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もう未来なんて売らない  作者: バーニー
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その②

「で、でも! さっきお医者さんが、解離性健忘って! ど、ど、どうしましょう! このままじゃ…、上に怒られるのは私だ! あの、一+一ってわかりますか? その、徳川将軍言えますか? 歴代の!」

「流石に馬鹿にし過ぎじゃない?」

 僕が記憶喪失になったんじゃないかって、絶望した顔をする彼女を落ち着かせるために、僕は歴代徳川将軍の名前を全て言ってやった。ついでに、本朝十二銭の名前、あと、円周率も言った。「三・一四一五九二六五三五八九七九…」って。

 そうしていると、おさげ女はようやく落ち着いた。

「だ、大丈夫なんですよね? ちゃんと、私のこと覚えていますよね!」

「うん、キミのことはちゃんと覚えているよ」

「よ、よかった!」

 おさげ女は水から上がった後のように、ぷはっと息を吐き、それから、顔を真っ赤にした。

 僕は喉に手を当てて言った。

「それより、飲み物を買ってきてくれないか?」

「あ! はい! いつものコーヒーでいいですよね!」

「いや、ミネラルウォーターを頼む。とにかく、喉が乾いて仕方がない…」

「はい! わっかりました! 少し待っててくださいね!」

 おさげ女は、犬みたいに、そのおさげ髪を揺らしながら病室を飛び出していった。

 部屋がふたたび静かになる。

 僕は一日寝たきりで、カラッと枯れた声で空気に話しかけていた。

「おい、説明しろ」

「説明して欲しいですか?」

 ずぶずぶと、何も無い場所から黒マントを羽織った女が現れた。

 たちまち、部屋は消毒液の匂いから、バラの香りに包まれる。

 何処か落ち着く感覚を抱きながら、僕は女を睨んだ。

 そして、大体のことを悟った口調で聞いた。

「おい、何をした…」

「貴方が懸念することは何も起きていませんよ」

 女は硬いベッドに腰を掛け、僕に背中を向けたままそう答えた。

「全てがもとに戻っただけです」

「……全てが、もとに戻った?」

「はい。ああ、どれから説明すればいいのでしょう?」

 大げさに首を傾げる。

「一言で説明すれば…、貴方の『未来』が返ってきた。ということですよ」

「は?」

 思わず、声が裏返った。

「未来が…、返ってきた?」

 脳裏を、美桜の横顔が横切った。

 疑問を持たせる間も無く、女は続ける。

「はい、失った未来は戻ってきましたよ。貴方が小説家として大成する未来です。貴方は、『幽鬼羅刹幸あれ』という小説賞で大賞を受賞し、一躍有名作家になりました。次回作も順調に売り上げを伸ばし、今は、処女作の映画化プロジェクトに奔走しています。ちなみに、さっきの女性は、貴方の担当編集である『月山』さん。貴方と将来結ばれる方ですね」

「……」

 また、美桜の姿がフラッシュバックした。

「でも、お前…」

「前にも言った通り、十年前に貴方が私に売った『未来』は、もう『現在』に変わってしまいました。そのため、買い戻すことはできません。ですが…、ある方法を取れば、『例外』を作り出すことができるんですよ」

 前にも言っていたやつか。例外ってやつか。

 女が首だけで振り返り、金色の瞳で僕を見据えた。

 マントの内側から、一枚の白い封筒を取り出す。

「…これを読んだ方が…、話は早いかもしれませんね」

「………」

 僕は横になったまま手を伸ばす。

 女が手紙を差し出す。

 僕が手紙を掴んだ瞬間、病室の扉が開いた。

 月山さんが入ってくる。

「先生! ミネラルウォーター買ってきました! 大山の方が良かったですか? 信州の方が良かったですか! 両方買ってきました!」

「ああ…、ありがとう…」

 僕はベッドの上に落ちた封筒を拾い、布団の中に忍ばせた。

 月山さんは「いやあ、私は大山の方が好きなんですが…。あ、はい、味とかじゃなくてパッケージですね」とくだらないことを言いながら、結露の浮いたボトルを僕の枕元にあったミニテーブルに置いた。

「先生、どっち飲みますか? あ、介護用の急須に入れた方がいいですかね?」

「大山で。あと、自分で飲めるから大丈夫だよ」

 大山で採れたミネラルウォーターのボトルを受け取る。

 一口飲んで口の中を湿らせながら、僕は月山さんの顔をまじまじと見た。

 この人が…、僕の担当編集…?

「な、なんですか!」

 月山さんの顔がすぐに赤くなる。

 僕は「何でもない」と言って、キャップを閉めたボトルを月山さんに返した。

 この様子だと、四六時中付きまとわれそうだったので、僕は言った。

「月山さん、お願い、聞いてくれないかな?」

「あ、はい! 何なりと。私は先生の担当編集ですから!」

「執筆を始めたいんだ。僕の部屋に戻って、パソコンを取ってきてくれないか?」

「あ!」

 重大なことを忘れていた! って感じの顔。

 月山さんは顔を真っ赤にし、おさげ髪を揺らしながら、頭を何度も下げた。

「す、すみません! すぐに取ってきます!」

 そして、椅子に掛けてあった上着も着ずに、病室を飛び出していってしまった。

「………ったく」

 僕は妙に高ぶった心臓に舌打ちをして、忍ばせていた手紙を取り出した。

 高校の合格発表を待っているかのように、心臓が高鳴り、頬を冷や汗が伝う。

 封筒を破り、中から、数枚の便せんを取り出すと、唾を飲み込んで目を開けた。

 そこには、一夜にして変わってしまった運命の真相が書かれていた。


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