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第001回 邂逅

ギャグやパロディを交えたライト小説




 000


 加江田椎葉(しのは)はどうしてこんなことになったんだろうと、今も思い返しては繰り返し頭を抱える。

 そう、それは放課後の市立西岳(にしたけ)高校2年E組の教室内で起こった出来事。

 全てがスローモーションのようにゆっくりと動いていく。

 その日、所属する2-Eの教室から部室に向かおうとした椎葉(しのは)は、机のフックに掛かっていたスクールバックを取り損ねた。フックに手提げ部分が中途半端に引っ掛かってスクールバックは逆さまになる。バッグのファスナーが全開になっており、必然中の物がバッグから零れ落ちていく。ゆっくりと床に落ちていく薄い本をやはりゆったりとした動きの椎葉(しのは)が宙で確保しようとするが、間に合わない。彼女の口が不協和音を奏でる。ゆっくりと確実に薄い本は床に落ち、スロー再生のようにくぐもった派手な音を立てて、散乱していく。隣りの席の男子が驚いた様子で条件反射のように椅子からスローモーションで立ち上がる。彼は音のした方角に少しずつ顔を向ける。そこには彼があまり見慣れない薄い本が落ちていて、眉を顰める。次に本を拾おうとした男子に気づき、彼が触れる前に薄い本を回収しようとダッシュする椎葉(しのは)。だが、男子の方が一瞬早く落ちた本を拾ってしまう。

(あ、それ、一番ダメなとこ!)

 彼が拾った本は運悪くページが開いており、それも一番見られてはいけない場面が見開きになっていた。

(うわあああ!)

 彼女の心の声も虚しく、彼はそれを見て目を見開く。普段目にしないようなその描写場面を目撃して衝撃のあまり固まってしまう。

(バ、バレた!)

 男子がその薄い本がBL本だと気づかれた彼女の顔は、かの有名な「ムンクの叫び」と瓜二つになった。

 教室の床には、学校には場違いな、絡み合う美麗な男性二人のカラーイラストで埋め尽くされた薄い本が何冊も散乱していた-

  

 001 


〈ピピピピピ〉

 加江田椎葉(しのは)の頭の中で目覚まし時計が鳴っている。目覚ましに正対し、いくらスヌーズボタンを押しても鳴り止まない。そりゃ、夢の中だもの。夢の中の目覚まし時計は幻で、押しただけで止まるとは思えない。夢の中まで目覚ましを掛けられたらたまったものじゃないと、リアルの椎葉(しのは)が寝返るついでにベッドの宮棚に置かれた目覚ましを止めてしまう。

(あっ、止まった)

 夢の中で椎葉(しのは)は安堵したように呟く。夢の中の目覚ましと連動していないと首を傾げるが、あまり気にしない。リアルでチュンチュンと雀が鳴く声が聞こえる。僅かに開いたカーテンの隙間から朝の穏やかな陽射しが射し込み始め、彼女の目を刺激する。眩しそうに陽射しから逃れるように椎葉(しのは)は窓とは反対側に寝返りを打つ。彼女の目覚めは更に遠ざかる。

「朝よ~!二人ともいつまで寝てるの。ご飯が冷めちゃうでしょ!!」

 何度かリアルで、母親がなかなか降りて来ない子供たちに階下から朝食ができたと叫んでいる。椎葉(しのは)の隣りの部屋でガタガタと物音がする。隣りは椎葉(しのは)の弟の部屋。何度目かの母親の怒鳴り声に反応して目覚めたらしい。暫くの静寂の後、ドアが開き、弟がノロノロと二階の廊下に出てくる。

〈トン、トーン、トントン〉 

 まだ半覚醒なのか足音は覚束ず、階段を普段どおり降りているかはかなり怪しい。一階に降りた途端、パジャマ姿を母親に見咎められてどやされる声が二階にも響いてくる。弟が何か言い訳しているが、直ぐに母親の声に掻き消されてしまう。夢の中を満喫する椎葉(しのは)にとっては、その怒鳴り声や言い訳の声すら子守唄になってしまうらしい。母親は弟の食事の支度に懸かりっ切りになり、椎葉(しのは)の存在を一時的に頭の隅に追いやる。椎葉(しのは)にとっては致命傷でもあった。

 二度寝を決め込む椎葉(しのは)。子供っぽい赤の水玉模様のパジャマを着た彼女は、ムニムニと口を満足そうに動かし、その寝顔は子供のよう。4月中旬の陽気は、彼女を再び眠りの中に導いていく。もう二度と目覚ましは鳴りないし、椎葉(しのは)の眠りの覇道を止める者などもう誰もいない?

 ・・・・・

 ・・・・・

 ・・・・・

 ・・・・・

 ・・・・・

 ・・・・・

 ・・・・・

 それからどのくらいの時間が経ったのだろうか。突如椎葉(しのは)は覚醒し、ハッと起き上がる。勢いが過ぎてベッドのヘッドボードに頭を打ちつける。

〈スコーン!〉

 と小気味のいい音が響き渡る。

(いった)あ!」

 椎葉(しのは)は痛さのあまり、暫く頭を両手で抱え込む。リアルの痛みが彼女の頭を直撃する。その衝撃で、ヘッドボードの棚に置かれた目覚まし時計がくぐもった金属音を立てる。その音を聞き、彼女は振り返る。彼女のお気に入りの鳥を模した時計は、いつもの起床時間を優に30分は過ぎている。

「うわっ、ヤバッ!」

 椎葉(しのは)は慌ててベッドから飛び起きる。

「何で目覚まし止まってるのよ」

 恨めし気に時計を見ながら、どうしてこんな時間まで寝ていたのかと呪いの言葉を吐く。夢とリアルが混在していて無意識に止めてしまったなんて、椎葉(しのは)は覚えていないのだ。

 椎葉(しのは)はベッドからカーペットの敷かれた床に降り、無造作にパジャマの上下を脱ぎ捨てる。クローゼットに近寄り、セーラー服を取り出す。少し古風と言うか垢抜けていないセンスのセーラー服。ブラとパンティだけの出で立ちの椎葉(しのは)。あられもない。ブラッシングや肌の手入れをほとんどしないため、ドレッサーの鏡もあまり使われず、各部に埃が溜まっている。そして近眼で前髪が長いため、最近は自分の顔をあまり凝視したことがない。ブラウスに袖を通し、ボタンを順に嵌めていこうとするのだが、上手くボタンが嵌ってくれない。彼女は完全に起きたと思っているが、頭は完全に覚醒しておらず、頭で考えた通りに指先が動いていないのだ。苛立ちながらも何とかボタンを留め終える。

 椎葉(しのは)は再び時計に目を遣る。

(いかん!)

 中々進まない着替えに手間取っているうちに、いつの間にか自宅を出る時間が迫っていた。彼女はいつもギリギリまでもたもたしているタイプなので、毎朝遅刻すれすれなのだ。ベッドボードの棚には目覚まし時計の他、創作の時は前髪が邪魔になるため、使っていた髪留めやヘアゴムがあり、手繰り寄せようとするが、床に散乱したBL本が彼女の足を阻み届かない。髪を縛るアクセは彼女の唯一の女子らしい趣味で数多い種類を揃えている。しかし、BL本を踏みしめてまで必要な物ではないと潔く諦める。

 折りたたみ式の背の低いテーブルの上にはパソコンがつけっ放しで省電力モードでディスプレイは消えている。その脇には彼女の趣味関係の品々がテーブルの上から床にかけて乱雑に置かれている。観賞用なので扱いが少し雑だ。書棚自体は保存用が入っているので整然としている。腐女子のオタクらしく、観賞用・保存用・布教用の3点セットが揃っている。

 椎葉(しのは)は一時的に着替えを諦め、セーラー服のスカートをベッドの上に放り、机に近づく。床に脱ぎ捨てられていた部屋着を踏んでしまうが今は仕方ない。彼女は部屋着と寝間着を別々に着衣するタイプだ。普段の朝ならば寝間着を部屋着に着替えてキッチンで食事を採るのが常だが、今日はそんな時間はない。ブラウスの裾が掛かっていない肉付きのよい大腿部が露になっていて艶めかしい姿だ。ソックスも履いておらず、大腿部から下は生足状態。(もっと)も、彼女は時間に気を取られてそんなの気にしてる場合ではない。昨日置いたまま放置されているスクールバッグを立て掛け直し、必要な筆記用具やノートを無理矢理詰め込む。バッグの中は元々本らしき物で満杯だったため、隙間に捻じ込む感じだ。帰宅してから動かされていないスクールバッグを見るに、ロクに勉強をしてないのが判る。事実、彼女は中間テストでも下から数えた方が早い順位を彷徨(さまよ)っている。いつもの事だ。辛うじてセーラー服のスカートを履き、ずり落ちない程度にフックは嵌めた。が、ブラウスの裾はスカートからはみ出ており、スカートのファスナーも全開だ。正にかろうじてスカートが腰で止まっているという感じ。最近はウェストが残念で、上手い具合にジャストフィットしているため、ずり落ちるようなラッキースケベは絶対に起きない。スカートのポケットからはハンカチが無造作に突っ込まれていて、昨日使ったモノがそのままだ。セーラー服の上着は小脇に抱えたままで胸当てもしていないが、シャツカラーのブラウスを着ているお蔭で胸元が開いて見える事はない。やや着崩しているように見えなくもない。彼女の場合はそんなオシャレに気を遣っている訳でもなく、ただだらしないだけなのが、ちょっとでも服装に気を遣っている人が見ればその違いは判ってしまう。椎葉(しのは)が通う高校は制服のモデルチェンジに乗り遅れたのか、よく垢抜けていない制服と近隣の高校から揶揄(やゆ)されている。ただでさえ野暮ったいのに、それも着こなしていないとなれば、女子力低いと言われても仕方ない。とは言え、彼女は制服で学校を選んだ訳でなく、中学時代の成績で無理なく行ける高校を選んだだけなので、制服の良し悪しなんて二の次だった。着れればいいじゃん的な。

 カーペットが敷かれた自室から廊下に出ると、何も敷かれていない廊下の木の床の冷たさがソックスを履いていない足の裏から伝わってきて、椎葉(しのは)は慌ててスリッパを履く。

「寒っ!」

 廊下はまだ陽が射し込んでおらず、空気がひんやりとしていて、椎葉(しのは)は身震いをする。季節はまだ春に変わったばかりなのだと改めて感じさせる。この4月に2年生に進級したばかりだった。よく進級出来たと彼女は今でも真剣に思っている。

 階段を降りていく過程で、スクールバックがずり落ちそうになり、椎葉(しのは)は慌てて肩に掛け直す。ファスナーの開いたスクールバックからは教科書・筆記用具・ノートの他に、さっき突っ込んだ胸当てやスカーフが挟まっており、最初から入っていた数冊の薄い本が見え隠れしている。


 002 


 左肩でスクールバックを背負い、右手にはセーラー服の上着と白のソックスを掴み、アンバランスな状態で、パタパタとスリッパを響かせながら階段を降りて行く。廊下を通り、リビングに入ると朝食の香りが漂って来て、椎葉(しのは)のお腹が鳴り出す。昨夜-正確に言うと今朝の明け方-までは珍しく間食もせずに制作に熱中していたので、彼女は甚くお腹が空いていた。でも時間がない。

 リビングにはソファとサイドボード、棚、テレビなどが置かれている。リビングは床暖房になっていてカーペットが敷かれている。

 スリッパをカーペットの前で脱ぎ捨てると、リビングのソファにスクールバッグやセーラー服の上着などを放り、身軽な状態でダイニングキッチンに歩いて行く。キッチンにはダイニングテーブルが置かれていて、リビングとの仕切りがなく、リビングのテレビが見れるようになっている。改築の際に、キッチンセットは家を建てた当時備えつけのものから汎用的なものに入れ替えられていた。因みにキッチンも床暖房だ。テーブルには弟がパジャマのままで朝食を採っており、視線をテレビから寄って来た姉に向けると、顔を顰める。

「何て格好してんだよ。女なんだからもうちょっと身嗜(みだしな)みに気を付けろよ」

 弟はスカートのファスナーが空いたままになっているのに気づき目を逸らす。椎葉(しのは)はテーブルの上に置かれた皿に乗っていた焼き立てほやほやのトーストを搔っ攫う。

「あ、こら!俺のだろ」

 途端に弟が人のモノを取んじゃねえと抗議する。

「時間がないのよ!」

 椎葉(しのは)は姉権限で正当化する。

「このBLバカが!」

 弟は悪態を吐く。

 家族には特に趣味を隠していなかった(と言うか、隠しようがなかった)ので、両親も弟もBL趣味は知っている。母親はあまりいい顔をしていない。弟は埒外なのでスルーしている。

 椎葉(しのは)がBLに目覚めたのは中学生の時。それまでは父親似でずぼらだが、多少の女子の身嗜(みだしな)みは持っていた。BLに目覚めた後はのめり込むあまり、自らの身嗜(みだしな)みや人目にまで気が回らなくなる。彼女の生活は一変し、生活が不規則になり、寝坊や夜更かしが多くなる。朝食を抜いたり、着替え途中なのに1階に降りて着替えたりするようになる。中学まではまだ年の近い姉が幼い容姿で着替えていても弟はさして気にならなかったが、椎葉(しのは)も高校生になり、体型や容姿が大人の女性として成長するにつれ、肌や下着が妙に色っぽく見え、どぎまぎするようになり、もう少し女子として自覚を持ってほしいと思うようになる。(もっと)も、椎葉(しのは)は自分の成長を自覚しておらず、相変わらずズボラで自分に関心が薄く、中学生の時と同じ感覚でいたため、立ち居振る舞いは変わらず、時に周りの者を知らず知らずのうちに振り回すようになる。美容院にも母親がよっぽど言われない限り行かず、髪はぼさぼさ、中途半端な長さでいるのが常になる。自分の出で立ちには興味を示さない。近眼で黒縁眼鏡を掛け、学校では冴えない女子のレッテルを貼られている。

 椎葉(しのは)はリビングに戻りながら、トーストを立ったまま口に頬張る。

椎葉(しのは)、はしたないでしょ!」

 キッチンで朝食の準備をしていた母親が起きて来た()に気づき、口元を見て注意する。

「ちゃんと席に着いて食べなさい」

 母親に再度注意されるが、時間のない椎葉(しのは)は意に介さない。時計ばかり気にしつつ、器用に口を動かしながらトーストを食べていく。さながら野生の鳥の如く。トーストを食べつつ、椎葉(しのは)は手のパン屑を払い、セーラー服の上着を羽織り、胸当てを装着してボタンを留めていく。スクールバックからセーラー服のスカーフを取り出し、ネクタイのように襟元に巻き、乱雑に結ぶ。少し(ねじ)れているが気にしない。

「スカート、スカート!」

 母親がスカートのファスナーを指摘する。ファスナーが全開になっている。弟が声に反応するように姉を見ると、ファスナーが空いたスカートの隙間から下着がチラ見えして、思わず視線を外す。中学生の頃と変わらずに家族の前でも当たり前のように着替えをする姉に、弟は視線のやり場に困っている。

「着替えぐらい、部屋でやれよ」

 自分がパジャマのままであるのを棚に上げて弟が文句を言うが、急いでいる椎葉(しのは)は取り合わない。漸く上半身の着替えが終わり、ファスナーを強引に引き上げ、バッグに一時的に突っ込んであったソックスを取り出し履き始める。座ってやればいいものを、立ち姿で履こうとするものだから、ケンケンになったり前につんのめりそうになったりして、派手にスカートが捲れ、パンティーがキッチンから丸見えになり、コーヒーを飲んでいた弟が吹き出しかける。

「丸見えだよ!」

 いい加減にしてくれと弟が猛抗議するが、椎葉(しのは)はパンティーを見られたのも気づかず、どうしてこんなに弟が逆上しているか理解できない。

 知らないって幸せだね。

 どうにか下半身の着替えも終わり、慌ただしくスクールバックを手に取る。再びキッチンに向かい、母親が作った弁当箱を無造作にバッグに押し込む。作り立てのせいか、弁当の容器は熱と湿り気を持っていて、本が傷まないかと顔を顰める。

「髪ぐらい整えなさい」

 さっきから寝癖のついた髪を何とかしようと母親が椎葉(しのは)を寝癖直しとばかりにブラシを持って追い駆けるが、ちょこちょこと動き回る椎葉(しのは)を捉えきれず、とうとう匙を投げる。

「勝手にしない!」

 母親はプンプンと怒って朝食作りを投げだし、洗面所に行ってしまう。

「俺の目玉焼き-」

 弟が姉にトーストを奪われ、作り掛けの目玉焼きは母親が怒りに任せて洗面所に行ってしまいフライパンの上にそのままになってしまい、弟は他の食事にありつけず、コーヒーカップを持って呆然としている。

 一方、椎葉(しのは)は無駄と知りながら、髪を両手で一度押さえつけるが、跳ねた髪はまた寝癖として戻ってしまう。髪はボブカットとミドルカットの中間みたいな長さで-美容院に行くのを面倒臭がって-整えずらい髪型だ。おまけに髪量だけは無駄に多く、櫛で梳かしもせず、某名探偵よろしく雀の巣のようなボサボサの蓬髪(ほうはつ)になっている。天パではなく、寝癖と梳かしていないために複雑に絡みあったハイブリットだ。凄いだろ?せめて化粧水でもつけていればいいが髪すら整えない椎葉(しのは)がやるとも思えない。普段からスキンケアをしてないせいで肌はカサカサだ。そんな状態で彼女はスクールバッグを担いで、玄関に小走りに歩いて行く。

 娘の手入れを諦めた母親は洗面所で、洗濯機の終了音を聞きつけ、洗濯籠に脱水された洗濯物を入れ、2階のベランダ目指して階段を登って行く。

 いつもは出掛けている時間を既に大幅に過ぎていて、玄関でスクールバックを一旦床に置き、下駄箱からローファーを取り出し、立ち姿で履き始める。

 素行や身嗜(みだしな)み、趣味の良くない()に溜め息を吐く母親。椎葉(しのは)の部屋に入った途端、パジャマや部屋着が脱ぎ捨てたままカーペットの上に落ちていて、折りたたみ式のテーブルの上は明け方までの創作で使ったまま、パソコンは付けっぱなし、BL本もテーブルや床に散乱したままなのを見て、再びブチ切れる。物凄い勢いで階段を降り、今にも出掛けそうな娘にがぶり寄る。

「何なの、部屋の中!全部ほったらかしじゃない!!いい加減にしさない、BLなんかに夢中になって」

「・・・・・」

「もう!友達も同じ趣味なんて、お母さん、恥ずかしくて人にとても言えないのよ。友達も普通の()にしなさい」

「・・・・・」

「聞いてるの?BLに夢中になって、あなただって女の子なんだから、少しぐらい身嗜(みだしな)みを・・・」

「うっさいなあ!そんなのあたしの勝手でしょ!いい?部屋の物とか勝手に障らないでよ!それから捨てようなんて絶対に思わないで!!それから、あたしの友達はみんないい()ばかりだから」

 何とかローファーを履いた椎葉(しのは)それだけ言い捨てると、玄関を飛び出す。後方で母親の怒号が聞こえたが、ガン無視。門扉(もんぴ)を開いて外に走って行く。一目散に。


 一方、キッチンに戻った母親は問題児の()を憂える。

「・・・全く。どうしてあんな()になっちゃったのかしら。BLとか気持ち悪い趣味に熱中して、女の子しての身嗜(みだしな)みもせず、髪はボサボサ、肌はカサカサ・・・親として恥ずかしいわ」

 どうしてこうなってしまったんだろうと。そんな母親のボヤキに、

「仕方ねーよ。姉ちゃん、腐ってるから」

 キッチンで呑気に朝食を食べている弟は、悟った顔で語る。

「あんたも早く支度しなさい!」

 姉のとばっちりを受けて、母親に怒鳴られた弟は慌ててコーヒーを飲み干し、洗面所へ逃げ込む。そして姉と同じように時間に追われつつ、顔を洗い始める。

(とは言えなあ・・・)

 自宅には姉の友達がよく遊びに来る。勿論、BL趣味関係の。椎葉(しのは)の自宅は、母方の祖父母が住んでいた大きな和風の家を引き継いでいる。昔の家らしく客間が3つもあり、2階は改修し、トイレや簡易なシャワールームまで付いている。今でもそんな家少ないのに、当時の祖父母が如何にハイカラであったか想像がつく。生前は多くの友人を呼んで、楽しく過ごしていたのだろうか。交通の便がよい立地でもあり、椎葉(しのは)の両親はそのまま使っているのだ。そんな訳で、姉の友達はよく泊まり込みで客室を寝室として使ったりしている。弟は姉の友達とも顔を合わせる機会がある。BL趣味でオタクで腐女子仲間と言う固定概念があった弟は、そこいらの女子高生よりも容姿的に-内面は趣味がアレなので想像に難くないが-顔面レベルの高い姉の友達に驚いている。姉が知り合ったBL趣味仲間が偶々高スペックだったのか、腐女子のレベル全体がそもそも高いのかは判然としてしない。いずれにしても、弟は姉の友達に会うのを楽しみにしている節があった。「腐ってる」なんて罵倒しているが、好意への裏返しなのかも知れない。・・・ツンデレめ。


「もー、最悪!」

 朝から母親とバトルした椎葉(しのは)は酷く興奮した状態で登校していた。

 睡眠時間は2時間ちょいで二度寝して、寝不足な上に空腹と来ている。彼女は朝から母親のお小言やいざこざで、精神的に消耗していた。眩暈(めまい)さえ感じる。ウチの母親は子供に対して少し過剰に口を出し過ぎだと感じている。母親は子供の椎葉(しのは)から見ても今でもかなりの美人だ。怒った美人は迫力がある。椎葉(しのは)は既に慣れているので耐性を持っているので平気になったが・・・。子供の頃、父親と結婚した時の写真を見る機会があったが、誰これ?ってレベルの規格外の美人だった。今もその名残りは充分にあり、街に出れば人目を惹くらしい。本人談なので多少はフィルターを通さなければならないが。椎葉(しのは)はその母親よりも父親の血が濃かったのか、ずぼらな性格や身形(みなり)がだらしない。どうして冴えないお父さん、お母さんと結婚出来たの?って、いつか聞いてみたい。

 さて、今朝はそんな母親との喧嘩もあり、椎葉(しのは)は不機嫌MAXだった。朝のごたごたのせいで、いつも申し訳程度につけていた前髪用の髪留めも忘れて、目がほとんど髪に隠れ、いつも以上に視界を遮っている。所謂(いわゆる)、鬼太郎状態。道端の小石に思わず躓きそうになり、慌てて掛け直した黒縁眼鏡も前髪に隠れ、頭がぼーっとしているのと相俟って、認識能力は低下の一途を辿っていた。髪留めの件は自業自得なのだが、様々な悪条件が重なり、知らず知らずのうちに椎葉(しのは)の心に様々なストレスが掛かっていた。 


 003


 勢いよく家を飛び出してみたものの、椎葉(しのは)は日頃の運動不足のせいで直ぐに平常の歩きに戻ってしまう。さすがに時間の関係もあって、やや速足だけど。体力は人並み以上にあるが、運動能力や球技はてんでダメで不器用なのだ。

 彼女の自宅から学校までは徒歩圏内にある。高校への通学路に指定されている道路も椎葉(しのは)の自宅の接道から歩いて数分の距離だ。通学路が見えて来ると、彼女はいつものように心を落ち着かせるために大きく息を吸い、ゆっくりと息を吐く。そして表情や感情を押し隠す。

(よし!)

 毎朝この儀式を行い、自分の素の感情を消し、BLとは全く無縁の地味な女子になる(?)のだ。中学の時にBL絡みで、腫れ物を触られるような扱いを受けた嫌な思いをした経験があり、彼女はクラスではBL趣味はひた隠しにしている。苦手な男子とはなるべく会話を避ける。そんなこんなで高校生になって椎葉(しのは)の男嫌いは加速した。

 通学路を行き交う多くの生徒の中に埋没するようにいつもの浮わついた気配を消し、地味で冴えない生徒を演じる。実際は演じ切れず、ボロを出すケースも多々あるが、今のところクラスメートには自分の趣味がバレてはいない。地味子と言っても、手入れをしていないもじゃもじゃ頭と肌の青白さで悪目立ちしているのは否めないが・・・。

 通学路には同じ学校の生徒が歩いていて、誰もが笑顔を絶やさない。何とか悪足掻きをしたお陰で、遅刻ペースから脱したと椎葉(しのは)はひと安心している。彼女はクラスメートに追い抜かれても言葉や挨拶も交わさない。クラスメートも椎葉(しのは)が地味で無口で内気な性格であると思っているので、敢えて挨拶もしないし、気にも留めない。登校途中の生徒たちは大抵友達と連れ立って、昨日のドラマの話やSNSやTwitterの話題に興じていたり、オタク系の男子はゲーム機で遊んでいる。椎葉(しのは)が通う高校は比較的校則が緩やかで、スマホやゲーム機を学校に持ち込んでも教師からは黙認されている。勉学や学校生活に支障を来さない限り、学校側も取り締まったりしない。進学校ではない緩さがこの学校の「売り」なのだ。学費が安い公立高校とは言え、偏差値的にも生徒の質的にも隣町の公立高校に押され気味で、隣りの公立高校は今流行りのブレザーを導入していて、わざわざ学区を越えてまで受験する中学生がいるくらい人気らしい。そんな隣町の人気公立高校に金をかけずに対抗するには校則を緩めるか、学費を抑える工夫をしなければならない。全ての学生が偏差値や制服の見栄えのよさだけに価値観を持っている訳ではない。椎葉(しのは)のように束縛の少ない高校で掛け替えのない三年間を過ごしたいと思っている学生が多い表れか?

 椎葉(しのは)から見ても、彼女の通う高校のセーラー服は地味に見える。たまに隣町の高校の女子が混じっていて、ブレザー姿を見るにつけてもかなりのオシャレ差を感じてしまう。普段からファッションには興味のない彼女ですらそう感じるのだから、普通の女子なら制服の可愛さに羨望の眼差しを向けてしまうかも知れない。ただ、紺に赤のセーラーカラー、赤のスカーフは野暮ったい椎葉(しのは)にはいいのかも。元々目立つ気はないし、オシャレなブレザーもファッションに疎い彼女にはアウトオブ眼中なのだ。まあ、地味なセーラー服も工夫次第で色々なアクセントをつける事が出来る。わざと胸当てをしなかったり、ブラウスは襟の形状の違うモノを着てみたり、スカートの長さを変えてみたり、ソックスを学校指定の物とは違う今風のモノを履いたり、靴もより履き心地のよいモノに変えてみたりと。同じセーラー服を着ていても、同じ組み合わせの女子がいないのもそのためだ。皆一工夫して、それなりにオシャレを楽しんでいる。

(あたしには関係ないし)

 登校する女子を観察しながら気配を消している。登校する生徒の中にすっかり埋没してしまう椎葉(しのは)。彼女の得意技(?)だ。

 椎葉(しのは)も含む人の流れは通学路の終着点である学校の校門に吸い込まれて行く。校門には「市立西岳(にしたけ)高校」と刻まれたプレートが嵌め込まれている。角は経年劣化で丸くなり相当の年季ものだ。関東圏内にある地方都市の成績レベルで中堅クラスの公立高校。駅にも近くて、商店街も軒を連ねている。1クラス40人、5クラス(A~E)、1学年200人。規模的にも中くらいだ。男子生徒は学ランに毛の生えた程度の制服で、女子と同じく垢抜けていない印象は否めない。ただ、男子は女子ほど制服には拘らないようで、わざとボタンを外して着崩している男子も多い。意外に自由度が高いのだ。

 校門を抜け、運動部が朝練で使っているグラウンドの歩行スペースを通り、朝でテンションが高い生徒が入れ替わり立ち替わり通り過ぎていく騒がしい昇降口で靴を替え、学生が(たむろ)する廊下を擦り抜けるように通り過ぎ、2-Eの教室に入って行く椎葉(しのは)。何人かの視線を感じるが、直ぐに興味を失われていく。椎葉(しのは)はじゃれ合うクラスメートを尻目に自席にステルスモードで歩いて行く。机のフックにスクールバッグを掛け、自席に着く。1時限目の授業の教科書とノート、筆記用具を机から取り出す。その動きは機械的で、彼女が決して勉強に熱心でないのを物語っている。髪留めを忘れたせいで、彼女の目は前髪に隠れ、黒板が見えにくい。黒縁眼鏡を掛け直しても状況は変わらず、椎葉(しのは)は諦めたように頬杖を突く。髪留めのストックをスクールロッカーや机の中に入れておくなんてマメな性格ではないのだ。

 彼女の隣り、男子生徒が椎葉(しのは)の登校に気づくが、いつものように無口な彼女に挨拶もなく、再び読書に戻ってしまう。椎葉(しのは)は4月からこの男子生徒の隣りになったが、初めに挨拶を交わして以来、ほとんど話をしていない。友人は何人かいるようだが、どちらかと言えば、無口なタイプのようだった。

(数学の授業か)

 黒板脇のスペースに貼り出されている1週分の授業表を見て、今日の1時限目が数学かと溜め息を吐く。並べて勉強の出来ない椎葉(しのは)であるが、特に数学の公式はまるで歯が立たない。椎葉(しのは)的には異世界の呪文に近い。学校の中で彼女が一番つまらないと思っているのが授業だ。本来なら学生の領分だが、勉強の成績とかこれっぽっちも気にしていない彼女にとって、授業は苦行に近い修行の時間(?)だと感じている。椎葉(しのは)の本分は放課後にある。だから日中の時間は、彼女にとっては付け足しでしかない。授業中もBLにかまけていたいのだが、彼女は色々あって、それが難しい。その理由は次の話題に譲る。

 これが椎葉(しのは)の学校での日常の始まりだった。


 004


 それは加江田椎葉(しのは)の面目躍如(?)と言うべきエピソードなのか。

 その日の授業が始まる。1時限目の授業とあってか、生徒たちも集中力もあり、静粛とした雰囲気の中で、授業は滞りなく進んでいた。1時限目は数学の授業だ。教師が黒板に白いチョークで数式を書き並べて説明を加えていく。生徒はその公式をノートに書き写したり、教科書の該当部分にラインマーカーを引いていく。教室内にはノートを書き取るシャーペンのカリカリとした音、机に肘が当たる音、姿勢を正すために椅子をずらす金属音、内履きが床と擦れる音がそこかしこでする。数学教師の板書書きが早いため、不平を漏らす生徒の呟きが聞こえる。それと-

(!)

 その音(?)に気づいたのは、その場を支配する数学教師だった。顔は面長で身長も180cmを超え、スラっとしており、外見的にはイケメン風である。有名私立大学出のインテリタイプで、学歴を鼻に掛けている節がある。スクエアタイプの眼鏡も、学術肌といった雰囲気を醸し出し、知的な面を強調している。生徒たちにもそんな素振りを見せるため、一部の生徒は忌み嫌っていた。確かに高い知能があり優秀な教師だと言える。ただ、頭がいいのと人に勉強を教えるのはまた別の話。自分のペースで授業を進めるため、ついていけない生徒もおり、生徒たちにとって良き教師であるかという話になるとちょっと微妙。

 さて、その音(?)に至近の生徒は気づいていたが、誰もが扱いかね、放置していた。教師も最初は無視するつもりであったが、教室内に響き渡るほどの(いびき)が聞こえれば、反応せざるを得ない。生徒の何人かは手振りでその音源を示して失笑し始めている。授業の緊張感が崩れかけていた。

(全く・・・)

 数学教師も自分の授業、それも1時限目から(いびき)を掻きながら眠っている生徒にいい度胸だと、こめかみに青筋を立てる。それでも直ぐに注意しないのは、数学教師の忍耐の賜物とその音源がある程度推測出来るからだ。


 その音源は件の椎葉(しのは)。春の穏やかな陽射しと程よい教室内の温度は、学校生活を過ごすには快適だが、それ以外を助長する原因にもなる。椎葉(しのは)の場合は・・・朝のホームルームまでは何とか理性と気力で眠気を堪えていたが、1時限目の授業が始まると、数学教師の一方的な説明は彼女の理性を少しずつ崩していき、単調な授業にうつらうつらし出し、遂には居眠りを始めていた。態勢も維持出来なくなり、机に突っ伏すと、完全に理性の(たが)も外れ、爆睡モードになり、(いびき)を垂れ流し始めたのだ。

 夢の中ではBLをひたすら書いている自分がいる。創作は絶好調で、締め切りには間に合いそうだ。後、朝食べ損ねた朝食がテーブルの上に並べられていて、創作の傍ら、彼女はアニメ調に掻き込むように食べ漁っていた。食事は食べても食べても減らず、朝からこんなに食べていいのだろうかとさすがの椎葉(しのは)も心配になるくらいの量だった。夢だしね。正に夢の絶頂の中にいたのだ。寝ても覚めても、彼女が見る夢はBL絡みのようだ。

 それでも数学教師は全ての忍耐を搔き集め、板書に戻る。次の公式を板書しようとした時、(いびき)の音は頂点に達する。


〈ぐがあぁぁ!〉

 今まではさざめていた程度のクスクス笑いが、どよめきに変わっていく。

 その音に反応した数学教師は力を入り過ぎ、手に持ったチョークがぽきりと折れる。教師の堪忍袋が切れた瞬間だ。

「加江田ぁっ!」

 振り返った数学教師は椎葉(しのは)の苗字を叫び、折れたチョークを投げ飛ばす。一直線に飛んだチョークの破片は狙いを違わず、椎葉(しのは)の頭に当たる。

「ナイスショット!」

 生徒の一人がと合いの手を入れ、室内はどっと沸く。完全に授業は中断する形となる。生徒も一度バランスが崩れれば、授業どころではなくなる。数学教師にとっては最悪のシナリオだ。これを避けるためになけなしの忍耐を駆使してしたというのに台無しだと言わんばかりに椎葉(しのは)を睨みつける。

 件の椎葉(しのは)はと言えば、チョークが当たった頭の箇所を指で掻きながら、

「あと5分」

と寝言を言い、クラスメートに更なるの笑いを提供する。わざとやっている訳ではないのが、無性に腹が立つ。数学教師は感情的になっていた。

「何が『あと5分』だ!家じゃないんだぞ。起きろっ!加江田ぁ!!」

 頭に来た数学教師は再度椎葉(しのは)の苗字を怒鳴り気味に叫ぶ。ここに至り、椎葉(しのは)も漸く覚醒したらしく、寝惚け眼で頭をノロノロと上げる。顔には突っ伏していた赤い跡が残っている。表情は更に癖のついた前髪で隠れ、表情は判らないが、起き抜けの顔をしていることだろう。周りはざわついているが、彼女はどういう状況なのか把握していない。

「廊下に立ってろ!」

 と数学教師は怒鳴りつける。再びチョークを投げかねない勢いだ。教壇近くの生徒たちは数学教師の剣幕に圧倒され、身を縮こませている。


 状況は把握していないが、条件反射的に言われるがままに椎葉(しのは)は立ち上がり、半覚醒の状態で、居眠りしていた痕跡も隠さずにフラフラと廊下に向かって歩いて行く。まだ、夢が途切れ途切れに続いていて、BL関連で頭は一杯だし、リアルでお腹が鳴り出している。そう言や、朝食はトースト一枚だっただなと鳴るお腹を右手で擦りながら思う。


 そんな椎葉(しのは)の去って行く後ろ姿を見ながら、隣りの男子は読書を邪魔されたとばかりに渋い顔で彼女を一瞥し、最大限に警戒度を上げていた。彼女が授業中に悪目立ちするような行為をしていたため、隣りの男子もオチオチ読書をしていられなくなったからだ。こういう状況に陥った時の教師は、非常にナーバスになり、授業に集中していない学生を敏感に感じ取るのだ。この数学教師はその傾向が顕著で、その男子は仕方なく「本」を机の中にそっと仕舞う。

(いい迷惑だ)

 彼は独り言ちる。

 教室のドアが閉まるとともに、

「また不思議ちゃんかよ。やらかしてくれるな」

 男子の一人が周りに聞こえるように大きめの声を出す。「不思議ちゃん」と言うキーワードがそこかしこから聞こえてくる。クラスメートが椎葉(しのは)につけた渾名である。彼女は奇行を教室で繰り返しており、クラスメートには既に慣れっこになっていた。だから、対象が教室内から退場してしまえば、クラスメートの椎葉(しのは)に対する興味は急速に失われていく。

「ごほん」

 数学教師がざわめきを鎮めるように一つ咳払いをする。私語を話していた生徒も居住まいを正していく。漸くいつもの授業中の雰囲気が戻り、数学教師が授業の続きをするため声を発しとしようとした瞬間だった。

「へっくしょんっい!」

 廊下で盛大なくしゃみの音が響き渡る。4月中旬とは言え、陽射しが当たらない廊下は直前まで窓を開け放っていたせいか空気が冷え冷えとしていた。陽射しが射し込む比較的室温が高い教室から出て行った椎葉(しのは)は寒さを感じたのであろうか。急に身体の震えと共に鼻のむずがゆさを耐えられなかったのだ。

 一度は治まった2-Eの教室が喧噪に包まれる。絶妙のタイミングで放たれたその一撃で、集中力を切らした生徒が続出したのだ。

(お・・・おのれ!)

 教壇に立った数学教師は、完全に自分の威厳を台無しにされたとばかりに肩を震わせる。そして廊下の方を睨みつける。

(一度二度ばかりでなく、三度までも!)

 本人は無意識にやっているだけに、質が悪い。数学教師は今更教室に戻れとも言えず、教壇で歯軋りする。そして無情にも、1時限目終了のチャイムが鳴る。

(!)

 数学教師は悔しさを堪えるようにその場で地団駄を踏む。残酷だ。一度狂ったリズムは二度と戻らないらしい。


 005


〈キーンコーンカーンコーン-〉

 その日の最後の授業である6時限目がチャイムとともに終了する。

「起立・・・礼!」

 日直の号令が終わり、教師が教室を出て行くと生徒の間に弛緩したムードが流れる。

「ああ、やっと終わったぜ」

 甲高い声が上がり、伸びをしている生徒もいる。スクールバッグに教科書やノートを仕舞い、既に帰り支度をする者もいた。椎葉(しのは)もその一人。無表情を装っているが、内心はウキウキしている。単調で面白みもない授業が終わり、漸く自分の時間が来たのだから。でも地味モードは解除しない。授業中の痴態はすっかり忘れてしまったように、出来得る限り大人しくしている。居眠りとかでどうしても心の(たが)が外れてしまうと、奇矯な行動が出てしまうのだ。制御出来ないものなので、彼女もそこは諦めている。

 担任の先生が教室に入って来る。ショートホームルームが始まるのだ。担任はクラスメートに席に着くよう促すと、ガタガタと音を立てながら、席を離れていた生徒たちが一斉に自席に戻る。ある程度静かになったところで、担任の先生は伝達事項や注意事項を一方的に喋る。言葉が切れた途端、担当の先生がショートホームルームの終わりを告げる前に、わざとなのか、早合点したのか、日直が起立・礼の終わりのセレモニーを始めてしまう。尻切れトンボな状態でフライング気味の儀式が始まり、殆どの生徒が慌てて立ち上がる。苦笑気味の担当の先生。

「・・・ったく。気をつけて帰れよ」

 だが、特に文句も言わず、伝達事項などが書かれたメモ用紙を片手にあばよとばかりにもう一方の手を上げて教室を出て行く。なかなか気のいい先生なのだ。


 そして放課後となる。

 椅子が床に軋る音が部屋中に響き渡り、喧噪が大きくなる。部活に行く生徒がダッシュで教室を後にしていく。塾や野暮用、既に遊びに行くのが決まっているクラスメートは足早に出て行く。残りの生徒は友達との別れを惜しむかのように居座り駄弁(だべ)り始める。中には今日の復習とばかりに教科書とノートを取り出す真面目な生徒もいる。

 椎葉(しのは)はゆっくりと立ち上がり、黒板の前まで行き、今日の日直を確かめる。日直は毎日男女ペアで、女子は椎葉(しのは)の苗字が書かれていた。男女とも席順通りに日直になるが、クラスで男女比が違うので少しずつ席がズレていくのだ。近眼である椎葉(しのは)は自席からは黒板に書かれている名前が見えない。年々視力は低下している感じがしている。そのうち、先生に言ってもう少し前の席にしてもらおうかと考えていた。日直の男子の名前を確認し、彼の机に歩いて行く。日直の男子は友達と喋っていたが、椎葉(しのは)が近づいて来たのに気づく。昼間の大半を寝ていた彼女は、日直の男子に、

「日中何もやらなかったから、最後の黒板拭きと学級日誌はあたしがやります」

 とつっけんどんな口調で申し出る。律儀な日直の男子は、日中の日直の仕事を全てこなしていたので、

「ああ。じゃあ頼むわ」

 後の事は任せてもいいかと彼女の申し出を受ける。

「じゃあ、そう言う事で」

 納得したように一人で頷き、椎葉(しのは)は教壇へと歩いて行く。


 日直の男子は彼女の後ろ姿をさり気なく見遣る。後ろから見ても髪がぼさぼさで地味なセーラー服と相俟って更に野暮ったく見える。口数も少なく、彼も数えるほどしか喋った記憶がない。彼はクラスの女子とも普通に話す方なのにも拘わらずだ。やはり裳女の典型だなと思う。でも、その割には不潔さは感じないし、普通の女子みたいな化粧っ気もなく、肌もカサついている割に、元肌はキメ細かだし、ぼさぼさ髪も手入れをしていなさそうなのに艶やかに見える。意外に身嗜(みだしな)みに気を使っているのかと彼は錯覚する。

(やっぱ、不思議ちゃん、だな)

 日直の男子は首を傾げつつ、友人との会話に戻って行く。


 椎葉(しのは)は教壇に登り、黒板に残ったチョークで書かれた文字を左端上から丁寧に消していく。消した後は黒板消しを叩いてチョークを落としていく。その間に教室で粘っていた友達同士やカップルも暫くすると名残惜しそうな表情をしながらも連れ立って、もしくは別々になって教室を後にしていく。椎葉(しのは)が自席に戻って日誌を書こうとして時には、教室に残っているクラスメートは十数名しかいなかった。予想通り、学級日誌は名前のところ以外は空白になっていた。大抵の生徒は、学級日誌など、放課後に一気に書く傾向があり、今日の日直の男子もその一人のようだった。

 椎葉(しのは)は日中の大半を寝ていたので、授業中や休み時間の出来事が判らない。少し考え、当たり障りのない言葉を並べ立てて日誌の余白を適当に埋めていく。言葉のパズルみたいだ。それでも文字数が足りず、何とか頭を捻って僅かに覚えている授業中の出来事を書き並べていく。さすがに数学の教師に居眠りを見つかって、怒られた事は書けない。廊下に立たされたなんて以ての外だ。お蔭で廊下で風邪を引きかけたし。学級日誌を書き終える頃には、教室には数人のクラスメートしかいなかった。

(よし!)

 椎葉(しのは)は念のためシャーペンとボールペンをセーラー服の胸ポケットに入れる。何か書き忘れがあるといけないと思ったからだ。そして日誌を担任の先生に届けるために職員室に向かおうとする。


 教室には少し質の悪い男子の何人かが残っていて、椎葉(しのは)が入口に向かおうとして、彼らの近くを通る。

「よぉ、これから職員室かぁ?不思議ちゃん」

 リーダー格の男子が椎葉(しのは)にちょっかいを掛ける。

「ハハ・・・面と向かって言うなよ。ビビッてんじゃねえか」

 取り巻きの男子も冷やかしの声を上げる。が、彼女は顔色を変える事もなく完全スルーして通り過ぎてしまう。

「なっ・・・」

 リーダー格の男子は揶揄いの対象に完全スルーされるのは予期してなかったのか、怒りを通り越して呆気に取られてしまう。それでも、完全に無視された腹いせに、

「詰まんねえ女だな。誰も声を掛けないから、せっかく声掛けてやってるのによ」

 と嘲るように言い、友人らしき男子生徒数人が同調するような声を上げる。


(バカ男子が)

 椎葉(しのは)は内心で悪態を吐く。男嫌いの彼女は、男子がよっぽど絡んで来ない限り、無視する事に決めている。クラスメートの男子が彼女に絡んで来るなんて滅多にないが、どうしても話さなければならない状況でなければ、男子との会話は極力避けていた。特にこうゆう輩は無視するのが最善だ。それで遣り過ごせるのなら安いものだ。


「ちっ!無視かよ」

 椎葉(しのは)を揶揄った男子は、彼女が何のリアクションも返して来ないのでイラっとなり舌打ちする。どうせ大した女じゃないしと切り替えるが、どうも彼のプライドを傷つけたようだ。残っている虚しさを感じたのか、彼らは暫くして連れ立って教室を後にする。


 どんどん人が減っていくクラスの中で、唯一人帰りそうにない男子がいた。椎葉(しのは)の隣りの席の男子だ。彼はも帰る素振りも見せず、読書に熱中している。6時限目の古典の教科書を立てたまま、ホームルームもぶっ続けで集中していた。どうやら今読んでいる本は「当たり」だったらしい。彼は常に小説を常備していて、スクールバッグの中には5冊ほどストックがある。隣に座る椎葉(しのは)は本に関しては観察眼が鋭く、スクールバックのポケットに丁寧に収納されている本を何度か目にした事があったのだ。

「先、帰るぞ」

「う、うん」

 親しい友人に声を掛けられても、生返事を返す。読書を中断する気はないらしい。声を掛けた友人は彼の性格をよく知っているので、苦笑しつつ、あまり根を詰めるなよと後ろ手を振りつつ忠告して去って行く。

「・・・判った。お勤めご苦労さん」

 やはり生返事。


 006


 学校の放課後と言うのは独特の侘しさが漂っている。日中や放課後直後まではあれほど騒がしかったのに、今は潮が引くように生徒たちの声が消えていくからなのだろうか。

 椎葉(しのは)は放課後の廊下をゆっくりと歩いている。遠くで女子の良く通る声が聞こえたりするが、やがてその声も遠ざかっていく。昇降口で靴を替え、下校したのだろう。髪の手入れもせず、ぼさぼさ頭の椎葉(しのは)を見て、通りすがりの連れ立った女子が指差しながら嘲笑する。

「何?あの髪型。ださあ」

 これ見よがしに噂する。椎葉(しのは)にとっては慣れっこのシチュエーションなので、特に何の感慨も持たず、気づかない振りをして、その場をやや足早に離れて行く。彼女の心の中を支配しているのはBL関連で、それ以外には全く感心がないのだ。既に心は部室に思いを馳せていた。

 椎葉(しのは)は職員室のドアに辿り着く。職員室に入ろうとして、彼女は躊躇ってしまう。職員室にはいい思い出が全くないからだ。担任の先生や教育指導の先生に呼び出されて日頃の奇行で怒られるか、成績の悪さでどやされた記憶しかない。BLにかまけているせいで、彼女の成績は芳しくない。下から数えた方が早いくらいなのだ。それでも、いつまでもここで立ち止まっている訳にも行かず、意を決してドアを開け、室内に入って行く。当然ながら、職員室内は教師が勢揃いしていた。部活を担当する数人の先生はいないが、それ以外の先生はこの時間は職員室にいる事が多い。ちょっとプレッシャーを感じてしまう。

 担当の先生の席に近づいて、先生が声を上げる前に、

「日誌です」

 と素早く手渡し、直ぐに踵を返そうとしたが、担任の先生に腕を掴まれて、椎葉(しのは)の目論見は早々に崩れ去ってしまう。


「ちょい待て」

 呼び止められ、嫌な予感しかせず、椎葉(しのは)はギギギと機械仕掛けのように首を担任の先生に向ける。

「お前、また授業中に居眠りしてたんだって?」

 ストレートな言葉が椎葉(しのは)に投げ掛けられる。

「うっ・・・」

 彼女は思わず仰け反る、。

「『うっ』じゃねえ」

 担任の先生はべらんめえ口調で言い返す。

「1時限目から爆睡なんて、どうゆう了見なんだ」

 どうやら複数の教師から同様の話を受け、担任の先生も看過できなかったようだ。

「だいたいだなあ、加江田、お前は-」

 お小言が始まる。担任の隣りの席の先生がまたかと苦笑するのが見えた。


(飛んで火にいる夏の虫じゃない)

 椎葉(しのは)には職員室に来たのを後悔し始めていた。、他の先生たちが見ている前での説教なんて、どーゆー羞恥プレイだと思いつつ、無表情を装う。幸いな事に椎葉(しのは)の顔半分は前髪に隠れ、表情を判りにくくしている。反省を装いつつ、彼女は元凶と思われる数学教師の姿を探す。

(いた!ム、ムカつく~!!こっちを見てニヤニヤ笑ってやがる)。

 このヤロー、チクったな!とどす黒いオーラを放ちかけるが、ここは職員室で完全なアウェイ。逆ギレしたところで印象が悪くなるばかりだと思い、自制しつつ地味女モードを保つ。


「くっくっくっ」

 天敵の椎葉(しのは)が担任の先生からお小言を食らっているのを、件の数学教師は満足そうに見て笑っている。少しでも気に入らない生徒がいると、とことんいじめ抜くと噂されていた。そのため、生徒の間でも評判が悪い。特に女子生徒にきつく当たる事から、昔女に痛い目にあったんじゃねえ?なんて噂が(まこと)しやかに語られていた。

「先生、笑うなんて悪趣味ですよ」

 あからさまな態度に、他の先生が注意する。数学教師はさすがにバツが悪くなったのか、笑いを引っ込め、正面に向き直る。


(覚えてろよ)

 椎葉(しのは)はこう見えて執念深い。いつか復讐を果たすだろう?(もっと)も、授業中に寝ていたのも事実なので、彼女は「ハイハイ」と真面目顔で担任の先生のお小言に付き合う。早く部室に行きたいという衝動を抑えて・・・。途中、椎葉(しのは)のなおざりな返答に、

「お前、本当に反省しているのか?」

 担任に訝し気な目を向けられ、

「勿論です」

 と真面目に答える。担任は彼女の様子にどこか胡散臭さを感じつつも、あまりきつい説教は後でセクハラとか体罰とか言われかねないと思い、椎葉(しのは)を漸く開放する。

「もういい。行け」

「どうもすいませんでした」

 深々と頭を下げ、可及的速やかに職員室を出る。出た途端、椎葉(しのは)はどっと疲れが出る。

(やはり職員室は鬼門だ)

 出来る限り近づかないと心に誓う。職員室を出た頃には、既に教室を出てから30分は過ぎていた。徒労だと思い、椎葉(しのは)は足早に廊下を歩いて行く。 


 007


 やや陽が傾いてきたのか、外の陽射しがやけに眩しく感じる。4月中旬と言っても、寒の戻りで夕方から急に冷え込む日もある。グラウンドでは運動部の生徒の掛け声や金属バットがボールに当たる独特の金属音が響き、まだまだ一日が終わっていないと示しているようだ。

 職員室で予期せぬお小言を受けた椎葉(しのは)はトボトボと廊下を歩いている。歩き方がぞんざいなのか内履きが廊下でキュッキュッと音を立てる。俯き加減なので表情は前髪に隠れて見えないが、疲れが顔に表れている。

 数学の授業は教師がアレなので、椎葉(しのは)的には注意していたつもりであったが、さすがに昨日と言うか、今日の明け方までの創作活動は色々な面で支障が出ていたらしく、眠気を制御出来なかった。彼女は一度熱中すると周りが見えなくなる質なのだ。毎回担任の先生に説教を受けていたら、そのうち登校拒否になってしまう。部室登校になってしまうと本気で思った。

(BL恐るべし!)

 自分に対するBLの影響力はここまであるのかと椎葉(しのは)は感じずにいられない。

 教室に戻ると、室内には一人しかクラスメートがいなかった。さっき椎葉(しのは)を揶揄った男子たちもおらずホッとした。あの男子からはねちっこさみたいなモノを感じている。あまり関わりたくないと思っていた。

(それにしても・・・)

 数人残っているか、誰もいなければ気楽だったが、一人しか残っていないと言うのも男嫌いの椎葉(しのは)には気まずかった。それも彼女の隣りの席の例の男子だ。

 彼は椎葉(しのは)が教室を出る前からずっと読書に熱中していて、彼女が戻って来たのにも気づいていない。BL本を嗜む椎葉(しのは)もそれなりに読書に耽る時はあるが、この男子ほどのバイタリティはない。異様にさえ見えた。

 椎葉(しのは)はそっと自席に近づく。幸い、彼女は机の上の教科書の類いは既に片付けてしまっていたので、後はスクールバッグを取れば、帰宅できる状態になっていた。勿論、まだ帰宅する気はないが。椅子側に回り、机のフックに掛けられているスクールバッグを取ろうとする。いつもなら座りながら行う所作を中途半端な位置から取ろうとしたため、また、隣りの男子に気づかれないようにと無理な体勢になっていた。不規則な睡眠のせいで身体のバランスが一日悪くて、思った通りに身体が動いてくれなかったのだ。。お小言も地味に効いていたのかも知れない。一度は外したフックにスクールバッグが引っ掛かって、椎葉(しのは)の手からするりとバッグが離れてしまう。スクールバッグがフックから外れ慣性の法則に従い宙に舞う。彼女はもう一度バッグを掴もうとするが届かない。

 そのままバッグは逆さまになり、ファスナーが開きっぱなしになっているのに椎葉(しのは)は気づくが既に遅し。教室の床にスクールバッグの中身が飛び出して行く。スローモーションで椎葉(しのは)はバッグから落ちていく数冊の薄い本を掴もうとするが、異世界帰りのヒロインみたいな身体能力は彼女にはなく、教室の床に派手な音を立ててぶちまけられる。

 傍らで大きな音が響き渡り、隣りの男子-白濱(しらはま)真琴は驚きのあまり弾かれたように椅子から立ち上がっていた。そして音のした方に視線を向ける。椎葉(しのは)はその顔を見て、誰だっけ?と一瞬思う。

(白鳥君だったか・・・あれなんか違う。白鷺君?・・・鳥の名前ばっかじゃん)

 決してノリ突っ込みしている場合ではない。そこは椎葉(しのは)クオリティ。既に新しいクラスになってから数週間が経つのに、没交渉な彼女は隣りの席の男子の名前もロクに覚えていなかったのだ。そのクラスメートの名前を必死に思い出そうとするが、それが致命傷になる。一瞬の遅れに繋がったのだ。

 真琴は直ぐに何が起きたのか判らないような表情をしていたが、石像の様に固まった椎葉(しのは)の様子と床に散乱する普段あまり見慣れない薄い本(?)、彼女の物らしきスクールバックが本の傍らにぐにゃりと潰れて落ちているのを見て、少しずつ状況を把握し始めたようだ。彼女は今日も授業中に爆睡していて教師に注意され、廊下に立たされていた、よく訳の判らない行動をとる女子だった。真琴も隣の椎葉(しのは)と殆ど話をしないくらい没交渉な性格らしく、椎葉(しのは)の名前を覚えていない様子だ。察するに、読書に熱中していた自分の邪魔にならないように気遣ってスクールバックを取ろうとしたのも原因の一つだと聡い彼は気づく。読書の時間を削られるのは忸怩(じくじ)たる思いはあるが、自分にも責任の一端があると思った真琴はその場に屈み込み、床に散乱した本を拾いあげようとする。

 一度はとんでもない失態をして、頭が真っ白になっていた椎葉(しのは)ではあったが、真琴の行動に慌てて薄い本を回収しようとするが、一瞬早く真琴が拾い上げてしまう。

「あっ!」

 自分の行動が遅れたのに対する悲鳴に近い声だった。


 訝し気に彼女を見る真琴。その視線を何気に本に向ける。

(!)

 その本はページが開いていて、椎葉(しのは)にとっては一番最高・・・いや一番最悪のページが開いていたのだ。真琴はそのページのイラストを見て、表情を強張らせる。そこには、美麗な男性二人のあられもない姿が描かれており、それがイラストなのか漫画なのか判然としないが、その薄さや装丁の甘さからして、普通の本でないと気づいてしまう。


(あわわわ!)

 椎葉(しのは)は真琴の一連の様子から、自分の趣味がバレてしまったと気づく。

(それも男子に気づかれてしまうなんて)

 椎葉(しのは)にとって痛恨の極みであった。


「・・・・・」

「・・・・・」

 一瞬後、真琴は我に返り、何事も無かったように本を閉じ、固まっている椎葉(しのは)に本を返そうとするが、動作に感情が出ていたらしく、汚い物でもさわっているかのように本の端を人差し指と親指で摘まんでいるのに気づく。それでも彼は素知らぬ振りを貫き本を椎葉(しのは)に手渡す。が、本を受け取った彼女の手が真琴の手に絡みつく。ホント、蛇みたいに絡みついたといった表現が合っていた。

〈ゴゴゴゴゴ〉

 彼女から邪悪なオーラが沸き立っていた。真琴は鳥肌が立つくらい・・・

「中、見たわね?」

 低く唸るような声に、真琴はたじろぐ。

(な、なんだ?この異様な雰囲気は)

 普段とは違う隣りの女子のギラギラとした目を見て、真琴は怖じ気づく。彼が再び彼女から視線を逸らしたため、趣味がバレたのは確定。椎葉(しのは)は床に落ちていた本を目にも止まらぬ速さで回収し、スクールバックに詰め込む。そして真琴の腕をしっかりと掴み直す。

「ちょっと来て!」

 強引に腕を引っ張って教室から連れ出そうとする。

「ちょ、ちょっと!」

 手が捻じれそうになり、痛みを感じた真琴は抵抗する。意外に剛腕な椎葉(しのは)に、2人は揉み合いになる。何とか残った空いた手で自分のスクールバックを取り、取り敢えず机の上の物をバッグに詰め込む事に成功する。勿論、ファスナーはしっかりと閉めて。彼女の二の舞は御免だとばかりに。


 椎葉(しのは)としては真琴に自分の趣味がバレてしまった以上、彼が他の誰かと接触しないうちに教室から連れ出したかった。まだその時点ではどこに連れて行くかも決めておらず、衝動的な行動だった。このまま教室にいては誰が戻って来るかも知れず、それだけは避けたかった。真琴を教室から廊下に引き摺り出そうとする。最低限の帰り支度をして、真琴があまり抵抗をしなくなったため、なし崩し的に2人はそのまま廊下に出る。


 真琴は変なものに巻き込まれかけていると予感した。


 008


 放課後になってから時間が経っている。それでも、未だに教室や廊下に居座っている生徒が皆無だった訳でもない。後少しすれば、部室棟とかは別にして、教師の見回りが始まる頃だ。たまたま2-Eのクラスメートの女子の数人がクラスの教室の近くの廊下で(たむろ)していた。

「引っ張るなって!」

 男子の困惑の混じった周囲を気遣うかのような音量を落とした声が聞こえ、女子の一人が声がした方に目を向けた。何気ない視線だったので、直ぐに友人たちに戻すが、その異様な光景に思わず二度見してしまう。

「!」

 目撃した女子には一組の男女がふざけているかのように(もつ)れ合いながら揉めてるのが見えた。普段だったら、

「ケッ!バカップルがぁ!!」

 の羨望と罵倒が混じった一言で終わっていたかも知れない。

「ちょ、ちょっと!『不思議ちゃん』が・・・」

 初めに気づいた女子は喜々とて一緒にいたクラスメートの肩を叩く。

「えっ!?」

 指差された方を見て、目を丸くする、最初は男女がじゃれ合っているようだったが、一人の女子が見えるにつれ、その女子-椎葉(しのは)が男子を2-Eの教室から強引に連れ出そうとしているのがはっきりと認識できた。

「何、あれ?」

 肩を叩かれた女子は甲高い声を上げる。よく見れば、連れ出そうとしている男子は「不思議ちゃん」こと椎葉(しのは)の隣り席の男子-白濱(しらはま)真琴だった。どーしてこういう状況になかったのか2人の女子は興味津々で2人の様子を見守る。ちゃっかりスマホの動画録画を始めている。その間も、二人の女子はキャーキャーと黄色い声を出しながら囁き合っている。その声を聞きつけた生徒が何事かと何人か集まって来る。どう見ても尋常ではない様子に、生徒の何人かは唖然としている。

「なに?痴話喧嘩?痴話喧嘩?」

「うっそー!?」

 面白半分で話し始めるものだから、他の生徒の心情もその方面へ傾いていく。


(うっわー)

 クラスメートの女子と廊下で目が合った瞬間、その目に宿る興味の色を見て、真琴は顔を顰める。何度か女子の手を振り払おうとしたのだが、女子とは思えない握力で腕をしっかり掴まれていて全く振り払えない。

(なんちゅう腕力なんだ)

 生徒の噂話が聞こえる度に、真琴は居たたまれない気持ちになる。そして、少なからずこの状況に影響しているはずであろう、自分の巻き込まれ体質を呪う。少なくとも、今の彼女は普段の地味で大人しい人物とは明らかに別人のようだ。原因は例の薄い本の中身を見られたためだろうが、真琴は強烈な違和感を感じている。

(自分が噂されているに気づいてないのか?)

 普通だったら、人目を気にして直ぐに行動を改めるもんだがと、真琴の心にもこんな状況ながらも冷静な部分が残っている。


 一方、椎葉(しのは)の頭の中は迷走している。教室から連れ出したがいいが、このまま帰宅してはいつまでも一緒にいられる訳でなし、いずれはその男子を解放してなけばならなくなる。そうなっては連れ出した意味もなくなってしまう。じゃあ学校のどこか・・・と思った途端、閃く。漸く目的地を定めて、部活棟へとその男子を引っ張って行く。


 不思議ちゃんが部活棟の部室の一つに男子を連れ込んだのを見届けたクラスメートの女子はネットに見たままをSNSなどで書き込む。噂は拡散し、色々な尾びれ背びれがついて、不思議ちゃんがクラス男子の一人を部室に連れ込んで身体で黙らせたと言う憶測が事実のようにして語られるのだった。

 多くの生徒は、不思議ちゃん-椎葉(しのは)に目を付けられた(?)男子が何処かに連れられて押し込められ、手籠めにされそうになっていると映っている。誰も止めようともしないが・・・。その噂はスマホやネットを介して他のクラスの生徒たちにも伝播していくのだった。中にはスマホで動画撮影したりしたものだから、ネットで拡散して、翌日2-Eのクラスに他のクラスの生徒が押し掛けるほどの大事になる。でもそれは翌日の次話へと続く・・・


 009


 椎葉(しのは)に成すがままに学校の端に位置する部室棟に連行されて来た真琴。ずんずんと部室棟の廊下を歩いて行き、椎葉(しのは)が辿り着いたのは入り口の引き戸に「写真部」と達筆で書かれた部屋の前だった。

(写真部なのか?この()

 真琴は椎葉(しのは)が写真部の関係者であるとは知らなかった。てか、そもそもそれほどの交流も無かった訳で。隣りの席ながら・・・。しかし、彼女が「写真部」に用があるのは間違いない。

 椎葉(しのは)はその引き戸を勢いよく開ける。建て付けが悪いのか、強引に開けた引き戸はかなり軋んだ音を周囲に響かせた。壊れるんじゃないかと思うくらい・・・

 室内には何人かの生徒の姿があった。中にいた全員の視線が一斉に入口に向けられる。

(うわっ!)

 真琴は思わず声に出し掛ける。写真部の部室にいたのが全員女子だったからだ。

「「「「へっ?」」」」

 中の四人は、一様にそんな間の抜けた声を上げた。

 何かの作業をしていたらしく、長机の上にはノートパソコンやペンタブレット(?)が所狭しと置かれ、幾つかの雑誌や本が乱雑に開かれていた。中の女子たちは慌てて色々な物を机の下に隠したり、本を裏返したり、身体で覆い被さったりしたが、入って来たのが椎葉(しのは)だと気づき、一瞬気を緩めるが、見知らぬ真琴の存在に気づき、再び警戒心を露わにする。

「ちょっと!驚くじゃない、しーちゃん」

 いきなり入った来た椎葉(しのは)を女子の一人が(たしな)めにかかる。

「ご、ごめん」

 その叱責の声に椎葉(しのは)は動揺しかける。椎葉(しのは)と彼女に声を掛けた女子が話し始める。

 その間に、真琴は室内の様子をじっくりと観察し始める。女子たちが隠したのは薄い本や彼があまり目にしない類いの雑誌で、彼は直ぐに彼女たちがこの女子と同じ趣味の集まりなのではと勘付く。

(腐女子?BLって言うんだっけ)

 その方面には疎い真琴は、頭の中にある言葉を総動員してカテゴリに当て嵌めようとする。見た目的に色んなタイプの女子が座っている。

(それにしては・・・女子の容姿的なレベルが高いな)

 と思う。真琴とて一介の男子である。草食系に見えるが、普通に女の子は好きだ。容姿の好みもある。腐女子-まだ断定できないけれど-って言うのは彼の偏見もあるが、一般的にちょっと性格的にも容姿的にもクセのある輩であると言う先入観があった。だが、部室にいる女子たちは、多少の差はあるが、皆、一般的な女子と比較しても遜色ない顔立ちをしている。あ、不思議ちゃんは別にしてだが。一人はプロポーション的にレースクイーンみたいな()もいるし、奥には外国人みたいに金髪で白い肌が際立つ人形さんみたいな()もいた。

 一方、部室内にいた女子たちの行動は多様であった。日頃の習性なのか、直ぐ近くにあった机の上のモノを机の下に隠したり、裏返してみたり、身体で覆ったりするのに慣れている様子。。条件反射みたいなもの?中にはセーブし損ねてDeleteキーを誤って押下してしまった女子もいて、灰のように白く固まっていた。ただ一人、ビスクドールのようにきめ細かな白磁の肌に、流れるような長い金髪を垂らした美少女が入口の方を一瞥したが、直ぐに興味を失ったようにパソコンに視線を戻してしまう。データを誤って消去してしまった女子-肌の色はやや青白く、病弱のように見えるが、健康状態は普通で、アニメ声優のようにちょっとクセのある声をしているがやはり整っている顔。プロポーションも悪くない。・・・(もっと)も、室内にいる面々は女子スペックだけは何故か高いので、その美少女振りも少し埋もれてしまっている感があるが、元に戻すキーでデータを復元し、ホッとしている。その女子が最初に椎葉(しのは)に声を掛けた()だ。今も椎葉(しのは)に対してお小言を言うように注意している。椎葉(しのは)もタジタジだ。

 例のナイスバディな女子は初めは驚いていたが、そのうち男嫌いの椎葉(しのは)が男子を連れているのに気づき、色々と興味が頭に(もた)げて来たらしく、ニヤニヤとし始める。

「実は・・・」

 椎葉(しのは)は動揺しながらも、漸く今までの経緯をたどたどしく語り始める。彼女の感情が入り乱れての説明だったので、判りずらいところもあったが、(たしな)めた女子は慣れっこらしく、大体の状況を把握したようだ。

((((またかい!))))

 そんな心の声が聞こえるくらい、彼女たちの表情が椎葉(しのは)に対する感情を表していた。ただ、日頃の椎葉(しのは)の行いのせいか、女子たちからは同情の感情より憐みの表情が占めているのに真琴は気づく。

(奇行はここでもか)

 何となく察する彼。

 女子の一人-真琴的に一番地味に感じた()-がさり気なくドアを閉める。そして目立たないように自席に戻って行く。何故か真琴は退路を断たれたような気分になる。

「全く」

 椎葉(しのは)(たしな)めていた女子のお小言は続いていた。

「お蔭で、他の()の趣味もバレちゃったじない」

「あ゛・・・」

 指摘され、椎葉(しのは)はバツの悪い顔になる。真琴に一瞬視線を向けて、更に落ち込む。

「そ、そこまで頭が回ってなくて・・・」

 と言い訳を始める。

「ホント、しーちゃんはいつも考えなし」

「懲りないなあ」

「サルだって学習するよ」

「わっ・・・一番地味な美咲ちゃんが心を砕くほど辛辣っ!」

 椎葉(しのは)に地味と指摘され、ぶすっとした顔になる「美咲ちゃん」。

 「美咲ちゃん」が真琴が一番地味だと思った()の名前らしい。さっきから女子たちが遣り取りしている間も、真琴は我関せずといった風に、ずっと観察を続けていた。確か、表の引き戸には写真部とでかでかと書かれていた看板が付いており、部屋の構造も作業室と暗室らしき部屋に分かれているので写真部だなと認識している。ただ、メンバー構成は女子だけ。カメラすらどこにも見当たらない。違和感を感じ、

「ここは写真部じゃ?」

 と思わず問い質す。

「「「「!」」」」

 が、女子の殺意の籠ったオーラと視線を送られる。

(なに?この殺気)

 真琴は思わず黙り込んでしまう。

「そーなのよ。昔は写真部だったけど、部員がいなくなって休部していたのに目をつけて、BL同好会を立ち上げたのよ。名目上は『写真部』だけどね」

 よせばいいのに、椎名は写真部が休部しているのを幸いに、BL同好会が占拠しているのをカミングアウトしまう。

「また余計な・・・」

 一斉に立ち上がった女子たちに寄ってたかってボコられる椎葉(しのは)

「ひっ!」

 真琴は危険を察知し飛び退く。ボコられる椎葉(しのは)を見ながら、とんでもないのに巻き込まれてしまったとドン引きする。

(勘弁してよ)

 そして頭を抱える。ここに連れて来られてしまっただけでも災難なのに、訳の判らない同好会のいざこざに巻き込まれているのだ。困惑は隠せない。

「全く・・・」

 漸く腹の虫が治まったのか、女子たちは元の席に戻る。床には椎葉(しのは)が転がっていた。ひととおり治まった後で、

「実はぶっちゃけ、しーちゃん-この転がってる()-の言うとおり、写真部とは外に出てるけど、実態はBL同好会なのよ」

 ナイスバディな女子が真琴に仄めかす。他の女子は諦め顔。否定しない様子から肯定と受け取れた。

「BL同好会?」

 真琴は反芻する。

「そ、名前のまんま」

 初めに椎葉(しのは)(たしな)めた女子が同意する。アニメ声の()だ。

「BLって男と男の恋愛もの?女子ばかりなのに?」

 真琴はBLなんて読んだことがないので首を傾げる。

「判ってないわねえ。BL趣味-勿論、BL小説や漫画の好きなと言う意味だけど-のほとんどは女子なのよ。俗に言う腐女子」

 ナイスバディが補足する。どうやら真琴の曖昧な概念は間違ってないようだ。それよりも-

「で、どうして僕はここに連れて来られたんだ?」

 それが真琴にとって一番の疑問だった。

 部室内の女子たちはお互いに視線を交わす。

「うーん・・・ただの思い付き?」

 アニメ声の女子がちらりと椎葉(しのは)を見る。椎葉(しのは)そっと視線を逸らす。

(そうなのか?)

 頭を抱え、消極的に納得する真琴。

「あなたにBL趣味がバレたんで・・・衝動的って言うか、流れで?」

「う~む」

 椎葉(しのは)の理由に、真琴は何も解決していないんじゃと言い掛けるが、彼女の普段の様子を思い出し、断念する。

(それにしても・・・)

 さっきから気になっていたが、普段真琴は女子と話を交わす場面がほとんどない。こんな密閉された空間にいると、何と言うか、女子特有のいい匂いが室内に充満していて、男子である彼は居心地が悪くなり始めていた。4月だからだろうか、窓は閉められ、換気扇も回っていないので余計に気になるのだ。

「あのう・・・窓、開けていいかな?」

 真琴が提案する。

「ちょっと室内の空気が女子ばかりで匂いが・・・」

「「「「「えっ!?」」」」」

 途端に女子たちが鼻を嗅ぐような仕種をする。

(あ・・・今日は寝過ごして、身体のケアが・・・)

 椎葉(しのは)なんかにはあからさまに自分の身体の匂いを嗅ぎ始める始末。

 その中で一人苦笑するナイスバディ。

「違うって。彼が言ってるのは、女子ばかりで部屋が女の子の匂いがして、慣れてないから困っているって意味よ」

「「「「ああ!」」」」

 納得する女子たち。地味子が率先して窓に近づき、サッシを半分ほど開く。そして換気扇のスイッチを入れる。地味子は結構マメらしい。暫くすると部屋の空気が換気され始め、真琴もやや安心した顔になる。チラリと女子たちに顔を向けると、ナイスバディの女子が親指を立てている。男心がよく判っていらっしゃると真琴は思う。

(この容姿だし、結構男子にモテるんだろうな)

 美少女揃いのBL同好会の中でも、彼女はプロポーション的に抜きんでていた。そして、セクシーで妖艶な雰囲気の整った顔。男性経験も豊富に思えた。

「・・・さて」

 アニメ声の女子が場を仕切り直すように一声掛ける。

「で、ぶっちゃけどーすんのよ、しーちゃん?」

 中途半端になっていた真琴の処遇を再び問い質す。

「えっ!えっ?どーしようか」

「あんたが決めんかい!」

「だ、だって、判んなくてここ来たんだし」

 どうやら「不思議ちゃん」は決断力がないらしいと真琴は思う。

(教室の時とは大違いだな。こっちが素なのか)

「じゃあ・・・こっちの弱みを握られたんで、彼の弱みを握ると言うのは?」

「また、思い付きで!」

 アニメ声が椎葉(しのは)(たしな)めるような口調になる。

(とんでもない放言しやがる)

 真琴も目を丸くする。

「じゃあ、そー言う事で・・・」

 椎葉(しのは)が真琴ににじり寄る。

「全然反省してない!」

 真琴は後退りする。しかし背後は戸棚だ。椎葉(しのは)が入口を固めるように座っているため、部室からの脱出は叶わない。窓は・・・と見るが、ここは2階だった。飛び降りれば、運が良くても軽く骨折するだろう。真琴は自分のスクールバックを引き寄せようとするが、一瞬早く椎葉(しのは)が強奪する。

「獲ったぞー!」

 彼女は高らかに宣言する。

「この・・・」

 すかさず真琴は椎葉(しのは)からスクールバックを奪い返そうとするが、2人の間に入った女子たちに阻まれてしまう。

「どいてくれ」

(やー)よ」

「何故?」

「だって、面白そーなんだもん」

 ナイスバディの女子が微笑む。あからさまに胸を張り、そのプロポーションをひけらかし、真琴の意欲を削ごうとしている。その間にも椎葉(しのは)は真琴のスクールバックのファスナーを開け、中を漁っている。

(女の武器を使うなんて(きった)ねえ!)

 彼女は真琴ににじり寄り、進路を塞ぐ。

「ちょっとでも触れたら、叫んじゃうから!(笑)」

 という雰囲気をぷんぷんさせている。 

「見っけ!」

 ハッと振り向くと、椎葉(しのは)の暗い笑顔に真琴はゾッとした。右手で掴んだそれを、高らかに天に掲げる。他の女子たちも興味津々に目を向ける。それは彼が授業中読んでいた本だった。

 真琴はあちゃ~と頭を抱える。

「何なの、それ?」

 アニメ声が関心を示す。椎葉(しのは)は本のページを捲る。表紙を捲ると、直ぐにイラストが何ページかに亘って描かれていた。登場人物のイラストと小説の見所が載っているプロローグの部分だ。でも・・・登場人物のどれもが女子もしくは女性ばかりだった。小説なので文字は直ぐに読み込めないが、ページの途中途中にあるイラストは女性一人もしくは女性2人・・・後半に至っては、明らかに描かれている女性2人が恋仲を想像するようなシュチュエーションばかりになる。

「これって・・・」

 BLで鍛えられた女子たちはそー言う方面の勘がいい。

「・・・百合、小説だよね?」

 女子たちは顔を見合わせる。

「そうだよ」

 男子の声に全員が視線を向ける。

「それが僕の趣味・・・って言っても、飽くまで創作物リードオンリーだけどね」

 と付け加える。

「あらあら」

 意外な取り合わせに長い金髪・白磁の肌のビスクドールが朗らかな声を出す。初めて喋った・・・。

「えーっ!」

 その中でただ一人、椎葉(しのは)が不満の声を上げる。当の真琴は椎葉(しのは)の時のようにバレたリアクションすら取っていない。

「全然、堪えてないじゃない。趣味バラされて」

 あっさりカミングアウトして平然としている男子の態度が気に入らなかったらしい。自分の想像どおりではなかった、と。でも、それでは困るのだ、椎葉(しのは)的に。

「でも、百合好きって事は、BLの逆じゃない」

「全然違う。BLなんかと比較しないでほしい」

 真琴は冷静に突っ込み返す。

「むう!」

 椎葉(しのは)は不満気に頬を膨らます。しかし、このままでは自分の立場が変わらないと思ったのか、彼女は策を巡らすように考え込む仕種。

「か、斯くなる上は・・・」

 椎葉(しのは)がスマホを取り出す。

「・・・あなた、『自分は百合が大好き』って言いなさい。録画するから」

「お前、頭、大丈夫か?」

 誰がそんな事するかよと言わんばかりの真琴。しかし椎葉(しのは)の目はマジだ。

「さあ、早く!」

 椎葉(しのは)がにじり寄る。

「ふざけるな!」

 真琴は後退りする。しかし、背中が戸棚にぶつかり、逃げ場を失う。2人は撮る撮らないで揉み合いみたくなる。真琴はすかさず奥の手を使う。

〈スパーン!〉

 椎葉(しのは)の頭を手に持った百合小説で叩いたのだ。これが結構痛い!(笑)

 男子にいきなり頭を叩かれた椎葉(しのは)は、痛みよりもその事実に信じられないと言う顔をする。

「何か」

「ねえ」

 女子たちが囁き合う。目の前で始まった漫才(?)めいた遣り取りに静観を決め込む。ナイスバディの女子なんかは既に腹を抱えている。今まで作業に没頭していたビスクドール女子も、作業を中断して、興味深そうに足をブラブラさせながら2人を注視し始めている。一方で、アニメ声の女子はどーしてこうなったと苦い顔。地味子はどうしたからいいか判らずワタワタしている。

 そんな中、自分の秘密を真琴に握られている椎葉(しのは)は挫けない。

「然らば、証拠写真を!」

 動画モードを写真モードに切り替え、再び真琴に迫る。百合小説を持った彼はを無理矢理スマホで撮ろうとする。再び揉み合いみたくなり、真琴は再度奥の手。百合小説を横から縦に持ち替え、今度は小説の角で椎葉(しのは)の頭を直撃する。

〈ゴツン!〉

 鈍い音がし、

「ぐはっ!」

 と、ザコキャラみたいなくぐもった声を出し、後ろに仰け反る椎葉(しのは)

「「「「キャハハ!!!!」」」」

 女子たちがどっと笑う。

 真琴は何事も無かったようにポケットからハンカチを取り出し、小説の角を汚れがついたかのように拭う。

「・・・詰まらぬものを叩いてしまった」

 倒れかけた体勢を何とか戻し、椎葉(しのは)は真琴に食って掛かる。

「二度もぶった!親父にぶたれたことないのに!!」

「お、お前・・・どこのスペースノイドなんだよ!」

 2人の突っ込み合いにBL同好会の面々は大受け。

 中でもナイスバディ女子は笑い過ぎで腹を痛めて抱えていた。

「お・・・面白(おもしれ)ーよ、こいつら!」


 ・・・お後がよろしいようで。

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