その④
『そうですか…』
未来売買人の女は、面白そうに…、でも何処か残念そうに頷いた。
僕は「もう来るな」という意味を込めて、さらに続けた。
「吹っ切れた…、というと嘘になる。だけど…もう大丈夫だ。多分、人の運命って、そんなものだと思うんだ」
ふふっという笑い声が聞こえた。
女は、赤い唇に手をやって、肩を震わせて笑っていた。
上品に、でも、蔑みを込めて。
「なんだよ、なんか、文句でもあるのか?」
『いえ…、とても滑稽でして』
「滑稽だと?」
睨むと、女は切り裂くように言った。
『だってそうじゃないですか? 今の貴方…、負け惜しみを言ったんですよ?』
腹の底で、何かがゴボッ! と音を立てた。
「負け惜しみ…、だと?」
『負け惜しみです。試合に負けたチームが、でも、僕たちは一生懸命頑張ったから、と清々しい笑顔を浮かべるのと同じです』
女は目元を覆う銀色の前髪を、そのしなやかな指でかき上げた。
金色の視線が、僕の胸を貫通した。
『他者に、自分の幸せを任せるのですか? それは、貴方の幸せではありませんよ? いや、幸せですらありません…。ただの、慰みです。自分が幸せでない現実から逃げるためのものですよ? 貴方は今、現実逃避と自慰を同時に行ったんですよ?』
「そんなわけ無いだろ!」
僕は声を荒げていた。
「言った通りだ! 美桜が小説家として活躍する姿を見ることが! 僕の幸せなんだよ! それが、僕の人生を豊かにするんだよ!」
『残念ながら、林道様の人生が、貴方の人生を豊かにすることはありません』
女の口元がニヤッと笑う。
『林道様の運命は…、林道様のものなのです。貴方のものではない。わかりますか? 貴方はただ、ショウウィンドウからおもちゃを眺める、子供なのですよ…。いくら見つめたところで、そのおもちゃが貴方のものになることはない。楽しめても、所詮は空想の世界…。残るのは虚しさだけ…』
「馬鹿かよ!」床を踏みしめた。「虚しくなんかあるもんか! 美桜と一緒にいると…、楽しいんだ! 幸せなんだ! それが証拠だろう! 僕の人生が豊かな証拠だろう!」
『残念ですが…、それは雨雲の切れ間から覗く、陽光のようなものです』女は静かに言った。『冷たい雨が降っていることに変わりはありません。貴方が濡れていることに変わりません』
「それでもいいって話をしているんだろうが…」
話が通じない女に、僕は今に殴りかかってしまいそうだった。
風もないのに、女のマントが揺れた。
『ヒイラギ様は、我々のお得意様ですからね…。ここは、親切心で教えましょう』
唇に指を当てて、声を潜めていった。
『貴方の運命は…、変わらず空虚なままです。それでいい…と強がれるのも、今の内ですよ? きっと、冷たい雨に打たれ続け、体温は奪われ、辛くなる時が来ます…』
金色の瞳が僕を見据える。
『我々は、未来売買人ですから…、わかるのです』
その瞬間、まるで、水の中に絵の具を垂らしたときのように、女の輪郭が揺らいだ。
僕は「まて!」と言って、女に飛びついたが、伸ばした手は空を切る。
耳の奥に、女の声が響いた。
『いいですか? 運命は空虚です。それに、貴方は気づけていない…。見てみないふりをしている…』
「この! 何処だよ! 出て来いよ!」
『もう、手遅れなのですよ』
そして、女の声は聞こえなくなった。




