ある日の学校
あの自作ゲームの思い出も薄れつつあったある日、学校で、友達にスマホを見せられて、再生を押すよう促された。音楽ファイルだ。指示通り押してもなにも流れないことを伝えると、「今、これが流行っている」と教えてくれた。無音だが、「幸福になる言葉が収録されていて、聞こえなくても、実際はそれが流れている」と、その友達は言った。俺は、あのゲームの設定を思い出して、そのことをツバキに伝えた。いつの間にか、このような遊びを学校で行うものが少数とはいえいたのだ。
ツバキと俺は、驚いていた。ツバキのゲームは、特にコメントもつかず、ダウンロードもほとんどされていなかった。それゆえ、ネットで検索をかけるほど気にかけることもなかった。おそるおそる検索をかけてみたものの、やはり、作品について触れている人は見当たらなかった。これはまったくの偶然なのだろうか。友達に聞くと、どうも、『再生すると幸せになれる』、『お金持ちになれる』、『幸運を呼び込む』といったポジティブなファイルネームと、「音量0のBGMを流す」というのだけが広まっているようだった。噂では、最後まで流さないと効果がないといったルールまでできていた。
友達を頼りに、ネットで調べてみると、たしかに、幸せの手紙や不幸の手紙と同じ、チェーンメールのような代物になって広がりを見せていた。とはいえ、その規模はかなり小さく、このときは、多少の驚きとなんとなくの不安はあったものの、俺とツバキは、”関係ないもの”として、特に深くは考えてなかった。ただし、件のファイルの容量は、0ではなかったのが気になった。
それから季節が変わり、しばらくすると、クラスで、『学校で何か問題が起きていたらしい』という話がささやかれ始めた。違う学年のクラスでの出来事だったから気づくことはなく、このクラスの人間まで伝わるのに時間がかかったようだ。その事件の影響で、何人か学校に来なくなったという。
5~6人の友達同士で集まって、『最後まで聞き終わると幸福になれる音量0のBGM』を流している最中、そのうちの一人が突然、再生中のスマホを取り上げて音量を上げたらしい。どれだけ上げても音量が0のはずのそれには、特定の個人を呪う音がしっかりはいっていたそうだ。その内容に関しては、単に友達をちょっと悪くいうものだったとか、「〇〇死ね、不幸になれ、呪われろ、苦しんで死ね」といった具体的な類のものだったとか、はっきりしない。
俺は、知ってもしょうがないことだと思った。
俺のようなクラスの鈍い連中がその話を教えてもらう頃には、完全に学校全体に広まったようだ。教師が注意喚起をするに至って、その噂も流行も去った。少なくとも、人前には、現れなくなった。
教師から注意喚起を受けたその日の帰り道で、ツバキとそのことについて、話し合った。「お前、ああなるって想像ついた?」と聞くと、ツバキは、「まぁ、あり得るかもしれないとは思ったけど、馬鹿だよな、証拠を残して」とか、「証拠を残すんだから、まぁ、別にいいんじゃないかと思った」とか、「問題が何か特定できるしな」と、あらかじめ決められていたかのような台詞に違和感を覚えた。「でも、まさか、俺の学校でなるとは思ってあなかったよ」、という言葉だけは信じることにした。ゲームを消すのか聞くと、「消す」と答えた。
「後悔してる?」と聞くと、また、「後悔は、起こさない方法がある。自分のことだけを考えればいい。他人についてあれこれ考えたときに後悔は、起きる」と、あらかじめ考えてたかのようなセリフを述べた。
俺には、こいつは、こうなることが分かっていたのではないかという疑念がぬぐえなかった。
一つだけ言えるのは、それは、"見えてはいけないもの"だった。そして俺は、それに少しハマったということだ。