その⑤
林道美桜は「ほら」と言って、右側の店の看板を指した。
それは、スポーツショップだった。
「………なにこれ?」
「これがマクドナルドに見える?」
「いや、何処からどう見てもスポーツショップだな」
「何処からどう見なくてもスポーツショップでしょうが」
などとくだらないやり取りを交わしてから、店に入る。
店員さんの眠たげな「いらっしゃいませ」を右耳から左耳に流しながら、Tシャツコーナを横切り、ランニングシューズコーナーに入った。
すると、林道美桜は、「うわ! すごい!」と歓声を上げて、商品棚に寄った。
「うわあ! 新作出てたんだ!」
そう言って、棚に置いてあった一足のランニングシューズを手に取る。蛍光ピンクで、炎が湧き上がるような模様が刻まれ、なかなか派手なデザイン。少し離れていても目がちかちかとする。
「ねえ、見てよ」
林道美桜は僕にそのシューズをみせた。
「これ、すごくない? 五年前に一作が開発されて、四作目なんだけど、もう、技術の発展に脱帽よね! ソールの硬さも、耐久力も上がったし、アッパーの素材もすごく柔らかくなった! 絶対に足通しがいいに決まっているよね!」
「…ごめん」僕は首を横に振った。「…日本語を喋ってくれ」
「いや、日本語でしょうが」
まあ、マニアックなことを言っているのはわかった。
僕は商品棚に目を向け、「ふーん」と適当に返事をした。
「林道って、ランニングシューズに興味があるの?」
「興味って言うか…、好きなのよね。中学校、高校と陸上部だったし」
「それは初耳だ」
「専門種目は長距離ね」
そう言われて妙に納得する部分があった。
「ああ…、なるほど…」
林道美桜の身体をまじまじと見る。
彼女は「この変態」と言いながらも、僕の前で一回転した。ふわっと捲れたロングスカートから、彼女の華奢ながらも引き締まった脚が覗き見える。
「お前が細身な理由がわかったよ。長距離をやっていたからだな。遅筋が発達するから」
「お、よく知ってるね」
「まあ、保健体育の範囲だから」
林道美桜は、棚に並ぶランニングシューズを次々と手に取り、おもちゃを買ってもらう前の子供のような、輝いた瞳でその性能を解説していた。
「これはね、レーシングシューズって言って、レースとか、本気を出すときに履くやつね。ほら、ソールが薄いでしょ? あと、めっちゃ硬い。クッション性をほとんどそぎ落として、スピードに全振りしたやつなの。履き心地も、走った時のスピード感も、これがダントツで良いの。だけど、クッションが無いから怪我をしやすいし…、耐久性も無いから、『いざ!』って時にしか使えないのよね。まあ、そう言うのを理解せずに、普段履きにしている人を時々見かけるんだけど…。コッチは逆に、クッション性を重視したシューズだね。大体、マラソン初心者におすすめのやつ。スピード性能は捨てているんだけど、とにかく脚に優しくて、長時間のトレーニングで大丈夫なの! つい最近さ、芸能人の○○って人が、番組の企画で出たマラソン大会の時に履いてたね。あ! このシューズは、クッション性とか、スピード性能の良いところ取りのモデルでね、ガンガン練習する部活生に好まれているモデルで…、私も、中学、高校とほとんごこれを履いてたよ。色々、他のメーカーから似たり寄ったりの商品が出るんだけど、私はもうこれ一本だったね。『これを買っておけば正解!』みたいなところがあったし!」
「…ああ、そう」
そうやって熱弁されても、僕にはこの商品棚にならぶ色とりどりのランニングシューズの魅力はわからなかった。
「それで…、買うの?」
「いやあ、私が履いていたって、宝の持ち腐れだよ」
「…あ、まあ、そうか」
林道美桜は、常に杖を突いて歩いている。つまり、そういうことだ。
「だって、もう、走らないんだもん。いや、走れないね」
ロングスカートの裾を摘まむと、ゆっくりと引き上げる。彼女の白いおみ足が覗くわけだが…、膝小僧を見て、僕は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
彼女の右膝には、赤っぽくなった傷跡…、手術痕があったのだ。
他の者の目もあるということで、すぐにスカートをもとに戻す。
「だから、もう走れないんだよ」




