その⑥
「だから、もう走れないんだよ」
「怪我、したの?」
「いや、骨肉腫ってやつ。高校三年のときにやっちゃったの。全部取り除いたから、もう大丈夫だけど…、一度メスを入れてるから、上手く動かなくなったの」
「…そうか」
「一応、周りの筋肉が支えてくれているから、歩けないことはないんだけど、長時間はやっぱり疼くから、こうやって杖を使っているんだ」
彼女がそう言って、杖を床から離して立ってみせた。
「そう…」
「でも、時々、新作のウェアとか、シューズを確認するの。見ているだけで楽しいよ」
その時、彼女のマンションのトイレを借りた時、洗濯機の横に、ウインドブレーカーやスポーツブラなど、小説家のイメージには似合わないものが干してあったことを思い出した。なるほど…って思う。
僕は目に入った、青色のシューズを手に取った。
「…うわ、意外に軽いな」
「ああ、それね。軽いでしょ? 軽量素材を使ってるの。それなのに、クッション性能が高いから、サブ4くらいの人に人気なんだ。私も一回履いてみたんだけど、ちょっと合わなかったかな? 蹴りだしの時がぶれるっていうか…、ちょっと物足りない感じ。すごく惜しかった」
「…そう」
何を言っているのかわからない。
「これなんかどう? ヒイラギくんって、駅とアパートの間は歩きでしょ? 履き心地もクッション性もいいし、アッパーのデザインも結構カジュアルだから…」
そう言いながら、少し高いところにあるシューズを手に取る林道美桜。
僕もちょっとノリノリで、「どれ…」と、彼女が渡してきた、黒のランニングシューズを受け取った。なるほど、確かに、軽くて歩きやすそうだ。
値段は…。
「うわ…、高っ…!」
熱いものに触れたみたいに、シューズを彼女に突き返す。
「たかが靴に、一万円なんて出せるか」
「いやいや、相場だから」
「相場なわけあるか。僕のスニーカーがいくらしたと思っている? 二千円だぞ? クッション性は無くて脚は疲れるし、蒸れるしで性能は散々だけど」
「安物買いの銭失いね」
そう不毛な問答をしていると、「いらっしゃいませ~」と言いながら、若い女の店員さんが近づいてきた。
「何かお探しですか~?」
いや、見ているだけなんで…、と言おうとする前に、林道美桜がいたずらっぽく、食い入るように言った。
「はい、彼がランニングシューズを買おうとしていて」
「おい」




