仲間になったような気分になる。
普通の走り込みと違って、加減していても結構なスピードが出ている為、終わった後の私や久遠さんの前髪は全て後ろへ流れている。おでこが出ている久遠さんは少し若く見えるし、可愛い。
そして最後にそんな髪を整えてあげることが、最近の仮初の恋人の役割。
なんて、単にふわっとした髪をブラッシングしたかっただけとも言う。
久遠さんには敷物の上で胡坐になってもらい、私は立ち膝で。ブラッシングをしながら、しばしの歓談。
「ふぅ……休息って言うのはこうやって取るんだな」
「お休みの日はひたすら身体を休めているんですか?」
柔らかな髪質なので優しくゆっくりと梳くと、久遠さんは目を細めていて気持ち良さそうだ。
梳きながらもさり気なく手に触れる髪の柔らかい感触が特に好きだ。
「いや、あまり寝過ぎても身体が却って疲れやすくて、結局いつも通りだ」
「せっかくの休日が落ち着かないなんて、勿体ないですね」
私も久遠さんほどではないけれど、休日だからとダラダラ過ごすタイプではない。寂しがりでもあるけれど、一人になりたい時もやはりあって、そんな時は少し息抜きをしに一人で出掛けている。
「そうだ! 久遠さん、今度のお休みにピクニックに行きませんか? 私、気分転換に外でのんびりしたいなって時にお弁当と本と敷物を持って一人で行くんですけど、もし宜しければ」
「ピクニックか、いいね。食事は俺が適当に買って行こうか?」
「う~ん、もし久遠さんが抵抗なければ私が作りますよ。あくまで庶民の味なのでお口に合うかはわかりませんが」
「作ってくれるなら君の弁当が食べたい。俺は独身寮暮らしで、食事は食堂とかたまに街に出て食べる程度で、むしろ舌は食通な一般人以下だと思う」
「ではそうしますね」と約束をして、次の休みはあっという間にやってきた。
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朝から明らかに私一人で食べる量のお弁当ではないので、すぐに母さんから「一体誰と食べるのかしらぁ?」とやはり見て見ぬ振りはしてもらえず。
「えっと、実は最近ちょっとだけ仲良くなった方がいて……でも、今は頑張ってるところだから見守ってて欲しいの」
「いつの間に!? 恋愛する気がないって言ってたのに、だからお見合いにも難色を示していたのね。そう、鈴にもようやく……絶対胃袋掴んでくるのよ?」
なぜか母の意気込みが凄い。
さらに母は「ハート型も入れなさい」とか、「うまくいったら紹介してね」とか、それはもう嬉しそうにしながら手伝ってくれて――
「ごめん、本当は仮初なの」だなんて絶対言えない。なんだか母の想いを裏切っているような気がして、気持ちは少し複雑である。
こうして馴れ初めなどを聞きたがる母を潜り抜け、待ち合わせ場所へ。
「鈴!」
「久遠さん、こんにちは」
久遠さんは私を見つけるなり、焦ったように凄い速さで走って来た。
今日はピクニックということもあり、お互いに軽装である。
母に「鈴、もう少し可愛い格好の方が良くない?」と言われたけれど、どうしても恥ずかしいので普段通りのシンプルな空色のアオザイを着ている。
それでも一応色付きのリップクリームだけは塗り、髪を片側に寄せて少しは女性らしく見えるよう結び、花飾りをつけて来た。
「すまない、女性を待たせてしまって」
「いえ、遅刻はしていないですよ」
対して久遠さんも膝上丈の青色のアオザイを着ているけれど、使っている生地は良い物だろうし、身体にピッタリ合っているということは特注品ということだ。目立たせてはいないけど、さり気なく刺してある刺繍が良い仕事をしている。
そんな風に観察していると、同じく私を見ていたらしい久遠さんと視線が絡んだ。
「今日の君はとても……その、愛らしいな」
「あ、はい。いえ、えっと、その……久遠さんも私服、とても素敵です」
「ありがとう」と言いながら甘く見つめ、私の片側に結んで流している髪に触れた。一気にぶわっと体温が上がった気がする。
急に褒め出すからなにかと思えば、そうだこれは一応逢瀬、恋人同士はまずはお互いを褒め合うところから始めるのかと気付く。
それならそれで事前に……言われていても結果は変わらないかもしれないが、非常に心臓に悪い。
お互いに言い慣れていない為、照れて少し気まずい。
久遠さんがゴホンと咳をし、話題を変える。
「鈴、もしかしてその大きな荷物は全部お弁当だったりする?」
「そうです。もしかして足りないですか? あ、そうか。朱羅兄よりももっと食べますよね! 少し買い足しますか?」
「いや、それは大丈夫だ」
「そうですか?」
「荷物は俺に貸して。重かっただろう?」と言って、背負っていたお弁当は久遠さんが持ってくれることに。
敷物と飲み物は久遠さんが持って来ているので、ちょっと軽くピクニックのつもりが結構な荷物量になってしまった。
「こんなに大きな荷物を鈴がここまで持って来たことに驚いたよ。身体は大丈夫なのか?」
「むぅ。確かに小柄で、力こぶは見えないかもしれませんが、星と同じく、見えなくてもそこには確かにあるんですよ、筋肉!!」
力こぶポーズを取り、見えない筋肉をパシパシと叩いて見せる。
「見えなくても、ある……ぷはっ!! ハハハ」
「……久遠さん?」
笑い出した瞬間にジト目で睨むと、気まずそうに視線を横へ逸らし耳も下げ、降参のポーズを取った。
「すまない。俺が悪かった……」
「いいです。どうせ貧弱なのは事実ですし、学生の頃から笑われてましたから」
プイっとそっぽを向き、口を尖らす。
「君にとって嫌な記憶を思い出させてしまった」
「え? 別にそうでもないですよ? 笑った子には学力で賭けをして勝ちましたので、言われなくなりました」
「そうか。君が強いことは理解したよ」
「筋肉ばかりが強さじゃありません」
さて、いい加減行こうかと歩き出すと、隣からすっと手が差し出されていた。
手は開かれていて……そう、握手を求められているものではない。それに手相を見て欲しそうにもしていないし、棘が指に刺さっているでもない。
「久遠さん、これは」
「え? 手を繋ごうかと……もしかして腕の方が良かった?」
早い……久遠さん、役者になり切るの早いです!! 考えてみたら、待ち合わせ場所は割と恋人同士が待ち合わせに利用する中央広場の時計塔前である。
ふと視線だけ動かせば、チラチラと私達を見ている人たちがいた。
そうか……恋人のくせに手すら繋がずでは久遠さんの評判も悪くなってしまうに違いないし、それこそ「あの二人って本当に恋人?」と疑われてしまう。
少々ぎこちなくはあるものの、おずおずと手を伸ばし、なんとか指先の辺りだけ握った。
***
のんびりと一時間程歩き。街中を抜け、郊外にある少し小高い丘へとやってきた。クウと以前行った丘とはまた違う。ここへは街を散策中に偶然行き着いた。
「すごいな、ここからでも少し海が見えるのか」
「久遠さんは初めてですか? 誰も来ないってことはないですけど、丘しかないし、近場にお店もないからほとんど貸し切り状態なんですよ」
当然、気の利いたベンチもないので、敷物は必須なのだ。一本の太い木以外はまだまだ若く細い木ばかりなので、中央の土ノ都の近代化に伴い、盛って作られた盛土の人口丘なのかもしれない。
太い木の下へ久遠さんが手際よく敷物を広げ、荷物を出してくれた。
二人だけだというのに、私サイズならもう五人くらい合流しても問題なさそうなボリュームである。
敷物と飲み物だけなのにやけに大きい荷物だなとは思ったけど、敷物は十人はゆったり座れる大きさだし、飲み物はとりあえず5L持って来ているそうだ。
「久遠さんがいるので心配はしていませんが、二人で食べるにはちょっと懇親会のようなボリュームですよね」
「鈴と俺の親睦を深める会、ピッタリじゃないか。では、乾杯をしなくては」
隊でも使用しているという、5Lタンクに入った麦茶を、これまたお酒用のジョッキサイズのカップにたっぷりと入れてくれたので、両手で支えないと重い。
「「乾杯!」」
コツンとカップをあて、呷るのは麦茶だけど、歩いた後にはやはり麦茶が合う。
「鈴、これ全部君が作ったのか……? すごい種類と肉の量だけど、これでは君の負担の方が多過ぎる」
「大丈夫ですよ。我が家も基本的に肉食なので、常にお肉は常備されているんです」
とりあえず独断と偏見で、狼族にはとにかくお肉だろうと思い、三段重の内の二段は肉尽くしで、残り一段の1/4部分に自分用の野菜の煮物や焼き魚、別枠で果物も用意してある。
前世名で言えば、竜田揚げにステーキ、煮込みハンバーグ、メンチカツ、生姜焼き、ササミの梅シソ巻、卵焼きなど、なんだかんだ口の肥えていそうな久遠さんへは前世の記憶で対抗する。知らない料理ならば比較されにくいだろうという算段だ。
陽兄が『筋肉にはササミだ! 卵だ!』とやたらと騒いでいたことがあって、久遠さんにも必要かと思いたっぷりと用意した。
麦茶っ腹の私は無難に野菜の煮物を摘まみつつ、久遠さんの反応を伺っていた。好みのものから順に食べるのかと思ったら、まずは全てを一つずつ口にするタイプだったらしい。
ただ、一つ目に「美味しい……」と呟いて以降はうんうんと頷いたり、目を閉じていたり、かと思えば見開いていたりと中々面白い反応を見せてくれた。
「久遠さん、お口に合いますか?」
「すまない! つい食べる方に集中してしまった。正直、どれも本当に美味しくて驚いてる。この腕前なら店も開けるんじゃないか? 噛み応えで言えば揚げ鳥や炙り肉だが、ササミもさっぱりとして美味しかった」
「お店は褒め過ぎですよ」
「鈴は食べないのか? まさかその取り分けてあるおかずで全てではないだろう? 放っておくと俺が食べ尽くしてしまいそうだ」
私の取り分けてあるおかずは、元々私用に作っておいた煮物が少々と大きな竜田揚げ一つ、卵焼き一切れ、ササミ、そして小さい雑穀米おにぎり二つだ。鳥獣人家庭には雑穀が豊富なので定番の主食である。
もちろん、食後の果物分のお腹も空けてある。
「そうですよ? これを食べたら果物も頂きますが。でもすでに麦茶でお腹が一杯なんですよね」
「本当にそれだけ!? 一日六食に分けて食べているでもなく?」
「六食も食べられませんよ。みんな小食、小食と言いますけど、本当に充分なんです。この辺は個体差だと思って下さい」
「それならいいのだが」
「なるべく沢山摂れるように野菜と合わせて食べてはいるんですよ。私はお肉のみではどうしても食が進まないので」
「ようするに鈴はどちらかと言えば草食傾向ということだな。ならば遠慮なくこちらのおかずは俺が頂くよ」
私が養子なのはすでに知られているみたいだけど、でも種族は言ってない。草食系の種族、そう思ってもらった方が楽なのかな。
そもそも人族との交流はあまり多くはなく、接したことがない獣人も多い為、少しくらい匂いが漏れても『ん? この匂いはなんの匂いだろう?』となることが多い。
魔法薬と出会う前は100%消すことは出来なかったので、すれ違う時に「あれ?」と首を傾げる生徒も実際にいた。
私の種族は何なのか、きっとわかっていないと思うのにそれを聞かれることがないのは、もう調査済だから? それとも話さないからそっとしておいてくれるのか。
ちびちび麦茶を飲みながら考え事をしている間に、お重箱びっしりと詰めていたおかず達はほとんどなくなっていた。
久遠さんは現役だけあって、食べるのが早い。だけど、陽兄のようなわんぱく食いとは違ってどこか品良く見えるのは、きっと育ちの違いなのだろう。
「野菜の煮物も美味しい」と言って、そちらも食べ進める久遠さん。
たっぷり詰め込んだものが空になっていく様子を見るのは気持ちいい。
「一人よりも、誰かと一緒に食べると特別美味しく感じるから不思議ですよね」
息抜きにはなるけど、一人で黙々とお弁当を食べている時は、やはり少しもの寂しく感じる。
「そう言えば俺、女性の手作り弁当なんて初めて食べたかもしれないな」
「え!? 親衛隊の方から差し入れとか頂いたりしないんですか?」
「あるけど、受け取らずに断ってるんだ。一人だけ受け取るわけにもいかないし、かといって全員は無理だろう?だから基本的には食堂で摂ってる」
「それなら買った方が良かったじゃないですか」
逢瀬と言うことで、久遠さんもそれっぽく見せる為に、我慢して食べてくれたのかもしれない。
「どうして? 俺が食べたいってお願いしたんじゃないか。とても美味しかったと感動しているくらいなのに」
「久遠さんは優しいから。きっとどんなものを出しても美味しいって言いますよ」
少し照れつつも、食べ終えたものを片付け、のんびり本を読むことに。
私のオススメを久遠さんが、久遠さんのオススメを私が読む。
「鈴にはどういった本がいいのかなって探したんだが、そもそも女性向けの本がなくて」
「私も提案したものの、久遠さんが読むような博識高そうな本なんて持ってないんですよね」
お互い自信がないので申し訳なさそうに渡し合う。
「へぇ、『刀剣図鑑』ですか。絵が多めで見やすそう」
「鈴のは人族の国の珍しい本だね。『ブラッシングの極意』か」
ゆっくりとページをめくりながら、様々な刀や剣の資料を眺める。全く嫌じゃない、嫌じゃないけど、本が分厚い。
しまいにはうつらうつらと眠気が襲い、木に寄り掛かったまま寝てしまった。早起きだったもので。
***
いつの間にかベッドで寝てたみたい。柔らかくて温かい、毛布に包まれているような寝心地。
あれ? 枕が上下に動いているような……それに、私の髪をなにかが優しく撫でて――
「……はれ? ベッドは?」
「ガウ」
<目が覚めた>
寝返り、鳴き声の方を見れば、大きくて格好良い、黒狼の琥珀色の瞳と目が合った。
「んん……? 久遠さん?」
「……グゥ!?」
<驚かないんだね? って、寝起きなのに、どこからそのブラシが!?>
黒狼さんは首を傾げ、その後私の手元を見てビクッとしていた。可愛い……もふもふ。
「ふふ……ふふふ。飛びつくのは我慢しますから、ブラッシング! ブラッシングだけさせて下さい!」
「!?」
<そこまでブラッシング好きなの!?>
私の馬並みに鼻息の荒い意気込みに押され、久遠さんはブラッシングしやすく、真っ直ぐ伏せをするようなポーズになってくれた。
まずは軽く撫でるように、絡まりがあるところは優しく解くけど、久遠さんはほとんど絡みがない。
全身を梳かし終わると、久遠さんが立ち上がり身体をブルルとさせた後、元の半獣へ戻った。
もう少し眺めていたかったのに……
「ありがとうございます。大きな狼のブラッシングが出来るなんて幸せ過ぎます。艶々で毛並みも最高でした」
「驚かせようと思ったのに、俺の方が驚いた。鈴はブラッシング上手だね……なんか、昔を思い出すな」
「子供の頃、お母様に梳いてもらった思い出ですか?」
「……そうだね、そうかもしれない。それにしても、こんなに充実した休日は久し振りだ」
普段、私なんかより何万倍も疲れているだろうから、少しでもゆっくりできたのなら嬉しい。
最後枕にしちゃったけど。
「また、息抜きしたくなったら来ましょう」
「そうだね、ぜひ」
初めは変なことに巻き込まれちゃったなって思ったけど、お相手が久遠さんで良かったと今は思う。彼の持つ空気感なのか、一緒に居てもつい寝てしまうくらいリラックスしてるし、素が出やすい。演技だけはどうしても慣れないけど。
終わりが決まっている関係で、そこに変な駆け引きみたいなものをする必要がないから気楽なのかな?
普通はもっと「こう思われたい」とか「こうして欲しい」とかあるみたいだし。私もこれまで友人の恋バナは聞いてきたから、こんな感じ程度の認識はある。
(良い経験をさせてもらったなぁ)
仮初が終われば、お客様と配達員に戻る。髪の柔らかさも、大きな手の温かさも、おでこの可愛さも知ってしまった久遠さんと、挨拶程度しか交わすことがなくなるということだ。
なんだか少しだけ胸がぎゅっと痛んだ。




