その③
『幸せですか?』
ソファに座って、テレビをつけようとした時、あの女の声が耳の奥に響いた。
振り返る。誰もいない。向き直る。テレビの前に立っていた。
『お久しぶりですね。ヒイラギ様』
「…なんだよ」
僕はテレビのリモコンをきゅっと握り締めながら、女を睨んだ。
相変わらず、幽霊のように現れるな。姿も、半年前と全く変わっていない。闇から切り出したような黒いマントに、銀色の髪。病人のような白い肌…。
「僕に何か用か? 未来なら買わないぞ」
『いえ…、今日は未来を勧めに来たのではありません』
女はぼんやりとした声で言うと、恭しく頭を下げた。
パサッと、銀色の髪が垂れる。その拍子に、甘ったるい香りが部屋に漂った。
その匂いに眩暈を覚えながら、女を睨み続ける。
僕の方を向き直った女は、口元に笑いを浮かべながら言った。
『方は今…、幸せですか?』
「幸せ…だと?」
「ええ、幸せ…、ですか?」
『幸せに決まっているだろう』
半年前の僕なら言わないであろうことを口にすると、女がふっとした笑みを洩らした。
『…どうして…、幸せなのですか?』
「…どうしてって…」
『おかしいですね…。『未来』を売った貴方の運命は…、『空虚』のはずなんですよ。希望というものが存在しない…、絶望の世界のはずなのに…、どうして『幸せ』と言えるんですか?』
下唇を舐めて、女は言った。
『もう、小説家にはなれないと言うのに…』
僕は奥歯を噛み締めた。そして、ゆっくりと首を横に振る。
「夢を叶えることが…『幸せ』ではないよ…」
『…そうですかね? 何せ、私は未来売買人ですからね。運命の価値基準は、やはり成功体験なんですよ…』
「だから…、成功することが、必ずしも幸せに結びつくこととは限らないって言っているんだ」
僕は目の前でにやついている女に言った。
「もう、これでいいんだよ。美桜はこれから、たくさんの小説を書くんだ。その小説は、たくさんの人に受け入れられて…、心を動かす…。僕は、それを見守っているだけでいい。それだけで、幸せだよ」
例え自分が「脇役」になったとしても、彼女が幸せならそれでいい。
彼女の幸せの手助けができたらな、それでいい。
『そうですか…』
未来売買人の女は、面白そうに…、でも何処か残念そうに頷いた。




